第19話 副団長の反乱②


 女湯を覗く。

 フアトの宣言に、イブキは作業のため手にしていた法石の欠片を取り落とし、冷たい視線を彼へと向けた。

 カイとグナグスも同様に、信じられないアホを見る目でフアトを見た。


「止めた方が良いと思うよ」とイブキ。

「やって良いことと悪いことがある」とカイ。

「バカな考えでしかない」とグナグス。


 1人くらいは味方についてくれるのではと期待していたフアトは、3人の反応に驚いた様子だった。

 だって女湯だ。

 決して見てはならぬ桃源郷。

 しかもユリアーナ騎士団は美人揃い。

 子供っぽい団員も多いが、ミトやリューリなど大人の女性の魅力を備えた団員もいる。

 やや物足りないが名家令嬢であるサリタだっている。

 

 しかしそんな彼のバカげた考えを止めさせようと、グナグスは忠告した。


「バレるに決まってるよ。

 向こうにはティアレーゼもユキもいる。姉さんだって気がつくよ」


「大丈夫だって!

 浴場には法石を持ち込まない!

 能力なしならバレないはずさ!」


 フアトは仲間を増やそうと、必死に問題は無いと熱弁する。

 されど物理的な問題はなくても、倫理的な問題はあるとカイが言う。


「バレるバレないの話じゃない。

 他者に対してあまりに失礼だ。騎士として間違ってる」


「騎士としてじゃない!

 男としてやり遂げるべきなんだ!」


「男として以前に、人間として間違ってる」


 カイのくそ真面目な正論をフアトは意に介さず、イブキの方へと視線を向けた。

 イブキはバカバカしい話に付き合っていられないと、既に湯沸かし器のテスト準備作業を再開していた。


「なあイブキ君」


「ボクは自分がやられたら嫌なことは他人にもしない主義なんだ。

 覗きには手を貸さない。

 でもフアトがそれを止められるのが嫌なら、無理に止めさせようともしないさ」


 イブキも協力を拒否。

 更に付け加えるように言う。


「一応教えておくと、大浴場の換気口は外部からのぞき込めない2重構造に改築してるから。

 ま、やるなら上手くやることだね」


「え!? なんでそんな改築したのさ!!」


「入浴中に敵襲があった反省を活かしたのさ」


「君のせいじゃないか!!」


 フアトはカイの肩を掴んで身体を揺する。

 カイは鬱陶しいそれを振り払い「襲ってきた奴に言え」と吐き捨てる。


「じゃあ僕はどうやって女湯を覗いたら良いんだ!」


「覗くなってことだろ」


 あまりに惨めな姿をさらすフアト。

 カイは呆れかえり、バカを放って作業に戻った。

 魔力式湯沸かし器は火の魔力を充填すると動き出し、期待通りの熱量発生が確認された。

 大浴場再開までの作業は順調に進展していった。


    ◇    ◇    ◇


 午後になってもフアトは諦めていなかった。

 3人が浴場内で湯沸かし器の設置と水温測定を進めている中、1人で脱衣所の壁をよじ登って通気口を覗けるかどうかチェックする。


「やはりな。僕の目に狂いは無かった。

 外側は2重構造だが、こちら側からなら大浴場が見える!

 問題はどうバレずにここまで侵入するかだな」


 全員が大浴場に入ってしまえば脱衣所に人は居なくなる。

 そうなれば後は物音を立てず、通気口の真下まで来て、覗くだけだ。

 そのためには踏み台と、この位置を死角にしておくための壁が必要だと、彼は計画を練っていく。


「お前、まだやってたのか……」


 浴場から出てきたカイが、壁に登るフアトの姿を見て大きくため息を吐いた。

 壁に登るアホの姿はとても貴族の、しかも名家の出身とは思えない。


「ふん。

 貴族は一度決めたことは最後までやり通すものさ。

 今からでも仲間に入れてやっても良いんだぞ」


 惨めな姿を晒しておきながら尊大な態度をとるフアト。

 カイはもう一度ため息をつくと、ほどほどにしておけよと忠告してそのまま脱衣所から出て行った。


「愚かな奴め。

 いつか僕が正しかったと気がつくことになるのさ」


 通気口にしがみつくように垂れ下がっていたフアトは、勝ち誇った顔でそう言い捨てた。


    ◇    ◇    ◇


 フアトのバカの考えにはいつもうんざりさせられる。

 騎士団員のカイは、イブキに頼まれた揚水機の操作のため、野外に設置された機械室へと足を向けていた。


 脱衣所から出たところで、向こうから両手に木桶を抱えた誰かが接近してくるのに気がついた。

 木桶は高く積み上がり誰が持っているのか分からない。

 というか、いくら何でも抱えすぎだった。


 カイは小走りで近づき、その人物へ声をかける。


「半分持とう」


「カイ君!

 お願いします、前が見えなくって」


 木桶の持ち主はルッコだった。

 カイが木桶の上半分をゆっくりと受け取ると、彼女は太陽のような笑顔を浮かべた。


「ありがとうございます。助かりました」


「2回に分けたら良いんだ」


「えへへ。そうですね。

 でも1回で持ちきれるかなって」


 見切り発車で全部抱えた結果、降ろすに降ろせなくなったのだろう。

 ルッコは「脱衣所までお願いします」と言うので、カイは頷いて彼女と共に脱衣所に向かう。

 だが脱衣所にはアホがぶら下がっているのを思い出し、カイは脱衣所前で足を止めた。


「悪い。

 作業中で危ないから脱衣所には入れない。

 作業が終わったら中に運び込むからここに置いてくれ」


「あ、そういえば湯沸かし器を取り付けているんですよね。

 では大浴場への入り口前の棚に並べて置いてください」


「分かった。しっかり並べておく。

 ――ルッコが作ったのか?」


 木桶はまだ木の香りがする真新しい品で、水漏れがないように端面は丁寧に整えられて金属の輪でしっかりと止められている。

 緻密な造りのそれは、日用品であるのに芸術品のようで、素人のカイにも良い品であることが分かった。


「はい!

 わたし、手先は器用ですし、この木材は実家から持ってきた物ですから扱いにも慣れてます。

 それに家具製作担当でしたからこれくらいはやらないと!」


 あまりに出来の良い木桶にカイは「良い仕事だ」とルッコを褒め称える。

 男性陣が建屋の修復をしている間、ルッコは1人で家具の修理・製作を行ってきた。

 木桶のような小さいものから、施設正面の大時計。食堂の大机。各部屋のベッドやタンスも、ルッコによって1つ1つ丁寧に、一切の手抜きのない完璧な仕事によって産み出された。


 他の誰にも出来ない、ルッコにしか出来ない仕事だった。

 それを彼女はやり遂げたのだ。


「悪いな。全く手伝えなくって」


「良いんです。わたしが好きでやったことですから。

 それよりカイ君やグナグス君、フアト君にイブキさんのほうがずっと大変でしたよね」


「イブキに言われたように手を動かしてただけだ」


 大したことは無いとカイは謙遜するのだが、ルッコは「そんなことないですよ」と満開の笑顔を浮かべる。


「あたし、お風呂が直ってとっても嬉しいです。

 直してくれてありがとうございます。

 家具の製作もこれで一段落したので、明日からはわたしも手伝いますね!

 みんなの騎士団施設ですから、みんなで直さないとですもんね!」


 まるで汚れのない、真っ直ぐなルッコの笑顔。

 それをカイは直視できない。

 今扉一つ隔てた向こう側で、女湯を覗いてやろうと熱意を燃やす不届き者が居るのだ。

 カイはその不届き者を突き出すどころか、かくまうような真似をしてしまった。


「そうだな。

 ルッコが手伝ってくれるととても嬉しい」


 そう言ったカイの声は、抑揚のない不自然なものだった。

 ルッコは違和感には気がつかず問いかける。


「ところでカイ君はどうして外に?」


「ああ。

 イブキに機械室の操作を頼まれて」


「お邪魔してしまいましたね。

 みなさん大浴場の再開を楽しみにしていますから、わたしは気にせずそちらに向かってください」


「そうさせて貰う」


 小さく頷くカイ。

 そんな彼へと、ルッコは何か思い出したように「あ」と短く声を発した。


 カイが足を止めると、ルッコはその前に立ち、小さな拳をカイの胸にトンと当てた。

 そしてキラキラと輝く笑顔でカイを見上げて、はにかんだ様子で言う。


「わたしが入っている間、お風呂を覗いたりしたらダメですからね!」


 カイは自身を見上げるルッコのあまりに眩しい笑顔を直視できなかった。

 今やるべきことは何か。

 騎士としてどう行動するべきなのか。

 カイはしっかりとルッコに対して頷いた。


「当然だ」


「えへへ。冗談ですよ。

 修復作業、頑張ってください!

 今日はカイ君達のために、美味しい料理をごちそうしますね!」


 ルッコは嬉しそうに、鼻歌交じりでその場から立ち去っていった。

 カイは拳を握りしめ、ベルトに下げた法石から魔力を引き出す。

 緑色の魔力は2つに分かれ、それぞれがシンプルで無駄のない形状の、両刃の小剣となる。

 双剣を構え、カイは脱衣所の扉を開いた。


 不届き者はいなくなっていた。

 だが外に出ていないと言うことは、大浴場に戻ったのだ。

 カイは剣を構えたまま大浴場に踏み込む。


「フアトはいるか!

 前に出ろ!」


 剣を構え、尋常ではない剣幕で声を上げるカイ。

 その姿にフアトはびびり、グナグスの背後に隠れようとするのだが、首根っこを掴まれ前に蹴り出された。


「グナグス君! なんてことするんだ!

 カイ君もどうしたというのかね。物騒じゃないか。剣なんて抜いて」


 カイはフアトのふざけた言動には耳を貸さない。

 右手に持った剣をフアトの眼前に突き出す。


「覗きなんて止めると誓え。

 騎士として間違った行為だ。

 だが今なら引き返せる。これ以上進めば戻れなくなるぞ」


「どうしたんだ突然。

 僕は貴族だ! 一度決めたことは最後まで――」


 カイは剣を振り上げた。

 臨戦態勢は整い、緑色の魔力が双剣を包み込む。


「続けるというならお前を斬って、俺も腹を斬る」


 カイは真っ直ぐな瞳でフアトを睨んだ。

 フアトは分かっていた。

 カイは冗談の通じないくそ真面目野郎だ。斬ると言ったら斬る。

 そしてフアトには彼に抗う術が無い。重くて邪魔だからと言う理由で、武器は自室のクローゼットにしまいっぱなしだ。


「――ふん。

 貴族として、副団長として、時として部下の進言を聞き入れるのも務めだ。

 今日は君の騎士道に免じて、君の言い分を受け入れることにしようじゃないか。

 女湯を脱衣所から覗いたりしない。

 君の騎士道と、女神ユリア様に誓おう」


 カイは品定めするようにフアトの目を真っ直ぐに見た。

 それからフアトの濁った瞳に不安を覚えながらも、魔力を解放して具現化した双剣を消し去る。


「お前なら理解してくれると信じていた。

 武器を抜くような真似をして済まない。

 団員として罰は受ける」


「僕のためを思った忠告だ。

 罰など不要だろう」


 フアトの寛大な態度に、カイは頭を下げて礼を言った。

 それからイブキへと作業が遅れたことを誤り、直ぐに機械室へと向かうと告げて浴場を後にした。


 残されたフアトは、不適な笑みを浮かべる。


「はっはっは。

 カイの裏切り者め! 浅はかだったな!

 僕は脱衣所からは覗かないと誓ったが、余所から覗かないとは誓わなかったぞ!」


 まだめげないフアトに、グナグスは呆れ果てて肩を落とす。

 このバカにはカイの忠告も無駄でしかなかった。


「貴族とは、どんなときでも勇敢に立ち向かうのさ!

 僕は最後までこの計画をやり通してみせるぞ!!」


「そんなのを勇敢とは言わないよ」


 グナグスの、全てを諦めた冷め切った言葉も、フアトの耳には届くことは無かった。


 

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