第十五話 情報収集。
「貝瀬セカイは『生物係』なんてデューティをしてるらしいですわ」
フレアがレイリから報告を受ける金曜日。レイリはリョーコから聞いた情報をフレアに伝えた。
ファッションヘルス「ごイッキりどうぞ」の待機部屋は広い。十人は軽く収容できる。そこには、下校してきたばかりのフレアとレイリのほか、おっとりお茶を淹れているオリエ、コンビニで買ってきた漫画雑誌を読んでいるエミ、ファッション雑誌を抜け目なくチェックしているウルル、ヘッドホンで音楽に入り浸っているイルカ、フィットネスに励むアンナがいた。
五人のお姉さま方は、夕方までにみな一通り仕事をこなしていた。彼女たちは昼間から夕方までしか仕事をしない。だが、それでも同年代の女子の平均の何倍も稼ぎ出している。なにしろ、この女子たちに会うために仕事を休む者さえいるのだ。
今、その五人はそれぞれのやや興奮気味の面持ちで話し始めたレイリに興味津々だった。そしてレイリが初めて連れてきたクラスメイトのフレアにも。
「『生物係』ね。高校にもそんなのあるんだ」
フレアは「生物係」という少なくとも進学校には縁のなさそうな「係」を聞いてもとくに驚きはしなかった。ユキノのような破天荒な教師さえいるのだから。
「『生物係』、どうも黒崎先生がこの春から作ったらしいですの」
フレアはリョーコから聞いた情報を語った。リョーコは抜け目なく、その辺を歩いていた手近な上級生二、三人に簡単な聞き取り調査をしていたのだ。
へー、とフレアは関心のなさそうなそぶりで呟くと、オリエが淹れてくれた紅茶を飲んだ。
だが、内心、フレアはやきもきしていた。セカイが「生物係」になったのは、間違いなくユキノの策略だ。しかし、何のためにそんなことをするのかわからない。セカイとフレアの関係ははっきり否定したはずだった。
どん、とレイリは机を叩いた。フレアは思わずビクっとした。たいがいの人間のすることにそもそも関心がなく、山では大型のイノシシに遭遇してもビクつくことのないフレアだったが、奇妙な不安がフレアの調子を狂わせていた。
「怪しいですわよ、『生物係』。放課後、貝瀬セカイと黒崎先生が二人きりで理科実験室にいたらしいですの!」
レイリはわざわざ机を叩いてまで鼻息荒く言ったが、フレアは一口お茶を飲むとおもむろに言った。
「黒崎先生って確か理科の先生だよね。理科実験室にいることだってあるんじゃない? それに、生徒としゃべることだってあるんじゃない?」
フレアは、冷静に振舞った。
「それが、です」
レイリはフフンと鼻を鳴らした。
「黒崎先生はモテるのですわ。教師と生徒とを問わず。白音さんみたいに、軽々しく声をかけられないような高貴さがないのでしょう」
ふつうの人間なら、遠回しに非モテ系だとディスられていると思うところだが、フレアがそんなふうに思うことはなかった。
「わたしのことはいいの。それで?」
フレアはシンプルに、目の前の自分の関心事にしか目を向けない。
「ごめんなさい、確かに白音さんとは比べられないですわね。で、誰彼構わずおモテになる黒崎先生には、それでも誰も近づけないのですわ。教師とは仕事の話、生徒とは授業の話。つまりは最低限度の話しかしないのです。そんな黒崎先生が誰かと二人きりで何か話してたなんて、これまで目撃されたことがありません。それだけでニュースですわ」
フレアはユキノのはちきれんばかりの胸を思い出した。胸元を露出してもしていなくても、見る者を圧倒する存在感。旨と言えば。フレアは目の前のレイリの胸も見てしまう。大きい。一方、フレアの胸はと言えば、このところ成長しているものの、そこまでではない。世の聖女像は宗教を問わず慈愛を象徴するような胸をしている。聖女としての慈愛が足りないのが胸にあらわれているのではないか、そんなふうにフレアは思った。
「白音さん?」
いつの間にか、レイリが不思議そうにフレアを覗き込んでいた。フレアは慌てて紅茶をもう一口飲んで言った。
「……先生と生徒が二人だけでいたとしたら、それはもちろん、勉強の話をしていたんじゃない?」
ふつうなら考えるまでもないような話だ。
「まあ、そうかもしれませんが……」
レイリは釈然としない。教師と生徒が二人でいても、授業やそのほか関係の話をしているものだ、ふつうは。しかし、ユキノはふつうの教師ではないと、レイリはさきほど説明したばかりだった。
詰まったレイリを見て、勝ち誇ったようにフレアは言った。
「じゃあ、なんてことないじゃない。貝瀬セカイは『生物係』なのよね。だったらその『生物』の話でもしてたんじゃない? それこそハムスターとか。それとも担任の先生ととくに仲がいいってことになるわけ? それが?」
「それは……まあ、そうですけれど」
フレアの直観はほぼ事実を言い当てていた。げっ歯類だというところまで。
「それにしても、貝瀬セカイ、よくわからなくなりましたわ。中学三年生で編入してきたときはけっこう話題になりましたけど。うちには編入生なんてほとんどいないですからね。すぐに最下位争いで目にする名前なりましたが。でも、デューティの代行も利用しないから話をしたことがありません。九条さんによると、クラスでは誰からも相手にされてないらしいんですけど。キモオタ扱いされているらしくて……あら失礼」
レイリは形だけ口を手で押さえた。だが、セカイがキモオタ扱いされるのは今始まった話ではない。レイリのそんな仕草などフレアの意識下には入らなかった。
「貝瀬セカイの親には担任の先生と仲が良いって報告しとくね。ありがと」
タイカイへの連絡など、もちろんフレアにはたいして重要なことではなかった。ユキノはセカイに何らかの形でちょっかいをかけていて、一刻の猶予もならない。それが分かればフレアには十分だった。
「じゃあ、もうよろしいですわね。でも、わたしの家庭教師は続けてもらいますわよ。もちろん、お金はお支払いいたします」
レイリは、違うクラスの幼馴染を調べてこいという、自分でやればすぐに済むのに他人がやればあいまいでどうしたらいいか困るような依頼が終わったことに安堵した。お金を支払い、その対価としていくばくかの関係性を得る。レイリにとって、お金はそういう意味でも大切だった。
「そうね、それ以上はもういいかな」
セカイとユキノが理科実験室で平日放課後に二人きりで何かしている。それだけで十分な情報だ。だが、フレアはどう動けばいいのか。フレアが思案顔になり、レイリがその顔に見惚れていると。
待合部屋にカウンターで受付をしていた山田が顔を出してきた。
「どうしたんですか、山田」
レイリがあからさまに不機嫌そうに聞いた。
「いえ、とくに何も」
「白音さんの顔を見に来ただけですわね」
「まあ、そうなんですがね」
山田は苦笑した。フレアも一応営業スマイルで笑った。それでも山田にはご褒美だった。山田は大げさにフレアに向かって手を合わせた。
「それでは、失礼いたします。お話の邪魔をしてすみませんでした」
そう言うと、山田は戻っていった。
そうだ、とフレアは思った。フレアの方からセカイに近づこうとするからセカイは逃げるのだ。なら、セカイの方からフレアに近づくようにすればいい。
だが、どうすればいいのだろう。
山田の手を合わせる様子を見ていたアンナがフィットネスの手を止め、フレアの隣に腰を下ろした。
「フレアちゃんってさ、調べたんだけど、マジで聖女なんだねー? 聖女って、実際どうなん?」
「白音教のことですか? それでしたら、教団の広報に……」
「いやいや、聖女のことだよ。わたしが聞きたいのはー」
フレアとセカイの共通項、白音教に関係することなら、セカイはフレアと連絡を取ろうとするはずだ、フレアはアンナのことばを聞いて急にそう思い立った。いや、なぜ最初から思いつかなかったのだろう、とフレアは思った。自分は聖女のはずなのに。そう、例えば、セカイの周りの誰かが白音教に興味を持てば。セカイはきっと聖女のわたしに懺悔すべきことを思い出すはずだ。だが、どうやって? フレアはセカイはクラスから浮いているとさっき聞いたばかりだった。
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