第54話 シャルロットの逃走④


 ミトの水術士としての能力はそこまで高くない。

 能力としても平凡で、2つのイメージを重ね合わせて攻撃の威力を瞬間的にかさ増しするというもの。

 だが根本的に水術士の能力限界が低いばかりに、かさ増ししたところで大して強くない。


 ミトは魔力を込めて、左手に持った小剣を振るう。

 水の流れるイメージと、波のイメージを重ね合わせる。


 剣先から魔力が波状となって放たれる。

 それは飛来してくる炎の魔力の軌道をほんの僅かにだか逸らすことに成功した。


 ミトの周囲に展開された、7つの炎の槍。

 それは生き物のように縦横無人に空中を飛び回り、全方向から襲いかかってくる。


 剣から放った炎を自由自在に操るイスメトの能力。

 その1つ1つがミトを一撃で戦闘不能に追い込むのに十分な威力を有している。


 水の流れるイメージを2つ重ね合わせる。

 剣を突き出し水流の槍を撃ち出した。

 それは炎の槍の1つに正面から命中したが、攻撃の勢いを若干減衰させるのが精一杯だった。


 構わず突き進んでくる炎の槍。

 ミトは一瞬押し戻した結果生じた隙間に身体をすべき込ませて攻撃を回避する。


 次から次に炎の槍は襲いかかってきた。

 波状攻撃で休む隙を与えず、ミトが回避をしくじる可能性にかけているのだろう。


 だがミトは全ての攻撃を回避し続けた。

 イスメトの炎の槍にまるで刃が立たない水術士の能力だけで、延々と回避を続ける。

 単純な能力差だけ見ればあり得ない展開。


 炎の槍によって周囲の温度は上昇し、雪が溶け足下がぬかるむ。

 環境の変化にさえミトは対応し、あらゆる角度からの攻撃を回避した。

 死角から攻められようが、同時多方向から攻められようがその全てを回避する最適解をとる。


 いつまでもかすり傷すら与えられない状況に、ついに後方に下がっていたイスメトも痺れを切らして前へと踏み出した。

 幅の広い刀身を持つ剣が火の魔力によって燃え上がる。


 空中に放たれた7つの炎の槍と、イスメトのもつ剣。

 8つの攻撃が同時に襲いかかる。

 勝負を決めに来たイスメト。

 ミトはそれでも攻撃を避け続けた。

 燃えさかる炎による熱を水の魔力で防ぎ、残りの魔力で炎の槍の軌道を逸らす。

 

 あらゆる攻撃を回避するミトに、イスメトも攻めあぐねいていた。

 1対1でここまで持ちこたえられたことはない。

 ミトは低い水術士の能力を身体能力で補っていたが、それでも高位術士としては中堅クラスに過ぎない。

 高位術士の最高位クラスであるイスメトにとっては格下も格下だ。


 しかしイスメトも攻めきれないのが分かると攻め手を変える。

 攻撃を回避されるのならば、回避できない攻撃を繰り出せば良い。


 炎の槍は攻撃の手数を減らし、ミトの周囲を囲うように展開し逃げ道をなくす。

 全ての攻撃位置を調整。

 イスメトが踏み込むタイミングで同時多方面から一斉に攻撃を仕掛けた。


「おっと」


 ミトは小剣を振るって対応。

 波と湧水のイメージを重ね合わせ、水の盾を展開。

 炎の槍を防ぐことは出来ないが、一瞬だけ攻撃を遅らせることくらい出来る。


 遅延した炎の槍は3本。

 遅延によって生じた隙間へと身体を滑り込ませるが、イスメトもその動きに対応。

 彼は剣を振りかざし、大きく右足を踏み込んだ。


「それは怖いな」ミトは呟く。


 攻撃の寸前、ミトは後ろへ飛び退いた。

 炎の槍が脇腹を掠める。

 痛みに顔を歪めるも、受けたダメージはそれだけ。


 炎の槍の包囲から逃れ、剣を振りかぶったイスメトも、その渾身の一撃を繰り出せなかった。


「こちらの攻撃を読んだか」


「まあね」


「だが避けているだけで――」


「攻めきれない?

 それはどうかな」


 イスメトの言葉の先を言うミト。

 それを合図に再度炎の槍が襲いかかった。


 攻撃を受ける直前、ミトの姿がかき消える。


「こっち」


 イスメトは背後からの声に驚き振り返る。

 真後ろ。小剣が直接届く距離ではないが、ミトの放つ魔力が届く位置。


 突然背後に姿を現したミトに驚き、即座に振り向き攻撃を受ける態勢を整えるが、忽然とミトの姿が消えた。


「――っ」


 またしても姿が消えた。

 だが消える直前までミトの魔力は確かに認識できていた。


 高度な分身作成能力。――シャルロット姫のような能力であればそれも可能。

 しかし消失と同時に、イスメトの左側面に出現した魔力。

 ミトは姿を消したわけではない。イスメトが認識出来ない超高速で移動している。


 そしてただ移動しただけではない。

 イスメトの繰り出していた炎の槍。

 ミトを攻撃するために操っていたそれが、本来あるべき位置よりずっと先に進んだ位置に存在している。それは今にもイスメトに直撃しかねない位置にあった。


 イスメトは咄嗟の判断で対応した。

 反転し崩れかけた態勢のまま更に足を滑らせ、側面に移動したミトへと向き直る。

 同時に魔力を操作して炎の槍の軌道を逸らす。


 ミトは腰を深く下ろし、左手を引いて突きの構えをとった。

 水の魔力が渦巻き放たれようという瞬間、またしてもミトの姿がかき消える。


「なに――」


 今度こそイスメトは驚愕に表情を歪めた。

 水の魔力の反応は再び背後から。それに更に位置のずれた炎の槍が1本、側面からイスメトを攻撃する軌道にいる。


 ミトは深く踏み込み、同時に左手に持つ小剣を突き出した。

 水流が槍となってイスメトへ襲いかかる。


 しかしイスメトも近衛騎士団の団長を任される実力者だ。

 既に完全に崩れていた態勢を無理矢理引き起こし、身体をねじりながら剣を振るう。


 自身に襲いかかる水流の槍を弾き飛ばし、更に剣から放った炎でミトへと攻撃を仕掛ける。


「うおっと」


 ミトは咄嗟に身体をひねって炎を回避。

 その後に襲いかかってくる炎の槍を見て、後方へ飛び退いて距離をとった。


 今の攻防においては互いに無傷。

 ミトは後方へ下がりつつ小剣をひらひらと振った。


「反撃されるとは思わなかったなあ」


「厄介な能力者だ」


 イスメトは剣を構えたまま、周囲に7本の炎の槍を待機させて言った。

 ミトは微笑む。


「評価頂けて嬉しいよ」


 ミトは前に突き出した小剣に魔力を込める。

 それに対してイスメトは問いかけた。


「姫殿下は王国祭までには戻る。

 ――間違いないな?」


「間違いないよ」


 ミトがしっかり頷くのを見ると、イスメトは剣の具現化を解き、空中に待機させていた炎の槍をも消し去った。


「あら? どういう風の吹き回し」


「もうしばらくは、あの方の自由にさせる」


 イスメトは自分に言い聞かせるように、低い声でそう宣言した。

 ミトは首をかしげる。


「決闘はもういいの?」


「何が決闘だ。

 時間稼ぎに付き合うつもりはないと言ったはずだ」


 それにはミトも苦笑して、小剣を持ったままの左手で頭をかく。


「やっぱりバレてた?

 正直、避けるので精一杯で攻める手段がなかったんだよね」


 ミトの水術士としての能力では、全力の突きでもイスメトの防御を貫けない。

 それを分かっていても、イスメトは負けを認めた。

 彼は踵を返し、去り際に一言だけ言い残した。


「――次はその腰の剣を抜かせて見せる」


 ミトの返答を聞く気もないようで、イスメトは残っていた騎士達をまとめると足早にその場を立ち去っていった。

 1人残されたミト。

 彼女の元へ駆け寄る姿が2つ。

 ミトは振り向くと、満面の笑みでそれを迎え入れた。


「ティア! 会いに来てくれたの!!」


「当たり前です!

 何をしていますか! 全くもってバツです!」


 怒り狂うティアレーゼ。

 彼女の怒りをミトは重々承知していて、それでも悪びれる様子は見せずに言い訳をする。


「いやあ、ジルテが約束があるって言うからさ」


 ティアレーゼはまだ怒り心頭であったが、彼女が発言するより前にユキが光の球を飛ばしてミトの脇腹の傷を手当てして、問いかける。


「イスメト様は何かおっしゃっていましたか?」


「あー、次は腰の剣抜かせて見せるって」


 ミトは腰に下げた、鞘に入れたままの小剣の柄に触れる。

 ミトは今左手に持っている銀色の小剣と、腰に下げたままの灰色の小剣の2つを持っている。

 だが灰色の小剣は、結局イスメトとの戦いにおいては一度も抜かなかった。


 ユキはそんな言葉に首をかしげ、不思議そうに問いかけた。


「使わなかったのですか?」


 その問いかけにミトは声を上げて笑う。


「まさかだよ。

 使わなかったら相手にされてなかったって。

 未来予知どころか時間操作まで使ったのに対応されたからね。

 あの人化け物だよ」


 笑い続けるミト。

 彼女に対してティアレーゼが再び怒りの声を上げた。


「何を笑っていますか!

 勝手に近衛騎士団――それどころか王宮に喧嘩を売るような真似して!」


「それはそうだけど、ティアが騎士団長の記憶いじってくれたら全部解決――」


 ミトのそのふざけた言動に、ついにティアレーゼは我慢の限界を迎えた。


「絶対バツです!!

 帰ってお説教ですからね!!」


 お説教を宣言されてもミトは何処か嬉しそうで、怒りの収まらないティアレーゼと、相変わらず無表情で何を考えているのか分からないユキと共に、3人揃ってユリアーナ騎士団施設への帰路につく。


 その間にもジルロッテは無事に王都南門を通過し、アイラと別れ、1人シニカとカイの居る港町へと向かっていた。

 シャルロット姫による逃走計画は、ユリアーナ騎士団の協力もあり無事に完遂された。

 


 

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