第14話 天使の痕跡②


 ユリアーナ騎士団正団員グナグス。

 正式にはグナグス・ロルガン。彼はロルガン伯爵領の領主であった。


 若干15歳。

 短い黒髪に、髪と同じ色の瞳。

 背は男性としては低く体型は痩せ型。性格も明るいとは言えず卑屈で引っ込み思案。

 そんな性格を現すかのように、彼の瞳はいつもふてくされたように細められていた。


 ロルガン伯爵を名乗っては居るが、実際の統治にはほとんど手をつけていない。

 名前だけの領主で有り、領地経営は母親と、主家である大公家より派遣されてきた官僚が務める。


 グナグス自体も領地経営には興味もない。

 元々主家の当主と妾だった母親の間に出来た庶子だ。

 法石を与えられて術士となり、王国騎士試験を突破出来ただけでも、その出自からすれば大した出世である。

 ロルガン伯爵の称号はそのおまけのようなものだ。


 主家の命令には従わなければいけないのが面倒ではあるが、最近ではグナグスの存在を忘れているのか、余所から働きかけがあったのかは定かではないが、命令が降ってくる頻度は劇的に下がった。

 今はユリアーナ騎士団の団員の1人として、主に施設の修理に従事していた。


 それが突然団長であるティアレーゼより声をかけられ、ロルガン領への小旅行が決定した。

 グナグスにとって帰りたくはない実家である。

 それでも団長からの頼みだ。


 ティアレーゼのことだから断っても構いやしなかったのだろう。

 しかしグナグスはロルガン領への帰郷と、どうしようもない面子との施設修復作業を天秤にかけ、両方同じくらい嫌だと結論を出す。

 となるとティアレーゼからの頼みを断る理由も無く、道案内を引き受けた次第であった。


「いやあ、持つべきものは貴族のお嬢様だね」


 4人乗りの馬車の席に座り、ツキヨはご機嫌でそう言った。

 出かける間際、外壁修復中のサリタに声をかけたところ、出かけるなら使ってない馬車があるから使えば良いと、馬車係ごと貸して貰えたのだ。


「サリーも呼んだら良かったのに」


 妙な愛称でサリタのことを呼ぶツキヨ。

 グナグスは細めていた瞳を更に細めて、少年のような声でふてくされたように返す。


「あの人は来ないよ。

 ロルガン領を汚物だと思ってるから」


「え、そんなことないと思いますよ」


 グナグスの言葉をティアレーゼは否定するのだが、確かにサリタがロルガン領をどう思っているのかはよく分からない。

 主家の令嬢であるサリタからすれば、父親が妾の子供に与えた領地を毛嫌いしていてもおかしくはない。

 ティアレーゼは話題を変えるようにして、ロルガン領の神殿に触れた。


「ええと、グナグスさんは女神時代の神殿には行ったことがあるのですよね?」


「まあ、昔何度か行ったよ」


 グナグスは頷く。

 ティアレーゼはそれからも質問を続けた。


「最近は行っていないのですか?」


「行ってない。

 都市内にある教会で済む話だから」


「あー、そうですよね。

 ですが神殿にも常駐の神官の方がいらっしゃいますよね。

 どのような方が神殿まで足を運ぶのでしょう」


「採石場で働く労働者が、労働ついでに寄るくらいかな。

 それもカタリナの評判が良くないから多いとは言えないよ」


 ティアレーゼは首をかしげる。


「ロルガン領ではカタリナ様の評判は悪いのですか?」


「そりゃあね。余所でも同じだろ。

 言い伝えではカタリナは大酒飲みで、若い人間を騙しては冥府に連れ去ったとか。

 あまり良い話は聞かないよ」


「その話は初めて聞きました」


 ティアレーゼはロルガン領に残るカタリナの伝承に耳を疑いはしたが、1000年も前の話である。

 冥府を司る天使がそのように語り継がれても不思議ではない。


「ま、昔の話だからね。

 あることないこと言うのは伝承の特権みたいなものだよ」


 ツキヨが横から口を挟んで笑う。

 ティアレーゼが「でも無い話だとしたら可哀想では?」と口にしたが、それすら軽く笑って流す。


「記録抹消されたカティとか、9割方創作されたユリアとかに比べたらマシじゃない?

 冥府の天使ってところは合ってるわけだし」


「それはそうかも――女神ユリア様の話って9割創作なんです?」


「元々女神じゃないし、天使に命令出してた訳でもないし、殉教じゃなくて処刑されてるし、金髪でも絶世の美女でもないよ」


 唖然とするティアレーゼ。

 さらりとした言葉で、ティアレーゼの中にある女神像がボロボロに崩れかけてしまった。

 女神ではないと言うのは分かっていたが、残りについてはまるで寝耳に水である。


「え、その話、みんな知ってます?」


「いいや。

 私と、ユキだけかな?」


「先生も?

 あ、道理で……」


 ティアレーゼはユキが女神の顔を踏んづけたり、女神のことを嫌いだと公言したりしていたのを思い出す。

 ユキが女神ユリアの真実を知っていたとしたら。

 女神ユリアの真実が、信仰に厚かったユキをあそこまで変えてしまうものだとしたら。


 ティアレーゼは女神ユリアの真実を聞くのが怖くなり、話題を天使カタリナへと戻す。


「と、とにかく、ロルガン領に天使カタリナ様が建立した神殿があるというのは事実なんですよね。

 カタリナ様に由来する何かが残っていると良いですね」


「それはそうだね。

 神具もまだ発見されていないはずだし」


 ツキヨの言葉に、グナグスも「聞いたことは無いね」と頷いた。

 3人を乗せた馬車は街道を進み、昼過ぎにはロルガン領。天使カタリナの神殿に到着した。


    ◇    ◇    ◇


 神殿は岩の露出した山肌を削って作られていた。

 採石場の跡地に建てられたと言うのはこういうことかとティアレーゼは目を見張る。


 建物と言うより洞窟である。

 正門に続く道には石柱が並び、それぞれに彫刻が成されている。


「女神時代の歴史を現す彫刻でしょうか?

 こういうの、先生が見たらいろいろ分かるのでしょうけど」


 彫刻を観察して呟くティアレーゼ。

 彫刻には人々の姿。そして羽を持つ人――天使の姿。更には巨大なドラゴンの姿も見られる。

 ティアレーゼの能力も万能ではなく、過去に起きたことまでは分からない。

 どのような経緯でこの彫刻が刻まれたかはさっぱりだった。


「結構削り取られてるね。

 人為的なものっぽい」


 ツキヨは彫刻の削られた石柱をなでる。

 何者かによって記録が消去されている。

 恐らくは神殿建設より後の時代。時の為政者や、女神教会勢力によって、都合の悪い部分は削り取られたのであろう。


 正門前までくると、3人は削り出された垂直な岩肌を見上げる。

 正門の周囲には彫刻が施されていて、中にはよく見知ったもの。――女神ユリアの彫刻もある。


「あれ?

 女神様の彫刻が有りますけど、女神時代に建てられた神殿ですよね?」


 ティアレーゼは問う。

 道中のツキヨの話が本当であれば、ユリアが女神とされたのは女神時代より後の話だ。

 だがこの神殿には明らかに現在の女神像と酷似した彫刻が存在する。


 ツキヨは魔力によって生み出した光の球を彫刻の元へと飛ばし、それが削り出された年代を解析する。


「紛れもなく女神時代に作られた彫刻だね。

 となると、あれはユリアじゃなくてカティの像だね」


「え?

 カティ様ですか?」


 大天使カティ。

 記録を抹消されているが、天使の中でも最高位に君臨していた存在である。

 ティアレーゼの能力も、元はと言えばカティのものだ。

 カティの日記帳を持つティアレーゼは、少なからず彼女については知っていた。


「そう。カティ。

 カティは金髪だし絶世の美女だったからね。

 今ユリアとされてる人物像は、大体カティのと一致するし」


「へ、へえ。

 日記帳には自分の見た目については書かれていないので知りませんでした」


 カティの後継者なのに、彼女についてまるで知らなかったティアレーゼ。自分は後継者としてなんて情けないんだと自分を責める。

 そんなティアレーゼを余所に、グナグスとツキヨは言葉を交わす。


「カタリナはユリアじゃなくてカティを信仰してたの?」


 グナグスが問うと、ツキヨは悩んだような表情を浮かべる。


「信仰と言うより――いや、信仰してたのかもね。

 実際天使達へ指示を出してたのはカティだし」


「もしかしてだけど、カティの記録が抹消された訳じゃなくて、ユリアの記録が消されて、そこにカティの記録が書き込まれただけなんじゃないの?」


 その問いにはツキヨは乾いた笑いを返す。


「その可能性が高そうなんだよね。

 でもその辺りまだ詳しく調査できてなくて。

 ユキが手を貸してくれたら教会本山の禁書区画探れるのに、最近忙しいみたいでさ」


「それは……」


 ティアレーゼは口を挟もうとしたが、出かけた言葉を呑み込んだ。

 多分だけど、ユキは真実を知ってしまったんだろうなと。

 そして、ツキヨの女神時代の調査に協力する気が一切起きなくなったんだろうなと。

 なんとなく分かってしまった。


 そういえば今日も、天使の調査について毛ほども興味なさそうにしていた。

 ユキにとって女神に関する歴史は、女神教会が自分たちの都合の良いようにねつ造した記録であって、真実でも神話でもないのだ。


「ともかく、今日はカタリナの調査を進めましょ」ツキヨが明るくそう告げる。


「そうですね。

 守衛さんに調査の許可を貰って来ます」


 現存する唯一の天使。ティアレーゼが交渉に出たことで、神殿調査については簡単に許可を取り付けられた。

 神官達もわざわざ正門前まで出てきて、ティアレーゼを歓迎するような始末である。


 ティアレーゼは神官達の協力をやんわりと断り、邪魔にならないように調査するのでお気になさらずと、3人だけで神殿内部へと足を踏み入れる。


 正門を抜け、洞窟内の礼拝堂への扉が開く。

 通路を歩いていたティアレーゼとツキヨは、ぴたりと足を止める。


「どうかした?」


 少しだけ先に進んだグナグスが振り返る。

 立ち止まった2人は目を見合わせて、頷いた。


「変な感じがします」


「冥府の魔力だね」


 ティアレーゼとツキヨが確かに感じ取った違和感。

 洞窟の奥の方から流れ出てくる、ひんやりとした不気味な魔力。

 

 グナグスにはそれがさっぱり分からずに「僕には何も」と意志を伝えた。


「間違いないよ。

 ここに冥府へと繋がる道がある。

 きっとそこに、カタリナの残した何かがあるはず」


 ツキヨの言葉に、今度はティアレーゼとグナグスが頷く。

 女神時代に作られた冥府へと通じる道。

 それが現存しているとすれば、調査の必要がある。


 3人は気を引き締めて、礼拝堂へと続く扉をくぐった。

 

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