第44話 雪の日のお出かけ②
「少しよろしいでしょうか?」
王都南門付近に立ち並ぶ市場で、ユキは果実を扱う店の店主へと声をかける。
若い女性店主は、ユキが制服の上にコートを纏っていても彼女がユリアーナ騎士団の監察官であると理解して、閉店を進めていた手を止めて笑顔で対応する。
「ええ、構いませんよ」
ユキは閉店準備の最中に対応してくれた店主に礼を述べて、それから目的を伝えた。
「アクレの実を購入したいのです」
「アクレの実ですか?
あれは秋の収穫ですから今年はもう」
店主は“氷の妖精”が積もらないようにと商品にかけていたブラケットを取り払った。
確かにそこにはユキの目的の果実――アクレの実の、黄色い姿は見つからない。
ユキは首をかしげて店主へ問う。
「昨年はこの時期にもありましたが」
「――ああ、去年。
それは確か、付き合いのある農林の方が冬になってから実を売りに来たのよ。
本当は冬のアクレの実は仕入れないけど、どうしても冬を越すのにお金が必要だって泣き付かれたから買い取ったの。
今年は豊作だったし、多分来ないと思います」
事情を聞くとユキは頷いて、それから尋ねた。
「その農林はどちらに?」
「王都の近くですよ。
地図があれば良いのですけど――」
「こちらに」
ユキはカバンから取り出した王都周辺の地図を手渡す。
店主は手渡されたそれをじっくり読み取ってから、農林の場所を指さす。
「この辺りにある『トパス農林』の方です。
ですがこの時期にアクレの実が残っているとは限りませんし、時期の終わりですからあまり美味しくはありませんよ」
「ええ。把握しています。
お時間を頂きありがとうございます。
少ないですが謝礼を――」
時間を貰ったお礼にとユキは銀貨を手渡そうとするのだが、店主は受け取りを断った。
「氷の妖精さんがやって来たので店を閉じるところでした。
ですから謝礼は不要です。
それにユリアーナ騎士団の皆さんのおかげで今もこうして商売が出来ているんです。
お役に立てたなら光栄です」
「騎士団は務めを果たしたのみです。
ですが謝礼が不要というのは理解しました。
今度、天気の良い日にお店に伺わせて頂きます」
「ええ。是非。
よろしければティアレーゼ様にも市場にお出で下さるよう伝えて下さい」
「伝えておきます」
ユキはティアレーゼが秋の間ひっきりなしにこの店を訪ねてはアクレの実を買いあさり、あれこれ品評していたのを思い出したのだが口には出さなかった。
未だに王都の人々にあのちんまいティアレーゼは“天使ティアレーゼ”と認識されていないのだ。
これは騎士団として対処すべき問題ではあるが、喫緊の課題ではない。
ユキは再度店主に礼を述べると市場を離れ、何故か近くまで来ていたストラとスミルの目を掻い潜って騎士団施設への帰路についた。
◇ ◇ ◇
騎士団施設に戻ったユキは、コートについた氷の結晶を落とし自室に入ると、クローゼットの奥にしまい込んでいた長旅用のブーツを引っ張り出す。
「お出かけですか?」
同室のジルロッテが問いかける。
彼女は窓際で、伝書鳩に餌を与えていた。
「少し外に出ようかと。
大きなカバンがあると良いのですが」
「でしたらルッコさんに尋ねてみては?
大きくて丈夫なカバンを持っていたはずですよ」
「そうでしたね。
ありがとうございます」
ユキは靴を履き替えるとそのまま部屋を後にしようとした。
そんな彼女の背中にジルロッテは問う。
「どちらにお出かけですか?」
「つまらない私用です。お気になさらず」
「あら。秘密のお出かけですね。少しばかり興味がありますけど、帰ってきてからのお楽しみにしておきます。
氷の妖精様がいらしているので道中お気をつけて。
厚手のコートが必要ならわたくしのものを使って下さい。今日出かける予定はありませんので」
「お気遣い感謝します。ですがコートはこれで十分ですので。
夕方には戻るはずです」
「はい。夕方ですね」
ジルロッテは笑顔でユキを送り出した。
ユキは自室から出ると、食堂にいたルッコを訪ねる。彼女は暖炉に薪をくべていたが、ユキが来ると作業の手を止めた。
「カバンですか?
ええ。大きいのがありますよ! 狩りの道具をたくさん詰めても破れない丈夫なヤツです!
もしかして冬熊狩りですか? でしたらお供しますよ!」
「いえ。つまらない私用ですのでお供は不要です」
「そうですか? 弓矢が必要なら――」
「買い物ですので弓矢は不要です」
「ではカバンだけ持ってきますね!」
元気よく駆け出していくルッコ。
ユキは彼女が戻ってくるまでの間、暖炉の薪入れ作業を引き継いだ。
ユキが黙々と作業していると、騒がしい足音が響き、食堂に人が押し寄せた。
カバンを持ってきたルッコを先頭に、ストラ・スミル。ティアレーゼにミトとハルグラッドもついてきて、最後にはこっそりとジルロッテも入室した。
「お師匠様!
お出かけでしたらお供しますよ!」
ストラが好奇心を隠しきらず同行を申し出るも、ユキは無表情のまま首を横に振る。
「不要です」
されどストラも引き下がらない。
「そんなこと言わずに!
出不精のお師匠様がこんな天気の日にお出かけなんて、絶対転びます!」
「失礼ですね」
言葉とは裏腹にユキの表情はまるで動かない。
そんな彼女へと、今度はスミルが訴える。
「お師匠様1人で外出なんて不可能ですよ!
だってお師匠様は引きこもりでめんどくさがりで無口で陰気で――」
「2人は悪天候の王都で困っている人がいないか見回ってきて下さい」
ユキはスミルの悪口が延々と続きそうな気配を察して止めに入った。
ストラは「ミーのバカ! もっと優しめの言葉を選びなさいよ!」と怒っていたが、言いつけられた指示を無視するわけにも行かず、2人揃って「行ってきます」と食堂から駆け出していった。
「ええと、本当に1人で大丈夫ですか?」
ティアレーゼは心配になって尋ねたのだが、ユキは同行を固辞した。
彼女の意志を汲み取ってティアレーゼは頷いて見せる。
そして手にしていたもこもこの帽子をユキへとかぶせた。
「寒いですからこれを。
サリタさんのですけど、暖かいですよ」
「後これもどうぞー。暖かいですよ」ハルグラッドがマフラーを巻き付ける。
「こちらカバン使って下さい」ルッコが大きなリュックを背負わせた。
最後にジルロッテが外套を手渡すと、ユキの出発準備は整った。
コートこそ薄手だが、帽子とマフラーはもこもこで、首から上のバランスが悪く、歩くのに前を見づらそうではあった。
しかし着替えを手伝った各職人達は良い仕事をしたと満面の笑みだ。
「では夕方までには戻りますので」
ユキは出立を告げて食堂から出ようとする。
そんな彼女の背中へとミトが問う。
「私も一緒に行こうか?」
問いかけにユキは振り向いた。
即答せず、小さく首をかしげて見せる。
それからやや間を置いて、ユキは回答した。
「いえ、1人で行けますから」
「分かった。
気をつけてね」
ユキはしっかりと頷いて食堂を後にした。
残りの面々も正門まで見送りに出る。
ただのお出かけなのだが、ユキが自主的に1人で外出するとなるとちょっとした事件なのだ。
王都はすっかり氷の妖精によって白く染まっていた。
そんな足下の悪い中を歩いて行くユキの背中を見送って、ティアレーゼはやっぱりついていこうかと何度か思案した。
けれど結局、ユキの意思を尊重することにした。
彼女との付き合いは2年ばかり。
まだまだ彼女について知らないことの方が多い。
ユキの姿が見えなくなると、ミトが空を見上げてぽつりと呟く。
「雪、強くなってきたね」
「先生は前から強いですよ」
「そっちじゃなくて。
――そっか。イルディリムじゃあ雪降らなかったもんね」
ミトは何か思い出したようで、氷の妖精が降りしきる中、真っ直ぐに手を伸ばした。
手のひらにのった氷の結晶を見せて言う。
「私の出身地だとこれを雪って呼んだんだよ」
「へえ。
先生と一緒の名前です」
「偶然ですか?」
ジルロッテはミトの表情から何かを読み取って尋ねた。
監察官のユキと、氷の妖精の雪。
2つの一致は果たして偶然なのか。
ジルロッテが推察したとおり、ミトはかぶりを振ると自慢げに言った。
「ううん。
ユキの名前は私がつけたからね」
「――初耳です」
驚くティアレーゼ。更に彼女は、言葉の意味を理解して問いかけた。
「先生に、氷の妖精さんの名前をつけたんですか?」
「そうなるのかな?
あの日は雪の降りしきる寒い日だった。
お師匠様と教会を訪ねていた私は……」
これから良い話を聞かせてやるのだと、すっかり気分を上げていたミト。
しかし中途半端な防寒着しか身につけていない面々は、急に吹いた寒風に身を震わせた。
「食堂の暖炉が準備できていますよ!」
ルッコが言うと、ジルロッテも微笑む。
「ではお茶をご用意します。
お茶菓子があると良いのですけど」
食堂へと足を向けながら、ミトはジルロッテの言葉にかぶりを振って、
「お菓子は控えた方が良いよ。
たいして長くない話だし」
と返した。
ジルロッテは頷き、ではお茶だけ用意しますねと微笑む。
暖炉に火が入れられ、お茶が用意される。
集まったメンバーで即席の『ユキの無事を祈る会』が開催され、途中飲み物を取りに来たサリタと、街を一周見回りしてきたストラとスミルを加え、これまでのユキの外出記録についてのんびりと語り合った。
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