第十八話 スポーツ女子。

 制服姿のセカイは駅前のカフェにいた。約束の時間まであと一時間ある。


 これまでも三上や金田に無理やり誘われて外食することはあった。その度にセカイは貯めたお金を切り崩していた。そんな生活が一年以上続き、それまでほとんど使わなかった貯金はかなり減っていた。

 そんなセカイにとって、カフェはコーヒースモールサイズを注文するところでしかなかった。


 ところが、今やぜいたくにもホットサンドを食べ終えたところだ。セカイは、初めてカフェでコーヒー以外を頼んだかもしれなかった。周りのオサレぽい姿の人たちのなかで学生服でいることが気にならなければ、もっとそのしつらえや独特の喧騒を楽しめたかもしれなかった。だが、それ以上に心安らかではない。今から待ち合わせだが、セカイには相手が誰かまったく知らされてないのだ。


 セカイは、父であり教団幹部のタイカイから「十年間の年会費無料」にふさわしいかどうか誰かを見定めるよう依頼を受けている。にもかかわらず、いったいどんな人が「十年間の年会費無料」にふさわしいのか、ヒントらしきものすらセカイには与えられていない。


 困惑しつつも、バイト代分くらいは付き合うつもりはセカイにはあった。


 約束の時間まで、残り三十分。セカイの携帯端末の充電が半分を切った頃。


「きみが貝瀬セカイくん? 見たかんじ、制服ぽい男の子っできみくらいしかいないんだけどー」


 女性の声がした。うら若い、それでいて少し低めのハスキーな声。


 セカイが顔を上げると、目の前にジャージ姿の女性がいた。スポーツタオルにショルダーバッグ。運動の途中、あるいは直後といったかんじだ。髪の毛は茶色、こげ茶、白色、青。入り混じっている。肌は健康的な小麦色。ジャージはピッタリと彼女の体を包んでいるため、その鍛えられているにもかかわらず胸部に残存している豊かな膨らみをかえって強調していた。カフェのほかの客の中には無礼千万な目つきで彼女の身体を睨め回す男さえいた。


「ここ、いい?」


 その女性はセカイの返事も聞かずにその斜向かいに座った。


「あ、あのー。白音教に興味のある方でしょうか」

「わたしのこと、聞いてるよね」


 予定の時間よりかなり早い。いや、予定の時間通りだったとしても、セカイはことばに窮しただろう。非モテブサメンのセカイに縁遠いどころか、そもそも久然学園高校の周りで見かけることはない、派手な女子。


 セカイは心の中で首を振った。そんな見た目で判断するようなことをしてはいけない。教義にもある。「汝、流転せしものに拘泥するなかれ」。時と場合で移ろう容姿にこだわるのは害悪だという教えだ。もっとも、「汝、内より出でし外を軽んずるなかれ」という、人に与える印象が大事だという教えもあった。


 そんなセカイの鼻腔を爽やかな柑橘系の香がくすぐった。


「ねえ、聞いてる?」


 セカイがはっとして前を見ると、目の前の女性が身を乗り出してきていた。セカイは思わず身を引いた。


「わたし、アンナ。よろしく。あんたが貝瀬セカイ?」

「は、はい」


 アンナは目をそらしているセカイをしばらく見て、ふーん、と一言言うと、店員を呼び止め、アイスハーブティーを注文した。それから、セカイに向き直った。


「いきなりで悪いんだけど。なんかさー、白音教? メンバーズカード欲しいんだけど。なんかあんたの紹介だと会費十年分タダなんだって? 意味分かんないけど、それで合ってるよね」


 セカイにも意味はわからない。セカイが彼女は適格との判断を示すと、セカイが彼女を教団に紹介したことになる、のだろうか。


 いくらセカイが教団から距離を置きたいと思っていたとしても、セカイにとって教団は家業も同然。特典は、ユーザーにはタダでも、プロバイダーにはタダではない。


 セカイは思った。なるほど、確かにこれは誰にでもはできないアルバイトだ。前代未聞の年会費十年無料、特典目当ての先例をつくれば教団の名誉にキズがつきかねない。十年保たずにやめられる可能性すらある。適当にはできない仕事だ。


「ぼくの紹介っていうのが、教団事務局にぼくがこの面接結果を報告するってことなら、そうです」

「面接? もしかして紹介してくれないってこともあるの? わたしは話を聞くだけでいいって思ってたんだけど」


 それはぼくが聞きたいよ、とセカイは思った。


「年会費も、本来はけっこう高額なんで、誰でもってわけにもいかないんで……」

「ふーん。もったいつけるんだね。まあいいわ。でさ、この白音教の会員証があればダンスモウドアカデミーの個人レッスンが半額ってマジ?」


 ダンスモウドアカデミーとは、有名なダンス教室で全国展開もしている。とくに知られているのは、著名なダンス講師による個人レッスンだ。一回あたり一万円で月謝にすると四万円。年間で約五十万円。単なるダンス好きには手が出ない値段設定と、数か月も受講すれば世界各地のオーディションで勝負できるようになるという評判で、ダンス業界では知らぬ者はない。


「今、確認します」


 教団の公式ウェブサイトには、信者の各種特典など公開されていない。セカイはタイカイからもらった特別顧問のIDで教団の関係団体リストにアクセスし、そこで教団関係者半額割引サービスを発見する。一般には公開しない秘密のサービス。


 あった。ダンスモウドアカデミーの個人レッスンがなんと半額。かつてはそれで信者を勧誘したのかもしれないが、今や業界でも有数の規模のダンス学校。もはや、選ばれし者しか知らないサービスであるのは明らかだった。


 セカイは緊張した。ちゃんと審査しないとダンスモウドアカデミーからクレームが来るかもしれない。自社の秘密のサービスを安売りされたのではたまったものではないからだ。


「その前にですね」


 半額サービスの話の前に確かめなければならないことがあった。家業を傾けてはならないのだ。


「アンナさん、どうしてダンスモウドアカデミーの個人レッスンなんですか。一般のダンス教室でしたら月謝も一万円いかないくらいです。それに、白音教団の年会費も十年経てば発生しますからね」

「でも、退会は自由なんでしょ」

「まあ、そうですが」


 最初から十年後に退会すると宣言しているようなものだ。セカイはアタマを抱えたくなった。どうやって円満に帰ってもらうか。


 だが、そう思う中で一つ引っかかることがあった。まだアンナはセカイの最初の質問に答えていない。


「すみません、もう一度聞きます。どうしてダンスモウドアカデミーの個人レッスンを受けたいんですか?」


 アンナはセカイが急に真剣さを帯びた表情になったのに少し驚いた。


「そりゃ、ダンスアイドルコンテストを受けたいからだよ。こう見えて英会話も習ってんの」

「ダンスアイドルコンテスト?」

「アメリカとかカナダとかであるやつね。どれってこともないけど。日本よりもチャンスあるんだ」


 海外渡航してからデビューまでどれくらい時間がかかるかわからないうえ、そこでの生活費も自分で稼がなければならない。セカイには気の遠くなる話だ。


「やっぱアメリカかなあ。だからさ、国内でそんなにお金使いたくないわけ」


 アンナはそう言うと、運ばれてきたハーブティーを一口飲んだ。


「わたしって、体を使う仕事しか頭に浮かばないんだよね。今の仕事もそうなんだけど、さすがに事情のわからない海外で同じ仕事ができるなんて思ってないからさ。海外では、ダンス一本で独り立ちしたい」


 アンナは二十代前半のように見えた。話から察するに、夢を追いかけている最中のようだ。だとすれば、高級取りというわけにもいかないだろう。ガテン系のバイトでも限界がある。半額にしても年間二十五万はかかるダンスモウドアカデミーの学費はおろか、渡航費、滞在費、アメリカでの学費などを十分に貯めることなんてできるのだろうか、とセカイは思った。


「自分でお金を貯めてるんですね」


 セカイはぽつりと言った。セカイは、なんだかんだで学費を親から出してもらって、寮にまで入れてもらっている。大学に行くときも、きっと何かしら親に援助してもらうだろう。


 アンナは形良く切り揃えられた眉を上げた。


「自分の夢だから自分で稼いだ金で追いかけるのがスジでしょって言いたいけど……ま、親に出してくれって頼んだこともあったけど出さないっていうからさ。だったら、自分で稼ぐしかないじゃん」


 セカイはアンナの表情に少し寂しげなものを見てとった。もしかすると家族とは没交渉なのだろうか。家族の支援なく、夢を追いかけるというのは、どれくらい難しいことなのだろうか。セカイには想像しかできなかった。


「すごい、ですね」

「何が?」

「その、諦める人も多いんじゃないかと思います」


 親の反対を押し切れる子どもなんて、いくらもいないだろう。ただ、セカイは自分の親を思った。タイカイは最初、久然学園への入学に反対したが、今は折れ、比較的協力的だ。それはつまり、タイカイがセカイを受け入れたということだ。だとすれば、アンナの親は、アンナを受け入れなかったということなのかもしれない。


「そこは人によるんじゃない? わたしみたいに、自分で稼げるだけガンガン稼ぐって人もいるだろうけど、そこまでして働かないって人もそりゃいると思うよ」


 アンナはなんでもないことのように言った。だが、その表情のいっしゅんの陰りから、セカイはアンナが大変な思いをしているに違いないと感じた。


 少し考えてから、セカイは言った。


「『汝、持たざる時は持てるまで励め』ということばが白音教にはあります」

「モテないときはモテるまでがんばれってこと? おー、がんばりなよ」

「いや、そうでなくてですね」


 セカイは真っ赤になった。


「とにかく、今、何も持ってなかったとしても、いずれ何かが手に入るんだから、それまで何がなんでもがんばれってことです。たぶん」


 そう言って、セカイはアンナから目を逸らした。


「ふーん。だったらわかるよ。白音教って、案外ふつーだね」


 アンナはセカイの前でリラックスしたふうに少し笑った。


 そのとき、初めてセカイは気づいた。ダンスモウドアカデミーの個人レッスンを受けようというアンナにとって、この面接には年間で二十五万円以上のお金がかかっていると言うこともできるのだ。


 ダンスにそこまで入れ込むということは、踊りを神との交信に用いる白音教の信仰にそこまで遠くないかもしれない、そうセカイは思った。


「もし白音教に入信されてダンスモウドアカデミーの学費が半額になったとして。その分を、どのように教団に還元してもらえますか?」


 アンナは胸を張った。


「もちろん、ダンスで返すよ」


 セカイは思った。ダンスにかける思いは本物だろう。生半可な気持ちで半額でも年間二十四万円するダンスレッスンを受けようとするはずはないし、アメリカでの生活費やら学費やらまで貯金しないだろう。


「わかりました。わたしから教団に言っておきます。あなたのダンスに対する思い、じゃなかった、信仰には見込みがある、と」


 形から入る信仰もある、とセカイは知っていた。ダンスを通じて白音教と関係をもてば、そこから信仰が生まれるはずだ。自分には生まれなかったそれが。


「そう? ありがと。でも、大丈夫だよね。ヘンな宗教じゃないよね」

「『宗教』ということばが、一部の強制入会させたり退会をさせなかったりする悪質な教団を指しがちなのは、日本特有のよくないことばの使い方です」


 家業を偏見の目で見られがちなセカイは敏感に反応した。


「ふーん。それにしても」


 アンナはしげしげとセカイを見て言った。


「あんた、たまに、いいかおするね」


 セカイは赤面した。


「そ、そんなことないですよ」


 アンナは一気にハーブティを飲み干すと席を立った。


「ま、いいわ。『聖女』さんと話したときは白音教ってよくわかんなかったけど、あんたと話したら、なんか少し興味出た気がする。よろしく言っといてね」

「え?」


 アンナは伝票をひっつかむと、ここはお姉さんに任せな、と言ってそのまま歩み去った。


 セカイはその後ろ姿を黙って見送った。


 アンナをタイカイに紹介したのは「聖女」フレアだった。そのことはいったい何を意味するのか。セカイには想像もつかなかった。


 セカイが次に気にしなければいけないのは、明日の日曜日にも面接がセッティングされているということだった。

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