第43話 雪の日のお出かけ①
王国祭まで1ヶ月。
王都は冬本番。北からは連日、ユリアーナ湖上を通過した湿った冷たい風が吹き込む。
復興作業中の各所では野外に薪ストーブが用意されて、職人達が暖をとる。
各住宅の煙突からも煙が吹き出しすっかり冬模様だった。
「薪。間に合って良かったですね」
「ええ」
ユリアーナ騎士団団長、ティアレーゼは、制服の上に毛皮のコートを着込み、マフラーで首元を包み、もこもこの冬用帽子をかぶった完全防寒仕様だった。
外は寒いからと心配したミトに分厚いコートを着せられて、ハルグラッドに絶対可愛いからとマフラーを巻き付けられ、サリタに出かけるときは帽子を被りなさいと押しつけられた。
彼女の隣を歩くユキは対照的に、制服の上に彼女の身体に対して大分大きめの、黒い薄手のコートを羽織っているだけだった。
ティアレーゼは彼女に再三にわたりマフラーを押しつけようとしたのだが、ユキは「大丈夫」の一点張りで受け取ろうとしなかった。
2人は王城へ任務の報告に行った帰りだった。
復興作業の続く王都。
統治者であるリムニ王家は、建物再建のため王都の保護林から木材を放出した。
しかし住民達は王国祭までに何としても建物再建を間に合わせようと、冬期の薪にするはずの木材も建材にしてしまった。
このままでは王都の民は冬を越せない。
シャルロット姫はユリアーナ騎士団に対して、薪を王都に運び込むようにと依頼を出した。
王家が保有する船と、運河の自由通行権を与えられたユリアーナ騎士団は、木材の王都搬入を無事に成功させた。
林業で財を成したルッコの実家には、緊急事態に備えて大量の木材がよく乾燥された状態で備蓄されていた。
輸送手段も与えられていたので後はそれを持ってくるだけだった。
大寒波が来る前に薪の補給は完了し、王都の住人達は冬を越す算段がついたのだ。
「あら?」
ティアレーゼは目の前を通過したそれに気がついた。
吐く息も凍る寒空から、ふわふわと何かが舞い落ちてくる。
ティアレーゼが手を伸ばすと、手袋の上に白い氷の結晶が舞い降りた。
「まあ。もう氷の妖精さんが。
通りで寒いはずです。
やっぱり急いで薪を運んだのは正解でしたね。――先生?」
ユキは手を伸ばし、黒いコートに舞い降りてくる氷の結晶をじっと見つめていた。
珍しく物憂げな表情をしている彼女を見て、ティアレーゼは心配して顔を覗き込む。
その瞬間、ユキはぱっと顔を上げた。
「申し訳ありません。
用事が出来ました。
1人でお帰り頂いてもよろしいでしょうか?」
ティアレーゼは頷く。
「構いませんが、お供しますよ?」
「いえ。
つまらない私用ですので。
では失礼いたします」
ユキは王都の南門側へと歩いて行く。
普段と異なる彼女の様子に、ティアレーゼはついていこうかとも考えたのだが、ユキにも1人になりたい時があるのだろうとその背中を見送った。
ティアレーゼは空を見上げる。
空から舞い落ちる氷の結晶。
それは”氷の妖精”と呼ばれる気象現象で、冬期に冷え込む王都ではよく見られた。
ずっと南方のイルディリム領出身のティアレーゼには縁のなかった天気だ。
「積もらないと良いですけど」
空模様とユキが心配になりつつも、ティアレーゼは1人宿舎への帰路についた。
◇ ◇ ◇
ティアレーゼが騎士団施設に帰ると、丁度正門のところにストラとスミルが出迎えに出ていた。
「お帰りなさい団長さん。
あれ? お師匠様は?」
1人で帰ってきたティアレーゼを見て、ストラが尋ねる。
「用事が出来たので寄り道してくると」
「え? 用事ですか?
あの出不精のお師匠様が?」
スミルも首をかしげる。
確かに、ユキは出不精というか、用事がなければ外出しない。
1日宿舎にこもっていても平気だし、ちょっとしたおつかいならストラとスミルに言いつける。
積極的に屋内に留まることを選ぶ。それがユキという人間だった。
「私用とも言っていたので、仕事の類いではないと思います」
「ますます怪しい」
「お師匠様に秘密の趣味があるのかも」
ストラとスミルは顔を見合わせてにっと笑う。
それはイタズラを思いついた子供のようで、嬉々として問う。
「どちらに向かいました?」
「南門の方向です」
「ありがとうございます!
そうです団長さん。ミトさんが頼み事があるから帰ってきたら真っ直ぐ中庭に来て欲しいって言ってましたよ」
「え? ミトが? 何の用でしょう?
あ、ちょっと2人とも。先生もたまには1人にして欲しいのでは――聞いてないですね」
ティアレーゼの声も虚しく、広げた布を頭から被ったストラとスミルは、氷の結晶が舞い落ちる中、正門を飛び出して駆けて行ってしまった。
ティアレーゼは彼女たちの背中に「走ると滑りますよ」と念のため注意を投げかけた。
転びそうになったストラをスミルが支えてなんとか体勢を立て直すのを見届けてから、ティアレーゼは正門をくぐる。
「でも先生の用事って何でしょう。
――それよりミトの頼み事をきいてあげないと」
十中八九下らないことだと分かっているのだが、ティアレーゼは中庭へと足を運んだ。
中庭はルッコによって整備されていて、枝振りの美しい樹木が植えられ、今は何も咲いていないが小さな花壇がしつらえられていた。
天気の良い日にはここでお茶も飲める、ちょっとした休憩所でもある。
そんな中庭では、ハルグラッドが画材一式を広げ、設置したキャンバスの前で下書き用の木炭を削っていた。
傍らにいたミトが、ティアレーゼがやってくるのを見て手招きする。
「ティアお帰り!
ちょっとこっちおいで」
「何か嫌な予感がするので要件を先に言ってください」
「就任式前の絵を残しておいたほうが良いかなって」
「本音は?」
「もこもこしたティアの絵は絶対に残しておくべき」
「帰りますね」
ティアレーゼは立ち去ろうとしたのだが、それをミトは引き留めた。
「貴族になる前の、農家の娘としての最後の姿だよ!
後生のためにもあった方が良いって」
「……記録の重要性は認めますけど、それとミトの趣味の割合はどのくらいですか?」
「趣味が10くらい」
「じゃあそれは趣味ですね」
呆れるティアレーゼ。
そんな彼女へと、ハルグラッドまでもが期待するまなざしを向ける。
「是非是非描かせてください。
ユリアーナ騎士団専属画家として、最高の仕事をお約束しますよ!」
「うーん。ちゃんと記録として使ってくださいね。
間違ってもミトが個人所有したりしないように」
「もちろんですよー。
ね、ミト様」
「うんうん。
私は後で模写した奴で良いから」
「お任せ下さい!」
「相変わらずハルグラッドさんはミトに甘いですね」
口ではそう言うティアレーゼだが、ミトに対して甘いのは彼女も一緒だった。
今日だけですよとモデルを引き受け、ミトが指定した場所に立つ。
背後には葉の落ちた樹木があり、今は薄らと雪の結晶が積もって半分白く染まっていた。
「もこもこのティアと雪は絶対に合うよ」
「先生でしたら用事があるからと出かけましたよ」
ティアレーゼが告げるとミトはかぶりを振る。
「そっちのユキじゃないって。
あれ? でもユキが出かけるなんて珍しいね。
しかもわざわざ雪の日に――ああ。もしかして……」
「何か知ってるんですか?」
ティアレーゼが教えて欲しそうに尋ねたのだが、ミトは控えめに微笑む。
「ま、ユキにも出かけたい時くらいあるでしょ。
さあハル! びしばし描いちゃって! もこもこ感をなるべく柔らかめに表現して欲しい」
「お任せ下さい!
ではティアちゃん。10秒だけ動かないで下さいね。下書き済ませちゃいますから」
ハルグラッドはいつもののほほんとした様子からは想像出来ないような俊敏さで木炭を走らせる。
端からは滅茶苦茶に線を引いているようにしか見えないが、キャンバスにはあっという間にティアレーゼの姿が浮かび上がっていく。
下書きを終えると、ミトが手早く新しいキャンバスを用意した。
「ポーズを変えて何パターンか書いておこう」
「良いですね良いですね!」
「そうだ!
スミルが可愛いケープ持ってたから借りてくる!」
「良いアイデアです!
こちらはお任せ下さい!」
ミトとハルグラッドは意気投合しているらしく、ノリノリでティアレーゼの絵を量産する体制に入る。
ティアレーゼはユキについて教えて貰おうとしたり、ミトの言う”雪”がいまいちなんなのか分からず尋ねたりしたのだが、変態モードに入ったミトはまともに取り合ってくれなかった。
ユキが帰ってきたら教えて貰おう。
ティアレーゼはそう心の中で決意して、放っておいたら永遠にモデルをやらせてきそうな2人に対して次で終わりにすると言い切った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます