第15話 天使の痕跡③
ロルガン領にある女神時代の神殿。
冥府の天使カタリナの痕跡を求めて訪れたユリアーナ騎士団の3人は、冥府の魔力を追って礼拝堂の奥。
女神像の裏にある隠し階段を発見した。
調査中の看板を立てて3人は階段を下っていく。
中は採石場の跡地、というよりは元々ある自然の縦穴のようで、底の見えない縦穴にそって延々と螺旋階段が繋がっていた。
「下の様子とか分かる?」
ツキヨがティアレーゼに問う。
ティアレーゼの能力を持ってして認識できないものはそうそうない。
――はずだったが、この縦穴は数少ない例外であった。
「途中までしか見えないです。
移動も出来そうにないです」
ティアレーゼの能力は、縦穴の底から溢れ出てくる冥府の魔力によって打ち消されていた。
報告を受けたツキヨは、それなら歩いて進むしかないねと、光の球を生みだして周囲を照らす。
先頭を任されたグナグスも魔法のランタンを片手に、ゆっくりと階段を下っていった。
「これ」
グナグスが壁面をランタンで照らす。
そこには白骨化した遺体があり、ティアレーゼは息をのんだ。
しかし驚いたのもつかの間、冷静に遺体の様子を観察する。
「この服装、神官でしょうか?」
「この神殿の神官。の中でも歴代の一番偉かった人かな?
冥府に近いし、お墓の役割もあったのかも」
「なるほど。
そうですよね。
ところで今更ですけど、奥に進むにつれて冥府の魔力の濃度上がってますよね?
これ私たち突然死んだりしませんよね?」
ティアレーゼの不安の混じった質問に、ツキヨは朗らかに笑って返した。
「大丈夫大丈夫。
冥府の魔力は死者を導くもので、生者を死に至らしめる効果はほぼないから」
「へえそれなら――ほぼって言いました? それちょっとバツでは?」
「大丈夫だって。誤差みたいなものだから」
「そう言われると尚更不安になりました。
――あれ、遺体がなくなりましたね」
これまで一定の間隔ごとに、壁面に出来たくぼみに遺体が安置されていたのだが、それが突然なくなった。
ツキヨが1つ前の遺体の元に戻り、記されていた情報を読み取って答える。
「ちょうどこの辺りで分教戦争だったかな」
「そういえば先生もそれまでは調査がされていたとおっしゃっていました」
分教戦争は、女神教会の宗派による、どの教えが正当なのかを決めるための戦争だった。
その結果勝ち残ったのが現在の女神教会の教えだ。
そして天使カタリナの説いた信仰は敗北した。
分教戦争以降は、神官の遺体が冥府への道に安置される習慣もなくなったのだろう。
「カタリナ様の教えは間違っていたのでしょうか?」
ティアレーゼが問うと、ツキヨはやはり笑って答える。
「信仰に正当も何もありやしないよ。
ただ一神教はどうしても排他的になりがちだから、自分とは違う教えを持ってる人を認めたがらないんだよね。
女神と弟子12人じゃなくて、神様12人みたいにしとけば良かったんだよ」
「それはそれで、どの神様が正当かで揉めそうですね」
2人の会話に、グナグスが冷めた口調で横やりを入れた。
「人間なんてそんなものだよ。
いつだって争うための理由を探してる。
たまたまそれが宗派の違いだっただけ」
「ひねくれてるなあ。
ま、それもそのうち本当かどうか分かるよ。
世界が平和になって、争う理由も今のところはなさそうだし。
それでも人間は争いを始めるのか。ちょっと見物じゃない?」
「どうしてそんなに楽しそうなんですかね……?」
折角平和な世界になったというのに、争いを始められては大変だ。
ティアレーゼには天使として世界の安定に尽力する務めがあるのだが、人々の争いに対してどの程度介入していいのかは判断がつかない。
少なくとも、不要な争いなどは無い方が良いのだ。
「なっ」
そんな会話をしながら階段を下っていたところ、ティアレーゼは不意に階段を踏み外した。
慌てて次の段に足をつけようとするが、その次の段が見えない。
それどころではない。何もかも見えなくなった。
「大丈夫?」
ティアレーゼの身体をグナグスが支える。
前のめりに倒れかけたティアレーゼだが、それで難を逃れた。
されどいつまでも倒れたままの彼女に、グナグスが苦言を呈する。
「自分で立って貰える?」
「あれ、ちょっと待ってください。明かりをつけて貰っても?」
「明かりならついてるよ?」
言われて、ティアレーゼはようやくランタンの明かりが灯っていることに気がついた。
それまで全く何も見えていなかった。
暗かったからではない。
目が開いていなかったのだ。
それは人間の目ではなく、ティアレーゼに万物を見通す力を授けた天使の目だ。
天使の目が突然閉じたことにより、あらゆる感覚を一時的に失っていた。
ティアレーゼは人間の目で周囲を見て、自分の足でしっかりと立ち直す。
「ごめんなさい。突然天使の力が使えなくなってしまって、何も見えていませんでした。
……完全にバツっぽいですね」
ティアレーゼはブックカバーを開いて日記帳に直接手を触れる。
神具である日記帳へ触れても、ティアレーゼの天使の力は回復しなかった。
「ここから先は冥府の領域。
ティアレーゼの管轄外ってことだね」
ツキヨの言葉に、グナグスはじとっとした瞳でティアレーゼを見る。
「普段から天使の力使ってたの?」
「え、いや、その、ちょっとだけというか、使おうとしなくても使ってしまうと言うか……」
グナグスは特段責めるつもりもなく、ただ確認したいだけだったのだが、ティアレーゼは慌てふためく。
普段から天使の力をどう使うべきかと悩んでいながら、物を見るのにも身体を動かすのにも天使の力を使っていたのだ。
グナグスの方はティアレーゼが力をどう使うかには興味はない。
それよりも喫緊の課題は今ティアレーゼの力が使えないことだ。
天使の力が使えないティアレーゼは、はっきり言ってお荷物だ。
「何かあったら誰がティアレーゼを守るの?」
その問いかけに対してティアレーゼは胸を張った。
「心配ないです。
私だって術士の端くれです。
自分の身くらい自分で守れますよ!」
ティアレーゼは自信満々にネックレスの法石から魔力を引き出した。
右手に集まった魔力は銀色の片刃の小剣となる。それはミトの持つ片刃の小剣と全く同一の姿だった。
魔力量は十分。
されどもし戦闘になった場合、頼りになるかどうかで言うとならない。
天使の力を使わない水術士としてのティアレーゼの戦闘能力は、訓練生のストラ・スミルと同レベルだ。
「僕らでなんとかするしかないよ。
守るのは苦手だけど」
グナグスも武器を具現化する。
鞘に収められた曲刀。
彼はそれを左手で持ち、いつでも抜けるように構えた。
「え? あの、自分の身は自分で――」
ティアレーゼの言葉を無視して、グナグスはツキヨへと問う。
「あんたは?」
「私も守るのは苦手」
「違う。戦えるのか?」
ツキヨは「ああそういうこと」と小さく笑って、懐中時計から魔力を引き出した。
赤い魔力は小刀へと姿を変える。
ティアレーゼの持つ剣よりもやや刀身の短いそれを、ツキヨは逆手に持って見せる。
「戦えるよ。
あ、でも殺されたら死ぬかも。まあ問題ないよね」
「なら後ろ頼んだ」
「了解。ティアレーゼはしっかり守るよ」
勝手に話を進める2人。
そのやりとりに、ティアレーゼは抗議の声を上げた。
「私だって高位術士ですよ。
いくら何でも甘く見すぎです」
されどその抗議には、ツキヨとグナグスの両方から冷たい視線を向けられる。
「え?
もしかして足手まといだと思われてます?」
「そんなことないけど、私はユキと約束してるから」
「グナグスさんは?」
「ティアレーゼに何かあったらミトに殺される。
引き返すなら今のうちだけど」
グナグスが引き返す判断をすべきだと進言する。
しかしティアレーゼはムキになっていて、前進を指示した。
「大丈夫です。
天使様の調査くらい、先生やミトの力が無くてもやり遂げられます!」
「団長がそう言うなら従うけどね」
3人はそのまま階段を下っていく。冥府の魔力は次第に濃くなった。
それでも足を止めずに下り続けていくと最深部が見えてきた。
既に冥府の魔力が濃くなり過ぎて、紫色の煙となって実体化していた。
その煙の中を進むようにして、3人は最深部を壁沿いに半周。大きな扉を見つけた。
「この先が冥府へ繋がる道かな?」
ツキヨが扉に手を触れて確かめる。
「開けて大丈夫でしょうか?」ティアレーゼが問いかけた。
「大丈夫大丈夫。
さっきも言ったとおり冥府の魔力は死者に働きかけるものだから。
冥府への道って言っても、生きているうちは通れないよ」
「それなら安心です。
カタリナ様の残した何かも、有るとしたらこの先ですよね」
「そうなるね。
そういうわけだからそーっと開けてみようか」
ツキヨはグナグスへと開けるように指示した。
嫌な役回りをさせられてグナグスは不満を隠さなかったが、ランタンをティアレーゼに預け、いつでも曲刀を抜ける状態で静かに扉を開ける。
立て付けの悪い扉が軋む音を立てる。
扉が開いても、突然何かが飛び出してくるようなこともない。
完全に扉が開ききった。
ティアレーゼからランタンを受け取ったグナグスは扉の向こうを照らす。
紫色の魔力の霧に覆われた広間だった。
獣と血の臭いが混じった異臭が広間の奥から溢れ出てくる。
そして低く長い不気味な音が響いていた。
「ちょっとまずいかも」
ランタンを高くに掲げて向こうを見たグナグスが言う。
「ちょっとって、どれくらい?」
ツキヨが光の球を部屋の奥へと放った。
魔力の光に照らされて、広間の奥に居たものの正体が明らかになる。
「冥府の番犬だね」
黒い毛に全身を覆われた犬。
全高は人間の5倍くらい。全長は目測では測れないが結構ありそう。
それは巨大な牙から涎を滴らせながら寝息を立てていた。
そして何より目を引くのはその頭。
番犬には頭が3つあった。
冥府の番犬は、広間の奥にある扉の前で横たわって眠っている。
それでもその内に秘めた膨大な魔力と、並の魔獣とは比べものにならない威圧感が、部屋に入った3人に感じられた。
「あの魔力、相当強そう」
曲刀に手をかけながらグナグスが静かに言う。
魔力量だけ見れば、地表に現れる魔獣とは比にならないほど多い。
しかも冥府の魔獣なのだから扱うのは冥府の魔力。
魔力の質でも、基本魔力よりずっと高いはずだ。
「ドラゴンよりは弱そう」
ツキヨは軽く言ってのけるが、グナグスは異を唱える。
「天使の力が使えない状態で戦える相手?」
「攻撃が通れば倒せるよ。
前足は切り落とせそう?」
ツキヨが事もなげに問うので、グナグスは半分頷いた。
「1撃だと無理。
でも刃は通ると思う。何発か合わせたら落とせるよ」
「ならまずは右前足から集中攻撃で。
そこから先は様子見て決めよっか」
すっかり番犬を倒す気になった2人。
それを咎めるようにティアレーゼが意見する。
戦闘の準備などほとんどなしで来ていたのだ。戦わずに済むならそれに越したことはない。
「あの、もう少し平和的な方法無いですか?」
「例えば?」
問われてティアレーゼは言葉に詰まった。
それでも頭を回転させて、1つだけ代案を出す。
「番犬さんは眠っています。
隙間もありますし、こっそり横を通って抜けましょう。
サイズ的に扉を通過してしまえば追って来れないはずです」
ツキヨとグナグスは顔を見合わせて、小さく頷く。
「じゃあそれで行こう。
グナ、扉開けるのよろしく」
「任された」
グナグスはランタンの明かりを消して、具現化した曲刀を鞘にしっかりとしまい込む。
闇の魔力がグナグスの身体を覆い彼の姿を一瞬でかき消した。
曲刀を鞘に納めている間のみ、彼の姿は不可視となり魔力でも感知できなくなる。
奇襲や暗殺、偵察に特化した能力だ。
「ティアレーゼは私から離れないでね」
ツキヨは手にしていた小刀を右手に持ち、左手に新たな武器を具現化する。
赤い魔力が、装飾の施された投擲用ナイフを形作る。
両手に武器を持った彼女は、光の球で進路をぼんやりと照らしながら、背中でティアレーゼを庇うようにして前へと進んだ。
ティアレーゼは右手に小剣を構えながらも、ツキヨの背中にぴったりと付いていく。
2人からはグナグスの姿は見えないが、彼が順調に進んでいる前提で広間の奥へ進んでいく。
冥府の番犬に近づくにつれて、鼻をつく異臭と冥府の魔力が濃くなっていった。
歩を進める2人の前。
グナグスが今居るであろう位置で、突然床石がゆっくり沈み始めた。
沈み込んだのは指先程度の距離でしかない。
だがそれを合図にしたかのように、床からギイイイと耳を裂く音が響いた。
トラップだ。
気がついたときには、ツキヨもティアレーゼも番犬に近づきすぎていた。
音を合図にして、眠っていた番犬の寝息が止んだ。
巨体を誇る漆黒の番犬。その3つの頭にある6つの目が、ゆっくりと開いた。
「下がって」
ツキヨが右手を伸ばし、背中にティアレーゼを隠す。
そして左手で持った投擲用ナイフを前に構えた。
ナイフから紅蓮の魔力が溢れた。
ツキヨは防御不能な一撃を叩き込もうと魔力を込める。
冥府の番犬は寝起きの虚ろな目でその光景を見据えていた。
ツキヨのナイフから溢れる紅蓮の魔力を見つめ、3つの頭が同時に大口を開ける。
――来るか。
ツキヨは覚悟を決めた。
だが、冥府の番犬はその目の前で、大きなあくびを放った。
大あくび。
それも3つの頭が同時に。
眠たげなその仕草は、冥府の番犬の威厳など感じさせない、ペットの子犬のようだった。
あくびをした番犬は、そのまま横たわり目を閉じる。
そして再び寝息を立て始めた。
「寝直しました……?
何故?」
状況に頭が追いつかないティアレーゼ。
ツキヨは彼女の手を引いて、奥の扉へと急いだ。
「1000年も寝てただろうから寝ぼけてたのかも」
「寝ぼすけさんですね。ミトみたいです」
「確かに似てるかも。
ま、私たちにとっては都合が良いし進ませて貰いましょ」
ティアレーゼも頭を切り替え、ツキヨに手を引かれながらグナグスが開けた扉を目指した。
冥府の番犬が再び目を覚ますことはなく、3人は無事に次の部屋へと進んだ。
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