第39話 訓練⑤
懲罰房は地下食料保管庫の隣。
石造りで鉄格子がはめられているが、唯一の出入り口に鍵はかけられなかった。
房内にはトイレと水桶。
石造りの部屋は冬の迫るこの時期とても冷たく、3人には毛布が1枚ずつ渡されていた。
「ごめんなさいお師匠様。
あたし達のせいでお師匠様までこんな場所に」
ストラは毛布の端をぎゅっと握って、一緒に懲罰房へ入れられたユキへ頭を下げる。
されどユキは床に毛布を敷いてその上に正座をして、いつもと変わらぬ無表情で返した。
「壁と天井があるだけで十分です」
声には感情が無く、表情も固定なので真意は定かでは無い。
だが少なくとも彼女は、この状況に合っても一切辛そうな素振りを見せなかった。
「怒らないのですか?」
スミルが上目遣い気味にユキを見て問う。
ユキはこくりと頷いた。
「反省している人間を怒る必要はないでしょう」
その後ユキがしばらく無言でいると、何故行動を起こしたのか説明しようとストラが口を開きかけた。
ユキはそれを遮って言葉を紡ぐ。
「2人が何故あのような行動に至ったのかは理解できます。
シニカ様に勝ちたかったのでしょう」
双子は頷いた。
ユキは淡々とした抑揚の無い声で続ける。
「目的と手段を間違えてはいけません。
『シニカ様に勝利』というのは、術士として成長するための手段であり、目的ではありません。
勝利だけ手にしたとして目的が達成できるでしょうか。
その点についてよくよく考えるべきでした」
ストラとスミルは頷いた。
「ですがこちらにも責任はあります。
訓練の目的を正しく伝えていませんでした。
自分も今の2人がシニカ様に勝てるとは考えていません。
ですが勝てないからこそ成長の機会があるのです。
術士の戦いにおいて大切なのは考える能力です。
あなたたちは十分に考えたつもりかも知れませんが、考え尽くして尚、そこから更に深く考えなければ、本当の強者とは渡り合えません。
勝てない相手に対してどう戦うか。足りない能力をどう補うのか。
相手はこちらの成長を待ってはくれません。
戦闘の中で答えを出さなければならないのです。
相手の能力に合わせて作り出した対策はその相手にしか使えません。
ですが考える能力は、どんな相手に対しても有用です。
あなたたちにはシニカ様との実戦訓練を通して、その能力を培って欲しかったのです」
ユキの言葉に2人は声も無く何度も頷いた。
それから目に涙をたたえてユキに抱きつく。
「本当にごめんなさい。
あたしたち焦ってしまって」
「勝つことばかりに囚われてました。
おバカでごめんなさい」
2人をユキはそっと撫でた。
「構いません。
折角こうして世界が平和になったのです。
時間はたくさんあります。焦らず確実に、実力をつけていきましょう」
抱きついたまま頷く2人。
ユキは彼女たちへと言葉を重ねる。
「それに頭が悪くて短絡的で騙しやすそうだから弟子にしたので、バカでなくては困ります」
「ありがとうございます! お師匠様!」
スミルは出来上がってしまっていて更にぎゅっとユキの細い身体を抱きしめたのだが、ストラは全く褒められていないことに気がついて、抱きつきながらも心の距離をちょっとばかし遠ざけた。
「ええと、仲よさそうですね」
懲罰房の外。
鉄格子の向こう側から声が投げられた。
ストラとスミルはユキから離れて、姿勢を正してその人物と正対する。
彼女――ティアレーゼは、そんな2人の様子を見て微笑んだ。
「反省してくれているようで良かったです。
明日から2日は反省室へ移るのでもうしばらく反省することにはなりますけど。
先生には明日から業務に戻って貰います」
ユキはこくりと頷く。
「本日の業務は?」
「珍しくミトがやる気を出してくれたので」
「ミト様が手を貸して下さるのなら安心です」
ユキは手をつけていない業務が無事に遂行されそうで、いつもの無表情も心なしか落ち着いたように見えた。
鍵のかかっていない鉄格子の扉をティアレーゼが開ける。
彼女は持ってきたパン籠をユキの前へと置いた。
「こちらどうぞ。
あと水桶はありますが、お水が必要なら構わず呼んで下さい」
「そうさせて頂きます」
ユキは頷く。
ストラとスミルは朝食をほとんど食べていないため、差し出されたパン籠へ目を向けつつも、懲罰房でのんきに食事などとっていいのかと逡巡し、手をつけられずいた。
そんな2人の様子を見たのか、ティアレーゼはパン籠を手に取ってストラの前へ差し出す。
「どうぞ。
懲罰房に入るようには言いましたが、何も食べるなとは言っていません。
スミルさんもどうぞ」
2人は1つずつパンを手に取って、それにかじりついた。
保存用の黒いパンであまり質の良いものではないのだが、空腹の2人にとってはごちそうだった。
ほころぶ顔を見て、ティアレーゼは微笑む。
「食事は大切です。
今は世界が平和になったからみんなで食卓を囲んで食事が出来ます。
でも本当は、それってとっても難しいことなんです。
だからユリアーナ騎士団では、団則で食事の邪魔をしてはならないと定めています。
――ミトには感謝しないとダメですよ。
食事に薬を盛るなんて、未遂でなければどんな厳しい罰を下さなければならなかったか」
行為について触れられて、2人は食べていたパンを置いて深く頭を下げ謝罪する。
だがティアレーゼはそんなに謝らなくて良いと、優しい声を投げる。
「私は団長として罰を言いつけただけですから、謝罪は不要です。
謝るのでしたらシニカさんとミトにお願いします。
先生も許してくれているようなので、罰を終えたらまた、訓練生として修行を続けながら、騎士団の役に立って下さい」
ティアレーゼが懲罰房から離れようとすると、ストラとスミルはその背中へと声を投げて、振り向いた彼女に再度頭を下げた。
「あたし達、考えの無いバカで、焦ってしまってたんです」
「どうしても術士として役に立ちたかったのです。
あの時お母さんを助けてくれたお師匠様みたいに」
そんな言葉に、ティアレーゼはユキの方を見て微笑む。
「先生は昔からお優しいですからね」
ティアレーゼが言うと、ストラとスミルはやや首をかしげる。
「優しいのは団長さんもですよ」
「そうです。
団長さんが、お母さんを助けるためにお師匠様を連れてきてくれたのです」
ぽかんとするティアレーゼ。
やや間を開けてから、彼女はぽんと手を叩いた。
「そういえば、そうでしたっけ」
視線の先でユキが無言のまま頷く。
ティアレーゼは小さく頷いて、話題を切り替えた。
「とにかく。
罰は罰ですから、今日はここで過ごして貰います。
勝手に出られたら困りますけど、それ以外は自由にしてくれて構いません」
返事がされると、ティアレーゼは今度こそ鉄格子の外に出た。
扉を閉めるが鍵はかけない。
彼女は去り際に、ストラとスミルへと視線を向けて小さく言った。
「――2人は術士としてもちゃんと役に立てていますよ。
あの時私を守ってくれたこと、ずっと感謝していますからね」
ぺこりと頭を下げると、ティアレーゼは地下から立ち去った。
感謝を告げる言葉に、涙をたたえるストラとスミル。
そんな彼女たちに言い聞かせるように、ユキは抑揚の無い落ち着き払った声で言った。
「強くなりましょう。
焦らずゆっくり確実に。
あの方のお役に立てるように」
声を出すことも出来ずに、2人は頷いた。
ストラとスミル。術士になってからまだ僅かに2年。
彼女たちの修行は始まったばかりだった。
◇ ◇ ◇
3日後。
謹慎が解かれたストラとスミルは、騎士団関係者に迷惑をかけた謝罪を一通り終えて、練兵場にやって来た。
訓練にはシニカも付き合ってくれた。
卑怯な手を使おうとしたことを謝罪し、それでも尚訓練に付き合うと言ってくれたシニカに感謝し、それぞれの武器を構えて相対する。
シニカの展開する氷の壁をストラとスミルは攻略できない。
それでもああでもない、こうでもないと、試行錯誤しては壁にはじき返される。
師匠であるユキは彼女たちの訓練風景を眺めていた。
まだ口を挟むには早いと、手にした本へと意識の比重を置きつつ、3人の動きを流し見。
ストラとスミルの動きは良くなってきている。
同時に、シニカの方も攻撃手段について成長が見えつつある。
「順調ですか?」
訓練の様子を見に来た来客――ティアレーゼがユキへと問いかける。
ユキはこくりと頷いて「成長はしてる」と告げる。
それでも訓練風景はあまりに一方的だ。
攻め続けているのはストラとスミルだが、シニカの防御に対して何1つ成果を上げられないでいる。
「苦戦しているようですね」
「そうでなければ困ります。
2人には、解決出来ない問題をどう解決するのか、考える能力の習得を期待していますから」
「なるほど。
でしたら訓練相手にシニカさんは最適かも知れませんね」
ティアレーゼもユキがこの訓練に何を求めているのか知ると、得心いったと頷いた。
そして彼女は、興味本位でユキへと尋ねる。
「ところで先生。
参考までにうかがうのですが、先生でしたらシニカさんを相手にどう戦います?」
ユキは問いかけに対して、開いていた本を閉じるとじっとシニカの様子を見つめ、それから回答を導き出した。
「光弾を放ちシニカ様の視界を奪います」
「なるほど。その後は?」
続いての問いかけには、ユキは簡潔に回答してのけた。
「その隙に逃げます」
「――戦わないのですか?」
「無駄なことはしたくありません」
きっぱり無駄と言い切るユキ。
「どうしてもと言うのであれば、自分は弟子達よりも上手く毒を盛れるので――」
「毒はダメです。
それ以外だと何かないですかね……?」
心配になって問いかけるティアレーゼ。
ユキは何か考えるようにシニカをじっと見つめていたのだが、ややあって首を横に振った。
「ドラゴンの猛攻を防ぎきる壁です。
天使の力でも無い限り突破は難しいでしょう」
「え、ええ……。
確かに天使の力なら――」
天使の目でシニカの氷の壁を見ようとしたティアレーゼ。
だがその試みは失敗に終わった。
突破方法、どころか、そもそも壁自体が見えないし調べられない。
分かるのは、ティアレーゼの持つ空間の能力を持ってしても触れることすら出来ない何かが、そこに存在しているという情報だけ。
「天使の力使っても突破出来そうにないですけど、あの壁何で出来ているんですかね?」
ユキは観察も解析もしようとはせず、ただ感情無く静かに呟いた。
「ティアレーゼ様に分からないのでしたら、自分にも分かりませんよ」
困惑するティアレーゼ。
視線の先では、ストラとスミルが賢明に氷の壁を突破しようと知恵を働かせていた。
それが空間の天使ですら突破出来ない壁だとは知るはずも無く。
「先生、もしかして結構イジワルなのでは」
「かも知れません。
リューリ様の指導を参考にしたので」
ああそっか。
ティアレーゼは納得して、どこか諦めたように訓練風景を眺めた。
ストラとスミルが勝つ可能性は大分低い。
でも別に勝つのが目的じゃない。
不可能に挑んだ経験は、今後の成長の糧になるはずだ。
次の世代のユリアーナ騎士団を支えるのは、きっとそんな無茶苦茶な経験を積んだ術士だろう。
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