6 強襲

 冬野の家にスマホを忘れた事に気付いたのは家を出てから一分も立たないタイミングだ。


「……気ぃ抜けてんなぁ」


 だけど取りに帰る事によりも今日もう一度冬野に会えるなら別にいいかとも考えた。

 ……依存しそうというか、この短期間で依存してしまっているのではないだろうか?

 そんな事を考えながら、踵を返そうとしたその時だった。

 ……人気がまるでない夜道の中、こちらに向かって歩いてくる人影が見えたのは。


(……この辺りに住んでる人かな)


 そう思ったのは、ほんの数秒だけ。


「……ッ!」


 戦慄した。

 吸血鬼がいた。

 まだ距離が離れていて見鬼の力は反応しない。

 だけどそれでも吸血鬼である事が確定する様な、そんな存在が目の前にいた。


「狐の面……ッ」


 そして目が会った気がした瞬間が、一方的な開戦の瞬間だった。

 全身が震えてまともに体は動かないのに、それでも容赦なく最悪は迫る。


 とにかく呪術で身体能力を強化した。

 そこまでは条件反射で。

 殴られるときに反射的に身を守る為に腕で顔を守る様に、なんとかうまくいった。


 だがうまくいくのはそこまでで、そこから震えた体でどう動けというのか。

 少なくとも攻勢に打って出るなんて真似は出来なくて、逃げろと脳が全身に信号を送っていた。

 だけど明らかに次元の違う速度で接近してくる吸血鬼に対し、背を向けて全力で逃げた所でどうにもならない。

 どうにか、どうにか。手を打つ必要があって。

 だから震えた足で強くバックステップで後方に跳びながら、正面に辛うじて呪術を発動させた。


 発生するのは霧。

 吸血鬼を惑わす幻術。

 超高難易度の呪術で発動にも時間が掛かる、一対一で吸血鬼と対峙する場合にはあまり推奨されない呪術。


 だけどそれを桜野隼人というかつて千年に一人の天才と呼ばれていた少年は的確に扱う事ができる。

 この速度の吸血鬼相手に、接近までの一瞬の時間で術式を構築し発動させる事ができる。


 フラッシュバックによる恐怖心など何もない、フラットな状態であれば。


 術式が発動したのは、男の拳により経験した事もない程の衝撃を腹部に受けたと同時。

 声は出なかった。

 ただ意識が飛びそうな激痛を腹部中心に全身に纏って、河原で石を使って水切りをするように体がアスファルトの上で何度も跳ねて地面を転がる。

 とにかく、どうして体がバラバラにならないのか不思議な程の衝撃。


「……ぁ」


 そして呻き声が出たのは体が止まってからの事だった。

 視界が掠れる。

 意識が朦朧とする。

 アスファルトが血の海になっていくのが分かった。


 奇跡的に五体満足。だけどきっと全身の臓器はその一撃でズタズタになっていて。

 同じ致命傷でも四年前に冬野に救って貰った時の様な怪我の非ではない。

 どうして今生きているのかが分からない程の重症。


 視界が掠れていく。

 そんな中で意識が掻き消える前に最後に見た光景は。


 青ざめた表情で、隼人のスマホを持って駆け寄ってくる冬野の姿だった。

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