第50話 なくなった未来②
ティアレーゼは午前中、ミトと共に就任式用の服を注文しに行く予定だった。
ティアレーゼの服についてはかなり前に注文をしていたのだが、ミトについては参加が決まったのがつい最近なので準備がなかった。
当初騎士団の制服で良いと言う意見もあったが、折角の就任式だからと正装を揃えることにした。
2人ともまるで正式な場での服装について知識がないので、サリタへと同行してアドバイスしてくれるようにと依頼済み。
彼女は最初嫌そうな顔をして見せたが、二言目には「今回だけ特別に付き合ってあげる」と了承して、その数時間後には王都内にある、従者用の正装を就任式までに作ってくれるであろう裁縫職人のリストを作成して来た。
そんなわけで3人での買い出しだ。
サリタとは騎士団施設正門で待ち合わせして、今は2人、ティアレーゼの部屋で出かける準備をしている。
熱心にティアレーゼの銀色の髪をとかすミト。
ティアレーゼは「ミトの服を見に行くのだから、髪を整えないといけないのはミトのはず」と意見したが聞き入れられなかった。
鏡の前に座らされて、ああでもないこうでもないと髪をセッティングされるティアレーゼ。
彼女はようやく満足したらしいミトが、この髪型に合う帽子を選ぼうと試行錯誤しているのを鏡越しに見て、それとなく切り出した。
「ねえミト。
聞きたいことがあるのですが」
「うん。分かってる」
ミトはティアレーゼを背中からぎゅっと抱きしめた。
ティアレーゼはぽかんとして、一体彼女が何をしているのかと問いただす。
「何が分かりました?」
「ぎゅっとして欲しいんだよね」
「全然バツです。何も分かっていません」
「そんな。それ以上のことはまだティアには早いって」
「断言しますけどミトが考えていることは間違ってます。
リューリさんのことです」
リューリの名前が出るとミトは抱擁をといて、「ああお師匠様ね」と頷く。
「お師匠様がどうしたの?」
「あの人、ずっと部屋に居ますよね」
「休むのも大切だからね」
ミトは誇らしげに言った。
まるでそれが世界の真理であるように。
ティアレーゼは呆れてしまう。
確かに休むのは大切だ。
だがそのリューリの教えを忠実に実行するあまり、ミトはすっかり休みがちなダメ人間になってしまった。
その辺りの修正も含めて、リューリにはもう少し騎士団に関与して欲しいのだ。
「そういう話ではないです。
あの方、自分の出自を気にしていて、部屋に閉じこもってしまっているんです。
でも別にその必要はないと思うんです。
ミトはどう考えて居ますか?」
「お師匠様のやることはいつだって正しい」
「ミトに聞いた私が間違っていました」
ミトは狂信的なリューリ信者で、完全に彼女に依存しきっている。
リューリが自らの意志で部屋に閉じこもっているなら、それはミトにとっても正しい行動なのだ。
だがそれでもミトは、ティアレーゼの機嫌を損ねてしまったのを見て取ると付け加える。
「私はお師匠様が近くに居てくれるだけで嬉しいよ。
食事の時間は食堂にだって出てくるし」
「ミトはそうでしょうね」
ミトはリューリが騎士団施設に居てくれるならそれで良い。
でもリューリ本人はどうなのだろうか。
ティアレーゼにはそれが気がかりなのだ。
1人、部屋の中でずっと読書をする生活は、確かにちょっと憧れはするけれど、リューリは本当にそれを望んでいるのだろうか。
「お師匠様はやって欲しいことがあったら言ってくるよ。
言わないってことは、今のままで良いんじゃない?」
ミトはティアレーゼの考えを見透かしたように言った。
ティアレーゼはその場では「そうかも知れませんね」と返した。
リューリについて一番詳しいのは、本人を除けばミトだ。だからミトの言葉は正しいのかも知れない。
でもどうしても引っかかる。
それでもティアレーゼは一旦この話題について保留して、今日見に行く服について話し始めた。
◇ ◇ ◇
服を見に行くだけだったのだが、予想以上に時間を要した。
ミトはティアレーゼの隣に居られるのなら何でも良いといった風なのだが、サリタが妙にやる気を出してしまい、やれ質感がいまいちだの、ティアレーゼの正装と比較してあーだこーだだの、王城の壁紙の色と合わないだのと、裁縫職人に対して注文をつけまくった。
ティアレーゼはなんとかなだめようとしたのだが、サリタは最初が肝心だからと、一切妥協しなかった。
結局当初予算より大分上振れはしたものの、なんとか折り合いをつけて服を注文。
就任式には絶対に間に合わせるという覚書にサインさせて買い出しは終了した。
出先で昼食も食べ、騎士団施設に戻ったのは夕方前。
すっかり日は傾いていた。
半日試着を繰り返したミトは疲弊してそのまま自室へ戻る。
ティアレーゼも付き添いで疲れはしたが、まだ施設内を歩き回るくらいの元気はあった。
朝、しっかり出来なかった話の続きをしようと、1人でリューリの部屋へと足を向ける。
説得は出来ないかも知れない。
それでも、自分の気持ちだけは伝えておこう。
意志を固めたティアレーゼは部屋の扉を叩いた。
返事はないが、構わず開けてゆっくり室内に入る。
リューリは相変わらず椅子に深く腰掛けて本を読みふけっていた。
彼女は本から目を離さず、ティアレーゼへと言葉を投げる。
「まだ夕食には早いわよ」
「はい。ちょっとお話をしたくて。
今よろしいですか?」
リューリの返答はない。
ティアレーゼはそれを了承ととって問いかけた。
「リューリさんは一体どのくらいの未来から来たのですか?」
「それを知ってどうするの」
短いが、はっきりとした拒絶の意志がこもった言葉だった。
ティアレーゼは続ける。
「帰りたいとは思わないのですよね」
「帰れないもの」
「それは――」
どうしてと問おうとしたが、それは自明だった。
ティアレーゼが口をつぐんだのを見てリューリが先を言う。
「わたしはこの時代に来て、本来終わらないはずの異界戦役を終わらせた。
元の未来は存在しない。
わたしはこの世界においては生まれるはずもない人間よ。
本来、ここに存在してはいけない存在なの」
「確かに歴史を変える罪は犯しましたけど、それは許されました。
リューリさんは今ここに居ます」
「許されたのではなく、あなたたちが勝手に助け出しただけ」
事実を確認するようにリューリが言う。
ティアレーゼもそれには頷くほかなかった。それでも言っておかなければいけない言葉を紡ぐ。
「そうです。
――でもこれから先も、何度だって助け出しますよ。
リューリさんはこの時代のこの場所に居て良いんです。
現在を使役する天使が保証します」
今日ばかりはティアレーゼも、その控えめな胸を張って言い切った。
リューリは細めた目で彼女を見る。
ティアレーゼは続けて言った。
「もし私が力になれることがあるなら言ってください。
リューリさんには私を助けてくれたお礼もまだでしたから、何でもしますよ。
――あ、流石に時間を越えるのは無理ですけど」
ティアレーゼは肩に提げたブックカバーに納められた日記帳から魔力を引き出した。
空間の魔力を持ってすれば、こと現在のこの世界において出来ないことはそうそう無い。
渦巻く空間の魔力に対してリューリは凍てつくような瞳を向けて言った。
「天使の力を使うつもり?」
「はい。リューリさんが望むなら」
リューリはしばらくティアレーゼの鳶色の瞳をじっと見つめていた。
やがてパタンと本を閉じて立ち上がる。
「折角だから役に立って貰うわ。
上着を――必要ないわね」
出かけてそのまま来ていたティアレーゼは上着を持っていた。
リューリは重い腰を上げ、クローゼットから上着と、短剣を取り出す。
短剣は抜き身のままだったが、構わずベルトに差し込む。
それから部屋にあった地図を広げる。
リューリは白く細い指で、帝国領内の平原を示した。
帝国領へ侵入することになるが、目撃者がいれば余所に飛ばしてしまえば良い話だ。
ティアレーゼは天使の羽を出現させて、空間の魔力を行使した。
光に包まれたのは一瞬で、ティアレーゼとリューリは真っ白に染まった平原に居た。
緩やかな稜線を描く丘がいくつかあって、そこから木々がいくつか生えている。
そんな殺風景な場所だった。
リューリは周囲を見渡してもう少し北へと指示を出す。
ティアレーゼは直ぐに応じて、北の方向にある丘の上に転移した。
リューリは丘の上から周りを見渡す。
そしてやや北の方に点在する岩を見つけて歩き始めた。
「あの岩のところですか?
転移しますよ」
「少し歩きたいわ」
リューリがそう言うのでティアレーゼは従った。
氷の妖精によって足下は極めて悪い。膝下まで堆積したそれに足を取られるし、街中を歩く用のショートブーツでは歩きづらいことこの上ない。
それでもティアレーゼはリューリに続いて歩いて行った。
歩きながらリューリが語り始める。
「ここは戦場だった」
ティアレーゼは相づちを打つ。それを合図に、リューリは先を続けた。
「異界戦役で、わたしたちは戦った。
多くの仲間が倒れたわ。――未来においてね」
「はい。
私には想像しか出来ませんが、凄惨な戦いだったのでしょうね」
異界戦役。
ティアレーゼはその実体を完全に把握しているわけではない。
だがその原因は誰よりも知っていて、それが引き起こすであろう事象も予想できた。
2人は岩の点在する地点まで辿り着いた。
リューリが右手に槍を具現化させて、岩の下を突いて何かを探す。
しばらくしてそれが見つかったらしく、手で氷の妖精を掻き出し始める。
ティアレーゼもそれを手伝う。
手袋をしてこなかったので霜焼けになりそうだった。
でも一心不乱に作業するリューリを見て、ティアレーゼも休むことなく手を動かした。
岩の下には空洞があった。
どうやら天然の洞窟らしい。
リューリは小さな穴へと槍を突き刺し、魔力を放出する。
瞬間、穂先周囲に存在した空間が消滅し、そこは道になっていた。
リューリが身体をかがめて洞窟の中へ入るので、ティアレーゼもそれに続く。
洞窟の中は、小さな入り口から差し込むか細い明かりだけでは暗かった。
ティアレーゼは天使の目で洞窟内をくまなく見て、この洞窟が何処とも繋がっていない、行き止まりの狭い空間でしかないのを把握する。
リューリによってランタンに火が灯され、小さな洞窟が照らされた。
「ここは?」ティアレーゼが問う。
「墓場よ。
最後の戦闘に敗北したわたしたちは、ここに辿り着いた」
ここはリューリが未来の異界戦争において、最後に辿り着いた場所だった。
彼女は説明を続ける。
「ここまで辿り着いたのはたったの3人。
他はみんな、死んだでしょうね。
わたしたちも死ぬはずだった。
でも1人だけ、墓場から抜け出した」
「リューリさんは過去へ――この時代へ飛んできたのですね」
リューリは頷く。
天使の力を持たないリューリがどうやって時間を越えたのかは分からない。
きっと残りの2人のどちらかが、時間を越える能力を有していたのだろう。
途端に、ティアレーゼの視界が暗くなった。
ランタンの明かりは消されていない。
ただ天使の目が見えなくなっただけだ。
小さな洞窟をリューリの魔力が包んでいる。
彼女の能力はティアレーゼにとって天敵だ。
――『新世界』。
それはリューリの周囲に、彼女が作り出した世界を展開する。
現在世界においてほぼ無敵の強さを誇るティアレーゼでも、リューリが作った別の世界には一切干渉できない。
それどころか認識すら出来ない。
凍てつくような空気に閉ざされた世界で、リューリは手にした槍の穂先をティアレーゼへと向ける。
「異界戦役の原因は知っている?」
「はい。
空間の魔力です」
ティアレーゼは答えた。
2年ほど前に終結した異界戦役。
それは偶然にも空間の魔力を手に入れてしまった帝国兵が引き起こした。
この世界においてはユリアーナ騎士団によってその帝国兵が倒されたが、リューリの元いた世界において、異界戦役は終わらなかった。
空間の魔力によって無尽蔵に増やされた兵隊が、各地を蹂躙して回ったのだ。
それと同じ――それ以上に凄惨な事件を、ティアレーゼは引き起こせる。
現在世界のあらゆる空間に干渉できる能力は、つまるところあらゆる災害も戦争も自由に引き起こせる能力だ。
「あなたは自分の力を、正しく使い続けると誓える?」
問いかけ、と言うよりかは詰問だった。
向けられたリューリの視線を、ティアレーゼは真っ直ぐ見つめ返して頷く。
「誓います。
まだ未熟ですけれど、天使の力をどう使うべきかはしっかり考えていきます。
それに、間違った使い方をしても、リューリさんやユリアーナ騎士団の皆さんが止めてくれますよね」
リューリは視線を逸らさず、槍を構えたままだった。
彼女は冷たく、静かに言う。
「わたしは忠告しない。
直ぐ殺すわよ」
「構いません」
「それにあの連中は不安」
ユリアーナ騎士団へ向けられた不満に対して、ティアレーゼは微笑む。
「はい。だからリューリさんが必要なんです。
どうか私たちを導いてください」
リューリは渋い表情を見せると、構えていた槍を降ろし、周囲を包んでいた新世界を解放した。
それから呆れた様子を見せて言い放つ。
「団長が頼りないからそうなるのよ。
少しはマシになるよう鍛えてあげるわ」
ティアレーゼは大きく頷いた。
「はい! よろしくお願いしますね!」
リューリの手から槍が消え去る。
ティアレーゼは「では帰りましょう」と天使の力を行使しようとしたのだが、リューリに制されて魔力を止めた。
「どうかしました?」
リューリは返答せず、ベルトに挟んでいた短剣を抜くと、洞窟の奥。小さなくぼみへと突き立てた。
金属音が響き渡り、その余韻が反響するなか、リューリは手を合わせて短く祈りを捧げる。
それが終わるのを見てティアレーゼは問う。
「もしかしてこの場所で亡くなられた――」
「この世界ではまだ誰も。
ここは寒い。帰るわよ」
ティアレーゼは頷き、リューリを元いた部屋へと転移させる。
それから1人、洞窟の奥へ行き、突き立った短剣の元で膝をつき、手を合わせて祈りを捧げる。
「未来のどなたか。
リューリさんを過去に送り込んでくれてありがとうございます。
――いつかきっと、会うことができたら感謝を伝えさせてください」
祈りを終えたティアレーゼの姿は光と共にかき消える。
リューリの部屋に転移したティアレーゼ。
付着していた氷の結晶は全て消し去っていた。
暖房の効いたリューリの部屋で上着は厚いので脱いで手に持った。
リューリも上着を脱ぎクローゼットにかけると、いつもの椅子に戻るわけではなく、ティアレーゼに退室を促してその後に続く。
「リューリさん、もしかして修理を手伝って――」
「手は出さない。
でも口くらいは出す」
リューリが現場に居れば、きっとみんなの士気も上がる。
ティアレーゼはしっかり頷くと笑顔を向けた。
「はい。それで構いません。
これからもずっと、よろしくお願いしますね!」
リューリは冷たい目をほんの少しだけ綻ばせて、小さな声で自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「ずっと……そうね。
いい加減覚悟を決めるわ。
バカ共に助けられた以上、この時代で生きていくわ」
彼女の言葉に、ティアレーゼは満面の笑みを向けて大きく頷いた。
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