第十四話 モルモット。

「やれやれ」


 放課後、セカイはそう呟いて重い腰を椅子から上げた。入学式があったのが数日前。自分が高校生になったという実感など、セカイにはまったくなかった。


 久然学園は中高一貫。中学三年次に編入したセカイには高校入試という関門はない。成績最下位として留年するおそれはあったが、奇跡的にセカイはそれを回避。だが、ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、新たな心配事に頭を悩ませていた。


「いーよなー貝瀬は。放課後に行くとこがあって」


 背の高い影がセカイの机にやってきた。ユウヤだ。


「そうそ。代わってくれよ」


 マコトもいた。二人とも帰り支度は整っていた。二人はボーダーぎりぎりとはいえ成績上位層。そして帰宅部だ。


「デューティは交代できるよ」


 セカイはボソボソと言った。


「バカか、てめー。ギャグだよギャグ」


 聞きとがめたマコトがセカイを小突いた。セカイはカバンを机の上に置いたまま、少しよろめいた。


「高校入試組じゃあるまいし。おまえは去年からウチにいたんだから知ってるだろ、あの校則」


 マコトの横でユウヤがため息をつきながら言った。


「校則で『最低賃金』決めるとかないよな。時給二千円なんて、金持ちじゃねえと雇えねえじゃん。金持ちだったら成績悪くても楽できるってか」


 マコトが恨みがましい目でセカイを睨んだ。


「いや、ぼくは時給二千円も払えないから」


 セカイは親に最低限の仕送りしかもらっていない。


 ユウヤがマコトの肩に手をかけた。


「貝瀬に言っても仕方ねーよ。おれらはおれらで放課後をふつーに楽しもうや。行こうぜ」


 そう言うと、ユウヤはマコトをつついた。セカイは二人から解放されると思っていっしゅん安堵した。だが、ユウヤはふと何かを思い出したように立ち止まった。


「あー、貝瀬よ。ちょっと気になったんだけど。っつか、『生物係』って何? 高校でそんなんあるとか珍しくね?」


 セカイは急に話題が「生物係」になったことにうろたえた。


 教室の後ろには、成績下位層二十名の名前とそれぞれのデューティが張り出されていた。だいたいは掃除の割り当て。まれに週末のボランティア。近くの公園のゴミ拾いなどだ。その中で、セカイの「生物係」は異彩を放っていた。


「……モルモットの世話だよ」


 セカイは少し考えてから意を決したように言った。


「モルモット? なんだよそれ」


 マコトがセカイに詰め寄る。


「大きなネズミみたいなヤツだよ」


 ユウヤが少し興味をもった様子でセカイに聞いた。


「へー。どこにいんの?」

「理科実験室」

「実験動物か。やべーな」


 ユウヤが少し面白そうに言った。


「あはは……そうだね」


 セカイは苦笑するした。


「おまえも大変だな。ま、頑張って上位層に入れや? 時給二千円払える金持ちだって、その分、勉強してるとは限らねーんだからよ」


 ユウヤはそう言ってセカイをはたくと、マコトと連れ立って教室から出て行った。


 その後ろ姿を見てセカイはようやく二人から解放されたことに一息つくと、カバンを取り上げ、理科実験室へと向かった。





「遅いぞ。水が濁っている」


 セカイが理科実験室に入ると、ユキノが窓を背に仁王立ちで待っていた。


 理科実験室の窓際の棚には顕微鏡やビーカー、試験管といった実験器具が整然と並べられていた。その中に、どん、と違和感の否めない大きなケージが一つ。この週初めに予告通りユキノが購入してきた大きなネズミが入っていた。ハムスターの一・五倍はあるだろうか。長い毛が巻き付いたような外見で、まるで毛玉だ。


 セカイは、カバンを手近な机の上に置き、上着を脱いで袖をまくった。そして足早にケージに近づく。


「気づいたならすぐに換えてあげてください。それくらいユキノさんでもできるでしょう」


 セカイは手際よく水を実験用の流しに捨てると、軽く洗い、蛇口から水を補給して戻した。


「学校では先生だ」


 ユキノは手を組みながらセカイを横目で見た。


「この前、二人だけのときは『ユキノさん』だって言いましたよね」


 セカイはケージからモルモットを取り出し、手の平に載せた。モルモットはふんふんと鼻を鳴らしながらセカイのニオイを嗅いでいる。セカイはその長い毛にもう片方の手を埋めた。


「うわうわうわ」


 セカイは妙な声を上げてモルモットを触る。


 ユキノはそれを見て片方の眉を上げた。


「おまえはよく口答えする生徒だな。おまえみたいな生徒は初めてだ」


 ユキノはセカイとその手の平の上のネズミの様子をしげしげと見た。


「ぼくも先生にこんなに口答えするようになるなんて思いませんでしたよ。モルモルはきれい好きなんですから、水くらいは換えてください」

「『モルモル』? 『モッサン』じゃなかったか」

「どこかのハンバーガーショップでこの春に引退するキャラクターじゃないんですから。『モルモル』で決まりです。あと、水やり用にお皿だけじゃなくてボトルも買ってください」


 セカイは「口答え」しながら、棚の下部にしまってあった別のケージを取り出すと名残惜しそうに一撫でしてからそこにモルモットを入れた。


「ボトルは買っておこう。わたしだって、週末は世話してるんだ。おまえに任せっぱなしではない」

「じゃないとモルモルはぼくが引き取るだけです」


 セカイはケージの中の古くなった牧草を取り出すと、やはり棚の下部から新しい牧草の入った袋を取り出し、新しいものと交換していく。


 ユキノはそんなセカイの後ろ姿をじっと見ていた。


「……白音フレアとはあれから何か話したのか?」


 セカイの手がいっしゅん止まった。ふう、とため息がもれる。


「白音さんとは会ってもいませんが。クラスが違いますし話す機会なんてないですよ」

「そうか? せっかく幼馴染が近くにいるのに、話もしないなんてもったいないぞ」

「そうですかね。ぼくもこうして忙しいですし、白音さんもそれなりに忙しくしてるんじゃないですか」


 セカイの気のなさそうな様子に、ユキノは怪訝な表情を浮かべた。


「おまえたちはつい一年前まではあれだけ仲良くしていたではないか。よほど仲良くないと男女が連れ立って登校などしないだろう」


 セカイは手を止め、大きくため息をついた。


「それは違いますよ。家が近くて幼馴染だってだけで一緒に登校してただけです」

「ふむ。確かに白音フレアもそう言っていたが」

「その通りなんですよ」

「ふーむ」


 そう言うと、ユキノは思案気な表情になった。セカイはさらに入念にケージの掃除をし始めた。


 その様子を廊下側の窓から伺っている人影があった。レイリに雇われた、つまりはレイリのお金でデューティを誰かに肩代わりしてもらっているセカイのクラスメイト、九条リョーコだ。


「貝瀬セカイ、あの黒崎ユキノとあんなに話せる男子だったとは驚きだわ。レイリに知らせなくっちゃ」



 


 

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