第八話 聖女、誘う。

 教室ではあからさまに敵意をあらわにしたレイリだったが、下駄箱にあらわれたときはなぜか親しげ。その取ってつけたお嬢さま口調も怪しげだ。だが、成績最底辺層の一人であるレイリはセカイを取り巻く現実への手がかりでもある。フレアがレイリに興味を抱いたのにはそんな理由があった。


 だからフレアは不審に思いつつもレイリに誘われるままついてきた。その自動ドアの向こうに何があるか、フレアはまったく想像もしないで立ち入った。






 ファッションヘルス「ごイッキりどうぞ」の扉をくぐると、フレアの目には派手にメイクアップされた何人もの女性の写真が飛び込んできた。煌々と照らされたそれらは、やたらと顔面に光があてられていたり、胸が強調されたりしていた。フレアはなんとなくいけない気持ちになって思わず顔を背けそうになった。


 レイリは写真の前のカウンターにいるウェイターの男と挨拶を交わしていた。


 その男は十代にも二十代にも、見ようによっては三十代にも見えた。そんな年齢不詳な風体にもかかわらず、なかなかのイケメンだった。


 その男はフレアに気づくと目を見開いた。


「お嬢、めちゃめちゃ美少女じゃないですか! いったいこんな子がなんで……いや、それは聞かないけど」


 お嬢というのはレイリのことのようだ。


「山田、この方はビジネスで来たのではありません。わたしのお客です」


 そう言うとレイリはフレアの肩に親しげに手を載せた。


「戸頭さんと同じクラスの白音フレアです」


 フレアは軽く頭を下げた。


 その様子を山田はじっと見つめた。


「触っていいですか?」


 フレアは思わず身を引いた。次の瞬間、レイリはカウンターにカバンを軽く叩きつけた。


「さっき、わたしの客だと言いましたよね」

「こわいこわい」


 山田は肩をすくめた。


「おれは山田。この店のマネージャーです。お嬢とはわりと仲がいい方の」

「シフト上、よく会うだけですわ」


 フレアはそんな二人よりも周りが気になっていた。部屋のなかを見渡すと、カウンターのほかには小さな机と二脚の椅子。机には携帯端末とウェットティッシュがあった。


「戸頭さん、ここは何のお店なの?」


 フレアの問いかけにレイリはイタズラっぽく笑った。


「ファッションはどういう意味かわかりますわよね」

「流行?」

「ヘルスは?」

「健康?」

「そう! ここはファッションヘルス、流行の健康施設ですわ! そして、ときに恋愛が始まることも」


 レイリがそう言うと山田は笑い出した。


「恋愛始まりますかね。まあ、ないではないですが。一応、擬似恋愛サービスを提供してるので」

「山田、わたしがお話しているのです」


 レイリは山田を睨みつけた。山田はまた、肩をすくめた。


「擬似恋愛サービスって何?」


 フレアには知る由もない。


「殿方の性的な欲求を満たすことでお金をもらうことですわ」

「性的な欲求を満たす、とは?」

「例えば……」


 レイリは説明しようとしたが、フレアの無邪気な表情を見て言い淀んだ。


「キスとか?」


 それくらいは想像がつくと言わんばかりのフレアは真面目だ。


「ようするに、からだの触れ合いですよ」


 山田が割って入ってきた。


「そうそう、触れ合いですわ」


 今度はレイリも怒らなかった。むしろ山田が赤裸々なことを言わなかったことで安堵したようだ。


「男性は女性に触れられると元気になるんですよ。恋愛関係にある男女なら触れても問題ないんですが、恋愛関係にない男女だと大問題。だから、うちのようなお店が擬似恋愛サービスとして、男女の触れ合いを販売しているんです」


 山田はニヤニヤしている。レイリは山田を調子にのらせてしまったと後悔もあらわだ。レイリは山田を叱りつけようとしたが、フレアの思わぬ一言が機先を制した。


「触れられると元気になるの?」


 セカイは恋愛対象ではない。ないが、この「擬似恋愛」ならばセカイをユキノから救い出す手段になるのではないか。そうフレアは考えた。レイリには答えようがない、そのレイリのいっしゅんの隙に山田はつけこんだ。


「よろしければ少し具体的にお教えしましょうか」


 山田がカウンターから身を乗り出した。レイリはもはや口ではなく手を出した。いささか強めにレイリはその頭をカバンではたいた。


「白音さん、ごめんなさい。このバカが失礼なこと言って。あとでヤキ……しつけておきますから、気にしないでくださる?」


 レイリは申し訳なさそうにフレアに言った。


 フレアは山田にまったく興味はなかったが、山田の言ったことには興味が湧いた。


「全然かまわないよ、戸頭さん。むしろ、男性の方を元気にする方法を教えてくれて、お礼が言いたいくらい」


 そう言うと、フレアはカウンターに身を乗り出していた山田の手を取った。


 レイリは驚きで動けなかった。山田もそれ以上に動けなかった。


 フレアは山田に微笑みかけた。


「山田さん、キスではないですが、元気になりましたか?」


 山田は何が起こったのかわからなかった。さっきまで、深窓の美少女にセクハラしていたはずだった。山田は、ホストクラブも掛け持ちしているし、女には慣れている。不自由もしていない。女子高生も読者モデルもそのなかにいる。山田は、いかに美少女とて手を握られただけで心が激しく揺れることなどない、そう思っていた。むしろ山田には、それはさらなるセクハラのチャンスだった。


 なのに、フレアに手を握られている今、山田はさらに触るどころかみじろぎひとつできなかった。体のなかが燃え上がるように熱くなり、顔に血が上るのを感じた。


「いつまで握ってんのよ」


 レイリがフレアと山田の手を引き剥がした。


「……天使」


 山田はそうつぶやくのが精一杯だった。


 フレアは言った。


「わたしなど天使さまではありません」


 フレアはもう、不信心者への不快感を表に出すことはなかった。それどころか、フレアは聖女としての使命を実践してみようと思い立った。白音教団では、学校での布教は自粛している。だが、ここは学校外。しかも相手は生徒でもない。だから、こう言った。


「神さまにもしも興味があるのなら、少しはお助けできることもあるかもしれません。もし関心があればこちらにご連絡ください」


 フレアは手帳を取り出すと白音教団宣教部の電話番号を書いた部分を切り取り、山田に渡した。


 このあと、山田はさっそく電話をかけ、それがフレアの電話番号でないことを知り落胆するが、結局、入信することになる。

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