14 押し出される意思

 冬野を連れて部屋へと戻って来た隼人は、当初の予定通り上着を調達する事にした。

 クローゼットから適当なTシャツを取りだして袖を通す。

 それを終わらせてからキッチンへと向かい、コーヒーを入れて冬野の元へと向かった。


「ブラックで良かったよな?」


「……うん」


 力無い声で頷いた冬野の前に、来客用のマグカップを置く。

 そしてテーブルを挟んで隼人も座り、そして一口コーヒーを飲んでから話を切り出した。


「……とりあえず冬野、改めてまずは謝っとく。ごめん」


「……」


「結局お前に渡したリストバンドは通用しなかったし……お前を危険に晒してんのも俺の身内だからさ、その……ほんとにごめん」


「だから良いって謝らなくても。桜野君は謝らなくてもいい様な事で謝ってばかりだよ」


 そう言って冬野は小さく笑みを浮かべる。

 浮かべてそして、一拍空けてから言う。


「本当にさ、謝らなくたっていいんだよ。私の為に頑張ってくれてるのに謝れとか、無茶苦茶だよそんな事言い始めたら」


「だけどさぁッ!」


「……」


「……だけどさぁ……ッ」


 冬野の日常の崩壊を止められなかった。

 その命すらもいつ失われるか分からなくなった。

 それだけでもどうしようもないのに、このままでは後六時間で全てが終わってしまう。


 何もできてない。

 何も変えられていない。

 繋ぎ止められていない。

 ただただ転がり落ちていくのを見ている事しかできない。

 自分は……山程の物を貰っているというのに。


 そんなのもう謝るなという方が難しい。

 悪いとか悪くないとか、そんな話ではないのだ。


 だけど謝った所で事態が好転する訳ではなくて。

 無駄に時間を費やすだけで、何も変えられないまま時間が無くなっていくだけで。

 この有限な時間で探しださなければならない。

 冬野を生き残らせる為の方法を。

 これ以上酷い所に転がり落ちないようにする方法を。


「……冬野。俺、お前の事、絶対助けるから。絶対……なんとか……ッ」


 だけど考えても、考えても、考えても、考えても。思いつく方法は一つしかない。


 桜野雄吾と戦うという選択肢。桜野雄吾を殺すという選択肢。


 正当性は雄吾にあって。

 助けも呼べなくて説得もできない。

 そして今こうして野放しにされているという事は、簡単に冬野を見付けだす術が雄吾にあるという事で、つまりは逃げる事も不可。

 だとすれば……もう、それしか可能性がないようにしか思えない。

 だがそんな選択肢を取れる勇気は沸かない。

 冬野に掛けられる言葉は何も見つからない。

 そして必死になって思考を回していた時、冬野は静かに言った。


「……もういいよ、桜野君」


「……え?」


「……もう、いいんだ」


 冬野の表情も。

 声音からも。

 どこか諦めたような。

 どこまでも諦めたような。

 そんな感情が伝わってくる。

 伝わってきてしまう。

 そんな感情を抱かせてしまっている。


「良い訳……ねえだろ」


「……良くないよ」


 冬野はそう言った上で、一拍空けてから言う。


「多分可能性があるとしたら、桜野君がお兄さんを倒す。もうそれ位しかないんだと思う。だけどそんな事をしたら桜野君が死ぬかもしれないし……それに、もう、倒すなんて言葉で濁せるような話じゃないだろうから。家族を殺すなんて事は、絶対駄目だって思うから」


 きっと同じ事を考えていた冬野はそう言って、そして力のない笑みを浮かべて言う。


「だから……もういい」


「……」


 言われながら、テーブルの下で拳を握り絞めた。

 紛いなりにも冬野にはそんな一つの可能性が浮かんでいた。

 浮かんでいたのに放棄した。

 自分の都合で立ち止っているのではなく、何処までも他人本位で。

 自分の事より隼人の事を考えてしまっている。


(駄目だ……駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!)


 終われない。

 終わらせちゃいけない。


「諦めんな冬野……探すから。絶対、俺が……」


 だけどどこかで、自分のやっている事が悪足掻きでしかないのは分かって。

 実際、そこから二時間近く考え続けたけれど、それ以外の選択肢は思いつかなかった。

 それだけ今の状況は詰んでしまっている。

 だからそこから更に三十分程経過した時点で……もう、諦めるしかなくなっていた。


 雄吾と戦うか、全てを諦めるか。

 二者択一。

 それ以外の選択肢を選ぶ事を諦めた。


(俺は……どうしたら)


 思考がぐるぐると回る。

 その二つしか選択肢が無くなってしまってから、ノイローゼのようにぐるぐると。


(兄貴を殺さないと冬野が殺される。兄貴を殺さないと冬野が殺される兄貴を殺さな――)


 そして、そんな事が頭から離れなくなった所で……そんな風に二者択一のシンプルな思考になった所で……唐突に背中を押された。


(……ああ、そうだ。俺にとって何が大切なのかなんてのは深く考えなくても分かるだろ)


 とても思考が前向きになった。

 その選択を取るのが辛いという思いは強い。

 何処までも心に根を張る様に拒絶する自分もそこにはいる。

 だけど決めた。

 今からどうするのか。

 これからどうするのか。


「……冬野」


「……何かな?」


 この二時間。

 殆ど会話も無い通夜のような空気だった。

 だけどそれももう終わりだ。

 腹は決まった覚悟は決まった。

 後はそれを告げるだけ。


「……時間が来たら、兄貴と戦うよ」


 自身の兄を殺すという選択肢。

 それが選ばれた覚悟だ。


「……え?」


 そんな言葉が飛んで来るとは思っていなかったという風に、一瞬冬野は呆けた様な表情を浮かべる。

 だけど徐々に事の深刻さを理解していくようにテーブルを叩いて立ち上がる。


「だ、駄目だよ桜野君!」


 そして震えた声で言う。


「それは……それだけは、駄目」


 だけどそんな冬野に隼人は一切動じる事なく、椅子に座ったまま冬野に言う。


「……大丈夫。もう……大丈夫だからさ」


 一体何が大丈夫なのかという表情を浮かべている冬野に、隼人は言葉を続ける。


「ちょっと作戦会議をしよう」


「作戦会議って……」


「兄貴は余裕を持って六時間って話をしていた。兄貴の性格上それを無碍にするとは考えにくい。だから何もしなくてもそこまでは大丈夫だ」


 桜野雄吾という善人はああいう所で嘘は吐かない。

 それはよく知っている。


「だけどその時には既に俺の眷属化は切れてる。滅血師としての力で俺の方が完全に劣っている以上、素の俺じゃ勝ち目はない。だから……眷属化が消えたら、お前にとっては不快でしかないと思うけど、もう一度俺の血を吸ってくれ。もう一度俺を眷属に戻すんだ」


 雄吾の使った呪術は解呪の類だ。

 そこにある縛りを解く、そういうもの。

 眷属化が消えてしまえばそれまでで、そこから先もう一度眷属化する分にはなんの問題もない。


「……駄目だよ」


 だけど冬野はそう言った。


「そんなの……もう、桜野君の意思じゃないよ」


 それ以前の問題を指摘するように。


「……俺の意思だよ」


 冬野はこう言いたいのだろう。

 隼人が選んだ選択が、眷属化の効力によって導き出されたようなものだと。

 だから桜野隼人の意思ではないのだと。

 だけど自身の自我は此処にある。

 あくまで背中を押されただけ。

 あくまでも自身の中にその可能性を取る気があったからこそ決断が出来た。

 それは変わらない。


 故にこれは桜野隼人の意思だ。


「……考えなおしてよ」


「駄目だよ冬野。もうそれしかないんだから」


 最もそれでようやく可能性が見えてくるというだけなのだが。


(……そうと決まればやる事は一つか)


 現状滅血師としての実力に眷属化の力が加わっても、それでも雄吾の方が格上だ。

 ジャイアントキリングが可能かもしれない領域にようやく立てているだけに過ぎない。

 ならば構築しなければならない。

 桜野雄吾に勝つための策を。


「……」


 隼人の表情がどこか前向きになった裏で、冬野は俯いて黙りこむだけだった。

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