16 押される背中

 やがて辿り着いたのは市街地を外れた山道の林道だった。

 その先に冬野がいる。

 冬野に近づけば近づく程、動悸は激しくなってその場所に近付く事が困難になっていくように思えた。

 それでも歯を喰い縛って歩み続け、ようやく到達する。


「……桜野……君」


 とっくの前に最終便が終わってしまったバス停の椅子に座っていた冬野は、まさか隼人が自分を見つけ出してここまで来るとは思っていなかったのだろう。

 純粋に驚いたような表情を浮かべる。


「……ちょっと待って、大丈夫、桜野君!」


 きっと冬野には今の隼人が本当に酷く映ったのだろう。

 本当に限界を超えて無理をしてそこに立っている事が分かってしまったのだろう。

 そして実際無理だったから此処まで辿りついて力尽きて膝を付き、冬野は駆け寄って来てそんな隼人を支える。


「こんな状態なのに……なんで」


「……何もできないのは。何もしないでいるのは……もう、嫌だから」


 嫌だったから。そんな悔いはもう残したくないから。声を絞り出す。


「……戦わせてくれ。お前を……助けるために」


「……駄目だよ、桜野君」


 冬野は言う。

 言ってくる。

 言ってくれる。


「桜野君を人殺しになんてできない……それが自分の家族なら尚更。そんな事したら、絶対に悔いが残るよ」


 そして冬野は言う。


「家族はさ、本当に大切な物なんだ。失う前から分かってたのに、失ったらもっと強くそう思った。だめなんだ桜野君。絶対に……それだけは、やっちゃ駄目なんだ」


「……分かってるよ、悔いが残る事位」


 自分がこれから取る事のできる全ての選択肢に、悔いの残らない選択などない。

 何を選んでも決して小さくはない最悪な悔いは残る。

 そんな事は分かってる。


 だとすれば。

 せめて悔いの少ない選択を。


「俺は、お前に死なれる方が悔いが残る!」


「……ッ」


「勿論やっちゃ駄目な事位分かってる! 家族だ! それも兄貴だ! 俺は俺が一番尊敬できる人が誰かって聞かれたら兄貴って即答できる位には大切に思ってる! だけど……ッ!」


 だとしても。


「それでも俺は冬野に生きていてほしい! 冬野を見殺しになんてしたくない! 冬野を……お前を、失いたくない……ッ」


 だからここまで来れた。

 何度立ち止まってもそれでも此処まで辿り着けた。


「……だけど」


 だけどそこまでだ。

 呪言の力もあり此処までなんとか来れたが、それでも此処まで。


「それでも怖くて仕方がないんだ。震えが止まらないんだ。此処まで来るのにも何度も立ち止まって。何度も逃げそうになって。俺じゃもう此処が限界なんだ」


 故に拙く脆い精神を支えるだけのピースが必要なのだ……だから。


「だから……俺の血を吸ってくれ」


 懇願する。これ以上何も失わせない為に。


「俺の背中を……押してくれぇッ!」


 せめてこの一勝だけは勝ち取れるように。


「……」


 そして最後まで聞いて。

 冬野はすぐに頷く事はしなかったけれど、それでも否定もしなくて。

 しないでいてくれて。

 やがてその返答を聞く前に……冬野に抱きしめられた。

 そして冬野は言う。


「……ありがとね、桜野君」


 次の瞬間、首筋に痛みが走った。

 冬野に血を吸われている。

 この感覚には大きなトラウマがある。

 不快で嫌悪感しかない。

 そんな感覚だった筈だ。


 だけど同じ痛みの筈なのに不快感も嫌悪感もなく、どこか幸福感すら感じて。

 そして人体が作り返られていくという不可思議な感覚が全身を包み込んだ。


 眷属化の吸血能力。

 それが発動したのだろう。

 だとすればもう退路は無い。

 退路をなくしてくれた。


(……助けるんだ、冬野を。絶対に)


 冬野の為に雄吾を殺す。そんな強い決意が、再び芽生えた。

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