第六話 聖女、魔女に敗北する。

 教師が生徒の話を聞くのならともかく、その逆。あるいはセカイなら、そんなこともあるのかもしれない。そうフレアは思った。フレア自身、さんざんセカイに話を聞かせてきたのだから。だが、セカイとユキノが仲良く語り合っている様子を想像し、フレアは腹が立った。


「セカイくんに何の話を聞いてもらっているのですか」

「わたしは貝瀬のクラス担任なんだ。だから学年最下位でクラス最下位でもある貝瀬とは嫌でも指導しなきゃならん関係にある。わたしは貝瀬の成績がクラス平均になるまでは責任を感じなきゃいかんわけだ」

「それはこの春からですよね。先生はその前から、中学生のときから教えていたのですか?」


 フレアは怪しんだ。


「なかなか細かいところに気がつくな。貝瀬が転校してきてから、推薦者としてけっこう話す機会があってだな」

「推薦者として、ですか」

「もちろん勉強の話などだ」

「など、ですか」


 どうせマイナーなアニメやらコスプレやらの話に決まっている、と内心フレアは呆れた。


「それなのにセカイくんの成績は上がらなかったんですね」


 ユキノは苦笑した。


「そう言うな。わたしも責任を自覚していないわけではない」

「では、先生は、どうしてセカイくんをこの学校に推薦されたのですか?」


 無責任教師の思いつきで二人の平穏が乱されたなら許せなかった。フレアの口調に怒りがにじんだ。


「きみと同じだ。貝瀬も難関大学を目指している、そう聞いた」


 ユキノは平然と言った。


 フレアは、そんな話をセカイから聞いたことがなかった。セカイをあれだけ拒絶していたのだから当然だ。フレアがセカイを拒絶しているあいだ、セカイはユキノに進路の相談相手になってもらっていたのかもしれなかった。


 だからといって、赤の他人を自分の学校に推薦までするものだろうかとフレアは思った。だが、フレアにはそれ以上突っ込むことはできなかった。仮にそう聞いたところで、「親切心で」とか「推薦枠が余っていた」とか言われるだけだとフレアは思った。


「では、わたしとセカイくんが一緒に勉強するようにすれば、先生も少しはご安心できるかと思います」


 聖女たるフレアには俗世の辛苦に悩む衆生の救済は義務だった。フレアのなかではとくに不自然な申し出ではなかった。


 ユキノは身を少し乗り出した。何か面白がっているような、そんな気がフレアにはした。


「そう簡単じゃない」

「なぜです? 図書室では自習もできたはずです」

「場所の問題じゃない。成績最底辺の貝瀬にはほとんど自由時間がないんだ。この学校は成績に応じてデューティが決まる。半分より上の成績上位層はデューティがない。この学校では、デューティがないことをデューティフリーと言っている。免税のことじゃないぞ。生徒会活動や部活ができるのはこの層。成績最上位ともなれば学校に来る必要もない。在籍さえしてればいい。フリーだろ?」


 フレアはいきなりそう言われても当惑するしかなかった。


「だが、成績がこの学校の半分より下だと、掃除やボランティアといったデューティが課せられる。寮生の場合は門限ギリギリまで拘束される。というわけで、きみが貝瀬の勉強を見られるとしたら土日くらいだが、彼氏でも何でもないのに週末を一緒に過ごすのか?」


 フレアは想定外の角度からの指摘に言葉を失った。


「どうやら貝瀬のことが心配なのは確かのようだな」


 ユキノは何がおかしいのか笑みを浮かべた。フレアは敗北感を感じずにはいられなかった。


「うらやましいよ。実に。友人以上、恋人未満、か」


 フレアは顔が真っ赤になるのを感じた。


「先生、それはセクハラかと」

「すまんすまん、きみの話は貝瀬からよく聞く」


 そう言うと、ユキノは微笑んだ。これは作り笑いだ、フレアはそう感じた。


「わたしは憧れるんだ。誰も立ち入れない二人の世界ってヤツに。きみと貝瀬のあいだにそんな世界が最初からないなら、わたしが壊してしまうこともない。わたしが言葉を交わしただけでそれまで仲の良かった二人が離れてしまうのを目の当たりにすると、これでも罪悪感を感じることがある。いくらその二人の絆がもろくても悲しい話だろ」


 フレアはユキノの瞳の奥に冷たい光を見た。


「だが、きみたちには関係のない話だったな」


 フレアは確信した。もしフレアがセカイに近づかないでくださいと泣いて頼んでも、ユキノはセカイに近づくのをやめない。それは推薦者や担任としての責任からではない。見たいのだ。二人の世界がどれだけ強靭かを。でなければ、それがもろく砕け散るところを。そう思うと、フレアの口から自然とある言葉が漏れた。


「……まじょ」


 魔女という言葉は白音教にはない。ないが、フレアは敵だと認定した。聖女の敵なら魔女だ。


「なにか言ったか?」


 ユキノが眉を上げた。


「ま、冗談みたいなお話だと思いまして」


 フレアは誤魔化した。バレてもかまいやしない、そういう思いもあった。ユキノの表情からは魔女呼ばわりされたことで不愉快にしているような気配は伺えなかった。


「わたしとセカイくんが友人以上恋人未満だなんて、思いもしませんでした。ただの幼馴染です」


 ユキノはしばらくフレアを興味深そうに見ていた。


「貝瀬から聞いていたのと違うな。幼馴染だとは言っていたが『ただの』幼馴染だとは言ってなかった。あれだけよくきみのことを話すんだ、彼氏ではないとしても友人以上ではあるかと思っていた。転校するまでずっと一緒だったと聞いたが」


 セカイがそんなことを言っていたとは。今度はフレアの頭が熱くなった。


「では、貝瀬にはただの友達だときみが言っていたと伝えよう。誤解があると困るだろう」

「どうぞ。わたしは他人がわたしをどう思っているかになんて関心はありませんので。先生とは違います」


 魔女がセカイに何を吹き込もうが、知ったことではない、いくらでもぶっ叩いてセカイを元に戻すだけだ、とフレアは決意した。


「ふむ。さすが聖女、か」


 フレアは微笑みながら睨んだ。ユキノは氷の微笑で返した。


 そのとき、何かを思い出したようにユキノは時計を見た。もうお昼だ。


「さて、貝瀬は今日ここに来ると言っていたが来ないな。デューティのない貴重な日のはずだが」


 フレアはユキノとセカイがまさにこの部屋で会うと約束していたと知ってモヤモヤしたが、そんな場合ではない。約束にセカイが遅れるということはないはずだ、たとえ魔女との約束でも。そういえば、さっき見かけたセカイは誰かに命令されていたようだった。そのセカイの様子を知らせておいたほうがいいだろう、一応、魔女とはいえ教師なのだから。そうフレアは考えた。


「セカイくんなら、お友達に何か言われてどこかに走って行きました」


 フレアは慎重にことばを選んだ。あれがイジメだと決めつけるのはまだ早い。


「ふむ。早速そうなったか。ランキングなど貼り出すから、それが事実上の力関係になってしまう。つまらない慣行だ。貝瀬も貝瀬だ。せっかくわたしが担任なんだから、わたしの名前を出せばいいのに」


 そう言うと、ユキノは携帯端末をいじった。


「これでよし、と。しばらくすれば貝瀬もここに来るだろう。お弁当でも一緒に食べるか?」


「ありがとうございます。ですが結構です。それでは失礼します」

「わかった。お昼時に引き留めて悪かったな」


 ユキノはあっさりと手を振った。


 フレアは少し頭を下げ退室した。


 こうなれば一刻も早くセカイに会って、魔女ユキノの魔手から救わなければならない。そうフレアは決心した。

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