第四話 聖女、無視される。

 セカイと話したいわけじゃない、だからフレアはセカイの連絡先を聞かなかった。


 セカイに会って赦したい、だからフレアは久然学園高校入試に向けて一心不乱に準備した。


 フレアはそのあいだも修行を怠らなかった。いやむしろ、セカイがいないから自分を追い込むのに歯止めが利かなかったようでもあった。


 超過勤務に疲れ、生徒に配慮する心を失った教師や、さしたるモチベーションもないままにテストや試合の成績で点数を追いかけさせられ疲弊する生徒。セカイという緩衝材がいなくなったことでフレアは俗世への興味をさらに失い、中学三年生のあいだの一年間の学校生活は、過酷な修行からの解放ではなく無味乾燥とした俗世に耐える試練となった。


 セカイがいたときは、まるで軍勢に単騎で挑む騎士のごとく、フレアはそんな周囲をしあわせにしようと奮起し、それがフレアのささやかな自己満足を生み出していた。迷惑がられていたにせよ、フレアのタレコミが虐待に気づかせ、小学校高学年にして夜の街を出歩こうとする女の子を引き止めることができたこともあった。だが、セカイがいなくなったことで、フレアはまるで馬を失った騎士のように無力感を感じていた。それがさらにフレアを修行と試験勉強とに打ち込ませた。


 部活には入っていないとか成績は下の下だとか、セカイの様子をサンやタイカイから聞かされたこともあったが、フレアはせいぜい生返事するくらいで、まともに応答しなかった。そんなことにフレアの関心はなかった。大切なのは、セカイに会って赦すことだった。そのためには再び同じ地面に立たなければならない、そうフレアは思い込んでいた。だから、夏休みや冬休みにセカイが帰省したときも理由をつけて会わないようにした。別に付き合ってもいないのに会う必要はない、そうフレアは思っていた。同じ学校にまた通い、そこでセカイを赦す。フレアの気持ちはそこで止まっていた。





 そして、久然学園高校の入学式にフレアの姿はあった。背は伸び、痩せ気味だったからだは少しだけふくよかになった。激しい修行に耐えるためフレアは意識的にしっかりと食事をとるようにしていた。天使のような清らかさに女性らしい艶やかさが加わり、いつぞやのサラリーマンであればどう形容したかわからない。


 フレアの周囲にいる、やはり同じく高校から入学する生徒たちは、フレアを見てザワついていた。じろじろと見る者までいた。フレアはもう、そんな無遠慮な生徒たちを睨みつけたりはしなかった。


 高校から入学する「高校入試」組を迎える入学式には中等部からの「進級」組も参加する。つまりセカイは入学式会場のどこかにいて、もうフレアに気づいているはずだった。


 フレアはセカイを探したりはしなかった。赦すために自分から探しに行くなど、聖女の振る舞いではないと思っていたし、なによりセカイが赦されたがっているはずなのだから、セカイの方からフレアを探すはずだった。セカイを追って進路を変えたことと一貫していなかったが、フレアはとにかくそう思っていた。偶然出会い、そこで気前よく赦しを与えてやってもいいし、もちろんそれが今日だってかまわない、何しろわたしは寛容で優しい聖女なのだから、と思っていた。


 そんな自分勝手な思い込みをぐるぐると頭の中で回転させているフレアは、傍目はためには物静かな深窓の令嬢に見えていた。


「新入生代表、白音フレアさん」


 入学式の司会がフレアの名を告げた。久然学園高校に新たに入学する生徒たちの代表として、トップ合格者のフレアが壇上に立った。


 その姿に、生徒たちだけでなく教師からもどよめきが漏れた。


 そもそもフレアは人前に立ち慣れている。幼いころから何千もの信者たちの前で舞を披露してきた。そのうえ、立ち居振る舞いは徹底的にサンに仕込まれている。宗教者たるもの、常に人の模範たろうとせよ、と。


 その歩き方、その手の動き、その表情。すべてが凛として、研ぎ澄まされ、迫力があった。誰もが息を呑んだ。


 もっとも、そんなことはフレアには関係のないことだった。フレアにはただの日常だ。


 フレアは校長を前に、あらかじめ用意していたあいさつ文を暗唱した。


「新緑が目に鮮やかな春。わたしたち新入生はさいわいにして狭き門、久然学園高校の門をくぐることができ……」


 まったくもってふつう。フレアは別にそこで個性を披露するつもりなど毛ほどもなかった。フレアにとって学校とは、俗世の試練にほかならない。神と相対峙するような緊張感や、自分の気持ちを特別な言葉に載せる必要などはまったく感じなかった。それになにより、祝詞のりとに比べれば短すぎる。


 校長を前に暗唱を続けていればよいものを、つい、いつもの調子で校長の後ろに控える教員団にまでまなざしを向けた。人前で踊るときは見ている者のすべてに目を行き渡らせる。それが白音教の神楽舞だ。すると。


 そこにユキノを発見した。前に見たのは一年と少し前。しかもそのときはコスプレ姿。だが今は、黒ぶち眼鏡に黒いスーツ。髪は後ろに無造作に束ねている。それでも見間違うはずはなかった。フレアには、あのときタクシーから降り立ったユキノの姿が焼き付いていた。


 フレアはいっしゅんことばに詰まりそうになった。だが、そこは極限まで鍛えられた修験者として、自己をコントロールし踏みとどまった。だが、フツフツと怒りが湧いてくる。


 やっぱり黒いものを着ているじゃない! 不吉な! フレアはスーツがだいたい黒か濃紺だったりする事実を無視した。そして、その怒りは、ふつうのあいさつ文を少し変えてしまった。


「……高校三年間。さまざまな出会いがわたしたちを成長させてくれるでしょう。これから仲良くなる学友たち。そして、これから指導を仰ぐ先生方。先生方のなかには黒い方や白い方もおられると思いますが、どちらにしてもわたしたちは学びを深め……」


 とくに教師たちのあいだにざわめきが走った。教師陣を全面的に信用することなどない、と宣言しているように聞こえた。


 フレアはそれを失態とは考えず、何も問題ないかのようにあいさつを終えた。フレアにとっては、教師も生徒も同じ俗人。教師だから白いはず、などという思い込みはなかった。あらかじめ準備していた内容を変えたという意識すらなかった。


 ユキノはと言えば、別に面白くもない、といったような顔をして、フレアのあいさつが終わるとパチパチと型通りの拍手をしていた。



 


 入学式で存在感を見せつけ、さらに個性的なあいさつをしたフレアは、教室に入るとさっそく何人かの生徒たちに取り囲まれた。


「ねえねえ! 白音さんってどこ中?」

「もしかして寮住み!?」

「すごいね! トップ入学」

「連絡先交換しとこうよ、とりあえず」

「どうやったらそんなスタイルになれんの!?」


 フレアは目を閉じ耳を澄ませた。一度に複数の人間に話しかけられて一度に応対できるわけがない。そういうとき、相手方が落ち着くのを待つ。「フレアが怒ったってしょうがないんだよ、そんなときは。相手だってフレアに話しかけたいんだ。だから少しだけ待ってみて」。そうセカイに言われても、中学のときは実践できなかった。セカイがそばにいたから我慢する必要がなかったし、セカイがそばにいない一年間は誰もフレアに近づかなかった。


「ふーん、無視ってわけ? さすが高校入試組トップさんは違うわね」


 明らかに険を含んだ声。思わずフレアは目を開けた。すると、目の前には金髪の健康的な女子がいた。


「群がってるのは高校入試組さんみたいだけど、わたしたち進級組とも仲良くしてほしいものね」


 そう言いつつ、その金髪は周囲をめ回した。頭の中はセカイとユキノのことでもやもやしていたが、その芝居がかった様子に、ついフレアはクスっと笑ってしまった。


「何がおかしいの!?」


 金髪女子は椅子に座っているフレアに詰め寄った。フレアのオーラに気圧されずに詰め寄ることのできる人間は珍しかった。フレアが初めて出会うタイプの女子だった。


「あなたとはいいお友達になれそうだと思って。そう、うれしかったの。わたしは白音フレア。あなたは?」


 その金髪女子は、フレアに何かを感じたようだった。おそらく、見た目以上のものを。


「……戸頭とがしらレイリ」

「そう、戸頭さん。よろしくね」


 フレアはそう言って手を差し出した。レイリはその手を握ることなく、少し奇妙な表情を浮かべると、よろしく、と呟き、教室の隅の自分の席に戻っていった。


 他の生徒たちは、そのときにはみな散り散りになっていた。


 しばらく、フレアの周りに静寂が生まれた。すると、それまで黙っていた隣のメガネ女子が話しかけてきた。


「白音さん、わたしも進級組なんだけど。戸頭さんには気を付けてね」

「どうして?」


 フレアはきょとん、として聞いた。初対面であれだけ圧をかけてくる相手だ、ふつうは気を付けないほうがおかしいわけだったが、フレアにはそんな理屈は縁遠かった。フレアは俗世の人間をすべて警戒することにしているからだ。


「戸頭さんは成績が良くないの」

「そうなの。それで?」


 そもそもフレアにとっては自分以外のほとんどが「成績が良くない」生徒だ。


「すっごく良くないの」

「そうなんだ。でも、それがどういうことなのか、ごめんなさい、わたしにはよくわからないの」


 フレアは最大限の愛想笑いで応えた。それは何も知らない他人から見ればまさに天使の微笑みだった。


 そのメガネ女子はドキドキしながらオドオドと答えた。


「あの……その、この学校では、成績が悪いと、その、扱いが……悪いの」

「どういうこと?」


 メガネ女子が答える前に、担任教師が教室に入ってきた。メガネ女子は急いで前を向いた。


 その担任教師は中年の女性で、小太り。怒っているとも呆れているともとれる表情を顔に張り付けていた。


「みなさん、入学おめでとう。それから、進級おめでとう。わたしはそとさわヤイロ。このクラスの担任です。さて、初日ではいつものことですが、ランキング一位と二位を発表します。高校入試組さんは初めてですね。この学校では成績順位を後ろの黒板に掲示することにしています。順位によって学校での義務デューティが変わります。あとで確認しておいてください」


 教室内がザワつく。教室の約半数が高校入試組だった。


「高校入試組さん、そう慌てないでください。ただのランキングですし、デューティといってもただの雑用です」


 それもいつものことだと言わんばかりに外ノ沢は言った。


「一応言っておきますが、当クラスの一位は白音フレアさん。これはみなさん、おわかりですね。ちなみにこの学年一位でもあります。すばらしい。で、二位は犬居ケンジさん。これは進級組さんにはわかってましたね。最初は高校入試組さんの序列のほうがやや高く設定されます。進級組さんはこれから頑張ってください」


 フレアはぼーっとしていたが、犬居ケンジと呼ばれた男子生徒は、言われもしないのに立ち上がり、皆に頭を下げた。それから誰も拍手などしていないのに、あたかも拍手をもうやめてくれというようなジェスチャーをしながら席についた。フレアは珍獣を見る目でケンジを見ていたが、ケンジはそれを尊敬のまなざしと誤解したようで、しきりにフレアの方を気にしていた。


「で、最下位ですが、戸頭レイリさんです。レイリさん、あんまり最下位が続くようだと受験勉強に響きますよ。このランキングは変動することが大前提なのですからね。ちゃんと動かしてください」


 レイリは外ノ沢の方を見もしないで「はーい」と気の抜けた返事をした。





「さて、今日はデューティはフリーの日です。みなさん、さようなら。しっかり休んで明日からの授業と勉強に備えてくださいね」


 外ノ沢は一通り一学期の大まかなスケジュールや学校生活についてのレクチャーを済ませると、足早に教室から出て行った。


 教室外の気配は、ほぼ同時刻に他のクラスでもオリエンテーションが終わったことを告げていた。


 フレアは自分の周囲にクラスメイトたちが集まってくる前に教室を脱出した。


 どこかのクラスにセカイがいるはずだった。チャンスを与えてやってもいい、とフレアは考えた。


 わざとゆっくりとした足取りで第一学年の教室のあるフロアを歩く。もはや有名人のフレアは、何人もの生徒に話しかけられるが、何を言われているのかまったく耳に入らない。セカイばかりを探していた。


 セカイの運がよければ、会うこともあるはず、とフレアは思ったし、実際、その通りになった。


 フレアがしばらく歩いていると、向こうから、見慣れたキモブサメンが歩いて来た。見間違えようがない。それはセカイだった。一年の月日が流れていたが、別に髪の色が変わったり、痩せたり、ましてかっこよくなんてなっていなかった。


 フレアにはセカイしか目に入らなかったが、そのとき、セカイは二人の男子の後ろを歩いていた。前にいた二人の男子がフレアに気づき、フレアに声をかけてきた。


「白音フレアさん、だよね。どう? これからお茶でも。おれたち進級組なんだけど。この辺のいい店紹介するよ」

「そうそう。このガッコ、自由だからさ。放課後どこに行ってても文句言われないんよ」


 その二人の男子はまるでふつうの女子に話しかけるようにフレアに話しかけていた。フレアが一般人参加の公開神楽舞の最初のあいさつのときに見せる微笑みを浮かべていたとはいえ、地元の学校ではまず考えられないことだった。地元ではフレアが何者か知っている生徒がほとんどだったからだ。


 もっとも、だからといって、その二人の男子の声がフレアに届いた、というわけではなかった。聖女の心にことばを届かせることは俗人には困難だ。ようするに、この聖女は自分の関心が向かない他人を無視する癖があった。


 そんなわけで、近づいてくるセカイにフレアの意識は集中していた。ほら、セカイ。来てあげたんだから、謝りなさい。なんなら泣いて謝ってもいいの。そしてあいつとの関係を説明するの。どうしてあいつが先生なんてしてる学校にいるのかを。そうフレアは心の中で呟いていた。二人の男子など意識の外にあった。


 セカイはフレアの前で立ち止まった。だが目を合わせなかった。


「おら、貝瀬。早くいつもの店の席、確保してこいよ。わかるだろ。あの店だぞ。間違ってたら怒るからな。三人分だぞ!」


 二人の男子の背の高い方がそう言ってセカイを小突いた。


「あの店っつっても貝瀬にはわからんだろ。おれらと行ったことないんだから。マジで間違われても困るからメッセージ送ってやるよ。ちゃんと見ろよな」


 二人の男子の背の低い方はそう言いながら携帯端末を操作した。それから、セカイの背中をはたいて言った。


「走れ!」


 セカイは何も言わず、走り去った。


「ごめんね、白音さん。でも、おれのおすすめのお店、人気だからさ。早く席をとらないと座れないんだよね」


 背の高い方はそう言って、フレアに近づいた。だが、フレアの顔を見て、思わずあとずさった。もう一人に至っては顔が青ざめていた。


 フレアの顔には、もはや一般人向けの営業スマイルなど張り付けられていなかった。


 セカイに対して差し向けられた理不尽な暴力に対する怒りを上回る、セカイが自分を無視して立ち去ったことに対する衝撃が、フレアの顔から一切の感情を奪い去ってしまっていた。

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