13 目標

 その後、父親に対し自分達の事と今日会った事。血塗れになった原因について説明した。

 おそらく冬野の父親という人間は。否、吸血鬼は、頭に血でも上っていなければとても聞き上手な思慮深い大人なのだろう。

 二人の説明を一通り、最低限の相槌だけを入れながら最後まで聞いてくれた。

 そしてそれを聞き終えた頃、冬野の父親は隼人に向けて軽く頭を下げる。


「さっきはすまないね。完全にキミの事を疑ってた」


「いや、寧ろあの状況で俺が怪しくない訳がないんで……まあ、当然ですよ、あの反応」


「あの時の僕は雪の言葉にも耳を貸そうとしなかった。そこは本当に反省する点だよ」


「寧ろ今よく耳を貸して、俺の話も聞いてくれたなって思いますよ。正直あのまま止まってくれなくて、軽く戦うような事になってもおかしくはなかった」


「少し冷静になれればあの状況下でキミが大丈夫な人間である事は分かるさ。それに、娘が信じて連れてきた相手だ。信用してあげたい……手を出したら殺すけど」


「ちょ、お父さん!」


「ははは、冗談だよ冗談」


 そう言って冬野の父親は笑みを浮かべる。


(……目が笑ってねえ)


 全く嘘には聞こえなかった。先程向けられた感じとは別ベクトルの殺意を感じる。

 そして冬野の父親は、殺意を消して真面目な表情で静かに言う。


「改めて桜野君……だったね。雪を殺さないでくれてありがとう」


 そんな、娘の友達に言うような事ではない事を。


「いや、えーっと……礼を言われるような事ではないと思うんです」


「礼を言う事だよ。本来常識的に考えれば死ぬ筈だった娘がこうして生きている。それだけで……親としては、感謝しかないんだからさ」


「……すみません」


 自然と頭を下げ返していた。半ば反射的で、どういう感情がそうさせたのかは自分でも一瞬理解できなかったけれど、それでも少し考えればその答えは見えてくる。


「そんな事で感謝されるのは完全に……俺達が、悪いので」


 どう考えたって。常識的に考えて、そんなのはおかしい筈だ。

 だけどおかしい事が常識になり変わっている。そんな事で。当たり前にならないとおかしなことで感謝をされてしまっている。そう考えると頭を下げずにはいられなかった。


「顔を上げなよ桜野君。キミは何も悪くない」


「悪いですよ」


 断言する。


「きっと本当だったら滅血師にとって碌でもない吸血鬼が敵で。冬野……雪さんやあなたみたいな吸血鬼は味方で。そうでなければならないんです。だけど……滅血師的には同じ敵でしかないから。俺達はただどうしようもない理不尽を強いてるんですよあなた達に。それが悪くない事の訳がないでしょ……ッ」


 善良な吸血鬼の為に動けるか動けないかは関係なく、それだけは断言できた。

 少なくとも、その感謝にどういたしましてなんて言葉は返せない。 

 そして隼人を見て何かに気付いたような表情を浮かべた父親は、一拍空けてから言う。


「……悪くない。間違ってない。キミ達滅血師は、それでいいんだ」


 そんな自分達を殺す事すらも肯定するような言葉を。


「この子がいるから全員とは言わない。だけど吸血鬼は基本的に惨たらしく滅びるべきな最悪な亜人だよ。社会にとって害悪でしかない。そしてそんな害悪が溶け込む社会がどうして回っているのかを考えれば、それは君達滅血師が死に物狂いで頑張ってくれているからに他ならない。だけど回っているだけで未だ凄惨な事件は発生し続ける。吸血鬼を全て殺すという最適化したやり方を行っていてもだ」


 そして冬野の父親はどこか諭すように隼人に言う。


「そんな中で0、01パーセントもいるかどうか分からないような少数派に考慮し始めれば……それこそ社会は回らなくなる。それは駄目だ。それだけは駄目なんだ」


「……」


「キミはこの子と仲良くしてくれた。それだけで……充分なんだ。キミも君達もなにも悪い事はしていない。君達滅血師は正しいんだ」


「……正しくなんかない」


「……」


「正しい訳ないですよ、そんなの」


 分かってる。自分の抱いている考えがただの理想論だという事は。

 視野を広く見る事を放棄した感情論だと言うのは。

 だけど引き下がれない。引き下がりたくない。もう、踏み出さなければならない。

 何の過失もなくてもただ強い見鬼の力を持つ滅血師とすれ違っただけで理不尽に殺されるかもしれないのなら。滅血師のやり方がそういうものなら。どれだけ正当性があっても。正しいと思うことができても。納得できない。誰かが変えないといけない……だから。


「だから……俺が変えます」


 どこか自分を鼓舞するために、そう宣言した。


「俺が……なんとかうまくやってみせます。少数派だけを拾い上げられるように、この世界をうまく……」


 冬野の父親にこれまでの事を話した時、自分にも改めて問い直していた。

 滅血師のあり方は間違っていると理解しながらも、自分には何もできないと考えていた。

 変えられる立場でもなく。変えられる力もなく。変えるための勇気もない。

 だから根本的な問題からは目を背けてしまっていた。それが十数分前までの自分だ。


 だけど……新たに手にしてしまったまともな吸血鬼でも見鬼に反応するという真実は、目を背けても。どこを見ても立ち塞がる程の最悪な現実で。

 そんな物を見せられればもうその場凌ぎでは凌げない。

 目の前の現実に真正面から向き合わなければならない。


「ちょっと待って桜野君……なにするつもりなの?」


 冬野がどこか不安そうにそう聞いてくる。

 それに対して返せる言葉は無い。今は……まだ。


「何も思いつかねえし、まだ何かをできるような立場じゃない。変えられる力もねえよ」


 だけど。今やるべき事が何か位は分かった。


「この先何かをする為にやれる事を全力でやって、最速で上を目指す。まずはそこからだ」


 今まで滅血師としてのやるべき事を、ただ流されるようにやってきた。

 仕事も。訓練も。その全てをそつなく熟してきただけなのだ。


 それだけなのに千年に一人という自身に宿った才能は、自分をそれなりの立ち位置に立たせてくれていて、だとすればそんな自分が全てを全力で取り組めば、きっと今よりも遥かに強くなれるかもしれない。


 そうやって最速で地位も上げ、滅血師として上の立場の人間にもなる。

 いずれ自分が最善の方法を思いついた時、それを実行に移せるように。

 具体性は何もないけれど、そうするだけの覚悟は決めた。

 そしてそんな決意を口にした隼人に対し、冬野の父親は一拍空けてから答える。


「キミが目指そうと思ってくれた結果は正しいか間違っているかで言えば正しいんだろう。そうして訪れるような世界はまさしく理想の世界だ。だけどね、理想はあくまで理想だよ。現実じゃない。別に理想主義な言動は否定しないけれど、何事にも限度というものがある」


 そして冬野の父親は隼人の目を見て言う。


「断言する。キミの理想は理想の域を出ない。それを追い続ければキミはキミ自身の身を滅ぼす事になる……止めた方がいい」


「……それでも」


 反論しようとする隼人に対し、諭すように冬野の父親は言う。


「いずれ理解できるさ。キミに引き下がる気がない以上、僕はキミが理解した時にまだ引き返せる道が残っている事を願うばかりだ」


 と、そこまで言った冬野の父親は軽く手を叩く。


「さて、聞きたい事は聞けたし言いたい事も一応言えた。ひとまずこんなところだろう」


 そう言ってこれまでの流れを一旦絶ち切った後、冬野に視線が向けられる。


「だからもういいだろう。雪、とりあえずその血、洗い流してきなさい。いつまでもそんな格好にさせておくわけにもいかない」


「で、でも……」


 冬野は悩むような素振りを見せる。


 当然と言えば当然の反応なのかもしれない。一応顔を会わせてから最初の勘違い以外は衝突らしい衝突は無かったものの、一応は滅血師と吸血鬼。犬猿の仲なんて生易しい関係ではないわけで、自分のいない所で二人にするのはかなり気が引けるのかもしれない。

 だけど冬野の父親は言う。


「大丈夫だ。もしお父さんが何かをするつもりなら、多分最初からやってるし、桜野君の場合も同じだろう」


「一応俺も同意見。こっちは大丈夫だから」


「……うん、分かったよ。じゃあお言葉に甘えて」


 気が進まなそうな声音でそう言った後、冬野はリビングを後にする。

 結果、リビングには隼人と冬野の父親の二人になった。

 そして暫しの静寂の後、冬野の父親は言う。


「しかし友達を家になんて招いた事のないあの子が初めて連れてきたのが滅血師とはなぁ」


 ふと呟いたその言葉が意外だった。


「友達連れてきた事ないって……なんか意外ですね。冬野はなんというか、ほんと社交的で、友達も多いんですよ。だから、えーっと……そんなイメージ無かったです」


「まあそれがあの子なりの距離の取り方なんだと思う。僕らにとってそもそも人間と居る事事態がリスクを伴う。そんな中で家に招き入れるというのは学校で仲良くするよりもハードルが高い。そう考えればほんと、キミはあの子にとっては特別なんだろうなと思うよ」


 そして冬野の父親は一拍空けてから言う。


「桜野君。お願いだ。これは僕が頼むような事ではないのかもしれないけれど……今後とも、あの子と仲良くしてやってはくれないか? 僕らには一定以上心を許せる人間の知人を作るのは難しい。そして関係を築きやすい吸血鬼は僕らからすれば殆ど皆サイコパスだ。キミみたいに本当に仲の良い友達というのは作りにくいんだ。だから……頼むよ」


「頼まれなくてもそのつもりですよ」


 冬野が頼まれてようやくそうしようと思えるような相手なら、変えられないような物を変えようとするような、そんな決意などしていない。


「ははは、そう言ってくれるなら助かるよ……まあもう一度念押ししておくけど、仲良くしてあげて欲しいというのは友達としてだ。それ以上は……ほんと、命が無いと思え」


「は、はい……」


 相変わらず目が笑っていない。

 仲良くして欲しいやらしたら殺すやら、なんだか言っている事が支離滅裂な気がする。


(まあほんと……ただの一人娘がいる父親って感じなのか)


 それを見たら、本当に自分達が理不尽な存在だと、改めてそう思う。


「分かった。キミの事を信用しよう」


「……あ、ありがとうございます」


(これ俺と冬野が……まあ、もしそういう関係性? って奴になったらこの人に挨拶しにくる事になるんだよな? 死なない? その時)


 とらたぬな話にはなるが、そういう心配をしてしまった所で冬野の父親に問われる。


「で、桜野君。一つ、聞いて起きたい事があったんだ」


「えーっと、ほんとただの友達ですからね俺達」


「そういう話じゃないんだ。大事な話。雪がいない今の内に聞いておきたい事がある」


 冬野の父親は一拍空けてから聞いて来る。


「あの時……僕とキミが顔を合わせた時だ。家に帰って来た僕を見てキミは驚愕する様な、そんな表情を浮かべていた。あの時、僕の何にそんなに驚いた」


「それは……」


 思わず言葉を詰まらせた。

 答えられる訳がなかった。答えられる訳がないから今までそれについて言及しなかった。


「……答えられない、か。でもまあそれで、答えられないような事だという事は分かった」


 そう言った冬野の父親は少し考える様に口元に手を当て、やがて隼人に問いかける。


「桜野君。正直に答えてくれ……キミはあの時、僕が吸血鬼である事を、見鬼で感じ取った。違うかい?」


「……ッ」


「返答を聞く必要も無く図星といった所か」


「なんで……分かったんですか」


「確実にそうだと思った訳じゃないさ。ただ導き出せた可能性が、僕の事を一方的に知っていたか、見鬼が反応したか。それ位しか思いつかなかった。そして言葉を詰まらせられるような事をさせる様な立ち振る舞いは今までしてこなかったと自負している……となれば、もうそれしか僕に出せる答えはない。そして……それが答えだった」


 そしてそんな冬野の父親は、一拍空けてから再び隼人に問いかける。


「確か見鬼の力で見る吸血鬼のオーラという奴は、吸ってからの時間経過で色の濃さが変わって、これまで吸ってきた血液量で黒さが変わるんだったね。僕のはどうだった?」


「本当に辛うじて感じ取れる程の薄さで……無色透明でした。そういうサンプルケースは一件もありません。、これは僕は直感ですけど……まあ元々話は聞いてましたが、多分一度も血を吸った事がないような吸血鬼なんだろうなと思いました」


 そして少し聞く事に躊躇いを感じたがそれでも問いかける。


「それで……その。失礼な事は重々承知で聞かせてください。本当に血を吸った事が無いんですよね?」


「ないよ。そして僕の両親も……まあ僕やあの子のような吸血鬼の中では異端に分類される吸血鬼だった。だから物心付く前に摂取する機会があったなんて事はないと思う」


「……」


「一応確認しておくよ。キミがあんな計画性のカケラも無い様な無茶苦茶な話をし出したのはこれが原因かい?」


「……はい」


 最早隠しておく必要もない。素直にそう頷いた。


「それを知る前は……まあ、結構楽観的に考えてたんですよ。確かに間違っている。理不尽だ。そう思っていても、冬野が……まともな吸血鬼が危険に晒される可能性があるとすれば、人前で派手に怪我でもした時位だって。それでも危険なのは間違いないけど、うまくフォローしていけば。運が悪いような事が起きなければって。そう、考えてたんです」


 だけど、と隼人は言う。


「これは流石に駄目だと思った。その……実は俺、千年に一人の天才とか持て囃されてて、だから多分見鬼の力も人より強いんじゃないかって思うんです。だから多分今回見鬼が反応した。そして反応しただけでも問題なのに……見鬼の力が一定以上強ければ反応するという情報だけしか得られてなくて、具体的にどの程度強ければ見えるのかなんてのは分からないんです。もしかしたらそれなりの数がいるかもしれないんです」


「……一応、これだけは確認させてくれ」


 冬野の父親が今までで一番真剣な表情を浮かべて聞いてくる。


「雪は……キミの見鬼に雪は反応していたか?」


 その問いを聞いて、ここに来て冬野の父親が酷く動揺している事に気付いた。

 表情や声音は今までと何も変わらない。だけど多分それだけは聞くのが怖かった様に。

 別に態々聞かなくても、既に桜野隼人が冬野雪を疑っていた話という実質的な答えを聞いた事のあるその問いが出て来た。

 決して頭は悪くない筈の彼からその問いが出てくるという事は、それ自身が動揺の塊だ。


「……大丈夫です」


「……そうか」


 安心したようにそう言った冬野の父親だが、それでもなら良かったで済む話ではない。

 現状見えない。それは比較的良かったというだけにすぎない。


「だけど……今は、だろう」


 隼人はその言葉に頷く。


「確定じゃないですけど、でもあなたに反応したという事は……大人の吸血鬼に反応したという事は……おそらく、いずれは」


 言葉が詰まりかけた。そんな事、冬野の父親の前でなんて堂々と言える訳が無かった。

 だけど此処から先は言える。強く言わなければならない。

 何度だって。何度だって。弱い自分を鼓舞する為に。


「だから俺が変えます」


「……雪の為にか」


 どこか察したように冬野の父親の言葉に頷く。

 多分さっきのやり取りでは語弊があったかもしれない。

 もしかすると自分は間違った事を正したい。理不尽から不特定多数の誰かを救いたい。そんな正義の味方のような考えを持っていると思われたのかもしれない。


 だけど……そもそもそんな立派な考えが持てるのならば、自分はもっと滅血師という仕事を真面目に取り組んできた筈で。今の千年に一人の天才と呼ばれているにも関わらずこんなところで停滞している事もなかっただろう。


 いつだってそうだ。思想はある。理想はある。だけど意欲も勇気もそこにはない。

 それは今だってきっと変わらなくて、知らない誰かの為でも世界は変わるべきだと思えても、変えてやるだなんて思えないのだ。

 だけど他ならぬ……冬野の為なら。

 少なくとも自分の認識の中で、冬野雪という女の子が問題の中心に立っていたなら。


「俺は吸血鬼を助けたいんじゃなくて……冬野を助けたいんです」


 意欲も勇気も沸いてくる。逆に言えば、そうでなければ動ける程には沸いてこない。


「……そうか」


 冬野の父親は一拍空けてから、どこか安堵するように言う。


「そういう事ならほんの少しだけ応援しようという気持ちは沸いてくるよ……ありがとう。だけど娘の為に動いてくれるような人間だからこそ、危ない橋は渡って欲しくないんだ」


「でも渡ります。渡りきります」


「……そうかい」


 冬野の父親は、複雑な表情ではあったけれど、どこか安心したようにそう呟いた。

 と、そこで足音が聞こえた。冬野が風呂場から出て来たのだろう。


「桜野君。分かっていると思うけど、今の話、あの子には言わないでくれよ。こんな事、できればこの先もずっと、知らないでいてほしい」


「分かってますよ。不安にさせるだけですし」


「ならいい。今後とも頼むよ」


「はい」


 そんなやり取りを交わした所で冬野が戻って来た。


「どう? 私がいない間何かあった?」


 そう確認してくる冬野は、シャワー後かつ時間帯的に当然かもしれないがパジャマ姿。

 湯上りで薄着なパジャマ姿である。


「いや、特に無かった大丈夫」


 とりあえず平静を保ってそう答えるが、内心とても穏やかではない。


(なんか……いい! というかパジャマ姿も可愛すぎじゃねえかな!?)


 と、冬野の父親の方から殺意が飛んで来る。


(ていうかさっきみたいなやり取り成立してる今ですらこの殺意の飛び方って、ほんと将来この人に挨拶に来るような事になったとして突破できるのか? どうすんの)


 どうすれば滅血師の有り方を正せるか。その答えを探すより難しい気がしてきた。

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