第17話 天使の痕跡⑤


 ティアレーゼは気がついたときには未知の場所に居た。

 でも直感がここが何処なのかを伝える。

 ――冥府だ。


 ツキヨの言葉では生者は冥府にはたどり着けないとのことだったが、ティアレーゼは1度仮死状態になった過去がある。

 死んだと判定されていても不思議はない。


 だから一刻も早く元いた場所に戻らなければならなかった。


 背後を振り返るが、来るときに見た大きな鏡は存在しない。

 周囲を8本の石柱に囲まれた小高い丘の上。

 屋根もなく吹きさらしで、赤く染まった空が見渡せた。


 丘から遠くを望むと町並みがあった。

 となれば人が居るはずだ。現世に帰る方法も分かるかも知れない。


 そう考えた瞬間、空から何かが勢いよく飛びかかってきた。


「っ――」


 ティアレーゼは咄嗟に具現化した小剣を構えた。

 小剣へ魔力を込め、激しい水流を強くイメージする。

 いつでも魔力を打ち出せるように構えて居ると、飛んできた人影は目の前に着地した。

 そして、武器を構えるティアレーゼを見て首をかしげる。


「あれ?

 わたしのお客さんじゃなかった?」


 きさくな物言いの、雰囲気の明るい快活な若い女性。

 性格を現すように見た目も派手で、金色の髪に大きな青い瞳。服装も色鮮やかで胸元は大きく開けられていた。


 彼女にまるで敵意がないのをみて、ティアレーゼは小剣を消し去って名乗った。


「ええと、私、ティアレーゼと言います。

 あなたはどちら様でしょうか?」


「わたしはカタリナ。カタリナ・キベラよ」


 名前を聞いて唖然とするティアレーゼ。

 カタリナ・キベラ。1000年前に活躍した冥府の天使その人だった。


「現世から直接人がやってくるなんて初めてだから飛んで来ちゃった。

 偶然あの入り口まで辿り着いたって訳じゃないよね?」


 ティアレーゼは唖然としながらも頷いて、しっかりと自己紹介をし直す。


「私は天使です。

 カティ様の後任で、昔の天使様について調べるために冥府への道を訪ねました」


 カティの名前を出した途端、カタリナの目の色が変わった。

 彼女はティアレーゼの元へ駆け寄り、その小さな身体をぎゅっと抱きしめる。


「カティ様の後継者ね。

 歓迎するわ。冥府へようこそ、ティアレーゼ」


    ◇    ◇    ◇


 カタリナに案内されて、ティアレーゼは街へと辿り着いた。

 ここは冥府の入り口。現世を離れた人々が最初に訪れる駅のような場所らしい。

 

 その一角にある2階建ての屋敷がカタリナのもので、その食堂へと通される。


「ごめんね。お茶は出せないの。

 冥府のものを口にしたらこっちの住人になっちゃうから。

 でも少しだけお話を聞かせて貰えると嬉しいわ」


「はい。

 私も是非、カタリナ様のお話を聞きたいです」


 ティアレーゼは席に座る。

 カタリナも対面に腰掛け、早々に尋ねた。


「カティ様の後継者がいるってことは、もしかしてわたしの後継者もいたりする?」


「いいえ。

 冥府の天使については、カタリナ様が最初で最後です。

 私たちも先ほど神具を見つけたばかりですし、冥府については問題が顕在化していないので、天使を産み出す必要もないかと思います」


 カタリナは大きく2つ頷く。


「産み出す必要が無いならそれに超したことはないね」


 カタリナが満足すると、今度はティアレーゼが問いかけた。


「カタリナ様はあの冥府への道をお一人で作ったのですか?」


 カタリナは頷く。


「まあね。

 カティ様もユリア様も死んじゃって、でもわたしは天使として何もしてなかったし、そのまま天使を辞めることも出来たけど、せめて出来そうなことをやっておこうと思って。

 意外に長生きしたせいで完成までやり遂げちゃったけどね。

 まだちゃんと冥府への道は機能しているようだし作って良かったよ。

 ところでカティ様が亡くなってから何年くらい経つの?」


「大体1000年とちょっとです」


「あらまあ。

 そんなに経つんだ。

 月日が経つのは早いもんだね」


 カタリナは特段驚いた様子もなく、過ぎ去った月日を楽しむようにすら感じる物言いだった。


「カタリナ様は亡くなってからずっとこちらに?」


「ええ。

 次の冥府の天使が来たらここも譲ろうと思ってたのに、何時まで経っても来ないから。

 さっきの話からすると、もうしばらく住むことになりそうだね」


 やはりカタリナは楽しそうに笑った。

 彼女は死後も長い間、冥府の入り口で穏やかな日々を過ごしていたようだ。


「カタリナ様はカティ様を信仰なされていたのですよね?」


 次のティアレーゼの問いかけには、カタリナは一旦戸惑ったような表情を浮かべる。


「信仰してたって訳じゃ無いけどね。

 あ、でも信仰してたのかも。

 わたしはカティ様が好きだったし、カティ様の為に天使になったようなものだから。

 それなのにカティ様はユリアユリアユリア。あいつのことばっかり――話が逸れたわね」


 カタリナが見せたユリアに対する歪んだ感情を、ティアレーゼは頭から追い出して平静を装い、カティについての質問を続けた。


「カティ様は人々の為に力を使ったのですよね?

 女神伝説として残る記録のほとんどは、実際はユリア様では無くカティ様の功績です」


「その女神伝説をいまいちよく知らないからなんとも言えないけど、確かに地上を人間の住める地に開拓したのはカティ様の力。

 カティ様が力を使うまでは、人間の住める領域は命の湖周辺くらいだったのが、大陸全土に住めるようになったわけだからね」


 命の湖は現代で言うユリアーナ湖だ。

 ティアレーゼはその発言には少しばかり驚いた。教会の記録では、女神の出現以前は大陸の半分程度にしか人は住めなかったとされている。

 実際はもっと人の住めた範囲は狭かったのだ。


「ユリア様は天使に力を与えただけだったのですか?」


 その問いにも、カタリナは少しだけ思案した。

 それから首を横に振った。


「与えただけって訳でもないかな。

 そういう見方も出来るし、あの人は適当でぐうたらで自分の興味ないことはやろうとしないくせに1人にされると怒り出す面倒くさいクソ人間だったけど、実際ユリア様が居たからこそわたしたちも人々のために力を使ったわけだし」


 なんだか凄い罵詈雑言が聞こえた気がしたが、ティアレーゼはきかなかったことにしようと努めた。

 多分この辺りのことを深く知ってしまうと、教会でユリア様の顔を踏みつける原因になるんだろうなと、理解できてしまったのだ。


「まあ要するに、あの変人揃いの天使をまとめておけるのは、同じくらい変人のユリア様だけだった訳よ。

 実際ユリア様が処刑されてから直ぐに解散しちゃったし」


「変人揃いだったのです?」


 恐る恐る聞くと、カタリナは胸を張って応えた。


「そりゃあもう。

 人間13人も集まれば変な奴も混じってくるわ。

 シャミアとかシャミアとかシャミアとか」


 ティアレーゼは顔をやや引きつらせながらカタリナの言葉を聞く。

 シャミアは秩序を司る天使で、ユリアの死後、東方へと旅立ち国家を作ったとされている。

 

 今でもシャミアの教えこそが正当なユリアの教えだと信じる信徒が多く、その信徒を抱える大天使シャミア帝国とリムニ王国は戦争を繰り返していた。

 そんなわけだからリムニ王国民は天使シャミアを毛嫌いしていて、それはカタリナの時代から変わらないんだなと、ちょっとおかしく感じたりもした。


「カティ様の記録が抹消されたのはご存知ですか?」


 問いかけに、カタリナはややうつむき気味に頷いた。

 今までの様子とは違って、少し気分を暗くしたようだ。

 それでも彼女は問いかけにしっかりと応える。


「わたしが死ぬ頃にはそういう話も進んでたからね。

 こっちに渡ってきてから、カティ様の記録が消されたことをきいたわ」


「カティ様は何か悪いことをしたのでしょうか?」


 その問いかけにも、カタリナは深くため息をついて鬱屈とした様子で答える。


「良いとか悪いとかっていうのは、結局人間が決めた相対的な価値観の内側にしか存在しない概念なのよ。

 カティ様は人々の為に世界の在り方そのものを変えた。

 でもそれが気に食わなかった人も居たってこと」


 言葉を句切ったカタリナはコップへと手を伸ばそうとしたのだが、飲食の出来ないティアレーゼに気を使って手を戻すと話を続けた。


「あの方の能力は大抵何でも出来てしまったから。

 カティ様の天使の力は強力すぎたのよ。

 それはわたしよりも、あなたの方が良く分かっているでしょう?」


 問いかけられてティアレーゼはしっかりと頷いた。

 カティの能力は、1人の人間が抱えるにはあまりに大きすぎる力だ。


「カタリナ様は、天使の先輩として、カティ様の力はどう使うべきだとお考えですか?」


 カタリナは直ぐには答えなかった。

 指先でコップの縁をなぞり、しばらく間を置いてから口を開く。


「答えられないわ。

 残念だけどね。

 力をどう使うのかは、力を持った人間が判断しなければいけないのよ。

 そもそもわたしは1000年も前に死んだ古い人間だしね」


 ティアレーゼは得られた回答に残念そうに瞳を伏せた。

 でもカタリナの言うことはきっと正しい。

 カティもカタリナも、与えられた力をどう使うべきか自分で判断し、天使として力を使った。


 ティアレーゼもまた、天使となった以上、その力の使い方を自分で考えなければいけない。


 ティアレーゼが顔を伏せていると、カタリナがその手に軽く触れた。

 彼女はティアレーゼの瞳を真っ直ぐに見据えて、明るい笑顔を向けて言う。


「カティ様は残念な結末に行き着いたけれど、力の使い方に後悔は無かったはずよ。

 病に伏せっても、自分を追いやった人たちへの愚痴を漏らすこと無く、最後まで天使として、人々の安寧な暮らしを願った。

 あなたも自分が後悔することないように、自分で考えて力を使うと良いわ」


 ティアレーゼはカタリナの言葉を受けて、しっかりと大きく頷いた。


「はい。

 よく考えてみます。後悔の無いように」


 難しいかも知れないけど頑張ってねとカタリナは言って立ち上がった。


「そろそろ帰った方がいいわ。

 現世への扉がこっちにあるから使って」


 ティアレーゼは礼を言って、カタリナの後に続いた。

 書斎の奥にあるクローゼット。その中には見覚えのある大きな鏡が置かれていた。


「お話聞けて良かったです。

 ありがとうございました」


 去り際に礼を述べるティアレーゼ。

 カタリナはにっこり笑って応えた。


「こちらこそ。カティ様の後継者に会えて良かったわ。

 もしどうしても話したいことがあったらまた冥府にいらっしゃい。

 あと、そっちでユリア様を見つけたらとどめ刺しておいて」


「はい。

 ――え? ユリア様ってもしかしてまだ――」


 最後の意味深な言葉について問いただそうとしたが、ティアレーゼの視界は真っ赤に染まっていた。

 赤い光に包まれたと思ったら、身体に痛みが走る。

 鏡から転がり出るようにして臀部を強打したティアレーゼは、びっくりして立ち上がる。


「何してるの?」


 本棚の回転扉を開けて、グナグスが尻を押さえるティアレーゼの姿を冷めた目で見ていた。


「え、いや、ちょっといろいろあったんですけど……。

 私、直ぐ戻りますって言いましたよね。それからどれくらい経ちました?」


「どれくらいって、今言ったばかりだろ」


 頭でも打ったのかと、グナグスは心配そうな目でティアレーゼを見た。

 ティアレーゼは冥府での時間の進み方は、現世のそれとは全く異なるとだけ理解して、痛む尻をさすりながら書斎へと戻った。


 ちょうど日記帳を読み終えたツキヨが、それを金庫の中へと戻していた。


「ツキヨさん。

 日記帳には何が書いてありました?」


 ティアレーゼの質問に、ツキヨは朗らかな笑みを向ける。


「ユリアが死んだ後も、カタリナは元気にやってたみたい」


「はい。

 そうみたいですね」


 ティアレーゼは笑みを返した。

 カティとユリアが死んだ後も、カタリナは天使としてやるべきことを探し、着手し、完成させた。

 2人の死を乗り越えて、彼女は成すべきことを成し遂げたのだ。


「何か知ってる?」


 そんな答えを返したティアレーゼに対してツキヨは首をかしげて問いかける。

 ティアレーゼは、曖昧に頷いて返した。


「ちょっとだけ。

 でも天使同士の秘密です」


 ツキヨは「なにそれ」と笑って、それじゃあ帰ろうかと切り出す。

 彼女の調査は、日記帳を読んだだけで十分だったようだ。


 3人は神具をそのままにして、カタリナの住居を後にした。

 それから長い橋を渡り、冥府の番犬の横を通り、螺旋階段を昇って神殿まで辿り着く。


 外は夕暮れ時で、空が橙色に染まっていた。

 待たせていた馬車に乗り込む。

 馬車が神殿から離れていく中、ティアレーゼは同伴したグナグスへと問いかける。


「せっかく近くまで来たのですから、ご実家に顔を出したり――」


「しないよ。

 真っ直ぐ帰って」


「そうですか。では帰りましょう」


 ティアレーゼが告げると馬車係は寄り道せずに、真っ直ぐリムニ王国王都への街道を進んだ。

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