13 猶予
「しかしこれ、どこをどう片付けりゃいいんだろうな」
「敷金戻ってくると思う?」
「いや、無理だろ……言っちゃ悪いけど完全に事故物件だぜこれ」
綾香達が去った後、隼人と冬野が始めたのは男の襲撃で荒れた部屋の片付けだった。
狐の面の男の襲撃前は血塗れの部屋で大人しくしていた二人も、玄関扉が破壊され窓ガラスも割れてしまっていると来れば、流石に何もしない訳にはいかない。
「だけどまあ、こういう時は大体滅血師がどうにかしてくれる。多分大家さんとかの仲介人も寄越してくれるんじゃねえかって思うよ。お前の場合、完全に被害者なんだからさ」
……とはいえ、あまり滅血師と関わらせない方が良いとは思ったが。
「……で、これある程度は片付けするとしてさ。その後どうする?」
「どうするっていうと?」
「ドアぶっ壊れて窓ガラスも割れてて血塗れで。此処でこのまま一夜過ごすのかって話」
「あーうん。確かに、そうだね……」
冬野も納得した様に頷いた。今この場所ははっきり言ってまともな人間の生活空間ではなくなっていた。
最も二人とも厳密に言わなくてもまともな人間では無い訳だが。
「でもだからと言ってどこか行くところなんて……あ」
考える素振りを見せた冬野は、何か思い付いた様にそんな声を出し隼人に視線を向ける。
「桜野君の家……とか? ごめん、無理だったら全然いいんだけど」
「あ、いや、いいよ。全然良い。どうぞどうぞ」
「じゃあ決まりだね」
そう言って冬野は割れた窓ガラスを集める為に持っていた箒を部屋の端に置いて言う。
「だったらもう掃除は明日でいいかな。えーっと、その……なんかもう疲れちゃった」
「……いいんじゃねえの? 明日俺も手伝うよ」
「ありがと。じゃあ明日そこのドアを綺麗に直すのお願いね」
「いやそれはハードルが高すぎねえ? 業者かよ俺は」
そんなやり取りを交わした後、冬野は着替えなどの軽い荷物だけをリュックに詰め、その後血塗れの衣服をどうにかする為に一度シャワーを浴びて着替えをした。
その間隼人は一応掃除を継続。
正直素人の手でどうにかなるようには思えなかった。
と、そんな明日への軽い絶望を感じながら、シャワーを浴びて着替えてきた冬野と共にアパートを出た。
「それにしても桜野君の部屋、どんなのかな」
「どんなのって……普通の部屋だよ。マジ普通の部屋」
言いながら少し安堵する。
日頃から突然綾香が来る様な状態だったため、ちゃんと片付いているし隠す物もしっかりと隠してある。
冬野が発掘大作戦とか始めなければ大丈夫だ。
「……もしかして、アレな本とか隠れてたりする?」
「……な、ないです」
「大丈夫だよ、探さないから」
完全にバレていた。
これまで自分の内面を曝け出す様な事を盛大にやらかしてきたにも関わらず、それでも酷く恥ずかしい。
晒すにしてもカテゴリが違いすぎる。
と、そんな風に顔を赤くしていた時だった……正面に人影が見えたのは。
「……ッ」
夜道で正面から誰かが歩いてくる。
それは数時間前に新たに植え付けられたトラウマを連想させて来るようで、流石に身構えざるを得ない。
だけど狐の面の時と違い、向こうの正体を知って抱いた感情は恐怖ではなかった。
「……兄貴だ」
少し驚いた。ただそれだけ。当然だ。別に畏怖の対象でもないのだから。
(……こっちに来てるとは聞いたけど、まさか偶然ばったり会うとはな)
綾香の話によると雄吾も狐の面の男を探している様で、今もその最中なのかもしれない。
そう思っていたが……だけど、それがどこか違うという事を自然と理解できた。
近づくにつれ、こちらに威圧感の様な物が向けられている事に気付いたからだ。
(……なんだろう、嫌な予感がする)
雄吾に威圧感を向けられる理由なんて思いつかないとは思ったけれど、だけど少し考えればそれは当たり前の様に自身の隣りに存在している。
雄吾は冬野が吸血鬼だと知っている筈がないのだけれど、この状況は滅血師に威圧感を向けられるだけの理由に溢れていた。
そしてその威圧感に思わずこちらが立ち止っても雄吾は止まらなくて。声も掛けられないでいた所に、雄吾がこちらを見て言う。
「久しぶりだな、隼人」
表面上だけは笑顔を浮かべて。
「ああ、久しぶり、兄貴」
とりあえずできる限り普通に返事を返しながら、雄吾の様子を伺う事にする。
そして神経を研ぎ澄ませた。
何もないとは思うが。
何も起こる筈がないのだが、もし万が一の場合即座に対応出来る様に。
冬野を守る事が出来る様に。
そんな心構えをしなければならない程に雄吾は様子がおかしかった。
そして雄吾は隼人達の前に立ち止って言う。
「何も驚いてない所見る限り、俺がこっち来てるって話は聞いてたか?」
「ああ。さっき綾ねえから聞いた。援軍みたいな感じだろ?」
「まあそんな所だな。それで……それはさっき終わらせた」
「終わらせた?」
「致命傷一歩手前まで追い込まれていたのを偶然な。後は簡単だったよ」
「……そっか」
それを聞いて少し安心した。
取り逃がした。
そして呪術の効果で再生能力は非常に緩やかになっているとはいえ、いずれは再生してしまう。
それは再び脅威が復活するという訳で、雄吾が終わらせてくれたのならばそれに越した事はないから。
だが安心ばかりしていられない。
あの吸血鬼と遭遇したという事は、致命傷を負わせた誰かがいるという事を知っている筈で。
そしておそらく綾香から伝わっている筈で。
「綾香から聞いた。あの致命傷、やったのお前なんだろ?」
そして複雑な表情でそう問いかけられる位には、致命傷を負わせた人物は雄吾にとって違和感しかない人物であろう事は予想できた。
そしてそうした違和感を持たれてしまえば、もしかすると知られてはならない事の真相に辿りつきかけているのではないかと思った。
そもそもがあの男を探していたとはいえ、この状況下でばったり道端で出会うという事自体が偶然にしては可能性が薄いのだから。
ましてや威圧感を纏ってだ。
何かしらの目的を持って接触してきたと考えるのが自然。
「……まあ、なんとかな。死に物狂いでやったらやれた」
それでもとにかく穏便に事を進めようと、隼人はそう答えた。
そしてそんな本当の要因を隠す為の雑なブラフを告げられた雄吾は言う。
「死に物狂い……か。まあ確かにそうなんだろうな。それは間違いないか」
言いながら、複雑な視線が向けられたのは冬野だった。
その視線に。
意図は分からないが意味は確実にあるであろうその視線に、思わず血の気が引いた……明らかに意識を向けている。
弟の友人に会った様なそんな反応は取らずに……本当に一言も声を掛けずに隼人へと視線を戻した。
その反応が、より隼人に焦りの様な物を覚えさせる。
(……焦るな。何を心配してんだ俺は。大丈夫だ)
心を落ち着かせる為に、心中でそう言い聞かせた。
確かに今は危険な状況。
冬野が新たに怪我でも負えば一発で吸血鬼だという事が露見する。
自分が怪我を負えば眷属化されている事が露見して冬野を危険に晒す。
だけど何事も無ければ。
何事さえなければ、冬野が着けているリストバンドがどうにかしてくれる。
ただ偶然再会して偶然巻き込まれた元クラスメイトの女の子で済ませられる筈なのだ。
(だから……焦るな)
今もっとも危険なのは下手な行動を起こして自ら墓穴を掘る事にある。
それさえしなければ……少なくとも現時点で隼人が戦うに至るまでの何かが起きていると悟られても、決定打にはならないのだから。
今が本当に危険な状況なのだとしてもやり過ごせるから。
「……隼人」
再び掛けたれた声に対し、何を言われてもうまくやれるように気持ちの整理を行う。
そしてどこか重い表情で、雄吾は口を開いた。
「融通の利かない兄ですまない」
次の瞬間、夜道を照らす様に雄吾の右手に光が灯った。
間違いなくそれは……呪術だ。
「冬野ォッ!」
咄嗟に呪術を発動させ身体を跳ね上げ、雄吾が動きだすとほぼ同時に冬野との間に割って入り、放たれた呪術を纏った拳を吐血しながら手の平で受け止めた。
そして腕がもげるのではないかと思う程の激しい衝撃。
それを冬野に向けて確かに放った雄吾に対して叫ぶ。
「……ッ、何やってんだ兄貴!」
「腑に落ちたよ……やっぱり眷属化してるのか、お前」
「……ッ」
眷属が呪術を行使した事による吐血。
見られてはいけなかった現象。
これでは桜野隼人が眷属化しているという事実から、冬野が吸血鬼だと怪しまれる可能性が出てしまう。
(何か……とにかく、俺と冬野が無関係だって思わせるんだ)
必死に脳をフル回転させて言葉を絞り出す。
「今それ関係ねえだろ! なんで冬野に殴りかかった! 何で一般人に呪術使ってんだ!」
自分が眷属化している一件と冬野には何の関係もない。
とにかく冬野雪という一般人が突然呪術で殺されかけたという風に話を持っていく。
そのつもりだった。
だが言いながら辿りつく。
腑に落ちた。どこかでその可能性を考慮していた。
だが雄吾が確信を持てたのは実際に隼人が吐血してからの事だった。
つまりは隼人が眷属化していようがしていまいが、雄吾は冬野を殺そうとしたのだ。
それがどういう事を意味するのか。
「確かにそうだな。関係ないかもしれない。眷属化した人間は主の為に動く。結果的にお前の隣りの女の子を守る事が主の意思ならば、お前がちゃんと動けてる事にも説明が付く。付くんだがな……」
雄吾は酷く重苦しい表情で告げる。
「例えそうだとしても、お前の隣りの女の子が吸血鬼であるという事実は変わらないんだ」
「「……ッ」」
隼人も。そして冬野も声にならない声を上げた。
(……なんだ。何がいけなかった)
少なくとも雄吾に出会ってからそれが露見する様な何かは起きなかった筈だ。
リストバンドの効果も確実に作用している。
隼人の見鬼ですら冬野が吸血鬼であると識別できない。
そして困惑する二人に雄吾は告げた。
「隼人。お前は間違いなく俺を超える天才だよ。一緒に頑張ってきて分かった。俺の才能は基本的にはお前の下位互換みたいなものだ。だけど……どうやら見鬼は別らしい」
「……ッ」
「お前が何か細工をしているのは分かる。分かるが……それでも俺にはその子が吸血鬼であるという事が分かってしまう。だから……悪いな」
次の瞬間、動揺する隼人の隙を付く様に、雄吾は隼人の手を振り払って懐に潜りこみ掌底を撃ち放ち、隼人の体を弾き飛ばす。
「……ッ!?」
「桜野君!」
全身の力を根こそぎ持っていかれるのではないかと思う程の一撃。同時に何かしらの呪術が自身の体に付与されたのが分かった。
それでも、されるがままでいる訳にはいかない。
弾き飛ばされながらも右手でアスファルトに着地し、跳ね上がると同時に呪術を発動。
左手の周囲に光の球体を出現させ、超高速で雄吾に向けて射出それで冬野に視線を向ける雄吾の動きを止めると同時に、後方に結界を展開。
体を捻り結界に着地し、呪術と眷属化による身体能力の強化を最大限に活かして冬野と雄吾の元へと跳んだ。
(間に合え……ッ)
先の攻撃は足止めに過ぎない。
ただ雄吾が冬野を殺すまでの時間が伸びるだけだ。
だとすれば、雄吾が冬野に何かをする前に冬野へと到達しなければならない。
「こっちに飛べ、冬野ぉッ!」
「……ッ!」
この状況に立ち尽くしていた冬野だが、半ば反射的に隼人に向けて跳んだ。
そして冬野を抱きかかえ、一瞬で目の前に接近して拳を放ってきた雄吾を飛び越える形で攻撃を躱す。
そして冬野を抱え宙を舞いながら、思考回路をフル回転させた。
(……くそ、どうする)
今の一瞬の攻防だけで理解できた。
間違いなく雄吾は今の自分よりも強い。
こちらは呪術と眷属化の重ね掛けで強化しているにも関わらず、雄吾の呪術はほぼ同等の出力を叩きだしている。
加えてこちらは長期感の戦闘はできないが故に手数で劣る。
唯一のアドバンテージである再生能力は、そもそも滅血師との戦闘では役に立たない。
更にこちらは冬野を守りながら戦わなければならなくて。正直雄吾を退けた所でその先どうすればいいのかも分からないのに、この場をどうすれば乗り切れるのかも分からない。
(……なんとか説得するか? でも通じるかそんなの)
アスファルトに着地しながらそう考えるが、多分それも難しいという事は理解できた。
桜野雄吾が隼人と友人関係である冬野を、よりにもよって隼人の目の前で討伐しようとしている時点で、まともに説得できるとは思えない。
きっと雄吾なりに葛藤した上で出て来たのが、直前に出て来た謝罪だった。
だとすればそうした説得が飛んで来る事を前提で、それでも冬野を討伐する事を。隼人と対峙する覚悟を決めてきている。
だけどそれでもこのままではジリ貧で。
もはやそれに縋るしかない。
「冬野、下がってろ」
そう言いながら冬野を下ろして、そしてその後激しく吐血する。
「桜野君! 止めて! これ以上呪術を使ったら体が持たないよ!」
「大丈夫だから! 下がってろって!」
心配して離れようとしない冬野に対してそう言って、いつでも呪術を打てるように構えながら雄吾に向けて叫ぶ。
「聞いてくれ兄貴!」
「……あまり無理して喋るな。今の状態、そうやって叫ぶだけでキツいんじゃないのか?」
「分かってんならこんな事やらせんなよ! 兄貴さえ止まってくれりゃこんな無茶しなくても良いんだよ俺だってよぉッ!」
「……」
「いいか兄貴……冬野はまともだぞ。普通の人間よりも……少なくても俺なんかよりよっぽど……よっぽどまともなんだよ!」
分かってる。
吸血鬼である時点で本来はどう足掻いても討伐対象になる事位は。
それでも……本当にそこらの普通の人間よりも、遥かに冬野雪という女の子は人間が出来ている。
「コイツは今日偶然再会するまでマジで一滴たりとも人間の血なんか吸ってなかったんだ! 見鬼の力で見たから間違いねえ! 今兄貴には血を吸った後みたいに見えてるかもしれねえけど……それだって、俺が狐の面の吸血鬼に殺されかけたのを助ける為で! それに四年前のあの時だって……冬野が自分の血で治療してくれなきゃ死んでたんだぞ。吸血鬼としてはメリットなんて何もないのに、二度も俺なんかを助けてくれてんだぞ!」
……だから、これが一般論では話にならない我儘だとしても。
常識的に考えて頭のおかしい判断なのだとしても。
「だから冬野は……間違っても滅血師に殺されていい様な奴じゃねえ!」
冬野雪だけは殺させる訳にはいかない。だからこそ血反吐を吐いてこの場に立っている。
そして雄吾は、一拍空けてから言う。
「まあ多分……そうなんだろうな。眷属化した人間は基本お前の様にまともに意識を保たない。お前がその子を吸血鬼と知った上で、まだ意識を保ってこうして戦っている時点で……お前にとっては本当にそういう相手なんだって。嘘は言ってなくて。その子が本当にまともな子なんだろうなというのは……まあ、分かるんだよ俺だって」
「なら!」
「……隼人。それに……冬野さん、って呼べばいいかな」
言いながら雄吾は拳を構えた。構えてしまって、本当に申し訳なさそうな表情で告げる。
「二人とも、何も悪くなんてない。突きつけられているのは本当にただの理不尽だ。だから……弁解の余地なく、俺がこれから行うのは、どうしようもない俺の我儘だよ」
そして雄吾は動きだした。そうなってしまえばもうどうしようもない。
そこまではっきりと理解した上で。それも決して間違った行動ではない筈の己の行動を我儘と言い切ってまで動いている時点で、どうやっても止まり様がない。
「くっそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
だとすればもう戦うしかない。
どんな手を使ってでも無理矢理にでも止めるしかない。
「グハ……ッ!」
だがそもそもどんな手も使えない。
動こうとした矢先に大量に吐血しその場に膝を付く
吸血鬼の眷属が呪術を使用した場合の活動限界。
それがこの最悪なタイミングで訪れた。
「……」
だけど俯いて吐血する中、自身に攻撃による激痛も。
自身を通り越して冬野に攻撃が届いた様子もない。
そんな中視線を雄吾の方に向けると……複雑な、だけど確かに心配する様な表情を浮かべて、立ち止ってしまっていた。
……今の吐血は間違いなくこれまでで最大最悪の物だった。
流石に目の前で実の弟がそういった事になれば、こんな状況でも雄吾は止まってくれるようだ。
一時的にだろうけど。
(……でも、とにかくまだ、終わってない)
どんな形であれ。
雄吾の良心のおかげで結果的に冬野はまだ生きている。
まだ殺されていない。
だとすればまだ戦える。
冬野を守る為に戦える。
(まだ立てるだろ……戦うんだよ冬野の為に)
そう自身を鼓舞する様に心中で呟き立ち上がろうとしたその時だった。
「……もう止めて、桜野君」
冬野が隼人の肩に手を置いて、そして隼人と雄吾の間にゆっくりと割って入ってくる。
「お、おい、何するつもりだ冬野!」
「何もしないし何もできない。ほら私喧嘩とかもした事ないし……それに吸血鬼としての力だっていいとこ中の下位だから。こんな百年に一人の滅血師だとか千万年に一人の滅血師とか。そんな雑にインフレしまくってる漫画みたいな状況に放りこまれたって何もできないって。うん、ごめんだけどそれはほんと無理」
そう言って冬野は、軽く深呼吸して……同じくこうして前に出て来た事に少し動揺している様子の雄吾に向けて少し震えた声で言う。
「桜野君のお兄さん……一つだけお願いがあるんです」
「……なんだい」
「……少しだけ、私を殺すのを待ってくれませんか?」
「……殺さないで、じゃないのか」
「そう言って殺さないでいてくれたら……もう桜野君が色々と言ってくれた段階で、止めてくれてますよね」
「……そうだね」
そう頷いた雄吾は冬野に問いかける。
「……一応聞くけど、少し待たれたとして、キミはその僅かな時間で何をするつもりなんだ」
「何もしませんよ。多分殺されるのを震えて待つ位しかできないと思うから」
だけど、と冬野は震えたながらも、それでも強い意志の籠った声音で言う。
「少し間てば……三日も待てば。桜野君の眷属化は解けます」
「……ッ!?」
突然自分の事が出てきて驚く隼人をよそに、冬野は尚も雄吾に向けて言葉を紡ぐ。
「確かにお兄さんは強いです。だけど桜野君も凄い人だから……多分、今お兄さんが私に攻撃したとしてもなんとかしてくれると思います。呪術を使って、身を削って助けてくれると思います。仮にもしそんな自殺紛いな事を止めてくれても……結局眷属化していたら無理矢理にでも戦わせちゃうから。本当に桜野君は死ぬまで戦っちゃいます……だから」
そして冬野は、深々と頭を下げて言った。
「だから、眷属化が解けるまでで良いんです。待ってください。私は……吸血鬼の私なんかの為に戦ってくれる大切な友達を、死なせたくなんてないんです!」
「……」
「お願いします……お願いします!」
そう言って冬野がしたのは……土下座だった。
「……ッ!」
自分の事でも頭が一杯の筈なのに。
声だって手足だって震えているのに。
ただ桜野隼人という人間が死ななくても済むように。
ただそれだけの為に冬野がそこまでやっている。
……そんな事をさせてしまっている。
そんな事をしてくれている。
だとすれば尚の事。
「……殺させねえ」
尚の事、死なせる訳にはいかない。
「殺させねえぞ!」
言いながらゆっくりと立ち上がった。
鼻血も止めどなく溢れ、目からも出血している。
そんな満身創痍な体で。
それでも呪術を使って。
立ち上がって構えを取ろうとする。
だけどそうやって必死に立ち上がった隼人の前で、真っ先に動いたのは冬野だった。
「桜野君!」
吸血鬼の身体能力を使って勢いよく跳びかかってきて、力ずくで押し倒してくる。
強い力……といってもその気になれば簡単に振り払えそうな。それこそ中の下程度の力で必死になって隼人を抑え込んで、そして叫ぶ。
「もうほんとに……駄目だって。桜野君……死んじゃう。死んじゃうから」
震えた声でそう言う冬野は……瞳に涙を浮かべていた。
だけど……だからこそ。
だからこそ立ち上がらなければならない。
立ち上がりたいって、そう思う。
そう思う気持ちを……眷属化の力が強く背を押してくれる。
冬野の拘束を冬野が傷付かない様に解いて、そして雄吾と戦わなければならない。
「どいてくれ、冬野」
「どかない。絶対にどかない。いいから早く呪術を解いて」
そしてそんなやり取りをただ傍観していた雄吾は、やがて静かに冬野に言う。
「六時間だ」
そう言う雄吾に冬野は視線を向ける。
「六時間?」
「ああ。さっき隼人に眷属化した人間を治療する呪術を付与させた。余裕を見て六時間もあれば十分だ。それだけあれば隼人は人間に戻れる。だから……六時間は待つよ」
そしてそれを聞いた冬野はどこか安心する様に表情を和らげて、そして言う。
「ありがとうございます」
そしてそんな冬野をしばらく見て……雄吾は複雑な表情で言った。
「……すまない」
そう言って雄吾はその場から立ち去った。
「……」
待てと、止める様な真似はしなかった。
少なくとも一時的にとはいえ立ち去ってくれるのは、冬野を守るという点においてはメリットしかなかったから。
今雄吾が引いてくれたのならば、体制を立て直せる。
立て直してどうこうできる問題なのかは分からないけれど、それでもまだ可能性が生まれる。
だからそれを潰えさせてしまわぬように、ひとまず呪術を解いた。
これで自らの体を傷付け続ける行為は止まり、呪術により受けた傷な為治りは遅いのだけれども、それでも緩やかな回復が望める。
もう一度戦える体へと戻る事が出来る。
そしてどこか隼人の様子が落ち着いたのを感じ取ったのか、それとも雄吾がいなくなったからかは分から無かったが、冬野は静かに隼人の拘束を解いて立ち上がった。
立ち上がってから、それからどうするべきか分からないという風に立ち尽くしていた。
「……冬野」
声を掛けながら隼人はゆっくりと立ち上がり、思わず勢いで冬野の手を取って言った。
「色々言いたい事はあるかもしれないけどさ……とりあえずウチに来いよ。まだ六時間ある。二人でどうすればうまくいくのか考えるんだ」
「……うん」
そんな隼人の言葉に冬野は小さく頷いた。
とても……とても、複雑な表情で。
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