第59話 就任式②


 王国祭は始まっている。

 朝方、来賓への挨拶を行っていたシャルロット姫――彼女の身代わりであるジル――は、ティアレーゼの護国卿就任式準備の最中であった。


 ジルは緊張から身体を小刻みに震わせていた。

 傍らでは近衛騎士団長のイスメトが懐中時計を確認して、目前に迫った就任式を案じている。

 シャルロット姫は、まだ王城へ戻ってきていなかった。


 このままではジルが就任式、その後のパーティーにもシャルロット姫として参加することになる。

 たまにしか会わない来賓や、遠くから見ている市民などは誤魔化せるかも知れないが、王家やダルガランス家も出席する就任式では不可能だ。


 それでもシャルロット姫の脱走癖を大変良く理解している王家はその場では口を出さないだろうが、後々あの身代わりは一体誰なのかと問題になるのは必至だ。


 イスメトは決断を迫られていた。

 就任式まであまり時間がない。


「お召し物をお持ちしました」


 部屋の扉が叩かれ、使用人達が式典用衣装を運んでくる。


 イスメトはそれをちらと見て、ジルの着替えを始めさせるよう決断しかけた。

 しかし衣装を運んできた使用人の一人が、ジルの前に立ってスカートの裾を軽く持ち上げて一礼した。


「シャルロット姫殿下。お久しぶりですわ。

 式典前なのに随分暗い顔をされていますが、何かございましたか?」


 髪は茶色で短く、瞳も焦げ茶色で、メイド服に身を包んだ女性。

 変装しているが、彼女は間違いなくジルロッテ――リムニステラ王家相続権第1位。シャルロット・J・リムニステラであった。


「姫様~、遅いですよぉ」


 安堵からジルは緊張が途切れ涙を流した。

 そんな彼女の頭を撫でて、シャルロット姫は使用人達へ号令をかけた。


「帰りが遅くなって申し訳ありません。

 就任式にはわたくしが出ますので、支度をお願いします」


 使用人達の動きは速い。

 直ぐに王族専用の椅子に座っていたジルを余所に除けて、シャルロット姫の着替えと化粧に取りかかる。

 その作業にはジルも半泣きながら手を貸した。


 イスメトもようやく安堵して、使用人長に「殿方は退室するように」とせっつかれると、去り際にシャルロット姫へ投げかけた。


「今回の脱走については――」


「ええ理解しています。

 お説教でしたら後日しっかり聞きましょう」


 シャルロット姫が澄ました顔でそんな風に返すので、イスメトは顔を唇を真一文字に結んで不服そうにしながらも退室した。


    ◇    ◇    ◇


 王城に入ったティアレーゼ、ミト、ユキの3人は式典会場前の準備室に通された。


 やがて就任式の時刻が近づくと、ティアレーゼはシャルロット姫への挨拶がしたいと申し出る。

 申し出が受け入れられると、彼女は未だ座ったままの2人へと目線を向けた。


「シャルロット姫殿下への挨拶を――」


「ティアレーゼ様お一人で行くべきかと」


 ユキが返すと、ティアレーゼも頷いた。

 1人で挨拶に出向くのは不安もあったが、これからイルディリム家を継いでいくのだ。

 これくらい出来なくてはいけない。


「分かりました。

 では行ってきます」


 ティアレーゼは1人。道案内を請け負った使用人について準備室を後にした。


 王城の中でも王族の私室がある区画は特別だ。

 近衛騎士によって警備され、いかに有力な貴族であっても簡単には通して貰えない。


 ティアレーゼの道案内も、途中で使用人から近衛騎士に引き継がれた。

 シャルロット姫はまだ着替え中とのことで、更衣室へと案内された。


 近衛騎士は部屋の中まで入れないので、シャルロット姫お付きの使用人長へと話が通された。

 使用人長は更衣室に入って少しすると戻ってきて、ティアレーゼの入室を認める旨を伝えて扉を開けた。


「失礼します」


 少しだけ開けられた扉から入室するティアレーゼ。

 使用人長によって扉が閉じられると、部屋の奥から声が投げられた。


「こちらへどうぞ」


 声の元へと向かうティアレーゼ。

 部屋の奥では、大鏡の前に座らされたシャルロット姫が使用人達に囲まれていた。


 着替えは終わり、今は化粧と、腰程まである水色の髪のセットが行われていた。


「後にした方がよろしいですか?」


 ティアレーゼにはその作業があまりに大変そうに見えた。

 されどシャルロット姫は即答した。


「構いません。退屈していたところですから」


 彼女の微笑みが鏡越しにティアレーゼへ向けられた。

 ティアレーゼは頷くと、使用人の1人――ジルが椅子を持って来たので、礼を言ってそれに腰掛ける。


「お祭りは楽しめましたか?」


 ティアレーゼの問いかけに、シャルロット姫は穏やかな微笑みを見せた。


「ええ、それはもう。

 なにより人々の暮らしぶりが見られて、我が儘を言って出て行った甲斐がありました」


「良い経験だったのですね」


「ティアレーゼ様は帰省なされたと伺いましたが、久しぶりの故郷はどうでした?」


 問いかけに、ティアレーゼは申し訳なさそうにはにかんだ。


「6年ぶりの帰省でしたが、皆さん私を歓迎してくれました。

 これもシャルロット姫殿下にイルディリム領を預かって頂いたおかげです」


「わたくしは何も。

 ただ信頼のおける管理人を選んで任せただけですから」


「それが何よりありがたいことです」


 重ねて礼を述べるティアレーゼ。

 そんな彼女の表情に、僅かながら陰りを見て取ってシャルロット姫は問いかけた。


「何か心配事ですか?」


「いえ――。いえ、嘘はいけませんね。

 少しだけ」


「どうぞ話してみてください」


 促されると、ティアレーゼは一瞬迷いながらも、やがて口を開いた。


「イルディリムの皆さんは私の護国卿就任を後押ししてくれました。

 ですがそれは叔父様の――先代イルディリム候の信頼があったからです」


「ええ。わたくしもあの方にはお世話になりました。

 まだ6歳の頃。初めて離宮を脱走するのに手を貸してくれたのもあの方です」


「それは露見していたら大問題だったのでは……?」


「バレませんでしたから、何の問題もありません。

 それで、ティアレーゼ様の悩み事はどのようなものですか?」


 絶対問題あるとは思いながらも、この話は深入りしてはいけないヤツだと、ティアレーゼは自分の話を進めた。


「こんな私でも地元の人は応援してくれます。

 ですが王国には様々な派閥の人が居ます。

 その人達は、代々農民の家に生まれた私が、護国卿という立場を得るのをどう思うでしょうか?」


「あら?」


 ティアレーゼが心境を吐露すると、シャルロット姫は首をかしげる。

 それからジルへと言いつけた。


「わたくしの外出用カバンを持ってきてください」


 ジルが了解を返し静かに駆けていく。

 彼女が戻ってくるのを待つことなく、シャルロットはティアレーゼへと問いかける。


「ティアレーゼ様は、ティアレーゼ・ベイルモアで間違いありませんよね?」


「ええ。

 イルディリム領アクレ農林管理人、ベイルモア家の生まれです」


 今度はティアレーゼが首をかしげた。今更どうしてそんなことを確認するのか。

 そこにカバンを持ったジルがやって来た。


 使用人に囲まれて手が動かせないシャルロット姫は、カバンをティアレーゼへと渡すように促す。


「中に本が入っています。

 どうぞ出してみてください」


「では失礼して……」


 本来なら姫殿下の私物に触れるなどあってはならないことだが、そのカバンは町娘の格好をする時のものなので、これはジルロッテのものだと言い聞かせて中を改める。

 言われたとおり、カバンの中には1冊の装丁の綺麗な本が入っていた。

 以前シャルロット姫が持っていた本とは別のものだ。


 ティアレーゼはそのタイトルを読み上げた。


「ベイルモアの騎士?」


「ご存知ありませんか?」


「タイトルだけは知っています。

 ですがこういった本を読む余裕がなくて。

 ――これはおとぎ話ですよね?」


「実際にあった話です。

 そしてこのベイルモアの騎士は、紛れもなくティアレーゼ様のご先祖様に当たる人物です」


「でもそんな話、両親からも聞いたことないですよ」


「しかしベイルモア家は代々イルディリム領の共同統治者だったのでしょう?」


「それは――そうです」


 確かにシャルロット姫の言うとおりだった。

 ティアレーゼは手に取った『ベイルモアの騎士』を開く。

 挿絵が多いが、今読むにはページ数も文字数も多すぎる。


 シャルロット姫はかいつまんで内容に触れる。


「今から200年以上前。

 リムニ王国が成立するきっかけとなった大陸戦役はご存知でしょう?」


「はい。

 リムニ王家とダルガランス家をイルディリム家が結びつけて、御三家同盟として大天使同盟軍に対抗したのですよね」


「その通りです。

 ですがイルディリム家は元より御三家同盟を目指していたわけではありませんでした。

 それを説得したのがベイルモア候だったのです」


 ベイルモア候、とティアレーゼは復唱する。


「リムニステラ派に属する辺境領の跡継ぎだったようですね。

 ですがベイルモア家自体は大天使同盟側に与することになり、王国では貴族の資格を失いました。

 そして戦役で御三家同盟が勝利したので、大天使同盟側の資格も失ったようです。


 そのような状況下にあっても、ベイルモアの騎士はイルディリム家と共に御三家同盟を支え続けました」


「それで、農林管理人に?」


 ティアレーゼが問いかけるが、シャルロットは明確な答えを出さない。


「その辺りの経緯は分かりません。

 ですがイルディリム家が断絶した今、ベイルモア家の末裔であるあなたに護国卿就任の資格があるのは間違いありません。

 それは王国成立時。最初の御三家会議において決定されたことです」


 ティアレーゼは今まで、自分がイルディリム家の養子になったから就任の資格があるのだと思っていた。

 シャルロットから告げられた事実に息をのむ。

 されど簡単には「では引き継ぎます」とは答えられない。


「その資格ですが、王家の皆さんしか知らないのでは?」


「ダルガランス家も正当な権利だと認めています」


「ですが国民はどうでしょう?

 皆さんそのような話は聞いたこと無いはずです」


 彼らはティアレーゼの護国卿就任を認めてくれるだろうか?

 そんな問いかけに、シャルロット姫はイジワルそうに微笑んだ。


「国民が新しい護国卿を受け入れるかどうかは、あなたの行動次第ですよ」


 言い切られてしまうと、ティアレーゼは困った表情を浮かべるしかなかった。

 シャルロット姫は続ける。


「ですがティアレーゼ様は、ドラゴンを倒し、魔力枯れを解決し、帝国との戦争に勝利し、異界戦役を収め、運命厄災を終結させたお方です。

 国民も皆、それを良く知っています」


 きっと国民も理解を示してくれる。そう言いたいのは明らかだった。

 だけれどティアレーゼはやっぱり困ったように返す。


「身に覚えの無い話ばかりです」


 シャルロット姫は小さく頷き微笑む。


「かも知れません。

 ですがこれから先はあなた次第です」


 今度こそティアレーゼははにかんだ。


「精一杯努力するつもりです。

 ですが私は護国卿として力不足かも知れません」


「誰しも最初はそうです。

 責務は重いです。

 ですが別に、常に1人で背負う必要はないのです。

 わたくしもたまに放り出しますし、ティアレーゼ様もたまには護国卿のことなど忘れてしまっても良いのです」


 あまりにとんでもないことを言うので、可笑しくなってティアレーゼは笑う。


「そう聞くと、肩の荷が下ります」


「でしたら良かったです。

 ティアレーゼ様は1人ではありません。

 ユキ様は秘書として非常に優秀ですし、ミト様も良く手助けしてくれるでしょう。


 御三家制度もありますから、重大な問題は構わず王家やダルガランス大公家を頼ってください。

 わたくしも可能な限り協力するつもりです」


「ありがとうございます。

 シャルロット姫殿下には助けて頂いてばかりですね」


 苦笑するティアレーゼ。

 シャルロット姫は頬を緩めた。


「お互い様です。

 また家出する時はお世話になりますから」


「ええ。歓迎します」


 互いに笑顔を見せ合う。

 ティアレーゼはミトの参加を認めてくれた礼を述べて、最後に就任式についてどうぞよろしくお願いしますと頭を下げ退室した。


    ◇    ◇    ◇


 就任式が始まった。


 イルディリムからの参加者は、新しい護国卿であるティアレーゼと、その義妹であるミト。そして女神教会から派遣されたお目付役のユキ。


 就任式は式典室で行われた。

 国王の戴冠にも用いられる、大理石作りの荘厳な部屋だ。

 参加者は御三家とその配下貴族でも特に有力な者。そして女神教会の国内上層部。


 主役であるティアレーゼは壇上に。

 ミトとユキは参列席の端っこに案内された。


 端っこの席では肝心のティアレーゼの顔が見えない。

 ミトは恨めしげに壇上の一等席に座るサリタを睨み、席を交換してくれないかと視線を送るのだが、「大人しくしてろ」と一瞥された。

 シャルロット姫の方を見るが、柔らかく微笑まれただけだった。


 式典は恙なく進み、ティアレーゼが現リムニ王国国王陛下の前に跪いた。


 国王はゆっくりとした低い声で、重々しく言葉を紡ぐ。


「建国時に交わされた御三家盟約に基づき、ベイルモア家末裔であるティアレーゼ・ベイルモアを正統なイルディリム家後継者として認める。

 ここに、ティアレーゼ・ベイルモア・イルディリムの襲名と、彼女のリムニ王国護国卿就任を宣言する」


 国王の宣言の後、壇上に座っていたダルガランス大公。そしてサリタが大きく拍手した。

 それを切っ掛けに式典室中から拍手が鳴り響いた。


 その音が収まると国王はティアレーゼの名を呼ぶ。


 顔を上げた彼女へと、分厚い本が差し出された。

 重厚な装丁の、古びた本。

 リムニ王国建国時に作成された、王国法典の原典だ。


「これからリムニ王国の良き調停者として、王国の発展に寄与して欲しい」


 ティアレーゼは両手で法典を受け取る。


「はい。

 法典の守護者として尽くしていく次第です」


 再び喝采が式場に響く。


 新護国卿誕生を告げる鐘が鳴らされ、王国祭真っ只中の王都市街からも歓声が湧き上がった。


    ◇    ◇    ◇


 就任式を終えると場所を移して就任パーティーが行われた。

 就任パーティーには就任式に招待されなかった貴族達も多く参加し、城の大宴会場はいっぱいになった。

 

 ティアレーゼは慣れないパーティーに戸惑っていたが、シャルロット姫とサリタに助けられてなんとか有力貴族達への挨拶回りを済ませていった。


 ユキは女神教会上層部からの、「新しいイルディリム候が決して教会の意向に背かないよう目を光らせておくように」とのありがたいお言葉を聞き流し、適当に空返事する。


 ミトはハルグラッドによる新護国卿ティアレーゼの絵画作成を監修し、事細かに絵の内容について指示を出した。

 ハルグラッドはそれによく応え、ミトが満足する作品群と、騎士団の公式記録に残す挿絵。そして王国の記録に残す絵画を描ききった。


 夜には臨時の御三家会議に出席する。

 リムニステラ国王とダルガランス大公と挨拶を交わし、今後の御三家会議の方針について話し合う。


 それが終わってようやく職務から解放された。

 馬車がユリアーナ騎士団施設に辿り着くと、くたびれたティアレーゼはミトに身体を支えられるようにして食堂に運び込まれた。


「すっかり疲れちゃって。

 まだまだ子供だなあ」


「お姉さんに向かってそんな言い方は大いにバツです。

 ――でも疲れたのは事実です。

 先生は疲れを見せないですね」


「慣れていますから」


 ミトは何処か楽しそうで、ユキはいつも通りに無表情だった。

 ミトが用意したお茶を飲みながら、ティアレーゼは国王から受け取った法典の表紙を撫でる。


 護国卿が代々受け継いできた神聖な法典だ。

 ティアレーゼは護国卿として、御三家会議がこの法典に背いた決定をしないか見守る責務がある。


「しっかり読んでおかないとですね」


「それもあるけど、明日は市民への顔見せでしょ。

 そんな疲れた顔を見せられるの?」


「分かってます。

 ちゃんと休みます」


 ティアレーゼは頬を膨らませて返す。

 ミトは「むくれたティアも可愛い」と妄言を吐いていたので、それは無視した。


 就任式は無事に終わった。

 でも大切なのはこれから、護国卿としてどう信頼を築いていくのか。


 不安もあった。

 それでもティアレーゼは、与えられた立場にしっかりと向き合う覚悟を決めていた。

 イルディリム領主として。護国卿として。天使として。更にはユリアーナ騎士団団長として。


 どれもまだまだ未熟だと自覚している。

 1人では挫けてしまったかも知れない。

 でもティアレーゼには助けてくれる仲間が居る。


 半人前だから失敗するだろうが、それでも少しずつ成長していけるはず。

 そしていつかティアレーゼが胸を張って一人前だと言えるようになったら、これまで助けてくれた人に恩返しすれば良い。


 焦らず一歩ずつ進んでいこう。

 時間はある。

 何しろ、世界は平和なのだから。


 ティアレーゼはお茶を飲み終わると「もう休みます」と立ち上がった。

 ミトも席を立ったが、ユキだけは座ったまま、手元の騎士団日誌にペンを走らせている。


 ティアレーゼは仕事熱心な彼女へ声をかける。


「先生も休んでくださいね」


「はい。

 これだけ書き終えたら」


「もしかして結構時間かかります?」


 ユキに仕事が偏っていないかと心配になるティアレーゼ。

 だが彼女は無表情のままかぶりを振った。


「いいえ。

 直ぐに終わります」


 何しろ今日は書くべきことがたくさんあった。

 いつもは何も書くべきことがなくて、何を書こうかと思案するのに時間をとられていた。


 ユキは既に就任式について書き切っていた。

 後は文末に、締めの言葉を添えるだけだ。


 ユキは何と書くべきか若干悩みもしたが、心配そうに見つめるティアレーゼの視線を受けて、手早くペンを走らせた。


 “今日も世界は平和です。”


 それだけ書き終えると、ユキはぱたんと騎士団日誌を閉じた。


 

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今日も世界は平和です。 来宮 奉 @kinomiya

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