第49話 なくなった未来①


 冬本番。

 連日のように降りしきる氷の妖精によって、王都はすっかり白銀色に染まっていた。


 修復中のユリアーナ騎士団施設は、なんとか天井と壁の穴だけ応急処置を終わらせて、内側の本格的な修繕に取りかかっている最中であった。

 冬が来るまでには終わらせよう、という当初の目的は遅れに遅れ、今となっては王国祭、それどころか年内の修繕完了すら難しそうだった。


 作業に遅延が出るほど、作業者のやる気もなくなっていく。

 それが厳しい王都の寒さと合わさって、作業は遅々として進まなくなっていった。


 協力員であるシニカやオリアナも修復にあたる。

 彼女たちは泊めて貰っているのだから当然と、協力を進んで買って出た。


 そんな状況にあっては、仕事に忙しいユキやティアレーゼも時間を見つけては修復に手を貸した。

 されど就任式が近づくにつれて、彼女たちは慌ただしく、施設を離れる時間が多くなっていた。


 早朝。

 ひんやりとした空気の中、ユリアーナ騎士団施設の礼拝堂で、ティアレーゼは1人、祈りを捧げていた。


 王国祭、そして就任式が近づいてきている。

 就任式を終えればティアレーゼは貴族。それも王国の中枢をになう3大貴族の一角。イルディリム護国卿となる。


 式さえ終わってしまえば護国卿にはなれる。

 だが精神面はそう簡単にはいかない。

 就任式まで1ヶ月を切っても、未だにティアレーゼは護国卿という重すぎる立場が、本当に自分にふさわしいのかと自問していた。


 護国卿になってからどうしたらよいのだろうか。

 幼少期は農林で育ち、イルディリム家の養子となった後も貴族教育を受けたわけではない。

 王都に出てきて術士の学校に入ったのもつかの間、貴族の初歩教育も兼ねていたそれをティアレーゼは完遂出来なかった。

 ティアレーゼは貴族として生きていく術を、ユリアーナ騎士団の座学で学んだだけだった。


 将来に不安はたくさんある。

 自分は上手くやっていけるのだろうか。


 護国卿として。

 天使として。

 騎士団長として。


 心が押し潰されそうになる。

 だが祈りを終えたティアレーゼは、その鳶色の瞳に静かな熱意を灯していた。


 不安はある。

 でも投げ出したりはしない。

 自分は1人じゃない。

 助けてくれる仲間が居る。


 後は自分がやる気を出して、1つずつしっかり片付けていくだけだ。


 まずは騎士団長として、目の前の仕事を終わらせよう。


 施設の修復は遅延している。

 これが年内に終わらなくても、「年をまたいでしまった」とみんなで笑って済ませられる。

 でもどうしても、年内に片付けておきたい問題があった。

 先延ばしにしていたが、ユリアーナ騎士団の団長を名乗るのであれば、向き合わなければいけない問題だ。


「よし! 頑張ります!」


 頬を叩いて決意を固める。

 その背後から、抑揚のない声が投げられた。


「おはようございます、ティアレーゼ様。

 本日はいつになくやる気に溢れていますね」


「はい! 私、団長ですから――」


 振り向いたティアレーゼの視線の先。

 そこには床に描かれた女神ユリアの顔を踏みつけにする、灰色の髪の少女がいた。


 幾度となく見た光景なのに、ティアレーゼは何度目か分からない声を上げた。


「先生!?

 また女神様の顔を踏んでいますよ!?」


    ◇    ◇    ◇


 団長としての責務を果たす。

 決意を固めたティアレーゼは、朝食時間前。宿舎のある部屋の前に立った。


 正直、まだティアレーゼはその相手とどう接したら良いのか分かっていない。

 でも団長の座についたからには、避けてばかり居られない。

 いつかは向き合わなければならないのなら、就任式の前。

 まだ貴族となる前の今のうちに済ませておきたかった。


 ティアレーゼは呼吸を整えると、部屋の扉を叩く。

 返事はなかったがそっと扉を開ける。


「おはようございます。

 朝食の準備が出来たので呼びに来ました」


 開きかけの扉から声をかけ、中を覗く。

 部屋の主。リューリは奥の椅子に深く腰掛けて、分厚い本を読んでいた。

 ティアレーゼの声に彼女は反応を示し、冷たい瞳を向ける。


「何か用?」


 リューリの問いかけにティアレーゼは心を落ち着かせてから返す。


「朝食の準備が出来たので――」


「それは聞いた。

 あなたが呼びに来るなんて滅多にないでしょう。

 別に用があるなら早く言って」


 リューリは全てを見透かしていた。

 ティアレーゼは部屋に入ると後ろ手に扉を閉めて、真っ直ぐ彼女の姿を見据える。



 リューリ・フェルマ。

 背が高く、騎士団の制服を着崩した女性。

 髪は黒いが肌は全体的に白く、コントラストが目を引く。

 顔立ちは美麗でよく整っていたが、その茶色の瞳はどこまでも冷たく、氷のような印象を持たせた。


 そんな彼女にじっと見つめられると、ついつい背筋がぴんと立ってしまう。

 ティアレーゼは何から話すべきかと頭の中で数回シミュレーションしてから、意を決して切り出した。


「そのですね。

 施設の修復作業中なのはご存知かと思います。

 こちらの作業が大分遅れていることも、もしかしたらご存知かも知れないです。

 それでですね――」


「手伝わないわよ」


 リューリの回答は短くはっきりとしていて、それは彼女の強い意思を表していた。

 それでもティアレーゼはもう少し粘ってみようと言葉を紡ぐ。


「無理にとは言いません。

 ですが少しでもリューリさんが顔を出してくれると、みんなの士気も高まります」


「あなたも分かっているでしょう?」


 問いかけにティアレーゼは「何を?」と返そうとしたのだが、口を開いたところで思いとどまる。


 分かっているか?

 と言う問いに対しての答えは「はい」だった。

 リューリ・フェルマという人物がどのような状況にあるのか、ティアレーゼも十分に理解していた。


 リューリはティアレーゼが返答しないでいると続ける。


「わたしはこの時代の人間じゃない。

 いつまでも騎士団に身を置かせてくれるのには感謝するけど、この時代に過度に干渉する訳にはいかない」


「それは理解しています」


「なら話は終わりよ。

 朝食だったわね」


「はい」


 リューリに強く言われると、ティアレーゼはそれ以上何も出来なかった。


 未来からやって来た術士。リューリ・フェルマ。

 彼女はユリアーナ騎士団立ち上げに尽力し、そして歴史を変えてしまった。

 もう彼女が帰るべき未来は存在しない。


 帰る場所を失った彼女は、今はユリアーナ騎士団に身を置き、静かに暮らしている。

 誰もそれを咎めはしない。

 リューリがユリアーナ騎士団に――その団員達に与えた影響を考えれば、彼女がいくら労働に従事せずタダ飯にあやかり続けようと、文句を言ったりはしない。


 それでもティアレーゼは、彼女について、なんとかしたいと考えていた。

 リューリに働いて欲しいわけではない。

 彼女にもユリアーナ騎士団の一員として、共に同じ時代を生きて欲しいのだ。


 でも今日はちょっと準備が足りなかった。

 それに朝食前で思考も上手く働かない。


 ティアレーゼは、リューリを説得するには彼女について知らなさすぎた。

 もう少しだけ情報を集め、それから再度挑もう。

 方針を転換し、今日のところは一旦撤退することにして、リューリと共に食堂へと向かった。


 

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