第十二話 ユキノの思惑。

 セカイはユキノからのメッセージを確認すると、携帯端末を仕舞った。なんのことはない、いつもの使いパシリだ。


 ユキノからセカイに送られてきたメッセージによれば、学園の近くにある少し高級なスーパーマーケットのお弁当を買って来いということだった。


 一年前にセカイが寮生活を始めた直後から、ユキノは休日となるとそこのお弁当をセカイに買いに行かせていた。


 教師にパシらされるのはさすがにセカイの想定外だった。とはいえセカイにはもはや違和感はない。寮生活直後からユキノにパシらされているのだ。生徒をパシらせていることが問題視されるリスクなど、ユキノにはどうでもいいことに違いなかった。


 セカイはため息もつかずに席を立った。目が合った店員に軽く会釈をすると、その店員は目を逸らしたが、すぐに仕事を思い出してレジカウンターに向かった。


 セカイは会計を済ませながら思った。ユウヤとマコトは、どうせ来ないだろう、いや、もうセカイにカフェの席を取っておけと指示したことなど忘れているに決まっている、そうセカイは思ったし、実際、その頃には、ユウヤとマコトは行きつけのゲームセンターで誰彼構わずフレアとの束の間の邂逅を吹聴し始めたところだった。


 セカイは会計を済ませると、店を出た。もちろん、ユキノのお使いは忘れていない。






 セカイが学校に戻ったのは午後一時過ぎだった。


「遅かったな」


 セカイがスーパーマーケットの袋を手に理科準備室に辿り着くと、椅子に座って窓の方を向いていたユキノが振り向いた。長い黒髪が窓から入ってきた春風になびく。白く透き通る肌と相まって絵画作品のようだ。ただし、タイトルは春の女神と陽光ではない。夜の女神の憂鬱な午後、といったところだろう。その神秘的な憂いをたたえた瞳は、周囲の男子のほとんどを虜にしていた。


 だが、セカイには見慣れた光景でしかなかった。


「ハンバーグ弁当でよかったですよね」


 セカイは袋からハンバーグ弁当を取り出すとユキノに渡した。


「なんでもいい。待たせすぎだ」


 夜の女神の苛立ちは空腹が原因だったようだ。


「これでも最速ですよ」


 セカイは慣れた調子でそう呟くと、乱雑に実験器具が散らかされている机を少し片付けると、自分の分の弁当を置いた。からあげ弁当だ。


「なんだ、おまえはからあげ弁当なのか。そっちがよかったな」

「えー。いつもはハンバーグ弁当じゃないですか」


 セカイは露骨に面倒臭がった。


「シェアしよう」


 ユキノは手に持っていたお弁当箱をセカイに差し出した。


「はいはい、わかりました」


 セカイはお箸で手際よくハンバーグとからあげを半分ずつ取り分けた。それをユキノは黙って受け取った。


 それから二人はしばらく無言でお箸を進めた。しばらくして、ユキノがお箸を止めた。


「あのな、セカイ。社会人というものはな、たとえいつもの定番メニューだとわかっていても、上の者を飽きさせないように工夫するものだ。下の者はあえて別のメニューを頼み、シェアを申し出るというのもよい心がけだぞ」


 セカイはあからさまに訝しんだ。


「あの、ユキノさん、例えば森谷先生とご一緒に食事されてたとして、シェアします?」


 森谷先生とは、ユキノの校内追っかけ教師の一人で、新卒二年の若い教師だ。ユキノの追っかけだからセカイと出くわす機会もある。ちょうどセカイと同じ時期に着任したこともあって、セカイと森谷はわりと話す仲になっていた。


「気持ち悪いとしか思わない」

「なら、ぼくがそう言うのも気持ち悪いとは思いませんか」


 森谷は見た目はイケメンだ。女子生徒の取り巻きもいる。セカイはそれを気持ち悪いというユキノの感覚がわからなかった。


「何がだ? わたしはおまえの上の者だから問題なかろう。森谷は若輩とはいえ同僚だぞ」


 ユキノはきょとん、と聞き返した。


 ようするに、気まぐれなのだ、とセカイは理解した。


「いえ、もういいです」


 セカイは食事を続けた。ユキノもパソコンの画面を見ながらお箸を動かしていた。二人がこの部屋で一緒に食事をする機会は多いが、いつもそれぞれに思い思いのことをしながら食べていた。


「いつもごちそうさまです」


 食べ終えたセカイが言った。


「上の者として、当然だ」


 ユキノはセカイの方を見るでもなく、パソコンから顔を動かさずに言った。いつもセカイはお弁当代として、実際の価格以上の金額をユキノからもらっていた。


 もちろん、セカイはユキノに頭が上がらない。


「ところで、明日からのデューティなんですけど、やっぱり?」


 セカイはおそるおそる切り出した。


「当然だ。わたしはおまえに対して責任があるからな」


 ユキノも食べ終えた様子で、お箸を置きながら言った。


「はあ、そうですか」


 セカイの声は小さかった。セカイはすでにお弁当箱を袋に片付けていた。


「なんだ。嫌か?」

「嫌、というか、クラスはそれで大丈夫なんですかね?」

「おまえがクラスのことなど心配しなくていい。それこそクラス担任のわたしの仕事だ。なに、小学生の頃、教卓の前に移動させられたヤツがいただろう? それと同じだよ」

「そうですかね」


 セカイは明日からの新生活を思って不安が隠せなかった。


「そんなことより、白音フレアと話したぞ」


 ユキノは突然、セカイの目を見て言った。


「……フレア、いえ、白音さんと? どうしてですか」


 セカイは驚くばかりだ。確かに、一緒に「事故」にあったフレアという幼馴染のことはユキノに話していた。ユキノと雑談する機会はいくらでもあった。だが、ユキノがフレアに関心を持っているようにセカイは思っていなかった。


「いや、偶然だ。廊下で会ったんだ。迷ってたみたいだから校内を案内してやったよ」

「それはご親切なことですね」


 セカイはいきなりそんな話をするユキノの意図が読めなかった。


「白音フレアは、おまえのことなど気にしていないようだったぞ」


 そう言うと、ユキノはセカイの顔をじっと見た。


「え? そうですか。それはよかった」


 セカイは胸を撫で下ろした。フレアは自分にキレているわけではない、と。自分への執着ゆえに追いかけてきた気がしたが、それは思い過ごしだったのだ、と。


「よかったのか?」


 ユキノは聞き返した。


「ええ。まあ。白音さんはあの通り優秀な人ですから。ぼくみたいなのを気にすることなんてないでしょう」

「仲のよい幼馴染だと聞いていたが」

「一年以上前の話です。たまたま家が近所だっただけで、引っ越してしまえば別ですよ」


 セカイがさも当然のように言うのを聞いて、ユキノの口調は変わった。


「だが、気にしていないそぶりは演技だったかもな。わたしにおまえへの気持ちを悟られないように」


 セカイはユキノの真面目な口調に驚き、そして吹き出した。


「フレア……いや、白音さんがぼくに気持ちを隠してる、ですって? そんなこと、あるわけないじゃないですか。白音さんとぼくとは、言ってみれば主従関係ですよ。白音さんが主人で、ぼくが従者。従者に気持ちを隠す必要が主人にありますか? ないでしょう」

「……今は、わたしが主人、というわけか」

「まあ、そうかもしれませんね。でも、それは生徒に対する問題発言ですよ」


 セカイは肩をすくめた。


 ユキノは少し考え込むと、言った。


「ふむ。だが、せっかく同郷のクラスメイトだ。仲良くしたまえよ」

「クラスは違いますよ」

「そういう意味じゃない。まあいい。ともかく、明日から覚悟することだ」

「その件については、ぼくは何も言えません」


 セカイはそう言うとユキノの手元にある空になったお弁当箱を回収すると立ち上がった。


「捨てて来ます」


 ユキノはセカイの姿が扉から消えるのを見送ってから、窓の外を見た。季節は春。桜は満開だ。


 ユキノは窓を全開にした。突風が吹き、桜の花びらが、何枚か舞い込んだ。


「そういうこと、か。思ったより時間はかかりそうだが、その分、期待できそうだ」


 その時のユキノの顔に浮かんだ笑みは誰も見たことのないものだった。心底楽しそうに、新しい学期の始まりに期待する新入生のような。

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