第20話 副団長の反乱③
午後3時過ぎ。
ユリアーナ騎士団大浴場は、湯船にいっぱいのお湯がはられ、使用に際しての問題は無いと最終的に確認された。
イブキが作り込んだシャワーシステムも正常稼働。
レバーの切り替えで、出てくるお湯の量はもちろん、温度調節も出来る優れものだ。
「本当はサウナも作りたかったけど、まあこんなもんかなー。
とにかく再開時刻に間に合って良かった。
2人とも感謝してるよ」
イブキは最後まで作業に従事したカイとグナグスへと礼を述べる。
最後の1人、フアトは作業途中で姿をくらまし、それきり何処かへ行ってしまったようだ。
イブキの計画ではフアトのサボりを織り込み済みだったので、作業には大きな問題を来さなかった。
「それにフアトにもね。
文句ばかり言うわりには、毎朝ちゃんと時刻通りに顔出してくれてたし」
イブキの言葉に、カイとグナグスは顔を見合わせてため息を吐く。
「あいつはふざけたお調子者で、まあそういう奴なんだ」
「根は真面目なんだよ。ただその更に奥の性根が腐ってるだけで」
フォローしたようで全くしていない言葉にイブキは笑う。
短い付き合いだが、フアトがどういう人間なのかはなんとなく分かっていた。
「ま、ともかく無事に作業も終わったことだし報告に行こっか。
こういう場合はティアに言えば良いのかい?」
「いやユキだろう。
連絡はユキにさえ回しておけば、後は向こうで必要な人間に伝えてくれる」
「流石、出来る監察官様だね」
3人は報告のため、脱衣所前に置かれた『作業中』の看板をそのままに、ユキの元へと向かった。
1人、機械室奥の小部屋に潜んでいたフアトは、3人が大浴場から去るとにやりと品の無い笑みを浮かべる。
そこは機械室に今後拡張が必要になった時用にと、イブキが付け加えていた小部屋。
今は物置として、湯沸かし器と揚水機用の、魔力の込められた法石の欠片がしまわれているだけの空間だった。
「ふん。
誰がふざけたお調子者で性根が腐っているだって!
僕は由緒正しきメイルスン家の嫡男。
君たちとは発想のレベルが違うのさ!」
フアトが機械室奥の物置に籠もっている理由はただ1つ。
彼は修復に際して、壁材の材料に細工を施していた。
フアトのブローチが白く輝き魔力が溢れる。
その魔力は壁材に施された魔力機構を作動させた。
魔力の作用によって、壁は透明になっていく。
光の屈折作用を施された特殊な壁材。街の魔道具屋に特注して作らせた一品だ。
壁の向こうは大浴場。
そして機械室側から見たら透明でも、大浴場側からは普通の壁材にしか見えない。
「僕に協力すると言っていればこの特別室の秘密を教えてあげたというのに。
まあいいさ。僕はこの特等席で、我が世の春を謳歌しようじゃあないか!
――湯気で向こうが見えにくいな」
服の袖で透明な壁を磨くフアト。
しかし曇っているのは大浴場側で、機械室側を拭いても曇りは晴れない。
「クソッ!
こんなところで障害が! いや、大丈夫だ!
まだ見ようと思えば見える! それに、誰かが内側からお湯をかけてくれれば湯気も流れる!」
湯気に邪魔されながらも居座りを選択したフアト。
すると、大浴場の扉が開く音が聞こえた。
湯気のせいで遠くの様子はよく分からない。だが服を着ているのは確かだ。
フアトは耳を澄ませる。
「おー、前より綺麗になってるね。
あ! シャワーがある! しかもちゃんとしたやつだ!」
声の主はミトだった。
ミトの出現にフアトは身体を震わせる。
フアトは決してミトには逆らえない。彼女には命を助けられた恩がある。
「お、落ち着くんだ僕。
ミトが来たから何だって言うんだ! この壁には高位解析能力を持つ術士でなければ気がつけない!」
コツコツ貯め込んだ小遣いを使い切った特注品だ。
並大抵のことではバレない。
ミトはシャワーを一通りいじってみた後、湯船の方にやって来た。
近づいたことでミトの輪郭がよく見える。
彼女は湯船のお湯に手を浸してその温度を確かめる。
「私はもうちょっと熱い方が好きだけどなあ。
ユキはどう?」
ミトが唐突に、同行者に声をかけた。
その人物はあまりに小柄だったため、フアトの側からはミトに隠れ、視認することが出来なかったのだ。
ミトの背後に居た彼女――ユキは、ミトと同じように湯船に手をつけると即座に引っ込める。
「自分には熱すぎます。
湯船というのはどうも苦手です」
「そうだったね。
じゃ、特に問題もなさそうなら看板出しちゃおうか」
「はい。
ところで、その壁は何故魔力による細工が施されているのでしょうか?」
フアトの背筋が凍った。
即座に逃げ出すべきだった。
いや、全ては遅かったのだ。
ユキが大浴場に入ってきたのを見逃した時点で、フアトの敗北は決定していた。
彼女は高位解析能力どころではない。
世界で唯一の神位解析能力の持ち主だ。
ユキが法石を持った状態で大浴場に入ってしまえば、何もかも露見してしまうのは道理だ。
彼女の目を誤魔化せる魔道具などこの世界には存在しないのだから。
「細工ってどんな細工?」ミトが問う。
「こちら側と向こう側で光の通る経路が異なるようです。
向こう側からは大浴場内が見えるようになっています。
イブキ様が浴場内の状態を観察できるように設置したのでしょうか?」
「へえ。こっち側を見えるようにね。
そんな設備、イブキは置かないと思うよ。でも詳しく聞いてみようか」
「はい。
もしくはフアト様に尋ねてみるのがよろしいかと。
現在向こう側におられるようですので。
何かの作業中でしょうか」
「フアトが?」
ミトの目が透明な壁側を向いた。
彼女が手でお湯を壁にかけたので、湯気が晴れ、フアトの目にも彼女の姿が映る。
半分に細めた、真っ黒な瞳が感情無く壁の向こうを見ていた。
ミトにはフアトの姿を直接見られない。
だがフアトは彼女に睨まれたように感じて、その場から一歩も動けなかった。
「フアト、そこに居るの?
聞こえたら返事なさい」
「はい、居ます」
フアトは即答した。
調子に乗ることもある。ふざけることもある。仕事をさぼることもある。
だが、ミトに逆らうことだけは絶対にあってはならない。
それがフアト・メイルスンが唯一誓った騎士道である。
「他に人は?」
「居ません」
ミトは返事を受けて全てを理解した。
その壁を誰がどういう意図を持って設置したのか。
そしてフアトがそこで何をしようとしていたのか。
「覗きとは良い度胸だね。
ユキ、この話、あまり広めない方が良いかな」
「はい。
騎士団内で覗きとなれば大問題に発展します。
幸い大浴場は再開前。内々で処理するのがよろしいかと」
「そうだね。
執務室は空いてる?」
「現在ティアレーゼ様が使用中です」
「じゃあユキの部屋で。
フアト、聞こえたね? 直ぐにユキの部屋集合。
逃げたらどうなるか――なんて言う必要もないか。大急ぎでよろしく」
「はい直ぐに」
フアトの運命は決した。
決してバレてはいけない犯行が、未遂とは言え露見した。
逃げられやしない。
彼に出来るのは、許しを請うことだけだった。
◇ ◇ ◇
ユキの部屋で床に正座させられたフアトは、ことの顛末を詳細に説明した。
椅子に座ったミトとユキは彼の陳情を最後まできく。
フアトは他の3人は事件に一切関係が無いと4度に渡って訴えた。
最初に「嘘偽りの無いこと」と言いつけていたのもあって、ミトはそれを信じる。
陳情が終わると、ミトはうんざりしたように鳶色の瞳でフアトを見下して、ため息を深く吐く。
「あのねえ。
こんなこと言いたくはないけど、風呂場の覗きなんて、見られたら恥ずかしいとか、そういう話じゃ済まないんだよ。
騎士団全員の、団員同士の信頼関係をぶち壊してしまうような事件だって理解してる?」
「はい。
理解していましたが、行動に移してしまいました。
全て自分の不徳のいたすところです」
「だろうね。
それにうちにはサリタとか居るんだよ。
下手しなくても大問題に発展してたって想像できない?」
「考えが及びませんでした」
ミトは再びため息をつく。
フアトは頭を深く下げて、全面降伏の状態を継続していた。
そんな彼へとミトは問う。
「私が何を一番怒っているか分かる?」
フアトは言葉を選びながら、慎重に答えた。
「はい。
ティアレーゼ様のお風呂場での姿を目撃する可能性があったことであります」
「可能性があったじゃないよね。
気づくのが遅かったら、確実に目撃してたよね」
「はい。その通りです」
怒れるミトだが、フアトが素直に状況を認めると私刑の執行については保留する。
「未遂でユキが気づいて助かったね。
実行に移されてたら、私はあなたの両目を潰さないといけないところだった」
「はい。ユキ様には感謝してもしきれません」
ユキは自分の名が呼ばれても、黙々と調書を記し続けていた。
ミトは厳命するようにフアトに言いつける。
「私は、私が認めた以外の男性が、ティアの裸を見るのを絶対に許さないから。
それだけ肝に銘じておいて」
「はい。
大天使ティアレーゼ様に誓います」
「偶然見てしまいそうになった場合は?」
「両目を潰して心臓を刺します」
「大変結構。
私からは以上だけど、ユキから何かある?」
問われてユキは、調書をつける手を止めてフアトへと視線を向ける。
彼女は淡々と、感情ない声で告げた。
「同じ志の元に集まった騎士団ではありますが、同時に他人の集まりでもあります。
固いようで、少しのきっかけで崩れるかも知れぬ結束です。
個人的な動機で結束を崩すような行動は慎むように。
監察官としてはそれだけ伝えさせて頂きます」
「はい。
監察官様のおっしゃるとおりです」
話は終わりかと思われたが、ユキはもう1つと付け加えた。
「これは個人的な意見ですが。
次は未遂でも容赦しません。
目はミト様が潰すでしょうから、自分は足の指を潰します。
自分からは以上です」
抑揚のない淡々とした声で、厳しい処罰について言及したユキに、フアトは深く深く頭を垂れた。
「寛大な処置、痛み入ります。
この度は本当に申し訳ありませんでした」
フアトが謝罪を述べると、ミトはユキへと尋ねる。
「未遂だし、問題を公には出来ないけど、罰なしって訳にもいかないかな」
「はい。
でしたら良い案があります」
「じゃあそれで。
フアトも構わないね?」
罰の内容は明かされないが、フアトに選択権がないのは明らかだ。
彼は大きく頷き、全てをユキの判断に委ねた。
◇ ◇ ◇
夕食時、食堂に一同が集まった。
食事の準備が終わると、団長のティアレーゼから食事前の連絡事項が伝えられる。
「大浴場前の告知を見て頂けた方はご存知とは思いますが、大浴場は設備に問題が見つかったため再開延期となりました。
再開時期は未定となっています」
大浴場の再開延期は既に全員が知っていた。
男性陣に至ってはその理由も把握していた。
フアトのやらかしが露見し、設備の改修が必要になったのだ。
イブキは挙手して発言権を得ると立ち上がる。
「この度はこちらの不手際で再開が遅れ申し訳ありません。
速やかに改修を施すので、もうしばらくお持ち頂きたい」
「頭を上げてください」
イブキの謝罪に対してティアレーゼが応じる。
「修復作業をイブキさん達に任せきりにしていた私にも責任があります。
どうか無理せず、手が必要でしたらご相談ください」
「必要な場合はそうさせて頂きます。
大浴場の問題については技術的なものなので、手は足りています。
明日には日程の見積もりも出せるものかと」
「何から何まですみません」
真相を知らないティアレーゼは謝罪し、それからもう1つの報告事項に進む。
彼女はフアトの顔を見て、ユキから渡された人事案について発表する。
「このような状況の中、フアトさんから提案がありました。
現在イブキさんに建築班長を任せていますが、フアトさんが副班長に立候補したいと。
――ということで合っています?」
首をかしげるティアレーゼ。
フアトはその発言に大きく頷くと立ち上がる。
そして威風堂々とした物言いで答えた。
「そうとも。
長らく修復に携わった僕こそ、副班長にふさわしいと感じてね。
是非やらせて頂きたいと立候補したまでさ」
実際は覗き未遂に対する懲罰人事だが、彼の態度はそんなことを微塵も感じさせなかった。
「副団長を任せているのに、建築副班長も掛け持ちになりますが大丈夫ですか?」
ティアレーゼはそんな彼を気遣う。
フアトは高笑いした。
「はっはっは。
だからこそじゃないか。
騎士団が抱える最も大きな問題が施設再建である現状、そこに注力するのが僕の役目さ!
施設再建については僕とイブキ君に任せてくれたまえ!」
お調子者のフアトにとってすれば、本当は嫌なはずの罰もこの通りである。
カイとグナグスは冷めた目で彼を見つつも、この苦境の中でも常に前向きな姿勢は見習いたいとすら思った。
「フアトさんには、何から何まで助けられてばかりですね。
ではご不便おかけしますが、建築副班長、どうぞよろしくお願いします」
「なーに。
王家派名門、メイルスン家の嫡男として当然の選択をしたまでさ!」
最後までフアトは堂々としていた。
まさか女性陣は、彼が女湯覗きを計画した大罪人だとは夢にも思わないであろう。
ティアレーゼは施設再建について団員の協力を呼びかけると、いつも通り食事開始の挨拶を述べた。
◇ ◇ ◇
「にしても、良い造りだね。
詰めが甘かったみたいだけど」
フアトの設置した魔法の壁を撤去しながら、その精巧な造りを素直に認めるイブキ。
壁の撤去を女性陣に任せるわけにはいかない。
自然と、作業に参加するのはいつものメンバーだけとなった。
作業への協力を申し出たルッコは、今はサリタの元で外壁の修復に当たっている。
「この度は僕の勝手な行動で作業量を増やしてしまいすまない」
自身に問題があると明確なフアトは、こんなバカな作業にも協力してくれる3人に頭を下げる。
自称名門貴族で、度々尊大な態度をとるフアトだが、自身に非があれば素直に謝る人間でもある。
そういうところもあってカイもグナグスも彼を見捨てられないのだ。
「ユキが見たら気づくのは当たり前だろ」カイが言う。
「はっはっは。
法石さえ持ち込まれなければやり過ごせるかと期待してしまったのさ」
「ユキは週に1度は施設全体に問題ないか巡回してるぞ」
「えっ!?
初耳なんだけど!?」
フアトはその事実に驚き、問題が露見するのは時間の問題だったと知る。
というか、あのタイミングでバレなければ未遂とはならず、ミトに目を潰され、ユキには足の指を潰されるところだったのだ。
その他、女性陣からの私刑の内容も合わせれば命を失ってもおかしくは無かっただろう。
「バレたのに命が助かっただけ、良い方だったね」
グナグスの冷めた意見にも、フアトは完全に同意を示した。
今回は何から何まで運が良かった。
もし発見現場にサリタが居たら、軽い罰ではすまなかったはずだ。
「それで、君たちは僕を見損なわないのかい?」
いろいろ言いつつも、作業に手を貸すカイとグナグス。
2人はフアトへと向き直りそれぞれの意見を述べた。
「バカな副団長の尻拭いも団員の仕事だ」とカイ。
「とっくに見損なっててこれ以上落ちようがない」とグナグス。
一切褒めてはいない言葉だが、フアトは感涙して2人を抱きしめる。
「ありがとう!
これからも僕たちはずっと友人だ!」
「話聞いてないなこいつ」
「耳まで腐ったの?」
2人に蔑まれながらもフアトは抱擁を解かない。
その頭に、イブキのバインダーがこつんと落とされた。
「これからはボクの部下だから、しっかり働いて貰うからね、副班長」
フアトは上機嫌で調子よく答えた。
「はっはっは!
この名門メイルスン家嫡男、フアト・メイルスンに全て任せておきたまえ!」
どこまで本気か分からない言葉に、イブキは「期待してる」と返した。
役職がつけば少しは真面目にもなるだろう。
これまでサボっていたフアトの半人分の作業量が加わるのなら、少しばかり増えた魔法の壁撤去の仕事もそう悪いものじゃない。
「勝手な設計変更は金輪際止めて欲しいけどね。
女湯が覗きたくなったら、ボクが一緒に入ってあげるさ」
イブキは作業服を膨らませていた大きな胸を持ち上げて見せる。
それにフアトはげんなりとして、口元を引きつらせて答えた。
「女装癖は、遠慮しておこうかな」
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