第七話 聖女、俗世に触れる。

 フレアは音がしないように扉を閉め、敗北感とともに理科準備室を後にした。


 ユキノはセカイを簡単に呼びつけることができる。一方、フレアはセカイの連絡先さえ知らない。プライドが邪魔して教えてもらうこともできない。


 フレアにとって久然学園はアウェー。ホームの白音であれば、フレアは周囲に忖度そんたくされ、知らぬ間に思い通りにことが運んだはずだった。そこまで白音教の影響力が強くない公立校でさえ、フレアのそばにいる限りセカイが嫌な思いをすることもなかったはずだ。白音教関係者の多い白音学園なら、白音教事務局長の息子のセカイは下にも置かない扱いに違いなかった。


 だが、久然学園は違う。フレアがホームで当たり前のように享受していた大人たちの庇護やクラスメイトの遠慮、畏怖などない。セカイは成績最底辺、見た目通りのキモオタとして扱われている。


 一方、ユキノは携帯端末をほんの少し弄っただけで事態を収拾したように見えた。SNSで誰かにセカイを探すようにでも指示したか、あるいは、セカイに直接来るように言ったのか。イジメの実行犯をセカイから聞き出し然るべく罰することも簡単だろうが、ユキノはそんなセカイを見て面白がっているだけに違いない、そうフレアは憤った。


 だが、せいぜい今のフレアにできそうなことと言えば、セカイに会うことくらいだった。魔女の部屋ではなく、魔女から離れた場所で。


 フレアは階段を降り、下駄箱に向かった。





 久然学園高校は一学年に約二百名の生徒が在籍する。一クラス四〇名の五クラス。来客用玄関とは別に設けられた生徒用出入口は広い。


 一年生のほとんどは早々に帰宅しており、部活やら何やらで午前中までで活動を終えた二年生、三年生あたりがポツポツと集まってきていた。

 

 下駄箱付近で人知れず人を待つのは難しい。


 周囲の視線が気になってきたフレアは自分の靴を調べ始めた。フレアの靴は毎朝ピカピカに磨き上げられている。そこに一分の隙もない。だが、何もせずにボーっと突っ立っているよりは目立たないはずだった。


 通り過ぎていく生徒のなかには、フレアのことをちらちらと見ていく者もあった。入学式であれだけ目立ったのだ。上級生にも覚えている者はいるだろう。だが、声をかけてくる者はそのなかにはなかった。


「あら。白音さんじゃない」


 フレアに話しかけたのは金髪の健康的な一年生だった。戸頭レイリ。フレアのクラスの成績最下位。フレアの隣の席のメガネが言ったことをフレアは思い出した。成績クラス最下位のレイリは危険だ、という。


「戸頭さん……奇遇ね」


 フレアはセカイのことで頭がいっぱいで、それくらいのことしかそのときは言えなかった。


「ここ、学校ですわよ。クラスメイトと学校で会うのはふつうではないかしら」


 正論だった。


「一年生はみんな帰ったと思ってたから」


 レイリは訝しげにフレアを見た。


「あなたも一年生でしょ? さっきから靴を丁寧に調べてたけど、画鋲でも仕掛けられてた?」


 レイリは面白そうにフレアを眺めた。


「そういうイタズラなんて、フィクションの世界だけじゃないの?」


 フレアは息をゆっくり吐くと、自分の靴を床に置いた。


「かもしれませんわ。で、白音さんは誰を待っているの?」


 レイリはごまかされなかった。


「何のこと?」

「下駄箱で時間を潰す理由なんて、それくらいしかないわ」


 地元ではそんなふうに不躾に詮索してくるようなクラスメイトはいなかった。


「誰でもいいじゃない」

「じゃあ、わたしでもいいわね」


 レイリはそう言うや否や、フレアの手をとった。


 教室では、レイリはフレアの差し出した手をとらなかった。ところが、レイリは今は自らフレアの手をとった。その態度の豹変に、フレアは警戒せざるをえない。しかも、どこかに向かおうとしている。


 だが、フレアは振り解いても目立つしトラブルの元だと思ったし、そんなレイリに興味が湧きつつあった。


 レイリは容赦なくフレアを校外に連れ出していく。ちょうどセカイらしき人影とすれ違ったが、フレアは声をかけることができなかった。レイリとの関係をセカイに説明できなかったし、なによりレイリにセカイとの関係を詮索されたくなかった。フレアはあきらめて、レイリについていくことにした。






「……いい加減、離してくれる?」


 つないでいた手をフレアは振りほどいた。その頃には、二人は久然学園高校から数分離れたところを歩いていた。


 久然学園高校は、街中にある。大学も設置される巨大学園都市は白音市とは違い活気があった。もっともフレアには、行き交う人にどこか落ちつきがないように感じられていた。


「あはは。悪かったわね」


 レイリは手を離すと笑った。フレアもつられて笑みを浮かべてしまう。教室とは違う笑顔に気を許しそうになる。教室で突っ掛かられたのは、きっとレイリが緊張していたからだ。セカイのことばかりを考えていたが、それ以外の友人をつくることができれば、そんなにセカイのことで悩む必要もなくなるかもしれない。そうフレアは思った。


「戸頭さん、どうしてあんな時間まで学校に残ってたの? デューティはないんだよね、今日は」


 フレアは、学校でユキノから聞いて知ったばかりのことを尋ねてみた。


「ちょっと友達と話してただけですわ」


 レイリはそう返すと、少し不思議そうに聞き返してきた。


「学年トップの白音さんがデューティのことを気にするなんて意外。白音さんこそ、どうして学校に残ってたの? もうお友達はできたのかしら」


 フレアはユキノの顔を思い出し、嫌な気持ちになった。


「ええ、まあ。そんなところよ」

「ふーん。そのお友達は放っておいてよかったのかしら?」

「別に。どうでもいい」


 フレアは不愉快な気持ちを隠さなかった。


「白音さんって、面白いわね」


 レイリはそう言って屈託なく笑って、どんどん歩いていく。二人は学園の最寄り駅の近くまで来ていた。


 辺りは昼間でも少し薄暗いビル街。さすがにまだ電気は通っていないが艶かしい女性の写真が載った看板があちこちに見えた。


 フレアとレイリ、二人の女子高生はそんな薄暗い通りに昼間からいるような連中の目を集めるが、声をかけてくる者はいない。


 フレアはレイリに対する興味が強まるのを感じた。進学校の生徒に似つかわしくない街並み。初めて目にするそんな裏通りをレイリに素直についていった。


「逃げ帰ると思いましたわ。あなたみたいな優等生には縁のない場所でなくて?」


 レイリはフレアを興味深そうに眺めた。


「初めて来るわ、こんなところ。話には聞いたことあるけど」

「話には、ね」


 レイリは可笑そうに言うと、足を止めた。


 そこは、ファッションヘルス店だった。店名は「ごイッキりどうぞ」。意味はよくわからない。


「それでは、お嬢さま、どうぞお入りなさい」


 レイリは芝居がかった調子でそう言うと、「ごイッキりどうぞ」の自動ドアの向こうに消えた。

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