第53話 シャルロットの逃走③


 ストラとスミルの母親。アイラは物腰の落ち着いた穏やかな女性で、ミトとジルロッテが突然2階の窓を叩いても動じることはなかった。

 そのまま窓を開けて2人を招き入れると、家中の鍵をかけてまわる。


 それから部屋の主がしばらく不在となっている双子の部屋に2人をかくまった。


「どうぞミト様。必要な物があればなんなりと」


「着替えが欲しいんだけど。あ、私じゃなくてこっちのね。

 あとハサミがあると嬉しいかな」


「着替えとハサミですね。

 少し失礼」


 アイラは巻き尺を取り出すと、ジルロッテへあてがってサイズを測る。

 身長はミトと同じくらいだが、胸回りはやや大きい。

 でもこれくらいならミトが商人の振りをするのに用意していた服がそのまま使えるだろうと、会釈して退室した。


 アイラが出て行くとジルロッテは服を脱ぎ始めた。

 ミトはついたてをジルロッテを囲うように設置して、やって来たアイラから服を受け取ってそのままジルロッテへ手渡した。


「そういえば髪染めるの持ってきた?」ミトが問う。


「カバンに入れたままのはずです――何に使うおつもりで?」


 ミトはベッドの上に置かれていたジルロッテのカバンから、髪染めの薬が入った瓶を取り出す。

 高位術士が作成した魔法の髪染めだ。吹きかけるだけで簡単に髪色を変えられる。


「ミトさん?」


 着替え途中のジルロッテはついたてから顔を出した。

 そこではミトが鏡台の前に座り、腰まであった黒髪をバッサリと切り落としてショートヘアにしていた。


「ミトさん。ダメですよ」


「ああ気にしないで。

 ずっと放置してたら長くなっちゃって、切るタイミング探してたところだったし」


「そうではなく、何をなさるおつもりです?」


 ジルロッテの問いかけに、ミトはあっけらかんと答えた。


「何って、囮が必要でしょ」


「そこまでして逃げる訳には」


 既に従者のジルを替え玉にして脱走している。

 シャルロット姫をかくまったことで、近衛騎士団とユリアーナ騎士団の関係にも影響があるだろう。

 その上ミトが囮になるなどと。

 ジルロッテはそこまでして逃走して良いのかと悩む。


 だが彼女に対してミトは微笑んだ。


「お土産、楽しみにしてるから」


 どこまでも無邪気な言葉に、ジルロッテも笑った。

 昔からミトはこういう人間だ。


「分かりました。

 ――ですがわたくしのために力を使うことになるかも知れませんよ?」


 返答に、ミトはしおらしく「ああそれね」と返す。

 ミトはリューリの一番弟子だ。

 能力は全てリューリのために使うようにと言われて、長らくその指示に従ってきた。


 ミトは苦笑して告げる。


「運命厄災の後、お師匠様に怒られちゃってさ。

 本質を見失うなって。何のために弟子になったのか考えろって。

 ――まあそういう訳だから、お師匠様以外のために力を使っても良いかなって。

 もちろんあんまり目立ちすぎないようにこっそりだけど、時間稼ぎくらいなら私でも出来るから」


 ジルロッテは着替えを終えると、ついたての外に出る。

 ミトはジルロッテが脱いだユリアーナ騎士団の制服に身を包んでいた。

 短くされた髪は茶色に染められている。


「どう? 似合ってる?」


 ミトがくるりと回って見せるとジルロッテは笑顔で応じた。


「ええとても。ミトさんはそちらの制服の方が似合いますね」


「でしょ。

 ジルテもいい感じ。

 大きな帽子とかありません?」


 ミトに問いかけられたアイラは、「娘のものですが」と後ろ手に持っていた帽子を差し出した。

 リボンがいくつもついた大きなキャスケットで、顔を隠すのには丁度良い代物だった。


「可愛い帽子だね。スミルのかな?」


「いえこれはストラのものです」


「へえ。以外と少女趣味」


 この帽子を被ったストラの姿を思い浮かべてニヤニヤと笑うミト。

 クソデカキャスケットはジルロッテの頭にすっぽりとかぶせられた。後は冬用の外套を纏ってしまえば、ぱっと見は商人にしか見えない。


「たまには可愛い格好も良いですね」


「似合ってる。

 アイラさん、馬車出して貰えたりします?」


「用意してあります。行き先はどちらです」


「南門から出て頂ければ」ジルロッテが答えるとアイラは頷いて、御者へと行き先を告げに行った。


 ジルロッテはそれに続き、近衛騎士団に見つからぬよう気をつけつつ、家の前に停められていた馬車の荷台へ乗り込んだ。

 アイラも荷台に乗り込み出発の合図を出す。


「では私たちは王都からの脱出を。

 ミト様もご武運を」


「こっちは適当に時間稼ぐだけだから気にしないで行っちゃって」


 アイラの言葉にミトは適当に答えて馬車を送り出す。

 ジルロッテは「では王国祭で」と別れを告げた。

 

 商会の馬車は近衛騎士団が巡回する通りを、隠れもせず真っ直ぐに進んでいったが、騎士達がジルロッテに気づくことはなかった。


 それを見送って、ミトも行動を開始する。

 近衛騎士の目を掻い潜って路地を進み、なるべくジルロッテとは反対方向へ。


 目的の人物を探したいが、ミトは探査能力を持たない。

 仕方がないから街の外れへと足を進める。

 街中の賑わいから離れた、静かな住宅街。

 狭い路地もなくなり、ミトは家の軒下を隠れるように進んだ。


 その姿を近衛騎士団に見つかった。

 騎士は直ぐには追いかけてこない。まず仲間に連絡して周囲を固め始めた。


 ミトは早足で歩き、近衛騎士達が形成し始めた包囲網から逃れようとする。

 その前に、大男が立ちはだかった。


 鍛え上げられた肉体を持つ、生真面目そうな顔をした男。

 近衛騎士団長のイスメトだ。

 発見の報をきいて駆けつけてくれたのだろう。ミトにとってそれは好都合だった。


「どうかしました?」


 ミトは挑発するように問いかける。

 イスメトは静かにミトの顔を見つめる。一応、ミトとイスメトは面識がある。

 ただ運命厄災後、ユリアーナ騎士団が王城に招喚された際に居合わせただけで、言葉を交わしたわけではない。

 イスメトはミトの本意が分からずも、単刀直入に問いかけた。


「姫殿下を何処へ逃がした?」


「何のことだか分からないなあ」


 とぼけるミト。

 彼女の態度を見て、イスメトはくるりと踵を返し、集まってきていた騎士団へと命じた。


「ユリアーナ騎士団の施設までお送りしろ」


「そりゃあないよ。

 ちょっとくらい話を聞いてくれても良くないかな?」


 ミトはイスメトを逃がすまいと背中に声を投げる。

 彼は顔だけ振り向いて告げる。


「下らない時間稼ぎに付き合うつもりはない」


 その言葉を待っていたと、ミトは左手で、腰の後ろに下げていた2本の剣のうち、銀色の剣を引き抜いた。


「時間を稼ぐつもりはないよ」


 ミトは緩やかな曲線を描く片刃の剣の切っ先をイスメトへと向ける。


「分かってるでしょ。

 あの人は無理矢理連れ戻したところでまた逃走するよ。

 でも私なら連れ戻せる」


「連れ戻してくれるのか?」


 協力を申し出ている態度とはほど遠いが、イスメトは問いかけた。

 もちろんミトはかぶりを振る。


「無条件でとはいかない。

 私とあなたで決闘して、あなたが勝ったら責任持って連れ戻す。

 でももし私が勝ったら――」


「脱走を見逃せと」


「話が早いね。

 今回だけ見逃してくれれば良いよ。

 これだけは約束するけど、ジルテは王国祭までには絶対帰ってくる」


「姫殿下がお前の言うことをきくと?」


「きく。

 分かってるでしょ。ジルテはそういう人だよ」


 イスメトはしかめた顔のまま無言だった。

 だが彼も理解していた。


 シャルロット姫なら、自分を逃がすために囮になった人間から帰ってくるようにと頼まれたら、きっと断らない。

 されどイスメトは目の前のミトの真意をまだ測れないでいた。

 そんな彼へと、ミトは挑発的な言葉を投げる。


「それとも私が怖い?

 近衛騎士団長さん」


 左手に持った小剣をひらひらと振って見せるミト。

 イスメトは鋭い眼光でそれを見つめ、右手に魔力を込めた。


 イスメトの周囲に橙色の魔力が溢れ、炎となって辺りを包む。

 彼の右手には、幅の広い刀身を持つ長剣が具現化された。


「近衛騎士団長と知って勝負を挑むのか」


「無理にとは言わないけどね。

 嫌ならどうぞ草の根分けてお探しになさって」


 イスメトは手にした長剣を真っ直ぐにミトへ向ける。


「こちらが勝てば姫殿下を即座に連れ戻す。

 二言はないな」


「もちろん。

 そっちこそ、私が勝ったら今回の脱走については見逃して貰うよ」


「良いだろう。

 この決闘、受けよう」


 ミトはイスメトの言葉に満足して口角を上げる。

 そして水色の魔力を剣に込めて構え、名乗りを上げた。


「ユリアーナ騎士団訓練生。

 ミト・アマギ・イルディリム」


 名前を聞き、イスメトも「ほう」と短く声を上げた。

 イルディリム――確かにイルディリム家にはティアレーゼの他にも養子が居たはずだ。

 それにミトの魔力は、ティアレーゼの魔力とそっくりだった。


「イルディリムの妹。

 悪いが全力でいかせて貰う」


 イスメトが構えた剣の周囲に炎が渦巻く。

 それは彼が剣を横薙ぎに振るうと、炎の槍となってミトへ向けて真っ直ぐに放たれた。


    ◇    ◇    ◇


 ユキとティアレーゼは城での話を終えると解放された。

 特に見張りもつけられなかったが、シャルロット姫の逃走が明るみに出た以上、もう彼女に手を貸すことは出来ない。


 ほとぼりが冷めるまでは大人しくしていた方が良い。

 2人は真っ直ぐに騎士団詰め所への帰路についていた。


「ジルテさんは逃げ切れたでしょうか」ティアレーゼが問う。


「上手くやるでしょう」


 ユキは淡々と答える。

 既にシャルロット姫の現在位置を追ってはいなかったが、こと城からの脱走について彼女はプロフェッショナルだ。きっと今回も上手くやるだろうと楽観的だった。


 ふと、ユキが視線を南西側へと向ける。

 つられるようにティアレーゼがそちらの方角を見やると、街の外れから強力な火の魔力が放たれた。


「あれ街中ですよね?

 一体――」


 ティアレーゼは「誰が」と言いかけて、次に感じた魔力に言葉を失った。

 彼女の空間の目をもってしても識別不能な魔力。

 だが識別不能だからこそ、その魔力の持ち主は特定できた。


「ミト!? な、何をやっているんですかあの人は!?」


「相手は近衛騎士団長のイスメト様のようです」


「直ぐに止めさせないと!」


「そうですね。向かいましょうか」


 ユキとティアレーゼは一転、帰宅を取り止め、魔力の放たれた街の外れへと向けて駆け出した。

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