第56話 帰郷②

 

 午前中に出発した馬車は夜前には到着する予定だった。

 馬車はユキが手配しようとしたところ、サリタが使っていない馬車があるからと、馬車係付きで貸しだしてくれた。


 イルディリム領は王都から南方。

 王族派と呼ばれるリムニステラ王家とその配下貴族の領有する土地と、ダルガランス派と呼ばれるダルガランス家とその配下貴族の領有する土地に挟まれた、領土としては僅かな、小さな盆地に位置する土地だ。


 イルディリム家は王国御三家という立場にありながら、王国建国から214年。1度として領地を拡大しなかった。

 それは周りを取り囲む王族派やダルガランス派の土地を奪うわけにはいかないという理由もありはしたが、王国建国時の領主が打ちだした不拡大政策を代々踏襲しているからであった。


 領地不拡大を公言し、護国卿として王国全体の利益を考えた政策を執り行う。

 そんなイルディリム家に対して、王族派もダルガランス派も迂闊には手を出せない。


 豊かなユリアーナ湖周辺の土地に確固たる基盤を築いたリムニステラ王家。

 広大な領地を支配し、王国最大の軍事動員能力を持つダルガランス家。

 2つと比較してイルディリム家は弱小で、豊かでもなければ兵員動員能力もないに等しい。

 それでもどちらかがイルディリム家に手を出すようなことがあれば、もう片方の派閥が強固に反抗し、民衆もイルディリム家を支持するであろう。

 そしてもし王族派とダルガランス派が争えば、イルディリム家が仲裁に入る。


 王国内のパワーバランスは、この3大貴族の微妙な関係の元に成り立っていた。

 ティアレーゼが空間の天使として完全覚醒し、あらゆる障壁を越えて無限の資源と際限なき軍事能力を有するようになったからと言って、ほとんどの人間がその事実を知らないのだから、これからも変わらない。


 馬車は特に障害もなく、夕方頃には到着した。

 盆地を囲う山々の間に太陽が沈んでいき、街――と言うより村は、橙色に染まっていた。


 とりあえず馬車を村の入り口にある停留所兼宿屋に停めて、2人は馬車係と別れて歩いて村の中へと入る。


 王都の活気とは程遠い、のどかで閑散とした農村。

 ここが王国御三家の直轄する街だとは、説明されなければ誰にも分からないだろう。

 

 比較的温暖な土地ではあるが夕暮れ時とあって肌寒い。

 人通りもほとんどなく、立ち並ぶ民家からは暖房と、夕食の準備をする煙が出ていた。


「こんなに小さな村でしたっけ」


「私たちが大きくなったんだよ。

 ――ティアはあまり変わってないかも知れないけど」


「一言余計です。

 私だって後4年もしたらミトより大きくなってますからね」


「ティアにはいつまでも小さく可愛いままでいて欲しい」


「お姉さんに対して何ですかその要求は。

 全く持ってバツです。――あ」


 話しながらイルディリム領の中央を通る道を歩いていると、農作業から帰る途中の領民と目が合った。

 中年の夫婦は目が合ったティアレーゼの姿を2度見する。

 6年前、旅立った時より若干成長していたが、その肩まである美しい銀色の髪を見紛うはずもなかった。


「おやあ、ティアちゃんじゃあねえか」


「昔と変わらんねえ。

 そっちはミトちゃんかい? いやあ随分大人になったなあ」


「いやあそれほどでも」


 ミトは照れて頭をかいてみせるが、昔と変わらないと言われたティアレーゼは不服そうだった。


「村のみんなに知らせねえと。

 これ片付けてきたら直ぐ声かけて回るから、屋敷で待っといてくれ」


「え、いや、もう遅いですし挨拶は明日でも――」


「みんなティアちゃんが戻ってくるの待ってたんだあ。

 明日まで待てんて」


 夫婦はそう言い残すと、荷車を引いたまま駆け足で帰って行った。

 2人は顔を見合わせると、ミトがにっこりと笑った。


「歓迎してくれそうだね」


「それはそれで申し訳ないです」


    ◇    ◇    ◇


 イルディリムのお屋敷は、領地を一望できる小高い丘の上にある、2階建ての(イルディリム領では非常に珍しい)住居であった。

 豪奢とは言いがたいが、使われた木材だけは一級品だ。


 屋敷は綺麗に掃除されていて、6年前旅立った時と変わらぬ姿をしていた。

 ティアレーゼの部屋も、ミトの部屋も、きちんと整えられている。


 2人が屋敷の様子を見て回っていると、その扉が叩かれた。

 領民達が屋敷を訪ねてきたのであった。


 とはいえ屋敷は彼らを受け入れるほど広くはない。

 2人は外に出て、玄関口で領民達と挨拶を交わした。


 屋敷へ向かう道に列を成す領民達。

 彼らは帰郷した2人に歓迎の言葉を贈り、そしてこの6年間。ユリアーナ騎士団として数々の危機を解決した功績を讃え、忙しかったのだから帰って来られなかったのは仕方がないと優しく迎え入れてくれた。


 領民の列は途絶えることなく、最後の1人との挨拶を終える頃にはすっかり夜も更けていた。


「挨拶は明日するつもりだったんですけど」


「みんなティアに会いたかったって言ってたじゃん」


「ミトにもですよ。

 ともかく怒っていないようで良かったです。

 ――夕ご飯用意してくれるみたいですけど、その前に……」


「うん。行こう」


 夕食や風呂、そして寝室の準備を領民が請け負ってくれた。

 2人は彼らに屋敷のことを任せて、屋敷裏の道を進む。


 魔力式ランタンの明かりを頼りに細い道を進んだ先には、共同墓地があった。

 亡くなった領民はここに葬られる。

 そしてその一番奥に、領主の墓地区画があった。


 その中でも新しい墓石の前で、2人は膝をついて祈りを捧げる。

 先代イルディリム領主。

 ティアレーゼとミトの養父にあたる人物と、その婦人の墓だ。


 2人は無言のまま、それぞれ亡き養父へとこれまでの6年間起きた出来事と、これからティアレーゼがイルディリム家を相続することを報告する。


 ティアレーゼは最後に、「どうかお見守りください叔父様」と小さく声に出した。


「私はここに居るからティアは――」


 祈りを終えるとミトが切り出したのだが、ティアレーゼはかぶりを振った。


「バツです。ミトも来るんです」


「面識ないからなあ」


「それでも来ないとダメです」


 ティアレーゼが強く言うと、ミトも頷いて立ち上がった。

 領主の墓地区画の隣。

 そこにはイルディリム領の共同統治者の墓地区画があった。


 共同統治者といっても身分は農民。

 代々アクレ農林の管理を行ってきたティアレーゼの一族の墓地だ。

 一番新しい墓石。そこにはティアレーゼの実の両親が眠っている。


 ティアレーゼが祈りを捧げるので、ミトも隣に膝をついた。

 ミトがイルディリム家に拾われたときには、既にティアレーゼの両親は亡くなっていた。

 だからどんな人たちだったのか分からない。


 なのでミトは、「ティアレーゼを産んでくれてありがとう」と感謝だけを伝えておいた。


 ティアレーゼが長い祈りを捧げると、2人揃って屋敷へと帰った。

 夕食を済ませ、風呂を終えると、すっかり夜も遅いのでそのまま寝ることに。

 ミトがティアレーゼの部屋で寝たいと訴えた。普段は断るティアレーゼも「今日だけですよ」と許可を出した。


 明かりを落としてしばらく経つと、ミトの寝息が聞こえてくる。

 ティアレーゼは薄らと目を開けて、月明かりに僅かに照らされた天井を見上げる。


 イルディリム領の人々は歓迎してくれた。

 これからティアレーゼはイルディリム家を相続することになる。


 でも、本当に自分で良いのだろうか?

 農林管理人とはいえ、農民の家系の生まれには違いない。

 両親が亡くなった後イルディリム家の養子になったが、自分はこの地を治めるに相応しいだろうか?


 6年前、立派になって帰ってくると旅立った。

 だけど立派になれたのかという点については疑問である。

 

 ティアレーゼは確かに運命厄災から世界を救ったかも知れない。

 でもそれはユリアーナ騎士団のみんなが。そしてミトが居たからに他ならない。


 不安にさいなまれはしたが、久しぶりの自室の布団の寝心地にはあらがえず、やがてティアレーゼは眠りに落ちた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る