第40話 お嬢様の農業支援①


 サリタは馬車に揺られながら、窓の外に見える大きな屋敷を見る。

 それは屋敷と言うより城と呼んでも差し支えない、頑強な石造りの建物だった。


 建てられたのはおよそ100年ばかり前。

 歴史はあるが古さは感じない。

 屋敷は適切に整備がなされ、必要とあれば随時改修も行ってきた。


 既に馬車は屋敷の庭へ入っていた。

 と言うより、この辺り一帯が全てこの屋敷の庭なのだ。

 それでもやはり屋敷の前の庭は特別で、植え込みは美しく整えられ、花壇には冬に咲く蔓植物がつぼみをつけていた。


 屋敷はサリタの住居だった。

 彼女は名門貴族の子女として、午前中、本邸で行われた催し物に顔を出した。

 そこから私邸であるこの屋敷に戻り、身支度を調えて王都へ――ユリアーナ騎士団の宿舎へ戻る予定だった。


 馬車が屋敷の前に着くと、列を成した出迎えの使用人達が頭を下げる。

 サリタの隣に座っていた従者が馬車の扉を開くと、直ぐに乗降用の階段が準備された。


 屋敷の使用人を代表して、使用人長の女性が馬車へと歩み寄る。

 年齢を重ねていた彼女だが、その立ち振る舞いは優雅で乱れることが無く、馬車から降り立った主人に対して一礼すると報告事項を述べた。


「お嬢様にお客様がいらしております」


 サリタは不機嫌そうに表情を歪めた。


「留守中は誰も入れるなと言ったはずよ」


「ですがケイリカ伯嬢様でしたので」


 ケイリカ嬢。

 サリタの友人、オリアナ・ケイリカの名前を聞いて、彼女は歪めていた表情を元に戻した。


「オリアナなら良いわ。

 で、何処に通したの?」


「お嬢様のお部屋に」


「分かった。

 ってか何しに来たのよ。忙しいとか言ってたくせに」


「遊びに来たとのことです」


 まあそうでしょうねとサリタは相づちを打って屋敷へと歩き出す。使用人達もそれに続いた。

 サリタは彼女たちにいくつか注文をつける。着替えは後でいい。軽く食事をとりたい。庭の落ち葉の掃除が甘い。新人の挨拶は年明けに。父親から遣いが来ても追い返せ。そして王都へ戻るから荷仕度をするように。


 使用人達が離れると、サリタは最後まで残っていた従者へと「あんたも休んで良いと」言いつけた。

 彼女は一礼して、では食事をとって参りますと側を離れる。


 サリタは1人、自室の扉を開けた。

 重厚な扉が開かれるとベッドの上から、豪奢な部屋には不釣り合いの、緩い挨拶が投げられる。


「おかえりー。

 いやー、お偉いさんところのお嬢さんも大変だね。

 で、お父さんとは仲直りしたの?」


「するわけないでしょ」


 サリタは言い捨てて、窮屈な執務服の胸元を緩める。

 部屋は1人で暮らすには十分すぎるほど広い。ユリアーナ騎士団の大食堂だってここまでの広さはない。

 室内の調度品は品が良く素材は全て一級品。ベッドの足まで緻密な銀細工が施されているほどだ。


 そんな場所に合って、オリアナの存在だけが異質だった。

 彼女は緑がかった髪を短く切りそろえ、肌は日に焼けていて浅黒く、一見すると貴族のように見えず、農家の娘のようだった。

 年齢はサリタと同じ16歳。

 身長はほぼ同じくらいだが、オリアナは全体的に痩せ気味だった。


 オリアナ・ケイリカ。

 ケイリカ伯領領主の娘であり、サリタの友人だ。


 ケイリカ家はサリタの家に従属する小領主であり、2人は幼少期、派閥の貴族が集まる新年会で顔を合わせた。

 宗主の娘に対しても物怖じせず言いたいことをはっきり言うオリアナの性格をサリタは気に入り、遊び相手として屋敷へ呼びつけるようになった。


 今でも2人の交友は続いており、サリタが唯一、使用人以外で自室への入室を許可している人物でもあった。


 今日も貴族とは思えない安っぽい服装をして、あろうことか主人のベッドの上で干した果物をむさぼっている。

 あまりに品の無い行動に、サリタも呆れて果物ののった木皿を取り上げる。


「食べるのか寝るのかどっちかにしなさい」


「どっちも出来る贅沢を噛みしめてたのさ」


 オリアナは起き上がり、部屋の中央に置かれた机へと移動する。

 サリタの個人用の机から椅子を拝借し腰掛けると、そこで果物の続きを食べ始めた。

 サリタは対面の椅子を引いて座る。


「普通は主人の椅子は引いて差し上げるものよ」


「だから自分で椅子持ってきたじゃない」


「あたしの椅子の話をしてるのよ」


「引いて欲しかった?」


「別に。

 そもそもあんたがこの部屋でくつろいでるのが問題なのよ。

 あんたの部屋は隣に作ってあるわよ」


「こんな広い部屋を1人で使うなんてもったいない」


「部屋は余りまくってるのよ。

 それに、広い部屋を1人で使う贅沢を享受したって構わないでしょ」


 オリアナは「一理あるね」と笑った。

 それからこれ美味しいねと、黄色い果物を差し出す。

 サリタは受け取ったそれを口に運ぶ。果実の甘みが口いっぱいに広がる。

 しかし長時間の移動から帰ってきたばかりで、今は甘いものより飲み物が欲しかった。

 甘いものを口にすると余計に喉が渇く。


 従者には休憩をとらせている。

 そして、オリアナに頼んだところで飲み物は用意されない。

 何故自分の屋敷で自分のお茶を自分で用意せねばならないのか。

 常に不機嫌そうなサリタの顔が一層不機嫌そうに歪む。

 そんな彼女へと、オリアナは問いかけた。


「リタはお茶飲む?」


「飲もうかしら」


 サリタは歪めていた表情を戻す。

 オリアナが主人に気を使ってこのような発言をするのは意外だった。


 オリアナの、主人とか家来とかを気にしない態度は好ましいとは感じているのだが、いい加減年齢も年齢なので立場をわきまえた行動をとれるようになって欲しいとも思っていた。

 そんな矢先に、主人のためにお茶を振る舞おうというのだ。

 貴族としての自覚が芽生えてきたことにサリタは喜ぶ。


 そんな彼女へと、オリアナはさらりと言う。


「じゃあわたしの分もよろしく」


 サリタはため息をついた。

 オリアナに対してでは無い。

 彼女が成長したなどと勝手に勘違いした自分に対してだ。


 オリアナ・ケイリカとは、とかくこういう人物なのである。

 だからサリタは、彼女を友人として大切にしているのだ。


 それでも主人なのだから、注意しなければならない。


「ご主人様がお茶を飲みたいと言ったらね、「では自分が入れてきます」と返すのが正しいのよ」


「本気で言ってる?

 リタはわたしが入れたお茶飲みたい?」


 サリタは即答した。


「飲みたくない」


 オリアナがお茶を入れられるとは思えない。

 泥水を平気で飲むような奴だ。彼女の知っているお茶が、サリタの知っているお茶とは全く別のものである可能性もある。

 オリアナは笑う。


「でしょ。

 でもわたしはリタの入れたお茶でも我慢できるよ」


「なによそれ。

 まるであたしの入れたお茶がまずいみたいな言い方」


「厨房に入ることさえ稀なリタが入れたお茶が美味しいわけないよ」


 オリアナが挑発するように言うと、サリタは勢いよく立ち上がった。


「ちょっと待ってなさい。

 茶葉をゴミに変えるあんたと違って、あたしはお茶くらい普通に入れられるのよ」


 釣り上がった目でオリアナを睨み付けたサリタは、肩を怒らせて部屋から出て行った。

 オリアナはちょろい相手だぜと内心笑って、果物を口に放り込むとあまりの甘さにむせ込んだ。


    ◇    ◇    ◇


 サリタとオリアナは屋敷の食堂で向かい合い、遅めの昼食を食べていた。


 サリタの入れたお茶は、使用人達が腫れ物を扱うように慎重にフォローし続けたのもあり、概ね上手くいった。

 オリアナも、流石は使用人さんのレベルが高いと、働き者の彼女たちを賞賛した。


「何事も積み重ねだよ。

 いつかきっと、使用人さん達もリタが1人で厨房に立っても近寄らなくなるさ」


「それはそれで腹が立つのよ」


 何をされても機嫌が悪そうなサリタ。

 行儀悪く肘をついて食事を進める。

 軽めの食事は直ぐに終わり彼女はフォークを置いたのだが、皿には手つかずの野菜が残されていた。

 濃緑色の、若干苦みはあるが甘く煮込まれた野菜だ。


 サリタはこれがあまり好きでは無かった。

 だから料理人に対して、2度と出すな。2度と出すなと言っただろ止めろ。次やったら解雇する。荒野のど真ん中に追放する。何の恨みがあるんだ苦情があるなら直接言え。家族の命が惜しくないのか。と言いつけたのだがまるで効果は無く、サリタ側が入れても良いから量を減らせと折衷案を出したため幕引きとなった。


「それ食べないよね。

 貰うね」


 オリアナが対面から手を伸ばし、フォークの先で野菜を3つ重ねて突き刺すとそのまま口に運んだ。

 サリタは行儀が悪いと顔をしかめたが、肘をついてる自分もさして変わらないとため息を吐いた。


「で、あんた結局何しに来たのよ。

 あたしをからかいに来た訳じゃないでしょ」


「それはメインの目的の1つに過ぎないよ」


「次にふざけた理由で訪ねてきたら出禁にするわ」


「冗談はさておき、王国祭で忙しくなる前に挨拶しておこうと思ってね」


「で、何しに来たの?」


 サリタはオリアナの言葉を真面目に受け取らない。

 わざわざ挨拶しに来るような奴じゃないのはよく分かっていた。

 そもそも王国祭前に、2人でシャルロット姫主催の食事会へ出席する予定になっているのだ。

 年末前の挨拶ならそこで済ませられる。

 わざわざサリタの帰省時期を見計らって屋敷を訪ねたのは、他に理由があるはずだ。


 オリアナはサリタの追求に対して肩をすくめると、お茶を1口飲んでから言った。


「これから冬前最後の収穫なんだけどね

 魔力欠乏が解消されたのもあって豊作で、まあ嬉しい悲鳴だよね。ちょっと人手が足りないのさ」


「それでうちに人員手配しろと」


 まあありそうな話だ。

 天使ティアレーゼの活躍によって大陸の魔力欠乏が解消されて数年。

 大陸全土は徐々に回復していく収穫量に沸いていた。


 サリタの屋敷とその周辺の農地では収穫繁忙期を過ぎたため手は空いている。

 この冬直前に収穫するような領地はたかが知れているのだ。

 貸しだそうと思えば人員は確保できるだろう。


 だがサリタの問いかけに対してオリアナはかぶりを振った。


「人員出せって程でもないのさ。

 暇ならリタもどうかなって思って誘いに来ただけ」


 サリタは頬杖をついて、ぽかんと半分口を開けた。

 オリアナが一体何を言っているのか分からない。

 分からないというか、理解できない。

 確認するように問う。


「まさかと思うけど、あたしに収穫手伝わせようとしてる?」


 オリアナは、なんでそんなこと聞くんだ? と、サリタを馬鹿にするような表情を浮かべて頷いた。


「そう言ったつもりだけど」


「あんた、あたしがどういう立場の人間か知ってる?」


 サリタが問い返す。

 サリタは宗主の娘だ。

 地方の貧乏貴族であるオリアナなんて、彼女にとってみれば吹けば飛ぶような存在だ。


 そんなサリタに対して農作業を手伝えというのである。

 とんでもない話である。

 だがオリアナはあっけらかんと返した。


「友達を誘いに来ただけだよ。

 ま、農作業は楽しくないし辛くて大変だよ。

 得るものがあるかと問われれば無いし、疲れるだけかも知れない。もちろん報酬は出ない。

 それでもね。きっと良い経験になる! ――と断言は出来ないけど、可能性はゼロじゃないかも知れない」


「引き受けさせる気あるの?」


「嫌なら無理にとは言わない。重労働だからね」


 きっぱり言ったオリアナ。

 サリタは蔑むような目を向けて、「バカバカしい」と一蹴した。

 それからやや間を置いて、視線をオリアナから逸らしつつ尋ねる。


「で、いつから?」


「明日」


「なら直ぐ出発ね」


「そうなるね。

 ああ。リタが来たとなると大騒ぎになるから庶民のふりしてね」


「なんであたしが。

 ――準備できる?」


 嫌そうにしつつも、サリタは従者へと問いかける。

 彼女は「直ぐに用意します」と頷いて、数人の使用人を引き連れて食堂から出て行った。


「全く、感謝しなさいよ。

 このあたしが収穫の手伝いなんてあり得ないことなのよ」


「分かってる分かってる。

 超感謝してる」


「どうだか」


 素っ気なく返しつつ、サリタは食事の後片付けをするように使用人へ言いつけると、着替えのためクローゼットへと足を向けた。


 

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