第十三話 契約。

 入学式の午後。ファッションヘルス「ごイッキりどうぞ」の控室でレイリは言った。お金で成績上位層にデューティを肩代わりしてもらうことが横行している、と。


「わたしが関わるまでは無秩序に『横行』していました。『適正』なんてことばはないくらい、安く買い叩かれていました。でも、わたしはきちんと『適正』なお金を提供しています」


 レイリはそう言うと、にっこりほほえんだ。


 「適正」というところに妙に力が入っている気がフレアにはしたが、そのときは、学校から課されるデューティとはいったい何なのかということのほうが気になっていた。担任の外ノ沢によれば「雑用」ということだったが、ユキノは「掃除やボランティア」と言っていた。「掃除」はわかるが、それ以外の「雑用」や「ボランティア」とはいったい何なのか、フレアには分からなかった。


「デューティって掃除当番みたいなものだよね。そんなに大変なの?」


 フレアにはどうにも想像しづらい。何がデューティだか知らないが、夕ご飯までに帰れるなら、それから勉強すればいい、早朝に山中で修行してから学校に通い、自習自学だけで有数の進学校に首席で合格したフレアには、たいしたことには思えなかった。


「去年のわたしに課されたデューティは、平日ですと、掃除が四箇所。一箇所につきだいたい三十分くらいでしょうか。あとは色々ですわね。先生たちの授業準備、資料の印刷だとか、休み期間にイベントの手伝いってのもありましたわ。わたしはやってませんけど」


 そう言ってレイリは肩をすくめた。


「それは大変ね」


 フレアは相槌をとりあえず打った。「なんでも自分の物差しで測らないこと」。セカイのことばが頭に浮かんだ。数年前、フレアがセカイと一緒に宿題をしているときだった。フレアが一足以上先に終わらせてしまい、セカイを「遅すぎ!」となじっていたときのことだ。セカイは冷静にフレアの目を見てそう一言言った。


 フレアがそんなことを思い出していると、目の前のレイリはしきりに頷いていた。


「そうですわ。でも、とにかく、お金さえあればたいてい代行してくれる人は見つかるものですわ」


 ふつう、学校の掃除やボランティアは、教育の一環として行われる。それを生徒個人がお金を払って誰かに肩代わりさせられるなら、それはもはや教育の一環ではない。単なる金銭の対価としてのサービスだ。結局のところ、久然学園では、成績以外は問われないということなのだ。


 それではセカイはどうなんだろう、とフレアは思った。クラスこそ違え、やはり成績最下位のセカイは、誰かにデューティを肩代わりしてもらっているのだろうか。


 そんなことをフレアが考えていると、コンコン、とノックの音がして山田が扉から顔を覗かせた。うやうやしくフレアに会釈してからオリエに言った。


「オリエさん、ご指名ですよ」


 それまで雑誌をめくりながらお茶を飲んでいたオリエが立ち上がった。


「それじゃあ、レイリちゃん、フレアちゃん、またね」


 他の嬢たちにも声をかけると、オリエは小さくレイリに手を振って出て行った。


 フレアは、オリエが今からする仕事を想像した。山田が言うように、男子を触って喜ばせる仕事をするのだろう。もっとも、フレアにはそれ以上は想像できなかった。


 フレアの意識はたびたび目の前のレイリから離れていたが、そのあいだもレイリは話し続けていた。


「……まあ、そんな雑用を肩代わりしてもらうのは簡単なのですが」


 そう言うと、レイリはため息をついて上目遣いでフレアを見た。


「でも、わたし自身を任せられるのは、白音さんをおいてほかにありませんわ」


 レイリはフレアの手を取った。


「わたしの家庭教師になっていただきたいんです。放課後、わたしの勉強を見ていただければ、十分な報酬を差し上げますわ」


 フレアは思案した。セカイは、おそらくそのデューティとやらで忙しく、放課後に会うことは難しいだろう。それに今は、会ったところでまた逃げられるかもしれない。それなら。


「いいよ、戸頭さん」


 だが、フレアはセカイに勉強を教えようとしたときのことを思い出した。「もういいよ、フレア。フレアは教えるんじゃなくて脅してるんだ」。宿題が進まないセカイに業を煮やしたフレアがセカイを数発はたいた後にセカイは言った。


「でも、わたし、教えるの、下手かもしれない」


 フレアは思った、今度は、はたかない。


「そんなこと、ぜったい、ありませんわ!」


 レイリは跳び上がらんばかりに喜んだ。フレアは続けた。


「だから、お金はいらない。その代わり。わたしの幼馴染、貝瀬セカイって生徒、知ってる?」

「貝瀬セカイ? あー、成績最下位争いにいた気がしますわ。その方が何か?」 

「実は、様子を見てくれって頼まれてるんだけど」


 実際、タイカイにそう言われたことはあった。


「幼馴染っていっても、どう接していいのか、わからないの」


 それも事実だった。


「なるほど、ありがちですわ。親同士はきっと仲が良いのでしょうけど、だからって子どもまでそうとは限りませんものね。承知いたしましたわ」


 レイリは二つ返事で引き受けた。セカイのクラスにもお小遣いが欲しい生徒はいくらでもいるのだろう。






 それから一週間ほど経っていた。


 フレアは物憂げに教室の窓から小雨の降る外を眺めていた。初日こそクラスメイトに囲まれたものの、今ではほとんど誰も話しかけてこない。フレアは自分の関心の対象しか目に入らないし、口も聞かない。そのディスコミュニケーションぶりは、すでにみなの知るところとなっていた。ゆいいつの例外、レイリはクラスではフレアとの関係を知られたくないようで、やはり寄ってこない。フレアも、必要もないのにレイリに話しかけることはなかった。


 学年最上位のフレアは学校に来なくても咎められることはない。成績至上主義の久然学園では、成績によって課せられる義務が異なる。成績最上位のフレアは出席義務さえ免除される。クラスでも超然としているわけだからわざわざ学校に来なくてもよさそうなものだったが、かといってフレアは地元に戻って修行に明け暮れようとは思わなかった。

 

 休み時間中の廊下などで、フレアが目の端でセカイをとらえることはあった。だが、セカイはフレアを視認すると、そそくさとどこかへ行ってしまう。


 セカイに触ることができれば、きっと何かが変わる。いや、話をするだけでも、少しは。だが、その変化がいったい何なのか、フレアにはわからなかった。女子に触れられれば男子は喜ぶ。その命題が真なら、なぜセカイはフレアの前から逃げるのか。セカイに逃げられるたびにフレアの混乱は深まった。


 その日は金曜日で、レイリから初めてのセカイの調査報告を受けることになっていた。


 そこで放課後、フレアは一人で「ごイッキりどうぞ」に向かった。


 日中でも女子高生が一人で歩いていれば危ない界隈だが、フレアの只人ならぬオーラのおかげか、界隈の住人にレイリと一緒のところを見られているからか、軽々しく手出しをしようとする者はない。


 「ごイッキりどうぞ」の入り口では、山田がうやうやしく出迎えた。すでに数度、このお店の待機室でレイリの家庭教師をしていた。いや、正確には家庭教師ではない。フレアはただ自分の勉強をしているだけだ。だが、それでも、レイリは一応、フレアが待機室にいるそのあいだだけは勉強しているようだった。


「お嬢は、まだ、だよー」


 いつになく激しいフィットネスに従事しながらアンナが待機室に入ったフレアに声をかけた。いつもの面々も、フレアに次第に慣れつつあった。


「じゃあ、待たせてもらいますね」


 フレアがカバンを置いて、いつものように自学自習を始めてからしばらくして。


 レイリが待機室に入って来た。


「白音さん、貝瀬セカイって何者なんですの?」


 レイリは開口一番、フレアにそう小声で呟いた。

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