第57話 帰郷③
翌日。ティアレーゼとミトは、昨晩に挨拶できなかった領民への挨拶回りをして、それから集会場へと向かった。
集会場は普段憩いの場として開放されているもので、収穫期は果実の集積場所になったり、お祭りの日は宴会場になったりと自由に使われていた。
ティアレーゼから重大発表があると聞き、概ね内容に予想はついている領民もこぞってやって来たため、小さな集会場はいっぱいになっていた。
その壇上に立ったティアレーゼは、呼吸を整えて集まった人々を見回す。
見知った顔ばかりだ。
農林管理人の家に生まれたティアレーゼは、領地に住む人々のほとんどと知り合いだった。
6年間留守にしていたが、それでも皆、当時の面影をしっかりと残している。
最後にミトへと視線を向ける。
彼女は何も言わず、ただニコッと微笑んだ。
再びティアレーゼは呼吸を整え、意を決して口を開いた。
「皆さん、お集まり頂いてありがとうございます。
こんなにたくさん来てくれるとは思わなかったというか、別に無理してまで集まらなくても問題なかったのですけど、ミトが重大発表なんて言うものだから誤解させてしまって――
と、ともかく。
一応、自己紹介からさせて頂きます」
ほとんど顔見知りだが、知らない人も居る。
それに集会場には、まだ年端もいかない子供の姿もあった。
「私はティアレーゼ・ベイルモア・イルディリムと申します。
代々この地の農林管理を請け負ってきた家の生まれでして、また、先代イルディリム候の養子でもあります」
人々はみんなそれを知っていると言った風だった。
ティアレーゼが直接会ったことのない人も、周りの人から彼女のことを聞いていたようだ。
「まず最初に謝らせてください。
6年前、王国騎士になるため上京しましたが、長い間この地に戻らず、本当に申し訳ありません。
イルディリム家の養子としても、農林管理人としても、もっとこの地を気にかけるべきでした」
ティアレーゼの言葉に、集会所の各所から声が上がる。
それは彼女が長いこと帰郷しなかったことを許す温かい言葉で、むしろ良く帰ってきてくれたと歓迎するものだった。
少し表情を和らげたティアレーゼは続いて本題について話す。
「この度、皆さんに伝えたいことがあります。
多くの人は知っているでしょう。
今年の王国祭において、私は正式にイルディリム護国卿に就任する運びとなりました。
直前のご報告となってしまい申し訳ありません。
ですけど拙いなりに精一杯、イルディリム護国卿として働かせて頂こうと思います。
どうか皆さん、よろしくお願いします」
ティアレーゼが深く頭を下げる。
すろと集会場から歓声が沸いた。
人々は口々に「新しいイルディリム護国卿万歳!」「ユリアーナ騎士団万歳!」と声を上げる。
それはさながらお祭り騒ぎで、歓声を上げる領民に対してティアレーゼは何度も「ありがとうございます」と頭を下げた。
◇ ◇ ◇
ティアレーゼの報告を終え、集会場でのお祭り騒ぎが落ちつくと、ティアレーゼとミトは領内の様子を見て回った。
特にティアレーゼが気にしていたのはアクレ農林だ。
アクレの実はイルディリム領にとって重要な農作物。
それにティアレーゼはこの農林の管理人でもある。
ティアレーゼ不在の間、農林を任されていた人々と共にアクレの木を確かめる。
「不作だった実が結構あったんですね」
収穫期はとっくに終わっている。
だが未成熟のまま収穫できなかった小さな実が、いくつも木から落ちて地面に転がっていた。
ティアレーゼはそのうちの1つを拾い上げて、半分腐った実の中身を詳しく調べる。
「別に病気ではなさそう。
――となると」
ティアレーゼは手で木の根元を掘り起こし、土の様子を確かめた。
「どんな感じ?」ミトが問う。
「うーん。水の魔力が少ないです。それに、土地が生命の魔力を蓄える力が弱っているみたいです」
「この辺り水少ないからね」
盆地であるイルディリムの地はどうしても水の魔力が不足しがちだった。
だからこそ水が少なくても育つアクレの実を主産業にしていたのだが、いくら何でも水の魔力が少なすぎた。
とはいえそれは前から分かっていたこと。
魔力枯れが起きていた6年前の状態は今よりもずっと悪かった。
ユリアーナ騎士団の働きで魔力枯れが解決したのだから土地の水枯れも解決すると考えて居たのだが、改善したとは言えまだまだ十分とは言いがたい状況にあった。
「まずは土壌の整備からですね」
ティアレーゼは立ち上がると、肩から提げていたブックカバーの表紙に触れる。
空間を司る天使、カティが残した日記帳。
空間の魔力を使えば、水の魔力の補給はもちろん、この瞬間にアクレの実を実らせることだって可能だ。
だがティアレーゼは空間の魔力を使うことなく直ぐにブックカバーから手を放した。
それから再びかがみ込んで、右手に銀色の小剣を具現化させる。
水の魔力によって具現化された、緩やかな曲線を描く片刃の小剣。
ティアレーゼがそれを木の根元へ横向きに向けると、水の魔力が溢れ、土地を潤わせていく。
「手伝うね。
上からやっていけば良い?」
「はい。ミトは反対側からお願いします」
水術士が2人。
それぞれ銀色の小剣を手に、農林の土壌へと水の魔力を注ぎ込む。
魔力が十分にあれば土壌がしっかりと雨水を蓄えてくれる。
そうして状態が良くなれば、直に生命の魔力も巡ってくるだろう。
イルディリム領が狭いと言っても、その主産業であるアクレ農林は広大だ。
2人が魔力を注ぎ終える頃にはすっかり日も傾いていた。
魔力のほとんどを使ったため疲労もあったが、顔を合わせた2人は微笑む。
「とりあえず今はこれで。
春になったら土の魔力も補給したいですね」
「そうだね。オリアナとかイブキに頼んでみよっか」
「手伝ってくれると良いですけど」
「団長命令でビシッとやらせたら良くない?」
「そういうの、団長として信頼をなくしますよ」
「そうかなあ? 喜んで手伝ってくれると思うよ」
とぼけるミト。
でもティアレーゼも、頼んでみようかなと前向きに検討していた。
◇ ◇ ◇
夕食の時間。2人は集会場に招待された。
ティアレーゼのイルディリム護国卿就任の前祝い。
――というのは名目で、年の瀬に領民達が騒ぐ理由を欲していただけだった。
それでも皆ティアレーゼを担ぎ上げ、秋に仕込んだ果実酒を引っ張り出して振る舞われた。
夜まで続いた宴会を終えると、ティアレーゼとミトは屋敷へと戻る。
ティアレーゼが自室に入ろうとするとミトが袖を引いた。
「ちょっと酔い冷ましにいこう」
「そんなに酔ってないですけど、良いですよ」
ミトも大して飲んでいない。ただティアレーゼを誘う口実が欲しいだけだった。
2人は2階にあるはしごを登り、屋根の上に出る。
冬の乾燥した冷え込んだ空気。
空には満天の星空が広がっていた。
「やっぱりここの人はみんな暖かいね。
ティアが歓迎されてそうで良かったよ」
ミトの言葉に、ティアレーゼは民家の建ち並ぶ通りへと視線を向けた。
宴会帰りの人々が眠りについているのか、次々と民家から明かりが消えていく。
ティアレーゼはため息交じりに言った。
「私が歓迎されているのは、先代の叔父様が信頼されていたからに他ならないです」
その言葉に、ミトも「確かにそうかも」と頷く。
先代イルディリム候は領民から大変信頼されていた。
彼は魔力枯れという大災害で不作が続いても、なんとか領民が食べていけるようにと、家財を売り払い、王家やダルガランス家より支援を受けた。
そんな彼が後を託したのがティアレーゼだから、領民は今のところ彼女を信頼してくれている。
でも護国卿就任後、ティアレーゼがその信頼に応えられなければどうなるのか。
少し考えれば分かる話だ。
「でも――」
ミトが口を開こうとすると、ティアレーゼは機先を制していった。
「ですからその信頼に劣らないくらい、私たちもみんなに信頼される領主にならないといけませんね」
ミトは柔らかく微笑んだ。
「そうだね。
でも私たちは2人なんだから、叔父さんの2倍は信頼されないとね」
きっとそれは難しいだろうとティアレーゼは理解していたが、小さく笑って返した。
「マルです。
たまにはミトも良いこと言いますね」
2人は笑い合い、しばらく明かりの消えていく民家の様子を眺めていた。
しばらくして、ふとミトが問う。
「そういえば、アクレ農林で天使の力使わなかったけどどうして?
別に私は止めないよ。
空間の魔力なら立派な農林だって、お城だって、それどころか広い領地だって作れるのに」
ティアレーゼは少しばかり表情を歪めた。
ミトが天使の力について「別に止めない」などと言うのは職務放棄も甚だしい。
ティアレーゼ自身が天使の力を行使する度に、本当に使って良かったのかと後悔しているなどと、彼女は考えもしていない様子だった。
それでもティアレーゼは機嫌を自分で直すと答える。
「天使の力は、天使にしかどうにも出来ない問題に対してだけ使うべきだと思います。
何でも出来てしまう力だからこそ、使い方は考えないといけないんです」
ミトは「ふうん」と相づちを打つ。
そんな彼女に対して、ティアレーゼははっきり言い聞かせるように告げた。
「世界がどうあるべきかは、今この時代を生きている1人1人が考えていくべきものです。
天使の力なんて、必要なければそれに越したことはないんです。
だから私も、天使としてではなく、1人の人間として生きていくつもりです」
自分の意見を告げた後、ティアレーゼは一呼吸置いて「ダメですか?」と問いかけた。
それにミトはかぶりを振る。
「ううん。きっとそれが良いと思う。
天使の力が強大すぎるのは事実だしね。
私も、ちゃんと1人の人間として、ティアの補佐を頑張ろうかな」
「本当にちゃんとしてくれないと困ります。
とりあえず春の騎士試験は絶対合格してくださいね」
厳しい言葉にミトは「いやあなんとかなるって」と頭をかいた。
ティアレーゼがもう一度通りへ目を向けると、民家の明かりはすっかり消えていた。
彼女は月明かりに照らされてぼんやりと浮かび上がるイルディリム領を眺めながら、小さく呟いた。
「これからもずっと、側に居てくださいね」
「うん。そのつもり。
もう離れないから」
ティアレーゼの手の上に、ミトの手のひらが重ねられる。
長い道のりであったが、こうして2人揃って、イルディリム領に帰ってこられた。
ティアレーゼは自分自身に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「狭い土地ですけど、きっとイルディリムを世界一の場所にしましょうね」
「うん。頑張ろう」
重ねていた手をぎゅっと握り合う2人。
寒空の下、2人はしばらくそうしてイルディリム領を眺めていた。
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