12 見えてはいけなかった物

「桜野君。これしばらく雨宿りしてった方がいいよ」


「お前がそれで良けりゃそうさせてくれると助かるな」


 冬野の家まで辿りついた二人だったが、それまでの間に雲行きが大きく変わった。

 家まで数百メートルという所で小雨が降りだしたかと思えば、それは徐々に勢いを増していき、冬野家の軒下にまで辿りついた頃には豪雨と呼べる程の雨量となっていた。

 流石に雨宿りさせて貰えるならありがたい。


「ちょっと待ってて。今鍵開けるから……っと、どうぞ」


「悪い助かるお邪魔します」


 言いながら冬野の家へと足を踏み入れた。


「電気付いてないって事は、お前の親父さんまだ帰ってきてねえのか」


「そうみたいだね、靴も無いし。まあ桜野君的にはその方が好都合だよね」


「……まあな。流石にこの状況でお前の親父さんと顔合わせる勇気はねえよ」


 娘が血塗れで。連れてきた男も血塗れで、滅血師で。完全に大事件だ。

 そうなれば一体どんな反応をしてくるのだろうか。あまり考えたくはない。


「とりあえず上がってよ。あ、これタオル」


 そう言って冬野に備え付けてあったタオルを投げ渡される。


「いいのか? 多分血ぃ付くぞ」


「頭濡れたままでいるよりいいじゃん」


「いや、まあお前がいいならいいんだけど。まあえーっと、ありがと」


 ご厚意に甘えてタオルを使わせてもらった後、リビングへと案内される。

 部屋の中には眠っているネコが一匹居た。


「あれがカカリチョウ?」


「そ、カカリチョウ。良い物しか食べない我が家のヒエラルギーの頂点に立つお方だよ」


「お、おう……ってそういやお前、カカリチョウのご飯買えてなくね?」


「……あ。これはやらかしちゃったパターンだ。仕方無い事とはいえ……明日怒るぞぉ。うん、仕方ないから明日はこの前買っておきにめさなかった奴を食べて貰おう」


 そう言って冬野はごめんねと、寝ているカカリチョウに手を合わせた後、隼人に言う。


「さて、桜野君。雨が止むまでどうしようか」


「とりあえずなんか適当に時間潰すか」


「そうだ。もう他の滅血師に見つかるような事もない訳だしさ、治療の続きやる?」


「いや……いいよ、こうして動けてるし、お前は死ぬ程痛いだろうし。第一そんな事したら家の中血塗れになるぞ」


「お風呂場でやればとりあえずセーフ」


「ああ成程……じゃねえよ、駄目だ馬鹿。これ以上お前にあんな事させられるか。第一、もう俺の怪我は綾ねえに見られてるだろ。脇腹の症状とかはよく分からねえかもしれねえけど、やっぱり俺の怪我があの時よりも治ってるとか思われたらマズい」


「まあ確かに。そんな事……吸血鬼が絡まないと起きない事だもんね」


「ああ。だから後はごく一般的な治療でどうにかするよ。幸い腕も左腕で利き腕じゃねえ」


「不幸中の幸いって奴だね」


「そうそれ。だから……気持ちだけ受け取っとくよ。ありがと」


「……うん」


 冬野とそんなやり取りを交わしていた時だった。玄関の扉が開いた音が聞こえたのは。


「あ、多分お父さん帰ってきた」


 一応夜という事もあり玄関の鍵は掛け直した。それを開けて入ってくるのなら、間違いなく父親だろう。そうでなければ困る。


「お、俺どうすりゃいいかな?」


「どっしり構えてればいいと思うよ。私が説明するし」


「おう、頼むぞその辺はマジで」


 それがうまく行かなければこの状況、かなりの修羅場になるだろうから。

 そう考えて緊張して待つことになった訳だが、中々冬野の父親が部屋に入ってこない。

 と、そこで冬野のスマホに通知音が鳴った。


「お父さんだ」


「家の中いるのに?」


「えーっと、なんか靴二つあるんだけどもしかしてこんな時間にお友達来てる? これお父さん普通に入ってっていい奴? だって」


「あーまあそうなるわな」


 ある筈がないものが玄関にある訳で。普通に入ってこなくてもおかしくない。


「ちょっと私行ってくるよ。待ってて」


「おう」


 そう言って冬野はリビングから出ていく……血塗れの服装で。


「お帰り、お父さん」


「ただいま、って雪……ってどうしたんだその血!」


 予想通りの反応である。そうならない方がおかしい。


「ちょ、落ち着いて。落ち着いてよお父さん!」


「何があったか言うんだ! というかお前がこんな時に一体誰が来てるんだ」


「お父さんストップストップ!」


 冬野の静止の声も聞かずに、冬野の父親がリビングに足を踏み入れ……そして目が合う。

 家に帰ってきたら娘が血塗れだった吸血鬼の父親と、一見返り血を浴びたようにも見えなくもない滅血師が。


「……滅血師」


 冬野の父親は硬直していた。何かが起きているとは思ったのだろうが、滅血師が娘と同じく血塗れでそこにいるこの状況は、思考停止に陥るには十分な状況なのかもしれない。


「……」


 そして硬直していたのは隼人も同じだった。思わず言葉が出なくなるような、大きな困惑と軽い絶望感をもたらすそれが見えてしまったから。

 停滞していた自分の背中を押すには十分すぎる光景が、見えてしまったのだから。


(なんだ……これ)


 見鬼が反応して、冬野の父親からオーラのようなものが見えた。

 人間の血液を吸ってから時間が経過していなければいない程色濃く。今まで吸ってきた血液量が多ければ多い程どす黒くなるオーラが。

 だが硬直した理由は事前にまともだと聞いていたのに違ったからとか、そういう理由ではない。実際冬野は嘘なんて何も付いていないのだろう。勘違いだってしてないのだろう。


 冬野の父親から感じられるのは辛うじて感じ取れる程薄く。そして直感で今まで一度たりとも人間の血液など接種してこなかったのだろうと思える程に透き通ったオーラで。

 だからきっと間違いなく冬野の父親はまともな吸血鬼だ。では、何が問題なのか。


(ふざけんな……なんでこんなのが見えるんだ?)


 まともな吸血鬼であるにも関わらず見鬼に反応した。

 それは即ち、桜野隼人と同等の見鬼の力を持つ滅血師ならば、成人したまともな吸血鬼を目視しただけで吸血鬼と判断できるという事実に直結する。


 今までまともな吸血鬼とすれ違って来なかったから気付かなかっただけで。誰も気付かなかっただけで。そういう事が起こりうるという事例を今ここで発生させてしまったから。


(待て、じゃあ冬野の父親は……それにこれじゃあその内冬野だって……ッ)


 隼人の見鬼に反応した。故にそれ以上の見鬼の力があれば視認できる事は確定で。更に逆にどの程度の見鬼から反応するか分からない以上、安全のボーダーラインが分からない。


 その内ただ滅血師とすれ違っただけで殺されてしまうかもしれない。

 ……少なくとも。滅血師という存在が僅かな間違いを続けている今のままでは。

 そう、考えた時だった。


「雪のあの血はお前が――」


 互いにそうやって硬直状態を続けていた中、やがて状況が動いた。

 冬野の父親が、頭に血を上らせたように拳を握り……そして。


「だから待ってってお父さん! 話聞いて!」


 その父親の後ろから腰に腕を回して冬野が止めに入った。


「だが雪! コイツは――」


「私の友達! 滅血師だけど友達だから!」


「友達……お前、なに言って……ッ!?」


 冬野の父親が再び意味が分からないという風に硬直する。

 そしてそこにトドメを刺すように冬野が言った。


「……じゃなかったら、普通に呑気におかえりとか言ってないから。とにかく一回話聞いて。聞いてくれなきゃ……もうお父さんと口聞かないから!」


「……ッ!?」


 冬野の言葉に父親は心底絶望したような表情を浮かべる。

 なんだかとてもいたたまれない。止まってくれて助かりはしたが、この人からすれば必死に娘を守ろうとした結果な訳で。もう本当に可哀想で見ていられない。


 そして硬直する父親の背中からひょっこり顔を出した冬野は、作戦成功と言わんばかりにグーサインをこちらに向けていた。確かに一応成功ではある……一応。

 そしてその経緯はどうであれ、今ので頭は冷えたらしい。徐々に落ち着きを取り戻した父親は冬野と……そして隼人に言う。


「とりあえず何がどうなっているのかを教えてくれないかな」

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