第三話 聖女、決心する。

三学期の始業式でセカイを見かけなかったフレアは、セカイの行方を教師に聞いた。すると教師はこともなげにセカイの転校を告げたのだった。


 その日の授業が終わると、フレアはセカイの自宅に駆け付けた。駆け付けたと言っても、セカイの自宅、貝瀬家はフレアの自宅の向かいだ。フレアが母親と住む当代教主の木造の大邸宅とは違って、その鉄筋造の家は少し広めで、いささかモダンだった。


 フレアがその気になれば、貝瀬家のベルを鳴らすことはいつでもできた。だが、フレアは、そのときまでそうしようと思うことはなかった。


 貝瀬の家では、セカイの父親で教団事務局長のタイカイが家で執務していることが多かった。そのときフレアに応対したのもタイカイだった。


「セカイくん、転校したんですか!?」


 玄関先で応対したタイカイを前に、フレアはつい詰問口調になってしまった。


「フレアさんは聞いてなかったのですか? 久然くぜん学園に編入するという話。編入試験に合格するとは思わなかったのでセカイには言い出しにくかったのかもしれませんが」


 タイカイは当代教主に次ぐ権力者だ。背が高くスマートな、いわゆるナイスミドルのタイカイはセカイの父親にはとても見えない。だが、その冷静な話しぶりはセカイを思わせた。


 フレアがセカイとの関係をタイカイ「おじさま」に説明する必要はそれまでなかった。フレアとセカイとは、もうずっと前から親ぐるみの仲だし、フレアとセカイとの関係は幼馴染の一言に尽きていたはずだった。そのときも、フレアが「聞いてなくて」と一言言えば済む話のはずだった。


「……このところ、セカイくんとはあまり話す機会がなくて」


 そんなことまで言う必要はないはずだった。一方もちろん、タイカイはつい半年前までフレアがセカイと連れ立って学校に通っていたことを知っていた。だが、怪訝そうな表情などタイカイは見せなかった。


「そうですか。編入試験対策で、セカイはかなり遅くまで勉強していたみたいです。フレアさんとの時間も犠牲にしていたのでしょう。うちの息子が不愉快な思いをさせてすみませんでした」


 タイカイは深々と頭を下げた。


「あ、いえ……わたし、てっきりセカイくんは白音学園に進学するつもりだと思ってましたから。驚いただけです」


 フレアはどうにか当たり障りのないことばを思いついた。タイカイは小さくため息をつくと話し出した。


「セカイが突然、久然学園に行くなどと言い出したときは、わたしも驚いたものです。白音学園に進学するほうがいいと思っていました、まあ地元企業への就職が親としての希望でしたから。県外に出るのはそんなに急がなくても、なんなら別に高校からでもいいじゃないかとも言ったのですが、高校からの編入試験は倍率が高くかなり難しいようで。中学からの編入だったら推薦がないと応募できないから、最低限の成績さえ編入試験で取れればなんとかなるとか。推薦元も自分で見つけてきましてね。セカイがあんなに積極的なのは初めて見ました。夏から勉強を始めたみたいです。夏の間に何かあったんでしょうか」


 タイカイは首を傾げた。だが、フレアには心当たりがあった。あいつだ。


「知りません。わたしとセカイくんとはそんなに親しいわけじゃないんで。それでは失礼します、おじさま」


 そう言うと、フレアはセカイの連絡先も聞かず踵を返し出て行った。


 フレアが立ち去ったことを確認してから、タイカイは呟いた。


「フレアさんとセカイがそんなに親しくない、ですか。そんなわけないでしょうに。これは教主さまのお耳にも入れておいたほうがよさそうですね」


 タイカイはさっそく携帯端末を手に取った。





 フレアの母親の白音サンは「神がかり」で、白音大神の御言葉を人の子に伝える大巫女だ。白音山ふもとの上社かみやしろにいることが多く、なかなか屋敷には帰ってこない。フレアが帰宅しても、広い屋敷には住み込み信者くらいしかいなかった。住み込み信者は実質的にはハウスキーパーとして奉仕していた。


 住み込み信者たちへの挨拶もそこそこにフレアは自室に辿り着くと、ごろんと制服のまま畳に寝転がった。フレアはふだん、そんなことはしなかった。自室でくつろぐ時も、きちんと座布団の上に座った。寝るときはふとんを敷いた。だが、そのときは自然と足から力が抜けたのだった。


 セカイが話したかったのは久然学園への編入だったんだ、とフレアは思った。やつれているように見えたのは、遅くまで試験勉強をしていたからに違いなかった。


 そして、夏からの突然の進路変更には確実にあいつが絡んでいる、とフレアは確信した。


 これからずっとセカイに会うことはないとしたら、それはあいつのせいなんだろうか、とフレアは考えた。一方で、あいつの言う通り、彼氏でもなんでもないセカイと再会する必要はあるのだろうか、とも考えた。セカイがただの話し相手だったなら会わなくてもいいかもしれない。だが問題は、ただの話し相手なのかどうかだった。


 それからフレアは立ち上がり居住まいを正した。そして、クローゼットから部屋着を取り出した。部屋着といっても修行用の白衣とほとんど見分けがつかなかった。フレアはいわゆる女の子らしいファッションにまるで興味がなかった。


 着替えを済ませると、フレアは自室を出て、屋敷内の祭壇がしつらえてある広間を目指した。住み込みの信者たちはフレアの姿を見かけると、ただならない雰囲気を察したのか、いつもよりも少し長く礼をした。


 祭壇のある部屋はとても広かった。正式名称「御神楽みかぐらの間」。というのも、そこでは神に「御覧じられる」ために神楽舞が行われるからだ。


 フレアは幼いころから神楽舞の名手で、今やフレアを越えるものはその母親のサンしかいないとまで言われていた。


 フレアは祭壇の前で四つ、柏手を打った。聞きつけた信者たちが集まってきた。


「ごめんなさい。一人で踊りたいの」


 フレアがそう言うと、信者たちは少し残念そうな面持ちで、ぞろぞろと部屋から退出していった。


 ふだんなら、信者たちの前で神楽舞を披露することにフレアは何の抵抗も感じなかった。白音の神に見られてさえいれば、他の誰に見られていても関係がなかった。だが、そのときはただ一人になりたかった。


 フレアは祭壇に置いてある鈴を手に取った。鈴、といっても見た目はタンバリンによく似ている宗教用具だ。


 神楽舞にはいくつかの振付があるが、即興で踊っても構わないとされていた。


 フレアは、静かに鈴を一回、振った。それからいっしゅんののちに、リズミカルな鈴の音とともにシンプルでありながらときに複雑なパターンのダンスが始まった。即興の神楽舞。フレアが最も得意とするところだった。


 フレアの即興の舞は十分間は続いた。


 汗だくになったフレアは踊り終えると鈴を祭壇に返すと白音の神に深く一礼した。


 フレアが御神楽の間を出ると、廊下には信者が何人かおり、慌ててどこかに去っていった。こっそり鈴の音でも聞いていたのだろう。それだけの魅力がフレアの奏でる音にはあった。フレアは気にも留めず、シャワーを浴び、自室に戻った。


 それからフレアは自室の中央で座布団の上に正座し瞑想していた。


「セカイくんがいなくっても修行に問題はなかった。前よりも集中できたくらい。セカイくんがそばにいなくてもわたしは大丈夫。だから、わたしとセカイくんは関係ない」


 論理的にはつながっていないが、フレアにはなぜかそこは譲れない一線のように感じられた。そこを越えるとどうなるのか自分でもわからなかった。


 一方、そのこととは別に、セカイを邪険にしたことに良心の呵責があった。だが、フレアは自分がセカイに許してもらうなど想像もできなかった。


 そうだ、セカイはきっとわたしに許されたがっているはずだ、とフレアは逆に考えた。セカイくんはいっときの気の迷いとはいえ、あいつを選んだ。あいつと一緒に病院に行く必要などなかったのに。だから、それはセカイくんの罪だ、そうフレアは思った。聖女を裏切るなど罪深い。


「なら、セカイくんを赦しにいかなくては」


 目を閉じていると、フレアの脳裏にはセカイのキモブサな顔が浮かんでくる。


「まったく、キモオタなんだから」


 ふふ、とフレアは苦笑した。ただ、そのセカイのすぐそばにユキノの顔が浮かんでくるのが、フレアには耐えられなかった。結局、あのときセカイと一緒にタクシーに乗り込んだユキノの姿が印象的過ぎたのだった。


 フレアは目を開け、瞑想を終えた。姿勢を崩し、足を投げ出した。


「いったい、なに、あいつ。急に出て来て。わたしに呪いでもかけてるの?」


 ユキノの黒づくめの格好が思い出された。まさか日常的にあんな格好をしているわけではないだろうが、フレアには不吉にしか思えなかった。


 きっと、ユキノはセカイに何か言ったかしたかしたのだ。


 そうなると、フレアの行動は早かった。フレアは携帯端末を取り出した。そして久然学園について調べた。中学二年次までは編入が可能だが、それ以降は高校からしか編入できないようだった。久然学園は県外にあり通学は難しそうだった。だが寮があった。おそらくセカイも寮住まいなのだろう。


 フレアは意を決した。母親に相談しにいかねばならない。


 フレアは自室を出た。白音山ふもとの上社まではフレアの足なら三十分程度だ。駆け足ならもっと早い。自転車に乗る間も惜しかった。だが、その必要はなかった。


 当代教主にしてフレアの母親、白音サンはすでに玄関にいた。齢四十にして、舞で鍛えた身体は二十代にも見える若々しさ。サンはシンプルな巫女装束に身を包んでいた。上社でいつもの神楽舞を奉納していたのだ。


「おお、娘よ。そんなに急いでどこに行くのだ?」


 サンの口調は非信者から見れば芝居がかっていたが、フレアは気にしたことがなかった。


「お母さん、大事な話があるの」

「それではしばし待て、娘よ」


 そう言うと、サンは自分専用の着替え室に向かった。


 フレアは屋敷内のプライベートなリビングとして使用している部屋で待った。そこにはサンとその一人娘のフレア、そしてごく一部の限られた人間しか入ることはなかった。


 しばらくすると、サンがリビングに現れた。深紅のバスローブ姿だった。シャワーを浴びてきたのだ。当代教主サンの神楽舞は教団随一で、上社では大勢の信者たちが見に来るのが日常だった。そこで回収されるお布施は教団の重要な資金源だ。


「で、娘よ。何の話があるのだ?」


 サンはミネラルウォーターのペットボトルを片手にフレアの隣に座った。


「ねえ、お母さん。その、どうしても白音学園に進学しないとダメかな」

「今更何を。ずいぶんと前から言っておろう。おまえはいずれ教主となる身。この白音の地にどっかと根を下ろし御神おんかみとともに人々にしあわせをもたらすためには、白音の地で学ぶのがためになろうて」


 フレアは黙った。その様子をサンはチラと見ると、ペットボトルから一口、水を飲んだ。フレアが口を開くのを待っていた。


「そうよね。わたしもずっとそう思ってた。でも……」

「でも?」


 フレアは隣に座っている母親の顔を見た。いつもはこんなに近くに座らない気がした。だが、母親の顔からは何も読み取れなかった。


「でも、わたし、その、国公立の大学に進学したいなって……」


 サンはソファーから滑り落ちそうになった。


「そんなことか」

「そんなこと?」

「いや、あー、別に構わんぞ。どうしても白音大学に行かなければならぬというわけでもない。わたしもまだまだ現役。教主の座を譲るのはずっと先じゃ」


 サンは何かを知っているようだったが、フレアはその様子に気が付かなかった。


「そう? ありがとう、お母さん。じゃあ、高校は白学より進学実績のあるとこに行きたいな」

「そう来たか」

「そう来たかって?」

「いや、なんでもない、娘よ」


 サンは自分の娘が単に回りくどいだけなのか、それともからめ手から説得を試みているのかわからなかった。だが、屋敷に帰ってくるときに確認したタイカイからのメッセージと母親としての直感は、セカイと一緒の高校に行きたいとフレアにははっきり言えないわけがあることを告げていた。思春期の娘が素直なわけはない、まして我が娘だ、とサンは思わずにはいられなかった。


「でね、お母さん。久然学園ってこの辺じゃ有名な進学校だから、いいよね?」


 とはいえ、サンは娘の気持ちを簡単に受け止めるほど甘くはなかった。


「娘よ。それはちと飛躍が過ぎるというものじゃ。久然学園高校は隣県とはいえ通学はできぬ距離。かわいい娘にすすんで寮生活を送らせたい親がいようか。それにただの進学校ではない。とんでもない進学校じゃ。わざわざそんなところに行かなくても白音学園高校からでも国公立の受験は可能じゃ」


 ようするに、サンは県外に出て寮生活を送りたいのなら相応の理由を用意せよ、と言っているのだった。


 フレアは母親を説得する理屈を必死に考えた。そしてフレアに考え付いたのは、誰でも知っている一つの大学の名前だった。


「わたし東大に行きたいの」


 マジか、とサンは思ったが声には出さなかった。もしかしたらひた隠しにしていた幼馴染への想いを告白してくるかと思わないではなかったのだが。


 サンは動揺を隠し、代わりに、ひざを手で打って威勢よく声を発した。


「よく言うた、娘よ! 聖女とて俗世のことわりから無縁ではいられぬ。俗世の理を修めるのに最難関といわれる東大入試はちょうどよい修練となろう。よろしい。それもまた修行じゃ。寮生活、許すぞ。だが、もちろん、久然学園高校に合格したら、の話じゃ」


 ちょっと芝居がかってたかな、とサンは反省したが、フレアにはまったく違和感なかったようだった。


「ありがとう! お母さん!」


 そう言うと、フレアはサンに飛びつき、一方的にサンのバスローブが脱げかけるくらい激しく抱きしめると、そそくさと自室へと引き上げようとした。その後ろ姿にサンは声をかけた。


「ところで、久然学園高校といえば、セカイくんが中等部にいると聞いた。連絡先をタイカイから聞いているのだが、教えておこう」


 サンは娘と幼馴染の微妙な距離をショートカットしてやろうと気遣いを見せた。そのうえでどうなろうと、それ以上は親の出る幕ではなかった。だが。


「はあ? セカイくん? 何の関係もないよ。わたしはわたしのために久然学園に行くの」

「いや、そうでなくて、だな」


 幼馴染が目指す学園に先に通っているのなら、情報収集のために連絡先を交換しておくのは極めてふつうのコミュニケーションのはずだし、フレアのこの行動はセカイが引き金を明らかに引いたはずだった。それだけに、サンはいささか狼狽した。


「それじゃ、わたし、試験勉強あるから」


 フレアがリビングから遠ざかったのを確認してから、サンは大きくため息をついた。


「まったく、年頃の子どもというものは。タイカイも苦労するわけじゃ」


 それからサンはペットボトルの水を一気に飲み干した。

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