15 支離滅裂なエール

 そこからはどこまでも平行線だった。

 時々不定期に冬野が考え直すように言ってきては、その都度同じように隼人は言葉を返し、折れる事なく作戦を考える。

 自分の兄を殺す為の方法を考える。

 やがてそんな時間が一時間程経過した時の事だった。


「……桜野君」


「……気持ちは分かるしありがたいけど俺は折れねえぞ。今度こそ折れねえ」


「……えーっとちがくて。そのお手洗い借りていいかな?」


「ああ……悪い。場所分かるか?」


「この部屋入ってくる時に前通ったから大丈夫だよ」


 そう言って立ち上がった冬野だが、中々動き出さずに隼人の方を見ている。


「……?」


 目が合った。少し様子がおかしい。どうしたのだろうか。分からない。


「……どうかしたか?」


「なんでもないよ」


 そう言って冬野は小さく笑みを浮かべて、それからお手洗いへと向かった。


(……一体どうしたんだ突然)


 ずっと俯いていたのに。

 笑える要素なんてどこにもないのに。

 感情の動きが読めない。

 だがそれでも納得できる気がしなくも無かった。

 あと三時間で死ぬかもしれない状況だ。

 多少情緒が不安定になってもおかしくはない。


(……そんな状態から解放してやるにも、何かないか。勝つための策)


 一時間近く考えたが、敵に回すと雄吾程厄介な相手はいない。

 近中遠。

 あらゆる間合い、あらゆる状況に対応できるように術式の層は厚く、付け焼き刃の域で停滞している技能など何もない。

 全ての術式と技能が最低でも実践レベルにまで到達している。

 ……本当に隙がない。一体どうやって攻略すればいいのか。

 しばらくそう考えていた、その時だった。


(長期戦は考えるな。今の俺に長期戦はできない。じゃあ短期決戦の場合、もっとも兄貴を殺せる可能性が高いやり方は一体……)


 そこまで考えた所で思考が止まった。一瞬止まってねじ曲がった。


(……ちょっと待て。本当に……俺はこれを本当にやるつもりなのか?)


 突然そんな疑問が沸き上がってきた。

 もう雄吾を倒す以外に冬野を助けられる可能性は見付けられない。

 冬野を助けるならばやらなければならなくて、覚悟を決めてやるつもりだった筈だ。

 現在進行形でその筈だ。


 だけど……急速に。その意思が剥がれ落ちていくような。

 立ち止まってしまうような。

 そんな感覚がした。


(兄貴だぞ? ……本当に、兄貴を殺すつもりなのか?)


 浮かんでくる。畳み掛けるように脳がそれを訴え掛けてきて……そして。


「……ッ」


 思考を覆い尽くしたのは恐怖心だった。

 それは吸血鬼に関するトラウマがフラッシュバックしてくるのと似ているけど違って。

 だけど多分、植え付けられた出所は多分同じで。


 とにかく相手が吸血鬼でなかったとしても。

 戦う相手事態にトラウマがなくても。

 吸血鬼と対峙する事に準ずる位には、戦う事そのものが怖くて仕方がなかった。

 これから最強の滅血師と戦うつもりでいる。

 そう考えるだけで震えて立っていられない。


 兄貴を殺す決意はさっきまでできていて。

 戦う事事態は既により恐怖心を掻き立てる筈の狐の面の男相手にやっていた筈で……何が、どうしてこんな事になっているのか。

 考えると、その理由はすぐに出てきた。


「……切れたのか? 眷属化が」


 そうとしか考えられない。

 これまで隼人が戦いの場に立てていたのは眷属化の力に背中を押されていたからだ。

 既にあった雄吾と戦う覚悟を後押ししてくれたのも眷属化の力だ。

 戦う事に関する恐怖心を薄めてくれてたのも、ほぼ間違いなく眷属化の力。

 それを失ったのだとすれば、今の現状にも納得がいく。

 もう一度眷属にしてもらわなければ、戦闘能力云々の前に戦う事自体ができない。

 冬野が戻ってきたらもう一度血を吸ってもらおうと、そう考えた……だけど。


「……ッ」


 そう考えただけで悪寒が走った。

 再びの眷属化を脳が避けたいと叫んでいるようだった。


(くそ……俺は、俺はどこまで……ッ)


 拒絶している理由は分かった。

 あまりにも簡単な理由だった。


 眷属化すれば戦えるようになるから。

 戦う事になるから。

 だから拒絶している。

 冬野の為に戦う事態に発展する要因となるから、拒絶している。


「……ッ」


 冬野が自分から隼人を眷属にする可能性は低い。

 だから冬野に拒否されても、なんとか説得して、説得して、説得して。

 タイムリミットまでにどうにかしようと考えていた。


 だけど……今はそんな説得を始める事すらできる気がしない。

 もう一度考え直してくれと言われたら考え直してしまいそうだ。


(……一体、どうすれば……ッ)


 冬野を失うかもしれない状況に。

 そしてあまりの自分の不甲斐なさに、しばらくずっとテーブルに踞っていた。

 そしてそれをしばらく続けた所で、この最悪な内心に追い討ちを掛けるような。

 そんな違和感に気付いてしまう。


(……冬野の奴、遅くないか? いくらなんでも)


 ずっとずっとずっとずっと、情けなく踞っていた。

 それなりの時間は立っているように思えた。

 当然デリカシーのない話にはなるが長居する事もあるだろう。

 だけどそれにしたって長いような気がして……そして最悪な可能性に辿り着いて。


「……ッ」


 思わず部屋から飛び出した。

 その可能性は考慮できた筈だ。

 もし最悪な予感が当たっていれば止められた筈だ。

 考えに浸りすぎてそこまで頭が回っていなかった。


「……ッ!」


 そして最悪な予感は的中している。

 冬野の靴が玄関に無かった。

 玄関扉は開けられていない。

 それなりに音がなる扉な上につい先程まで眷属化により普段よりも聴力が上がっていた筈で。

 玄関扉が開かれたのならいくらなんでも気付いた筈で。

 ……だとすれば。


「冬野!」


 トイレの鍵は掛かっていない。だとすればもう……それが答えだ。


「……冬野」


 誰もいない、窓の空いたその場所を見て、思わずその場に崩れ落ちた。

 タイミングを考える限り冬野には分かっていたのだろう。

 余裕を持って六時間。

 それが具体的にどの位か。

 分かっていたのだろう。

 どこかで把握していたのだろう。

 そして冬野は昔から……隼人の事を隼人以上に分かっていたから。

 冬野はどこかで察していたのだろう。

 この状況化で眷属化が解ければどうなるのかという事を。


 桜野隼人が動けなくなるという事を。


 冬野は隼人の選択に反対だった。

 そんな冬野が取れる中で、最も隼人に家族を殺させないで事を終わらせる事ができる選択がこれだったのだろう。

 多分どの程度のタイミングで眷属化が切れるか把握していた冬野はその直前で動いた。

 あのタイミングが悟られずに此処を出るには最善のタイミングだった。


「……」


 もう冬野がどこに行ってしまったのかも分からない。

 悟られない為の策なのか、スマホもリビングに置いたままで連絡の取りようもない。


 詰んだ。

 詰んだ。

 詰んだ。

 終わってしまった。


 戦えない。

 探せない。

 何もできない。

 こんな状況で一体どうすれば冬野を救える?


 ……その答えは思い付かなくて。答えなんてない気がして。

 やがて力無く立ち上がった隼人はリビングへと戻り、置かれた自身のスマホを手にした。

 そして着信履歴を遡り、液晶画面をタップする。

 表示された名前は、桜野雄吾。今まさに冬野を殺そうとしている兄の連絡先。


 例え説得は無理だと分かっていても。

 散々選択肢から外していても。

 それでも縋るようにスマホを握って通話が繋がるのを待っていた。

 そして暫くコールし続けた所で、ようやく反応があった。


『どうした? ……なんて白々しい事は言えないよな。お前が掛けてきた理由は分かるよ』


 気まずそうな口ぶりで、隼人が何かを言いだす前に雄吾は言う。


『止めるつもりはない。お前にも、あの子にも。悪い事をしているという気はあるけど……それでもだ』


「……なんで」


『……』


「……なんでだよ、兄貴。そう思ってるならなんで……なんでこうなるんだよぉ……ッ!」


『言ったろ? 我儘だよ。どこまでもどこまでも。俺が不甲斐ないから生まれた我儘だ』


 そして一拍空けてから雄吾は言う。


『一人でも例外を作ってしまえば、全てが例外かもしれないと思ってしまう。自分がそういう馬鹿だって知ってるんだ。これ以上俺の怠慢で大勢の犠牲者を出す事は許されない』


「……」

 

これ以上。

 即ち、あった。

 それより前が。


(兄貴にも……あったんだ。まともな吸血鬼と過ごした時間が)


 そして隼人と同じく理想を圧し折られる何かが。

 だからこそ殺意を向けている筈の冬野相手でも、あんな会話が成立した。

 そしてそれを聞いて、より鮮明に説得ができないという事実を突きつけられた気になる。


 桜野雄吾はそんな過去を乗り超えてそこにいる。

 だからきっと自分が知り得る中では唯一の理解者である筈で。

 そして理解者が理解した上で踏み越えて来たのなら。踏み越えさせるだけの何かが起きたのならば。

 起き続けてきたのならば。


 その絞り出た我儘は揺らぐ事はない。そう、理解しても。


「……止めてくれ」


『……』


「お願いだ……冬野を、殺さないでくれ」


 届く筈のない懇願は止まない。

 そしてその懇願にもう雄吾は何も言葉を返さなかった。

 返さないのがきっと答えだった。

 多分此処から先何を言っても平行線で。

 半ば確定してしまった未来を覆すには至らない。

 通話が繋がったまま、何も言えず、何も言われず無言の間が広がっていく。

 ……そんな中、静寂を打ち破ったのは雄吾の方だった。


『……隼人、もう切るぞ。俺にはこの三時間でやるべき事があるんだ』


 そんな突き放すような事を口にして。

 にも関わらず通話は中々切れなくて。やがてこちらから切ろうと思えるギリギリのタイミングになって、やがて掻き消えそうな小さな声が聞こえてくる。


『……なあ、隼人。まだ聞いてるよな?』


 自分で時間で切ると言っておきながら会話を続行し始める。


『……俺がこれを言うと支離滅裂な発言にしかならないのは分かってる。だけど聞いてくれ……絶対に悔いが残るような選択はするな』


 そう言われた瞬間だった。

 どこか体が軽くなったような。

 否、心が軽くなったような。

 そんな感覚がした。

 そして隼人は問いかける。


「何してんだよ……兄貴」


『お前なら分かるだろ』


「いや……分かるけど、そうじゃねえ」


 今電話越しにされた事。それは知識がない者や、隼人のように極端な精神状態になっている者でなければ自覚できなかったかもしれない。

 呪言。

 言葉に乗せる呪い。

 言霊。

 その一つ。


 相手の精神に干渉する呪術の一種ではあるが、極めたとしても現代一般的に使われている呪術の中では効力が薄く、実践で殆ど運用できない欠陥的な呪術。

 運用する機会があるとすれば、仲間を鼓舞する時位だろうか。

 されたのはそんな事。

 悔いの残る選択をするなと真相心理に届かされた。それは分かる。

 分からないのは何をされたかではない。


「兄貴は冬野を殺すつもりだ。つまり俺の……俺の敵だろぉ!? なのになんで……」


 分からないのは何故そんな敵に塩を送るような真似をしたかだ。

 そして雄吾は一拍空けてから言う。


『確かに俺はあの子を殺す。その意思は揺らがない。揺らがせるつもりはない。だけど……お前の気持ちは、分かるからさ。同じような立場を経験した者として。兄として……お前には悔いの少ない選択をしてほしいんだ』


「……」


『な、支離滅裂だろ? そこまでするんだったらもう止めろって思うだろ? だけど俺は俺でもう折れられないからさ……まあ、そういう事だ』


 そして雄吾は一呼吸空けてから言ってくる。


『多分お前の眷属化はもう既に解けている筈だ。そしてお前がこうして電話を掛けてくるという事は……あの子がどこかに移動しているって事は。お前、あの子にうまくしてやられたんだろう? そしてお前は多分動けないでいた筈だ……さあ、これで動けるな』


「……ああ」


 呪言に背中を押された。

 それは決して強い効力ではない。

 戦う事なんてまず不可能だ。

 だけどせめて……何か行動を起こす事位はできる気がした。


『ならもう動け。お前が今やりたいと思う事をやってみろ』


 そう言って。そう言ってくれて。雄吾の方から通話は切られた。

 そして。そこから動き出すまで少し時間は掛かったけれど。


「……もう、時間がないな」


 ようやく動き出す事ができた。

 その行動一つ一つが雄吾との戦いに。

 雄吾を殺害する事に繋がる事が分かっていても。

 激しい動悸で。震えた心身で。それでも、なんとか。


「冬野を、探さねえと」


 そして比較的リラックスする為に、隼人はソファーへ腰を沈め、瞼を閉じた。

 闇雲に探しても見付けられない。

 雄吾は冬野を見付け出す術を持っていたようだが、隼人にはそれがない。

 だったら……もう、作るしかない。


(……少なくとも俺はさっきまで冬野の眷属だったんだ。それが消えても少し位は……冬野に関する何かが俺の中に残っている筈だ。それを頼りに冬野の位置情報を割り出す)


 そういう呪術を即興で作りあげる。

 普通に考えれば到底無理難題な話だろう。

 それこそ人並み外れた天賦の才でもなければ到底なし得る事ができない事だ。

 だけど考えはじめて一分程で術式の骨組みは出来始めた。

 現存するいくつかの術式を部分的に組み合わせ、生まれる穴を補強し、足りない部分は一から理論を構築する。


 精神的な付加で思考回路が存分に働かない現状でも徐々に確かに。

 一歩一歩。

 やがて三十分程が経過した頃、その術式は完成した。

 体内に残る僅かな情報から、自身を眷属にしていた吸血鬼の位置情報を割り出す。実質的に対冬野雪専用の呪術が。

 そしてそれが完成すればやるべき事は一つだ。立ち止まっている理由など存在しない。


「待ってろ……冬野」


 隼人は自身と冬野のスマホを手にして家を飛び出した。

 位置情報は割れている。

 あとはそこに向かって走るだけだ。簡単な事だ。

 簡単な事……の筈だ。


「……」


 家を出てすぐに立ち止まった。

 だけど目の前になにか障害があった訳ではない。

 なにもない。

 本当に誰もいない人気のない夜道だ。

 あったとすれば自分の中。

 単純にこれから動こうとする自分を押さえ込もうとする恐怖や恐れや嫌悪や倫理観。それらが時折フラッシュバックを交えて隼人の足を止めてくる。

 一度止まれば酷く息苦しくなって、まともに動けなくなって。そこから逃げ出したくなって踞りそうになってくる。

 だけどそれでも……それでも。


「行くんだ……頑張れ、頑張れ俺……頑張れ……ッ!」


 必死に自身に言い聞かせて、少しずつ。少しずつ前へと進んでいく。

 それほど実際の距離は遠くない。


 だけど体感的に絶望的に遠く感じる道程を。

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