第二話 セカイが変わる。

 夏期講習。成績優秀なフレアにはとくに受ける必要がなかった。だが、セカイの成績は中の下。学校の提供する夏期講習も受講するが、二学期からは予備校に通う予定だった。


 二人が目指す私立白音学園高校は名門だが、人によってその入試は決して難しくはない。二人には十分なコネクションがあった。フレアの実力であればそんなものがなくても余裕で合格圏だ。一方、セカイはそんなものがあっても微妙だった。


 そんなセカイは、ユキノの乗ったタクシーにはねられそうになったその日のお昼休み、教室に何事もなかったかのように入ってきた。そのときフレアは自分で作ったお弁当を食べていた。


「午前の授業、受けなくてよかったの? あなたの成績では白学もギリギリでしょ」


 フレアはほとんど食べ終わったお弁当箱から目も上げずに、近くに来たセカイに言い放った。


「それは心配だよ。でもほら、一応転んだわけだしさ。病院には行っとかないとね。なんでもなかったけど」


 フレアはセカイが午後から登校してきたことに胸をなでおろした。だが、そんな自分がなぜだか不愉快だった。


 タクシーにはねられ危うく大けがをさせられそうになった、それが事実のはずだった。だが、セカイはどこかうれしそうで、フレアに突き飛ばされ、いや、助けられたことなど忘れていそうだった。


 フレアはお弁当箱から目を上げた。セカイはいつもの表情だ。キモメン、いやキモブサメンなその容姿に、どこも変わったところはないようにフレアには思えた。だから、フレアは気になっていたことを聞く気になった。こんなキモブサメンがあいつと仲良くなるなんてありえない、と思ったからだ。


「あのヘンな格好した、あいつ……ユキノ……さんだっけ。一緒に病院に行ったの?」

「もちろん。そのためにタクシーに乗せてもらったんじゃん。それがどうかした?」


 セカイは平然としていた。フレアはなんだかバカバカしくなった。こんなキモオタがたまたま会っただけの女にナンパされるとでも? そう思った自分にフレアは少し顔を赤らめた。だが、そんなフレアにセカイは気づくはずもなかった。


「別に。あの服、キモかったなって思って。まるでケダモノみたい」

「そうかな。まあ、ケダモノの擬人化コスプレだからかな」

「汚らわしい。よくあんな服で出歩けるなって思う」


 フレアはユキノを形容するのにことばを選ばなかった。自然と言葉が出てきた。


 セカイは困った顔をした。


「まあ、病院の人たちも多少はびっくりしてたみたいだけど。イベントに行く途中だったんだって。有名なコスプレイヤーさんらしいよ」


 セカイが動じるわけもなかった。フレアも引かなかった。


「あーそう。あなたもブヒブヒ言っててとってもキモかった」

「ブヒブヒとまでは言ってないけどね」

「似たようなことは言ってたんだよね」


 フレアはセカイを睨みつけた。人によってはご褒美だが、セカイは意に介していなかった。慣れきっていた。


「あのね、フレア。ぼくが海外アニメが好きなのは今に始まったことじゃない」


 セカイは語りだした。フレアは呆れたが安心した。いつものセカイだ。


「あーキモいキモい」


 フレアは露骨に嫌な顔をして見せたが、セカイは気にしなかった。


「あのとき、ユキノさんはぼくの好きなアニメのキャラのコスプレをしてたんだよ。すごく珍しい、ね。日本のアニメじゃないし、もうだいぶ前のものだからね。元のキャラが人間じゃないから擬人化しなきゃいけないし、擬人化したスピンオフもあるんだけど、それはまた別のアニメだし」


 セカイは早口になった。だが、フレアは聞き逃さなかった。


「ユキノさん?」


 ユキノは、そのほんの少し前に自分も「ユキノさん」と呼んだことなどお構いなしだった。


「ユキノって呼べって言われたから」

「ふーん。気持ち悪い」


 フレアはなぜだか少し安心した。セカイはそう呼べと言われば呼ぶはずだ、とフレアは思った。名刺にはユキノとだけ書いてあった。名刺からだとそれ以外に呼びようはない。だから、何の不思議もないはずだった。セカイはあいつに興味があるわけではない、日本ではマイナーな海外アニメキャラのコスプレに興味があるだけだ、フレアがそう思ったのもつかの間だった。


「見てよ、すごくない?」


 セカイは携帯端末をフレアの目の前に差し出した。フレアが見ると、それはユキノのコスプレ写真だった。その日の午前のコスプレ。病院の玄関だろうか、背景にぼやけた誰かの白衣が見えた。作り物にしてはなかなか凝ったつくりのツノ。そして漆黒の翼にドレス。夏にしては露出度が高いわけではないが豊満な胸は隠しようがなかった。


 フレアはセカイの携帯端末から顔をそむけた。


「マジでキモ。セカイくん、それ、セクハラ。先生に言う」


 フレアは食べ終わっていたお弁当箱を閉じると、立ち上がった。

 

「えーなんで?」

「ほんっとうにキモいから」


 フレアは心底嫌そうに、吐き捨てた。セカイは携帯端末を仕舞い、苦笑した。


「ごめん。確かにキモかったね」

「もう遅い」


 そう言うと、フレアはつかつかと教室を歩み出た。


 それを後ろ目に見てから、セカイは肩を小さくすくめて自分の席に戻った。お昼休みはもう終わりに近かった。






 その日の放課後、セカイは生活指導の教師に呼び出された。


「こらー、貝瀬。あんまり白音にヘンなもん見せるなよ。ただでさえ白音案件は厄介なんだからさ」


 白音案件とは、フレアによって持ち込まれるトラブルだ。


 小学校の頃から、フレアは教師以上に周囲の生徒を観察していた。「〇〇さんは同じ服を三日連続で着てた」「××さんは帰り道で△△さんにランドセルを持たせてた」、などなど。フレアのタレコミで虐待やいじめが未然に防がれたこともあり、なかなか生徒に目を行き届かせることのできない先生にはありがたがられていたが、そうしたトラブルに気づきたくない先生には厄介がられていた。


 中学校に上がると、フレアの秘密警察めいた活動の程度は増した。服装の乱れやちょっとした言動からその生徒の行動をプロファイリングするのか、「●●さんはどうやらしばらく家に帰っていないらしい」とか、「◎◎さんはどうも見知らぬ大人とお金のやりとりがあるようだ」といったようなことを教師に「相談」するのだ。それはそれで教師にとってはありがたいところもあったが、どうしてそんなことをフレアが知っているのか教師たちにはわからなかった。フレアは帰宅部で、学校外の時間はほとんど修行に明け暮れていると、フレアの母親、白音教団当代教主から聞かされていたからだ。


 本当はフレアは夜の街を歩いているのではないか、そこまで行かなくても、白音教団が握っている住民のプライベートの情報がフレアに知らされているのではないか、そう思っている教師もいるほどだった。


 いずれにせよ、教師たちはフレアから持ち込まれた案件には真剣に対処しなければならなかった。そのことを地元の学校関係者はよく知っていた。フレアの母親は市の教育委員会に圧力をかけられるほどの力は楽に有していた。


「でもまあ、おまえが白音にタレコまれるなんて意外だったな。で、どんな写真なんだ? 先生に一応見せてみ」


 そうなっては、セカイも見せるしかなかった。


「ほー。この人が午前中におまえを病院に連れて行った人か。すげー美人なのな。おれはエログラビアかと思って期待してたんだが、これはこれで。まあ、おまえはそんなキャラじゃないか」


 セカイはあいまいな微笑を浮かべた。教師はセカイに携帯端末を返すと、首を傾げた。


「でも、どうして白音は怒ったんだろうな? 別におまえら、付き合ってもないんだろ」

「ですね。ぼくにもわかりません。付き合ってないってことは確かですが」

「でもな。おまえらは仲良くしろよ。そのほうが先生も助かる」

「ぼくも助かります」


 セカイは力なく笑った。


 フレアとセカイ、それぞれはそれぞれ以外に心からの友達はいなかった。怒れる聖女を前にして怖れないのはセカイだけだったし、優しいキモメンのそばに安らぎを見出せるのはフレアだけだった。二人の間に割って入れるものはなかった。その日の朝までは。






「あのさ、フレア。その、ちょっと寄り道していかない? 行きたいところがあるんだ」


 数日後。夏期講習の最後の日の帰り道。セカイはフレアの後ろ姿を追いかけた。ふだんなら、フレアは登校するときも帰宅するときも支度の遅いセカイを待っていた。しかし、ここ数日、フレアは一人で登校し、一人で帰宅していた。


「はあ? 寄り道なんてするつもりないけど」

「ちょっと話したいことがあるんだけど」

「そんなの、今すればいいじゃない」

「ここでは、ちょっと」


 フレアはイラついた。


「何の話か知らないけど、それ、わたしにする話?」

「え? まあ、そうだよ」

「あなたはわたしと何の関係もないのに?」


 フレアはできるだけ冷たく言い放った。


 家が近いから一緒に学校に来て、一緒に帰っていた、それだけの関係。ただの幼馴染。どうしていつも一緒にいなきゃいけない? なぜ大事な話とやらを聞かされなきゃいけない? フレアの心中はそんな慣れない思考で満たされていた。


「何の関係もない、か。そうだよね……」


 セカイは寂しげな表情をした。


 いつもなら、フレアが噛みつけばセカイはふんわりとやり過ごすかやんわりと反論する。


 だが、そのときセカイは無言で立ちすくんだ。


 フレアは、そんなセカイを一人置いて、歩き出した。ただの話し相手ならいらない、そんなふうにフレアは思い込もうとしていた。つまりセカイはただの話し相手なのだ、と。だからユキノとセカイがたった半日で何をどこまで話したりしたかなんて、気にする必要はないんだ、と。


 フレアは自分が「セカイとの関係を一切否定」したのは初めてだったことに気が付いていなかった。





 夏期講習が終われば、フレアには過酷な修行の連続だ。いつもなら、セカイは修行に付き添ってくれた。


 だが、夏期講習が終わっても、修行の場、白音山にセカイは現れなかった。


 まだ信者ですらないセカイは、義務としてフレアの修業に付き添っていたわけではない。そのことはフレアにもわかっていた。だが、フレアにはセカイが修行の場にいないことが許せなかった。


 そんなわけで、夏休みが終わってもフレアはセカイと一緒に通学しようとは思わなかった。






 二学期、学校でセカイは何度かフレアに話しかけてくることがあった。だが、フレアはその度に「話したくない」と拒否した。なぜそこまでフレアは拒否したいのか、自分自身にもまったくわからなかった。それはフレアにとって初めてのことで、セカイにとってもそうだった。


 そうは言いつつ、フレアはセカイが話しかけてくることが嫌ではない自分に気づき始めていた。そんなフレアが見るセカイは、日々やつれていくようだった。


 そうして冬休みに入った。やはり、セカイが修行の場に現れることはなかった。


 再びフレアは怒った。






 冬休み最後の早朝、フレアを訪ねてきたセカイに投げかけたことばは、「あなたなんか知らない」だった。そのとき、セカイは悲しそうな顔をして立ち去った。さすがに少ししつこかったかな、とフレアは思った。だが、セカイの顔を見ると苛立ちが募ってしまうのだった。


 とはいえ、明日から三学期、こちらから誘って学校に行ってやってもいいかもしれない、フレアはその日の寝る前、自分がセカイを許す朝を想像した。


 なにしろフレアは聖女なのだから、セカイを許すことで平穏な日常は簡単に戻ってくるはずだった。






 白音市立白音中学校二年の三学期の初日。フレアはセカイが転校したことを知った。

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