第45話 雪の日のお出かけ③


 夕方頃には寒波は大分緩やかになり、天候は曇りとなっていた。

 ユキがそろそろ帰ってくるだろうとティアレーゼ達は正門前に並んだ。

 天気が変わったと言ってもまだまだ寒いので、外には持ち運び式の魔力式ストーブが用意され暖をとる。


 雲の流れる様子を眺めながら待っていると、ユキの姿が見える。

 ティアレーゼは無事に帰ってきたことに安堵し、それから何の用事だったのかと、そわそわした様子で出迎えた。


「先生、お帰りなさい」


「戻りました。

 買い物に出ただけなので出迎えは不要ですよ」


 それも団員の半数以上が外に出ている状態だ。

 当初のメンバーに加えて、シニカやフアトまで様子を見に来ている始末である。


「それで何の用事だったんですか!」


 ストラとスミルは素早くユキの背後に回り込む。

 ユキが背負うカバンは荷物でふくれていた。

 中身を覗こうとするのだが口はしっかり閉じられている。


 だがティアレーゼが、カバンから香る懐かしい臭いに気がついた。


「え?

 アクレの実ですか? この時期に買いに行っても収穫期に育ちきらなかった実しかありませんよね?」


 ユキは首をかしげて見せる。

 正門前で話すこともないので、全員そのまま食堂に移動した。


 食堂の大机には、ユキが背負ってきたカバンが置かれる。

 それは彼女によって開けられて、中に詰まっていたアクレの実が大机に広げられた。


「やっぱり。

 大きさも色もバツです。

 香りも……うーん、微妙」


 ティアレーゼは元々アクレ農林の娘だ。

 ことアクレの実の質については誰よりもうるさい。

 そんな彼女の目の前に、成熟不良の実が山のように積まれればどうなるか。

 

 このままでは食堂が品評会会場となってしまう。

 ユキはティアレーゼが暴走し始める前に口を開く。


「こちらの実は――」


「分かってますよ先生!」


 ティアレーゼはユキの小さな肩に手を置いて、彼女の顔を間近で見つめた。

 その目はいつになく大きく開かれ、情熱の炎を宿していた。


「質の悪い実だからこそ、料理人の腕が試されるんです!

 これを使って最高の夕ご飯をお作りしますよ!」


 宣言したティアレーゼは、料理の手伝いをするようにとストラに依頼する。

 腕まくりをしてすっかりやる気になっているティアレーゼ。

 ユキは首をかしげて、引き留めようとしかけたのだが、楽しそうな彼女の姿を見て思いとどまった。


「お任せします」


 ユキが静かにそう言うと、ティアレーゼは小さな胸をいっぱいに張って応じる。


「はい! お任せ下さい!」


 アクレの実は調理のために厨房へと運び込まれていく。

 ストラがアクレの実が山盛りに入れられた鍋を運んでいると、横から手が伸びて実を1つかすめ取られた。


「1つ貰ってくね」


「あ、ミト!

 もう。つまみ食いして。団長さんに怒られますよ」


 ミトはストラの意見を聞き流して、手にした薄黄色のアクレの実を顔に近づける。


「十分良い香りだと思うけどなぁ」


 彼女は「夕ご飯出来たら教えてね」と言い残して、実をもったまま自室へと戻っていった。


    ◇    ◇    ◇


 質の悪いアクレの実の調理方法についてティアレーゼは知り尽くしていた。

 幼少期より収穫期を過ぎてもなお木に残る未成熟な実について、どう調理したら美味しいのか、両親より教え込まれていた。


 その能力は両親と死別しイルディリム護国卿の養子となった後も発揮された。

 イルディリム家は王国御三家に数えられる超名門貴族ではある。

 しかし領地については、他の2家とは比較にならぬほど弱小であった。


 元々イルディリム家は、リムニ王国建国に対して大きな貢献があったからと3大貴族となったのだ。

 そしてその功績は、敵対するリムニステラ王家とダルガランス家を結びつけ、当時大陸で最大の軍事力を有していた大天使連合を破ったこと。


 イルディリム家当主の個人的な功績が大きく、小さな領地から供出した軍隊も資金も、戦局に大きな影響を与えなかった。


 そんなイルディリム家は王国御三家として、3大貴族統治制度の根幹をになうようになって尚、領地拡大もせず、王国議会に参加しても国家全体の利益を最優先し、自家のための主張を一切行わなかった。


 そんなイルディリム家だからこそ国民は領主を支持し、今でも王国御三家の地位を保ち続けているとも言えるのだが、当然のながらそんなことを214年も続けたイルディリム家の領地はあまり豊かとは言えなかった。


 そんなイルディリム領の最大の収入源がアクレの実であり、ティアレーゼは代々、領主が直轄する農林の管理を任された家の出身だった。

 それはイルディリム家の養子になってからも変わらない。


 あまり豊かとは言えない地。

 当然、未成熟のアクレの実を捨てるなどとは考えられなかった。

 最後まで美味しく頂く。

 ティアレーゼにとっては、未成熟の実どころか、地面に落ちた実だろうが、葉っぱだろうが、一流の食材だった。


 形の比較的良いものはざっくり刻んでお肉と一緒に煮込む。

 未成熟の実は酸味が強く酸っぱいが、それがお肉を柔らかくし、旨味を引き立てる。


 加熱調理は硬い実に対して有効だ。

 実を薄く切り、野菜と一緒に高温の油で一気に焼き上げれば、独特の渋みが癖になる野菜炒めが出来上がる。


 形の悪いものは皮をむいてシロップ漬けに。熟成に時間はかかるが、いつでも食べられる保存食として重宝する。

 むいた皮も無駄にせずお酒に漬け込んでおく。こうしておけば春頃には、アクレの香りがするフルーツリキュールとなる。


 そういった料理にも適さないような小さな実は潰してジャムに。

 甘みをシロップで補ってあげれば味は十分。

 薄口のチーズに載せて食べるのも良し、お茶に1さじ加えるも良し。

 好みにもよるが、肉や魚にちょっとかけても良い。


「今日は先生が買ってきてくれたアクレの実で私が腕を振るいました!

 是非ご堪能下さい!」


 夕食としてティアレーゼ渾身のアクレ料理が振る舞われる。

 団員達もティアレーゼがアクレの実に関して決して間違うことはないと信頼しており、事実、並べられた料理はどれも美味だった。


 それはアクレの実が収穫期をとっくに過ぎたことなど感じさせず、むしろ果物としてかじるよりもずっと美味しく食べられた。


 食事中、黙々とフォークを動かし料理を口に運ぶユキに対して、ジルロッテが尋ねる。


「ところでユキさんは、どうしてこの時期にわざわざアクレの実を買いに出かけたのでしょうか?」


 問いかけられたユキは首を傾けて答える。


「つまらない私用だと伝えてあります」


「何か理由があったのではなくて?」


 重ねての問いかけに、ユキは首をかしげて見せるばかりで回答しなかった。

 ジルロッテは微笑んで、無理に答えなくても構わないと自身の食事へ戻った。


 ティアレーゼのアクレ料理は大変好評で、フアトなどは来年の秋が待ち遠しいなどと笑う。


 ユキがカバンいっぱいに買ってきたアクレの実は使い尽くされ、残りはシロップ漬けとジャムとお酒として、ティアレーゼによる厳重な品質管理の下、団員達に提供されることとなった。


 食事が終わり、団員達はそれぞれ自由時間を過ごす。

 ユキは書類仕事を終えると大浴場へと向かう。

 その途中、背中に声を投げられた。


「ユキ」


「はい。何でしょうかミト様」


 ユキが振り返ると、ミトは手にしていた物を投げた。

 緩やかな弧を描いたそれをユキは片手で受け止める。


 薄黄色の小さなアクレの実。

 ユキはそれをじっと見つめ、それからミトの方を見て首をかしげた。


「上げるよ。

 ――って言うのも変か。元々ユキが買ってきたものだし。

 と言うわけだから返すよ」


「ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げる。

 ミトは大きく身体を伸ばして「私はもう寝るから」と宣言して私室へと戻っていった。


 ユキは手に残されたアクレの実をもう1度見つめる。

 収穫期を終えた実だ。ティアレーゼの言うとおり、色合いも香りもあまり良くない。

 ミトとティアレーゼに、散々収穫期の質の良いアクレの実をご馳走され続けたユキには分かる。


 ユキは1度部屋に戻り風呂の支度を置くと、アクレの実だけを持って中庭へ出た。


 夜も更け、外はすっかり冷え込んでいた。

 騎士団詰め所の明かりに照らされて真っ白な中庭が浮かび上がる。

 空は晴れて星と細い月が見えたが、細かい氷の結晶が僅かに舞い込んできていた。

 遠くに降った“氷の妖精”が風に乗って運ばれて来ているのだろう。


 極寒の中ユキは中庭に立ち、手にしたアクレの実をこする。

 表面は綺麗に洗われているようなのでそのまま食べられそうだった。

 アクレの実を1口囓る。


「先生?」


 背後から声。

 風呂の支度を抱えたティアレーゼが、中庭へ続く扉が開けられていたのを見て出てきたのだった。

 ユキは騎士団の制服姿で、コートはもちろん防寒具の類いを一切身につけていない。


「外は寒いですよ」


「ええ。分かっています」


 ユキは振り返らず回答した。しかし室内に戻ろうとしない彼女を見て、ティアレーゼはその隣に立つ。

 ユキが手にしているアクレの実が目に入る。


「アクレの実、まだ残っていたんですね」


「どうぞ」


 ユキはアクレの実をティアレーゼに差し出す。

 囓られたそれを見て、ティアレーゼも1口囓った。


 やっぱり収穫期を過ぎた実は美味しくない。

 実にはりがないし食感もいまいち。甘みや酸味よりもどうしても渋みが目立つし、香りも不十分。


「あんまり甘くないですね」


 ティアレーゼが品評するとユキは「はい」と頷く。

 そして返されたアクレの実をもう1口囓った。


「ですが、自分はこれが好きなんです」


 ユキの言葉にはっとして、ティアレーゼは自分の過ちに気がつく。

 あまりに申し訳なくて、思わず頭を下げた。


「ごめんなさい。

 私、余計なことをしましたね」

 

「いいえ。

 皆で美味しく食べられるなら、その方が有意義でしょう」


 ユキが返すと、ティアレーゼもちょっと救われたような気持ちになって微笑んだ。


「罪滅ぼしになるか分かりませんが、来年の秋、美味しいアクレの実をご馳走しますよ」


 ユキはアクレの実を1口囓ってから大きく頷く。

 そしてその表情に、ほんの僅かな笑みを一瞬だけ浮かべた。


「はい。楽しみに待たせて頂きます」


 

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