第16話 天使の痕跡④

 扉を抜けた先には広大な空間が広がっていた。

 地下深くに出来た大空洞。

 扉の先は突き出した崖のようになっていて、見上げても天井は見えず、下を見ても深淵が続くばかりで底は見えない。


 ただ崖の先からは石橋が真っ直ぐに伸びていた。

 紫色のもやに覆われていて先がどうなっているか定かではないが、先に進むためには渡る必要があるのは明らかだった。


 3人は石橋を進む。

 石橋は築1000年以上建っているはずだがしっかりとしていて、時折冥府の魔力が下方から突き上げてくる以外は特段渡るのに問題は無かった。


「ここが冥府への道なのでしょうか」


「そうみたいだね。

 ここから下に降りれば冥府まで直通だよ」


 ツキヨは橋の下を示しながら笑った。

 大空洞の底――底があるかどうかも分からないが――は冥府へと繋がっている。

 死者の魂がこの場所を通って冥府へと向かうのだ。


「それは遠慮しておきます。

 ――カタリナ様は冥府の天使としての仕事をやり遂げられたのですね」


 死者の魂をどう扱うべきかという問題に対して、カタリナは冥府への道を作って応えた。

 人々は死後、恙なく冥府へと送られるように。

 それが彼女の冥府の天使としての集大成だった訳だ。

 この機能は以降1000年以上も正常に機能し続けている。


「そうだね。

 天使としての仕事をやり遂げなかったほうが多い中、大したものだよ」


「ですよね。

 カティ様もきっと……」


 ティアレーゼは自分の先任であるカティに思いをはせる。

 志半ばで倒れた大天使カティ。

 きっと彼女にも、やり遂げるべき仕事があったはずだ。


 ティアレーゼにはそれが何だったのか分からない。

 生憎過去を覗く力は持ち合わせていなかった。

 そしてもし分かったとしても、それを引き継ぐべきなのかも判断出来ない。


 世界は不安定なままだ。

 1000年前に女神ユリアと12人の天使が、世界のあるべき姿を模索して力を使った。

 天使達によって人々が暮らせる領域は大幅に拡大されたが、それでも世界が完璧になったわけではない。


「カタリナ様の記録が何か残っていると良いですね」


 ティアレーゼは天使の力をどのように使うべきかという問題について、冥府の天使カタリナの記録を頼りに出来ればと願った。

 彼女は天使の仕事をやり遂げたのだ。

 きっとそこに、天使の力の使い方を決めるのに役立つ指針があるはずだ。


 長い長い橋を渡ると対岸に辿り着いた。

 そこもやはり地下の大空洞へと突き出した崖のようになっている。


 橋から真っ直ぐに進んだ先は、壁面が彫り込まれ装飾が施されていた。

 地上にあった神殿の入り口と似ている。建物の入り口であるのは間違いない。

 異なるのは神殿と比べて随分と小さく、そして飾り付けも質素であった。


「冥府への道を見張る、カタリナの住居かな?」


 ツキヨが見立てたとおりその建物は住居と呼ぶのにふさわしい物だった。

 3人は外観を一通り眺めた後、正面の扉へと手をかける。

 グナグスが先行して部屋に入り、ランタンの明かりで室内を照らした。


 小綺麗にされた玄関口。

 石をくりぬかれて作られた住居だが、室内は彩色が施されていて雰囲気は明るい。

 壁に掛けられた絵画も、机に敷かれたクロスも、ほとんど劣化を感じさせず当時のまま。

 今まさに人が住んでいてもおかしくない生活感を纏っていた。


「なるほどね。

 冥府の魔力と死者の魂しか存在できない、生者の寄りつけない場所だから、1000年経っても何も変わらないのか」


 ツキヨは納得した様子でキッチンを物色する。

 調理道具は綺麗にされていたが食材の類いはない。


「カタリナ様は地上で葬儀をされたのですよね?」


 ティアレーゼが問うとグナグスが頷いた。


「そう言い伝えられてるね。

 カタリナの葬儀のために作られた祭壇が、ロルガン領の教会の元になったって話を聞いたことあるよ」


「となると、カタリナ様はご自身が亡くなる直前はここで暮らさず、地上に居たのですね」


「部屋を綺麗に掃除してね。

 だからこそいろいろ残してそう。書斎は何処かな?」


 キッチンを漁り終えたツキヨは奥の部屋へと繋がる廊下へ向かった。

 ティアレーゼ達もそれに続く。


 廊下の奥にある扉を開けると、室内に明かりが灯った。

 冥府の魔力を燃料とした魔法のランプだ。その赤黒い独特な明かりに照らし出されたのは、本棚の立ち並ぶ部屋だった。

 ツキヨの探していた書斎である。


 本棚に敷き詰められた本。

 そして1人用の机と、書き物用の道具。

 紛れもなくカタリナが使っていた書斎である。


 ツキヨは他のものについては一旦置いておいて、机の元へ向かう。

 机の上には書き置きが残されていた。

 古代語で記されたそれに3人は視線を向ける。


「何と書いてありますか?」


 ティアレーゼとグナグスは古代語を読めない。

 ユリアーナ騎士団の中でも、古代語を読めるのはユキとツキヨ、そしてリューリが少しだけ解読できる程度だった。

 問いかけられたツキヨは、記された文字を指で追って行く。


「来訪者へ。

 諸君らの来訪を歓迎できなくて申し訳ない。

 もてなしは出来ないがどうぞ屋内の設備は自由に使って頂きたい。


 ちなみにこの屋敷に金品の類いは存在しない。

 ここは冥府の門を見張る、天使の仕事場である。

 不必要に屋内を荒らさぬように。


 また、神具の扱いには十分に注意されるように。

 冥府の武具の扱いは普通の人間には難しい。

 間違っても持ち出して売りさばこうなどと考えぬこと。


 もし来訪者が冥府の天使であるならば、神具をその職務に役立てて欲しい。

 屋敷および冥府の門、神殿の所有権については貴公にお譲りする。

 自分は冥府の天使としての仕事を成し遂げたと考えて居るが、不備があるのならば構うことなく改めて頂きたい。


 冥府と現世が、共に穏やかで平穏な時を過ごせることを願う。

 冥府を司る者 カタリナ・カティ・キベラ」


 書き置きを読み終えたツキヨ。

 彼女は裏面を確認するが、特にそちらには何も記されていなかった。


「カタリナ様は結構几帳面なお方なのですね」


「どうかな?

 手紙だとほら、誰が書いても真面目そうになったりするでしょ」


「あー、それはあるかも」


 ティアレーゼはツキヨの言葉に同意を示す。

 だが来訪者への気遣いのため、手紙を残したのも事実である。


「カタリナのミドルネーム、カティなの?」


 グナグスが気になっていた点について問いかけた。

 それにはツキヨも「そういえばそうなってた」と、書き置きの最後の署名を再度確認する。


「カティ、みたいだね。

 当時の資料を見ると天使達は好きにミドルネーム名乗ってたみたい。

 天使内での派閥とか作ってそれを現してたとかかな?」


 神殿の入り口の彫刻もカティの姿を現していたと、ティアレーゼは思い出す。

 カタリナは天使の中でも、大天使カティを推す派閥に属していたのは間違いなさそうだ。


「さて、神具は――」


 ツキヨは書き置きから離れて室内を見渡す。

 本棚の向こう側。部屋の隅に、1本の槍が安置されていた。


 3人ともその槍の元へ歩み寄る。

 槍立てに立てかけられた、暗赤色の槍。

 穂先は二叉に別れていて、磨き込まれた刃は不気味な光沢を放つ。

 触れた者全てを吸い尽くしてしまいそうな光沢を見て、ティアレーゼは身体を震わせた。


「ティアレーゼはこれ扱えそう?」ツキヨが問う。


「どうでしょう。

 ちょっと嫌な感じがします」


 ティアレーゼは恐る恐る神具に手を伸ばした。

 槍の柄に触れた瞬間、指先に生じた気味の悪い感触が全身を駆け巡る。

 一瞬で身体が冷え切り、驚いて手を放した。


 その様子を見ていたツキヨは肩をすくめた。


「止めた方が良さそうだね。

 資質のある人間が現れるまで、神具はここに安置しておくべきかも」


「はい。

 そうしましょう」


 天使になるためには、天使の資質はもちろん、各属性に対応する資質も必要だ。

 ティアレーゼは天使の資質を満たしているが、冥府の資質は持ち合わせていなかった。


 それに焦って使い手を探す必要もない。

 冥府についてはカタリナが仕事をやり終えている。

 わざわざ冥府の天使を産み出さなくても、冥府と現世の関係は安定している。


「さて、後は何処かにカタリナの個人的な記録が残っていると良いけど」


 ツキヨは神具から離れて再び机の元へ。

 個人記録を残すとすれば机の近くだろうと目星をつけたのだが、サイドボードに小さな金庫が置かれているのを見つけた。


「良いもの入ってそう」


「金目の物はないって書いてあっただろ」


 グナグスが意見するが、ツキヨは構わず金庫の解錠に挑む。


「魔力式のロックだね」


「無理に開けようとすれば中身も無事じゃ済まない奴だろ。

 開けるならユキに頼んだ方が良いよ」


 グナグスの指摘は冷静だ。

 しかしツキヨはそれを鼻で笑って、これくらいの鍵なら大したことないと、魔力の波長を合わせて解錠に成功する。


「カタリナの奴、油断したね」


 金庫の中身を物色すると、そこには1冊の日記帳が入っていた。

 日記帳を見て驚いたティアレーゼは、自身の持つカティの日記帳をブックカバーから取り出す。

 2つの日記帳はその劣化度合いには差があるものの、装丁は全く同一だった。


「おそろいの日記帳を使っていたのですね」


「同じ職人に頼んだみたい」


 ツキヨは日記帳を開く。

 最初のページには署名。次のページから日記が記されている。


「カティの命日の1月くらい前から書き始めてるね。

 これならユリアの死後の話も書いてありそう」


 ツキヨは本腰を入れて日記帳の調査をするため、椅子に座り、自身がこれまで調べてきた女神と天使の記録を記したメモ帳と日記帳を見比べながら読み進めていく。


 ツキヨがすっかり集中モードに入ってしまったので、ティアレーゼとグナグスはその場から離れ、好きに書斎内を物色した。


 ティアレーゼは本棚に並ぶ書籍を眺める。

 しかしタイトルが古代語で記されていて上手く読み取れない。

何か読めそうな本はないかと本棚から一歩離れて俯瞰して探していると、本棚の1つが、若干他とずれているのに気がついた。


「あれ?

 何でしょう。どうしてこれだけ……」


 僅かな配置のずれが気になって、ティアレーゼは本棚へと手を触れる。

 そして本棚を軽く押してみると、思いのほか簡単に動いた。

 ちょっと体重をかけてしまったティアレーゼはそのまま前のめりに倒れる。


「え、あれっ」


 回転扉になっていた本棚。

 ティアレーゼは吸い込まれるように、本棚の裏に隠されていた空間へと転げ落ちた。


「ティアレーゼ、大丈夫?」


 グナグスが悲鳴と物音に気がつき書斎から声をかける。

 ティアレーゼは立ち上がりながら「大丈夫です」と返答した。


 転げ落ちた先も魔力のランプによって照らされていた。

 部屋と言うには幾分か狭すぎる空間。

 置かれていたのは大きな鏡が1つだけ。


「なんで鏡……?」


 不思議に思って近づくティアレーゼ。

 壁に立てかけられた鏡にはティアレーゼの全身が映る。


 飾り付けもないシンプルな立て鏡だ。

 されどここは書斎の奥に隠された空間。

 こんな場所で身だしなみを整えたとは考えづらい。


「本当に大丈夫?」


 再びグナグスが書斎から声をかける。

 ティアレーゼは「直ぐ戻ります」と返して、その手を鏡へと伸ばした。


 そして指先が鏡面に触れた瞬間、真っ赤な明かりが目の前を覆った。


「あれ……?」


 気がついたときには、ティアレーゼは屋外に居た。

 石柱に囲われた謎の空間。

 それは小さな丘の上のようで、見上げた空は赤々と輝いていた。


「グナグスさん。

 もしかしたら大丈夫じゃないかも知れないです」


 ティアレーゼは声を引きつらせて報告したのだが、反応が返ってくることはなかった。


 

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