15 そして道を踏み外す
結論だけを言えばその日、隼人は超人員不足の仕事から離脱する事となった。
元よりギリギリまで投入されなかった特異な駒であった隼人が、辛うじて入院は回避できたものの、まともに戦えない程の大怪我を負って戻って来たとなれば流石にそうなる。
大人達にはよく生きていてくれたと泣かれた後、無茶苦茶な事を押し付け続けた事について頭を下げられた。
どうやら此処最近の事に関しては本当に負い目を感じていたらしい。
そして予定通り、翌日には他県からの応援部隊が駆け付けた。これによりまだ戦える状態であった綾香も一、二日は休みを取れるそうで、未だ目を覚まさない雄吾の見舞いに行くと言っていた。
とはいえ腕の治療の為に対策局の医務室に足を運んでいた隼人が病室を覗くと、雄吾のベットにもたれ掛かるようにして泥のように眠っていた事から、多分見舞いではなくて過労で入院した方が良いのではないかと思う。
滅血師へ向けられていたヘイトもある程度解消傾向に向かっている。
件の吸血鬼は死に至った。
ひとまずはそれを討伐完了という情報としてマスコミにリークさせた。元より件の吸血鬼に襲われる滅血師の巻き添えを皆恐れていたのだ。
問題の大元がいなくなればヘイトを向ける理由は無くなる。
件の吸血鬼よりもより厄介な吸血鬼があらわれた事は伏せられたけれど。
ただ今まで仮面の吸血鬼が出現した際は、一度の出現で滅血師が何人も殺されてきた訳だが、今回他県から応援に駆け付けた部隊に仮面の吸血鬼の手は及んでいない。
当然それでも警戒は必要だが、これで一先ず一連の事件は一応の終息を見せる事になる。
同族殺しの理由などは何も分からないけれど。
そして隼人は件の一件から二日経過した今日。
とりあえずしばらく休んでいた学校に行くことにした。
一応事件も解決という事になっているだけあって皆に顔を見せやすい。
色々あったからとても気まずいけれど。
だが登校中はひとまず、その先のややこしく億劫な事は忘れる事にした。
「……なるほど。こっちの方面最低限度にしか触れてなかったけど、改めて頭に入れると別形式の術式の応用にも使えるな。多分あの理論に組み込めば……いや、待てよ。そうなってくると……なんか全く新しい形式の術式誕生しそうじゃねこれ」
登校中、人気の無い通学路をとある教本を読みながら歩いていた隼人はそう呟いた。
読んでいるのは呪術の教本だ。
怪我で肉体的な訓練ができない以上、今滅血師としてのスキルアップの為にやるべき事は座学で、今まで最低限度しか触れてこなかった分野にもこれを機に手を伸ばしてみた訳だが……難しい教本を登校の片手間で理解するだけではなく、全く新しい呪術の形式を作り上げそうになっている。
完全に天才の所業である。
そんな滅血師界に意図せず大きすぎる貢献を齎しかけている隼人に、声が掛けられた。
「あ、桜野君だ、おはよ」
「おはよ、冬野。奇遇だな」
正面の曲がり角から出てきて挨拶して来た冬野にそう返す。
実を言うとあの日綾香が隼人の落としたスマホを拾っていたらしく、普通に無事対策局まで辿りつけた事をラインで伝えられた。
だからここでの再開は普段通りの感じで。
自分が大切にしていきたいと思える日常が戻ってきたような、そんな気がした。
「そだね。良い感じにタイミングあったね……で、えーっと何読んでるの?」
「呪術の教本」
「どれどれ……うっわ、意味わからない事が羅列してある。見てるだけで頭痛くなるよぉ」
「いや、そんな難しくはないぞ? パッと見無茶苦茶難しそうな事書いてある風なだけで」
「多分そんな事当たり前のように言えるの桜野君だけだって……というかこんなの覚えられるなら絶対中学校の勉強位楽勝だと思うんだけど。ぜーったい英語の小テストで10点とか取ってるのおかしいよね」
「いやお前、英単語ってさ、アルファベットの羅列じゃん」
「うわーどうしてこうなるかなー。そのレベルの躓き方はヤバイよ桜野君……」
そう言ってため息を付いた冬野だが、直後に気合いを入れるようにガッツポーズ。
「これは夏休み、とっても骨が折れそうだね」
「もう折れてるからな左腕。言ってなかったけど粉砕骨折だってよこれ」
「いや、そういうお話ではなく……ってうわっ、粉砕骨折って。絶対治しとかないと駄目な奴だったじゃん」
「まあある程度治って来れば、呪術で強化すれば無理矢理使ったりできるし大丈夫大丈夫」
「いやなんで酷使する流れになってるの? そこはちゃんと治そうよ。約束覚えてる?」
「あ、えーっと……ごめん」
割と普通に怒られた。
「分かってくれたならいいよ……で、なんで朝からそんなの読んでるの?」
「いや、ガチで上目指すなら空いた時間に詰め込まねえとって思って」
「……その二宮金次郎みたいな学習意欲の半分でも勉強に当てたら少しは成績上がるのに」
「え、二宮……誰?」
「あ、そっか知らないか……まあ別にテストに出ないし言うけど」
「あ、いや、ちょっと待って。もうちょっとで出てくる……ああ、そうだ。歩きながら勉強してる前方不注意マンだ。正直あれ危ないよな」
「とんでもない勢いでブーメラン投げてるの気付いてる?」
「……確かに」
「まあとにかくだよ。根詰めるのもいいけどさ、無理しないで肩の力抜いていこうよ」
「別に無理はしてねえよ」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「ならいいんだけどさ……ほんとにそれだけは約束だからね。できれば危ない事なんてなにもせずにずっと仲良くしていくってのが、私にとっての理想なんだから。無理していなくならないでよ、お願いだから」
「……分かってるよ、冬野」
でも無理はするけど。
そんな事を冬野が言ってくれるからこそ、無理をしてでも頑張ろうと思えるから。
冬野雪という女の子が、いなくなってしまわぬように。
(絶対助ける……絶対にだ)
こうして中学一年生の夏、長らく停滞していた千年に一人の才能を持つ滅血師、桜野隼人は動き出した。
もしかしたらただ、足を踏み外しただけなのかもしれないけれど。
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