第十六話 苦肉の策。

「だーかーら、聖女って、じっさい何なん?」


 アンナは純粋に興味から目をきらきらさせてフレアに聞いた。フレアは、一般参加の祭りイベントの際に、子どもたちが似たような質問をしてきたことを思い出した。


「みんながそう言っているだけです。わたしは聖女だなんて」


 フレアは言いかけて口ごもった。母親の後を継ぐとか、そうしたことをフレアは気にしたことはなかった。だが、聖女だと呼ばれるのがあまりにふつうで、なりたいとかなりたくないとかすら思ったことはない。


 余人がとても成しえないような過酷な修行を幼少の頃にやり遂げたのは事実だったが、正直なところ、それがどのくらい凄いことかもフレアにはわからないのだった。


「でも、フレアちゃんは聖女なのよね?」


 いつの間にか、オリエがフレアの横に来ていた。オリエは微笑みながら、フレアを問い質した。


「ちょっと、オリエさん。白音さんに向かって失礼ですわよ」


 レイリが頬を膨らませたが、オリエはなおも微笑みながらフレアの答えを待っていた。フレアは、なんとかセカイに教えてもらった「聖女」について思い出そうとした。


「……『聖女』と申しますのは、白音教では、白音の神さまに一番近い女性で、神さまと接触するだけでなく、その神威をもって、人々に幸せを分かち与えるものです。わたしなどが『聖女』とは、とても言えないです」


 フレアは、セカイから聞いた「聖女」の話をなんとか思い出した。


「それでは、フレアちゃんはどうして『聖女』なんて呼ばれているのかしら」


 オリエは畳みかけた。フレアは、自分の未熟さを見透かされた気持ちになり、たじろいだ。地元の白音市では、そんなことを言ってくる大人などいなかったのだ。


「オリエねえー。わたし、そんなにこだわってないよー」


 アンナが困り顔だ。


「わたしも興味、あるのよ」


 オリエはアンナに笑顔を向けた。アンナは黙ってしまった。


 フレアが何も言えないでいると、遮音性能の高いヘッドホンで音楽を聴いていたはずのイルカがさっきまで自分が見ていたタブレット端末の画面をオリエに向けた。それから、ヘッドホンのプラグを引き抜いた。そこから、フレアの聴き慣れたリズムが響いてきた。


 それまで自分のネイルの写真を撮っていたウルルや漫画雑誌を読んでいたエミまでもが音につられてタブレットを覗き込む。


 それは昨年に収録した夏まつりの一般参加イベントの動画だった。華々しくライトアップされた舞台でフレアが一心に舞を舞っていた。


「きれいな踊りですわね」


と、レイリ。


「神様の踊りだからね」


 フレアは小さな画面のなかの自分の動きを確認しながらつぶやいた。


「へー。マジで凄いダンスじゃん」


 ウルルは感心しきった様子で見入っていた。


 エミはしばらく動画を見ると、すぐにまたタブレットへの掻き込みを再開したが、さっきよりも何やら熱心そうだった。


 イルカは何やら小声で隣のアンナに話しかけた。それをアンナがふんふんと聞く。


「即興ぽい音なのにちゃんと音楽性もある? そうなんだー。ふーん」


 それを聞いてフレアは当然だと言わんばかりに胸を張った。


「最近入信される方々には、音楽や踊りに興味がある方も多いと聞いています。もともとわたしたちは地元の山を信仰しているのですが、それだけでなく、いわゆる現世利益、みなの健康やしあわせを願う神様として信仰しているところに、興味をもたれるようです」


 フレアはさすが教団幹部候補らしく、白音教の説明も忘れない。


「フレアちゃんて、ちゃんと『聖女』なのね。わたしも本当に興味出てきちゃった」


 オリエはそう言うと満足そうに頷いた。フレアはさっきまでの居心地の悪さが少し薄まった気がして気が楽になった。


「……オリエねえ、こえー。それにしても白音市にある白音山かー。遠いね」


 アンナはそう呟きつつ、自分の端末で白音教のホームページを見ていた。


「へー。登録すれば、教団関係のダンス教室やフィットネスクラブが半額になるんだ。すご。どれどれ。近くにあるじゃん! でも宗教かー。入信するとなー。すぐには退会できないんだよね?」

「いえ、わたしたちは起源は古いですが、新しい形の宗教として、入退会については自由にしていただいています。極端な方は宗教じゃない、なんておっしゃいますが、大切なのは信仰で、業態ではないとわたしたちは考えています」


 それもセカイからの受け売りだった。


「じゃあ、逆に宗教らしいとこってどゆとこ?」


 アンナはさらに突っ込んでくる。フィットネスクラブの半額がよほど気になるようだ。だが、フレアは教団そのものに詳しいわけではない。ただひたすらに修行をこなし、ただひたすらに踊り巫女なだけだ。


「それは……」

「じゃあ、入会費とかは? 年会費? 月会費?」

「それもよく聞かれるのですが……」


 フレアはついアンナから目を逸らしてしまった。レイリがそれを見て助け舟を出した。


「ちょーっと待ってくださいませ! アンナさん。白音さんが困ってますわ。白音さんがそんな細かいことまでご存じとは限りませんし、なにより『聖女』さまに失礼では?」


 レイリの鼻息は荒い。


「そんなの、山田にでも白音教団広報の連絡先を聞けばよろしいのですわ」

「えー。そんな通り一辺倒の解説が聞きたいわけじゃないんだよー。山田みたいに、もう入信してるようなヤツはそれでいいんだろうけどー」


 アンナがブツクサ言った。


「そうそう。わたしたちは白音教に興味があるのです。フレアちゃんはとってもいい子みたいだし、ね。そんなフレアちゃんを育てた白音教ってどんなのかしらね?」


 オリエも同調した。


「もー。本気ですの?」


 レイリは疑問を口に出した。


「本気だよねー? オリエねえ?」

「そうよー。本気で興味あるの」


 アンナとオリエはこの件では完全に協力する気のようだ。イルカはまだフレアの踊るタブレットに見入っている。ウルルも自分の携帯端末を見つつも、まだフレアたちのそばにいた。エミは別の漫画雑誌を読み始めたが、さっきよりもフレアたちに近いところで寝そべっている。みな、レイリの連れてきた不思議な「聖女」に興味があるのだ。


 そうだ、フレアは思った。なぜ、もっと早く思いつかなかったのだろう。セカイに「聖女」への謝罪を思い出させるのは、フレアでなくてもいいはずだ。仮にフレアが土日にセカイのいる寮に押し掛けたところで、学校で会っても逃げるようなセカイがまともに会うようには思えない。ならば、フレアでない人間が、セカイに「聖女」のことを思い出せればいいのだ。


「みなさん、わたしなんかよりもよっぽど白音教に詳しいのがいます。わたしの幼馴染、貝瀬セカイです。彼は教団事務局長の息子なんです」


 フレアはできるだけ印象に残るようゆっくりと言った。この五人のお姉さま方に白音教について問われれば、セカイは嫌でも身近な「聖女」への罪を思い出すに違いない。なにより、お姉さま方は土日にセカイのところに行ったとしても何も問題ない、フレアはそう思った。


 レイリは驚いたように眉を上げた。五人のお姉さま方は、しばらく無言だったが、やがてアンナが口を開いた。


「えー。誰それー」


 アンナがあからさまに落胆の声を上げた。


「貝瀬セカイくん? でも、わたしたちが押し掛けたら、びっくりさせちゃわないかしら」


 オリエがまっとうな疑問を口にした。「わたしたち」には少なくともアンナは入っているようで、オリエの目配せにアンナはため息をつきながら頷いた。


「大丈夫です。貝瀬セカイくんのお父様からみなさんを紹介してもらいます」


 それくらい、タイカイに頼んでもいいだろう。なにしろ教団の事務方トップ。常に広報・信者獲得に気を遣っているのだ。白音市から遠く離れたここ久善市で、入学早々、信者を獲得できそうだと言えば、セカイの土日くらい簡単に提供してくれるはずだ。


「でもさ、なんでフレアちゃん自身が説明してくんないの?」


 なおもアンナが食い下がる。


「アンナさん。白音さんは『聖女』。そんな簡単にお話できるような方ではいらっしゃらなくてよ。貝瀬セカイがどんなにショボクレていても、白音さんが彼に聞けと言うのなら聞くべきですわ」


 確かにセカイはショボクレているが、とフレアは思った。だが、他人がそう言うのを聞くのには慣れていなかった。地元では、セカイの悪口さえフレアの耳にはほとんど入らなかったのだ。


「戸頭さん、ありがとう。白音教については貝瀬セカイから聞いてください。土日なら彼もヒマでしょう」


 実際、フレアは教団の内側しか知らない。外向けの説明など、今までのでギリギリ精いっぱいなのだ。


「えー。でもなー。わざわざ知らない子に会いに行ってもなー」


 アンナがなおも渋った。フレアは思った。少しは勧誘らしいところ見せないと。あちらが興味を示してくれているのに、こちらが興味を示さないのは無礼だよ、と言ったのもやはりセカイだった。もっとも、五人のお姉さまをセカイにぶつけて、ユキノの籠を破壊するためには、とにかくセカイと会わせるしかない。


「貝瀬セカイの紹介で入信されるなら、十年間会費無料にします。そう掛け合います」


 フレアは思った。タイカイならそれくらい融通利かせてくれるだろう。たぶん。

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