第十九話 ダウナー系女子。
日曜日。セカイは昨日と同じ駅前のカフェにいた。天気はすこぶる晴れ。窓から見える初夏の雑踏には、行き交う人々の楽しげな表情が見え隠れしていた。
セカイはそんなカフェの中で、三人の女子を目の前にしていた。六人掛けの席の一方に一人、その向かいに三人というのは少し不自然だ。ふつうは差し向かいで二人ずつだろう。それに、セカイの表情からはみじんも浮かれている様子は見て取れない。むしろその表情は、これから痴漢呼ばわりされない代わりにお小遣いを請求されようとしているかのようだ。
真ん中に座った女子は、すらりと長身で髪の毛は金色のロング。セカイたちのいるカフェは駅前といっても決して裏通りの店ではなかったが、彼女の周りだけは日中にもかかわらずそんな雰囲気を醸し出していた。決して露出は多くないものの、薄さがかえって淫靡さを醸し出す絶妙なカーディガン。さながらお忍び姿の夜の女王だ。
セカイから見て左手、窓際に座っている女子は、それとはまったく対照的だ。ストライプのカットソー。その女子は時折、額や腋の汗をハンカチで拭っていた。見ている方が暑苦しくなりそうだ。とはいえ、服の上からでも胸だけは三人の中で一番目立つ。そんな年齢ではないのに熟れたような色気がある。もっとも、その俯き加減の表情は暗く、一見すると包容力のありそうなかわいらしい顔立ちとは裏腹だ。
セカイから見て右手、通路側にはヘッドホンをつけている女子。少し大きめの薄手のジャケットに、海外のキャラのプリント。ただしヒーローものでセカイの好みではない。それよりもセカイが気になるのは、これから話をするはずだというのにヘッドホンを外そうとしないところだ。きょろきょろと辺りを見回し、たまにセカイと目が合うと目を逸らす。一言で言うと挙動不審。
挙動不審といえば、セカイ自身も挙動不審ではあった。正面に座っている三人の女子の誰とも目を合せることなどできない。セカイ自身も自分が何のためにこんな面接をしているのか、年会費十年無料という微妙なサービスのため、ということ以上にはわかっていなかった。
「わたしはウルル。付き添いだから気にしないでねー」
セカイの正面に座っていたウルルは金色の髪をかき上げ言った。はあ、とセカイはため息のような返事をした。
「で、こっちがエミ」
ウルルは窓際の巨乳女子に手を向けた。エミは上目遣いでセカイを見ると会釈した。
「で、こっちはイルカ」
イルカと呼ばれた女子も軽く会釈した。だが、それでもヘッドホンを外さない。
「こら、いい加減に外しな!」
ウルルはイルカのヘッドホンをやおら掴むと取った。イルカの少し巻き気味の髪が前に流れる。
「えー、別にいいじゃん。ヘッドホンしてたって聞こえるんだからさ」
「バカ。世の中にはマナーってものがあるのよ」
「わかった、わかったよ」
イルカはなんだかそわそわしているようで、視線が安定しない。だが、本題に入ったのは、そのイルカだった。
「で、年会費十年無料って話だけど、わたし年会費いくらか知らないんだよね」
イルカは早口で言った。セカイは怪訝に思った。年会費がいくらかも知らずに特待を受けようとしているとは。
「年会費は十万円です」
セカイはためらいなく言った。この金額に、ふつうの人は気後れしてしまう。クレジットカードであればプラチナクラスの年会費だ。だからこそ、特待など本来はありえないサービスなのだ。
「高!」
イルカの声が上がった。ウルルも眉を上げた。エミも少しぴくっとした。どうやらウルルもエミも、その金額は知っていたようで、イルカの突飛な声に反応したようだ。セカイは事務的に説明を続けた。もっとも、セカイには事務以上のつもりはない。特待信者にふさわしいかどうかなど、結局は勘でしかない、とセカイは割り切りつつあった。オヤジめ、どうしても家業を継がせたいらしい。確かにこのアルバイト、嫌が応にも教団のことを考えずにはいられない。
「それでもダンスモウドアカデミーの場合、年間で五十万円の学費が半額の二十五万円になります。本来、特別待遇を用意して信者を募集する理由はまったくないのですが」
実際、白音教団の関係者への割引サービスはクローズド、つまり公表されていない。非公表の割引サービスをアンナたちが知っている理由は一つだ。フレアだ。だが、なぜフレアがタイカイに彼女たちを入信させる手立てを相談するのか、セカイにはまったく見当もつかない。
「なーに言ってんの。もったいつけちゃって。十年過ぎたら年会費だけじゃなくてお布施とか無理やりとってくんじゃないの」
セカイは少し大きく息を吸った。よくある偏見だ。
「白音教はそんなことはしませんよ。新宗教にそんなイメージがあるとしたらそれは一部の宗教団体のせいでしょう。もちろん、ぼくがこう言ったところで信用できないでしょうが」
よくある偏見だ。セカイは慣れていた。腹も立たない。だが、セカイは相手がもうこの話を切り上げてくれることを期待していた。そもそも、十年間年会費がタダでも、その後は発生するのだ。かなり明確な利益がないと、損得勘定では入会しないはずだ。
「へー、そうなんだ。でもねー。わたしクラブギフテッドの正会員でいいんだよ。年会費一万円のとこ、タダになる、だよね」
イルカは挑むような目でセカイを見た。もちろん、そんなクラブをセカイは知らない。
「少し待ってください。調べます」
年会費一万円のところを無料にしてもらうだけのために年会費十万円の白音教団に入信しようというのだとすると、損得勘定では説明がつかない。
セカイは携帯端末を操作して白音教団の特別顧問IDで教団ウェブサイトにアクセスした。関係団体のリストと各種特典の情報が並んでいる。検索をかけるとすぐにそれは出てきた。
クラブギフテッド。それは全国でも有数のクラブで、世界的に著名なDJが集うところ、らしい。日本のクラブにしては珍しく会員制で、一般会員と正会員があるようだった。一般会員は年会費無料で、参加できるイベントは限られている。一方、正会員は年会費一万円で、こちらはすべてのイベントに参加できるようだった。ようするに、正会員でないとエクスクルーシブなイベントには参加できない。
とはいえ、年会費一万円はさして高額ではない。それを無料にするためにわざわざ白音教に入信するのはおかしな話だ。
「十年経ったらやめるつもりですね」
もっとも、年会費無料の特別待遇期間だけは、年会費分おトクではある。セカイはため息をついた。そこまでロコツだとセカイも呆れるしかない。
もちろん、今回の特別待遇で最初の十年間は無料となればおトクなわけだが、さすがにあからさますぎる。
「そんなことないよー。わたしクラブ通いが生きがいなんだから。ねー、ウルルちゃん」
イルカに突然話を振られたウルルは携帯を操っている手を一瞬止めた。
「……ま、それはそうかもね」
そうボソリと言うと、ウルルはまた携帯に目を戻した。もっともセカイにはそんな証言だけでは信じられない。
「十年経てば年会費十万円ですよ。払えますか」
「払える払えるー。こう見えてもわたし売れっ子なんだよー」
そう言うと、イルカはニッコリ笑った。
「あんたねー。わたしたちの仕事、あと何年続けられるって思ってんの」
ウルルがイルカを嗜めた。どんな仕事をしているのかセカイは知らなかった。
「だからだよ。わたしの本業で返り咲きたいのよー」
イルカはへらへらしながら言った。
「それは分かるけど……でも、もっとほかのことを見つけなよ。そんなに稼げるようなモンじゃないでしょ」
ウルルは心配そうに言った。
「むしろ、その方が稼げるっていうか」
イルカはそう言うと、しまった、といった様子でウルルを横目で見た。
ウルルはさっきまでの心配そうな顔が一転、はぁーと大きくため息をついた。
「バカ。あんたまた出禁になるだけだよ」
ウルルの厳しい口調にイルカは黙り込んでしまった。
「ウルルさん、出禁って、立ち入り禁止ってことですよね」
ここまでの話についていけなかったセカイはとりあえず「出禁」というワードに反応してみた。
「……まーねー。こんなことだろうと思ったから、ついてきたんだけど」
そう言うと、ウルルはイルカを睨みつけた。
「この子、そのクラブだけじゃなくて、いろいろと出禁になってるのよ。っていうのもね、この子、DJだったんだけど」
「あー、それ言っちゃうかな。男子高校生の前だよ?」
イルカが半笑いを張り付けながら困った表情でウルルを見たが、ウルルは素知らぬ顔だ。
「高校生だったらもうわかるでしょ。この子、マクラやりまくってたのよね」
「マクラ?」
セカイは聞き返した。
「枕営業。つまり体を使って仕事を取ってくることよ。この子の場合、仕事だけじゃないかもしんないけど」
「ウルル~余計ないこと言わないで~」
イルカがウルルに哀願の眼差しを向けた。枕営業と言われれば、さすがにセカイも分かった。だが、目の前の一見年端も行かないように見えるどこかあどけなさを残した女子がそんなことをしていたようには見えない。
「きゃ。やだなあ。そんな目で見ないでよ」
イルカがふざけた調子で顔を覆った。セカイは真っ赤になって目を逸らした。
「そういうのはよくないわよね。いくらありがちでもさ。ヤリスギはだめよ」
「DJ出来なくなったからだよ、そっちでお金を稼ぐようになったのは」
イルカはさっきまでとは打って変わった弱気な声でか細く言った。
「それでもクラブにいたくてさ。でも、出禁になっちゃった」
そこそこ有名なDJというだけではなかなか食ってはいけない。曲や歌手をプロデュースできたりと、様々な仕事をこなさなければ趣味止まりだ。
「その話を聞いてしまった以上は、年会費無料の特別待遇の適用は見送らざるをえません」
そんな理由で出禁になった人間を白音教の名前で再登録させようとしたら大きな信用問題になる。
「そ、そんなあ~。ウルルのせいだ~」
「バカ。あんたがそんなんで入会したら、アンナもエミもそんな目で見られかねないんだよ!」
ウルルがイルカを叱咤した。
「くそ~みんなキライ~」
そう言うと、イルカはヘッドホンをウルルの膝の上から取り戻すと装着した。そしてブツブツと呪詛のようなことばを唱え始めた。ウルルはそれを見て軽く肩をすくめた。
「気にしないで。いつものことよ」
ウルルはそう言うと、エミの肩に軽く手を当てた。
「ほらエミ、あんた興味あるんでしょ。言いなよ」
ウルルのエミに向けた口調は優しい。エミはおもむろにしゃべりだした。
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