第6話 姉妹③
リムニ王国王城。
王家であるリムニステラ家は湖の王権とも呼ばれ、その名の示すとおり王城は大陸で最も美しい湖。ユリアーナ湖に突き出した崖の上に築かれていた。
青く輝くユリアーナ湖に浮かぶように見える、真っ白な王城。
今のリムニ王国が成立した200年以上前から、この純白の王城はリムニ王国の象徴として国民に愛されていた。
リムニ王国の王権はリムニステラ王家が有しているが、国家運営は3大貴族による共同統治という形で成されていた。
第1が、王権の所有者であるリムニステラ王家。
第2が、王国の最大領域を治め最大の軍事力を誇るダルガランス大公家。
そして第3が、王国成立の立役者。大陸戦役をリムニステラ・ダルガランス同盟の勝利に導いた、イルディリム家。
ティアレーゼは、イルディリム家の相続権を有する唯一の存在であった。
16歳となった今年、正式にイルディリム護国卿への就任が認められ、一時途絶えていたイルディリム家が再興することになる。
就任式は3ヶ月後の王国祭と同日。
それに向けてどうしても王家側と交渉しておきたいことがあり、ティアレーゼは王城を訪ねたのであった。
就任式がまだなので、ユリアーナ騎士団団長。そして天使として、シャルロット姫との面会を打診した。
シャルロット姫はティアレーゼの申し出を受け入れ、此度の打ち合わせの機会を得られたのである。
真っ白な王城の扉が開き、近衛騎士団に先導されて王城へ入る。
流石は天使の出迎えとあって、近衛騎士団長のイスメトが直々に先導を務める。
2人はそのまま城の奥にある応接室まで通された。
部屋は小さく、飾り付けも豪勢とは言えないが、落ち着いた内装の品は良く、家具も上質なものを用いていた。
座るようにと示されたソファーのふわふわした座り心地には、ティアレーゼもこれが王家かと感動を覚えた。
お茶と茶菓子が運ばれて、しばらく待っているとシャルロット姫殿下の来訪が告げられた。
ティアレーゼとユキは立ち上がり、入室するシャルロット姫を出迎える。
従者によって客室の扉が開かれる。
近衛騎士団団長と、従者を2人引き連れて、シャルロット姫が入室した。
美しい白い肌。水色の、透き通るような髪は腰まで伸び、毛先に至るまで丁寧に整えられている。
背はすらりと高く、藍色の瞳は慈愛に満ちていた。
落ち着いた白色を基調とした、上品な執務服。頭の上には藍色に輝く法石のはめ込まれた、銀細工のティアラ。
美しさと威厳を備えた存在がそこにあった。
リムニステラ王家、相続権第1位。シャルロット・J・リムニステラ。
18歳の彼女は、国民から姫殿下と呼ばれ、大変に愛された存在であった。
「ご機嫌麗しゅう。シャルロット姫殿下。
此度はこのような機会を設けて頂き深く感謝いたします」
ティアレーゼが告げると、シャルロットは口元を押さえて控えめな笑みを浮かべた。
「ティアレーゼ様も変わらぬ様子で何よりです。
王国を守って頂いたユリアーナ騎士団団長の頼みとあれば断る理由はありません。
それに護国卿閣下と王家は対等な存在。
何を気にする必要がありましょうか」
「護国卿就任は3ヶ月後です」
傍らに立っていた近衛騎士団長のイスメトが訂正した。
シャルロットは「そうでしたね」と呟いて、ティアレーゼの対面の席に腰を下ろし、ティアレーゼとユキに着席を促す。
2人が座り直すのを確認すると、シャルロットは運ばれて来たお茶を一口すすって、小さく咳払いをした。
「席を外して頂けますか?」
シャルロットの言葉に、従者は一礼して退室する。
されどイスメトは退室しようとせず、鋭い眼光をシャルロットの背中に向けたまま、その場に立ち尽くしていた。
「席を外すように言いましたが?」
シャルロットは振り返りもせず口にする。
イスメトは応答した。
「姫殿下の側を離れるわけには参りませぬ」
生真面目そうな、野太い武人めいた声をきくと、シャルロットは尋ねる。
「ティアレーゼ様が信用なりませんか?」
「そのようなことはありませぬ。
ユリアーナ騎士団団長ティアレーゼ様も、監察官ユキ様も、信頼の置ける人物です」
「では何故席を外さぬと?」
「姫殿下が信用ならないからです」
イスメトは眉一つ動かさずそう言ってのけた。
近衛騎士団団長がシャルロット姫を信用できないなどと、耳を疑うような言葉にティアレーゼはぽかんとした。
しかしその反面、信用ならないと言われたシャルロット自身は口元を押さえて上品に笑う。
「全く、笑ってしまうでしょう?
昔から側に仕えていますが、未だにこうして子供扱いをするのです」
シャルロットの言葉にティアレーゼも作り笑いを浮かべる。
それから、どうしても気になった点について問う。
「シャルロット姫殿下はそのような場合、どのようにご対応なさるのです?」
「毅然とした態度で返すまでです」
きっぱりと答えるシャルロット。
彼女はそのまま続けた。
「とはいえ、わたくしが信用ならないと言うのは納得できます。
日頃の行いというのは見られて居ないようでしっかり見られて居るものですから。
ですが、側で耳の痛いことを言ってくれる存在は貴重なものです。
大切にしたいものですわ」
シャルロットはお茶を再び口に運ぶ。
口うるさく注意してくれる存在を大切に思える。ティアレーゼは、そんなシャルロットを羨ましく感じた。
「シャルロット姫殿下が羨ましい限りです。
私も子供扱いされますが、甘やかされるばかりで注意などしては貰えません」
「あら。もしかしてミト様ですか?」
シャルロットとユリアーナ騎士団は長い付き合いだ。
当然、ミトの存在も、彼女がティアレーゼを甘やかしていることも知っていた。
ティアレーゼは無言のまま頷くと、シャルロットは微笑んだ。
「その様子ですとミト様もお元気そうですね。
あの人は一途ですから、ティアレーゼ様が可愛くてしょうがないのでしょう」
「ご存知かと思いますが、私は今年で16になります。
何時までも子供扱いされるのは勘弁願いたいものです」
ティアレーゼの言葉にやはりシャルロットは控えめに笑った。
「それもやはり、毅然とした態度で接するほかないでしょう。
ティアレーゼ様が大人になった姿を示し続ければ、ミト様も接し方を改めるはずです。
あの人は、きちんと意見を述べ続ければ聞き入れてくれる方ですから」
ティアレーゼは少しばかり悩んだ。
自堕落で怠け者のくせに、ティアレーゼに対してだけ異常なほどに過保護なミトが、本当に自分の言葉を聞き入れてくれるだろうか?
悩んだ結果、ティアレーゼは小さく頷いた。
確かに今は異常に過保護になっているが、長いこと姉妹として過ごしてきたのだ。
きっとミトは、自分の言葉を聞いてくれる。
「はい。そうしてみます。
申し訳ありませんシャルロット姫殿下。
打ち合わせのためにお時間を頂いたのに、このような相談事を持ち込んでしまって……」
「遠慮は無用です。
此度の相談事とも無関係ではないでしょう?」
「それは、そうですね」
「ではまずはご説明頂けますか」
シャルロットから促されて、ティアレーゼは本日王城を訪ねた理由について、説明を始める。
「私のイルディリム家当主、および護国卿就任式まで3ヶ月を切りました。
就任式の内容については王家と大公家の間で話を進めているとうかがっていますが、こちらについて私から1点要望があります」
シャルロットは頷いて見せて続きを促す。
「私には姉妹がおります。
彼女もイルディリムの名を語っていますが、実際は養子であり、相続権も持ちませんし、元々貴族の出身ではありません。
ですが私にとっては唯一の家族。
就任式に彼女も参列出来るよう、シャルロット姫殿下から働きかけて頂きたいのです」
シャルロットは要望に対して直ぐには返答せず、茶菓子を口に運び、しばらくしてからお茶に口をつける。
それから一息ついて、ようやく回答した。
「難しい問題です。
護国卿就任式の参列者は、聖職者と貴族のみという伝統です」
「それは存じております」
ティアレーゼは答える。
続けて口を開こうとしたが、シャルロットが機先を制した。
「ミト様のご出身に貴族の関係者はございますか?」
シャルロットの問いはユキに向いていた。
ユキはユリアーナ騎士団の団員について、その訓練生までを含めて詳細な出自を把握している唯一の存在だ。
ユキはいつもの無感情な抑揚のない声で、淡々と事実を述べる。
「そのような記録はございません。
ミトは出自不明の孤児として、イルディリム家の養子となりました」
シャルロットは「なるほど」と相づちを打って、それから物思いにふけるように視線を下に落とした。
そんな彼女へと向けて、ティアレーゼが発言する。
「伝統を守らねばならないと言うのは重々承知です。
ですが、今私がここにこのような立場で存在できるのも、ミトのおかげなのです。
就任式が伝統ある大切な儀式であるからこそ、何卒ミトの同席を認めて頂きたいのです」
シャルロットは小さく「ふむ」と返すと、お茶に手をつけようとするのだが、生憎コップは空となっていた。
次を煎れるようにとコップを机の端に置き、イスメトの顔をちらと見るのだが、彼は決してその場を動こうとはしない。
自分が居ない隙に、とんでもない約束事を交わされては困る。
イスメトはどのような要求をされようと、今この場を離れるつもりはなかった。
シャルロットは仕方なくコップを手元に戻し、空になったコップを揺すり、言葉を選びながら話す。
「ティアレーゼ様もご理解の通り、伝統というものは守らなければなりません。
しかしながら最初から伝統が存在した訳ではありません。
護国卿の就任式も元をたどれば214年前。
大陸戦役を勝ち抜いた、リムニステラ王家、ダルガランス家、イルディリム家の3大貴族が始めたものです。
リムニステラ王家なくして、ユリアーナ湖周辺諸侯が1つにまとまることはなかったでしょう。
ダルガランス家なくして、攻め寄せる大天使連合から国土を守ることは出来なかったでしょう。
そして、イルディリム家なくして、リムニステラ王家とダルガランス家が同盟を結ぶことはなかったでしょう。
3家は互いの存在を、1つでも欠けては王国成立はなかったと認め、互いを対等な存在として、3大貴族による統治体制を築きました。
当時としては共同統治など夢のような話でしか有りませんでした。
されど両家の大陸戦役での功績は、それほどの権限を与えるにふさわしいものだった」
シャルロットは言葉を句切る。
従者が新しいお茶を持ってきたので、受け取ったシャルロットは1口飲んでから先を続ける。
「わたくしは、2年前の異界戦役。
そして2月前の運命厄災。
そのどちらも、かつての大陸戦役に匹敵する国家存亡の危機だったと認識しております。
2つの事件を解決したのはユリアーナ騎士団であり、ティアレーゼ様もミト様も、解決に際しては多大な貢献があったと。
片方でも欠けていては今日の平和が訪れることはなかったと信じております。
お2人の功績を鑑みれば、これまでの伝統に多少の手を加える程度のこと、許されて然るべきでしょう」
シャルロットの言葉にティアレーゼは目を輝かせた。
しかしそれを遮るように、イスメトが短く咳払いをする。
シャルロットはイスメトの反対は尤もだと理解していた。
だからこそ先を続ける。
「ミト様の同席をお約束は出来ません。
ですが、父上に。リムニステラ王に上申することはお約束しましょう。
わたくしにはこの程度しか出来ませんが、よろしいでしょうか?」
上申するだけならと、イスメトも今度は反対を示さなかった。
ティアレーゼは今度こそ目をキラキラと輝かせて、シャルロットへと深く頭を下げる。
「感謝いたします。シャルロット姫殿下」
シャルロットは微笑む。
「いえ。この程度の協力しか出来ず申し訳ありません。
しかしティアレーゼ様も、ミト様のことを大変愛されているようですね」
ティアレーゼは頬を赤く染めて、わたわたと手を振って否定を示す。
「そ、そのようなことはないです」
「ですがミト様は伝統を良く理解されているお方。
就任式に参加出来ないと告げられても、受け入れることでしょう」
「それはそうかも知れません」
ティアレーゼはシャルロットの言葉を認めつつも、自分の意志をしっかりと伝えた。
「ですが私は、ミトには側に居て欲しいのです」
シャルロットは、今までの上品な笑みとは異なり、クスクスと歯を見せて笑った。
イスメトが咳払いすると流石に中断したが、笑みは絶えることなく、ティアレーゼへと向けられる。
「子供っぽいと思われですか?」
「いえ、ただ相思相愛で羨ましいと思ったのです。
わたくしもミト様とまたお会いしたいですから、父様の説得を頑張らなければいけませんね」
「何卒よろしくお願いします」
ティアレーゼの頼みを、シャルロットは二つ返事で受け入れた。
シャルロットは残っていた茶菓子を食べ終えるとお茶を啜って、静かに立ち上がった。
「では正門までお見送りしましょう」
ティアレーゼはシャルロットに見送りなどさせてはいけないと断ろうとしたのだが、それより先にイスメトが苦言を呈する。
「姫殿下自らが見送りなどお控えください」
されどシャルロットは毅然とした態度でイスメトを真っ直ぐ見据えて返した。
「ユリアーナ騎士団はわたくし直轄の騎士団です。
その騎士団長が訪ねてきたのだから、主人が見送りに出るのは当然でしょう。
違いますか?」
きっぱりと言い切られると、イスメトも生真面目そうな表情のまま頭を下げた。
「おっしゃるとおりです。
ご無礼をお許しください」
「理解して頂ければ結構。
ではお二方、こちらに」
シャルロットに先導されて、ティアレーゼとユキは応接室を後にし、城の正門まで見送られた。
去り際に、シャルロットはティアレーゼへと耳打ちする。
「毅然とした態度でしっかりと意志を伝えることです。
さすればきっと、分かってくれるはずです」
「ありがとうございます。
シャルロット姫殿下を見習って、私も頑張ってみます」
2人の会話の内容を聞き取ろうとイスメトが寄ってきたので、シャルロットは一歩引いて門の元で手を振った。
ティアレーゼは深く頭を下げて、別れを告げると外へと通じる跳ね橋を渡る。
シャルロットはティアレーゼとユキの姿が見えなくなるまで、正門の元で手を振り続けていた。
◇ ◇ ◇
「やっぱり、ミトとはちゃんと話さないとバツです。
何時までも子供扱いは耐えられません」
歩きながら口にしたティアレーゼへと、ユキは小さく頷く。
「それが良いかと思います」
「でも、出てくるときにちょっと言い過ぎてしまったかも知れません。
私の話を聞いてくれないかも」
「そのようなはずがありません」
ユキはきっぱりと言い切った。
ティアレーゼも、そうだとは思う。
でも「嫌い」とはっきり言ってしまったばかりに、自分からは声をかけにくい。
何かこう、話をするきっかけが必要だ。
「寄り道しても良いですか?
市場で買いたいものがあって」
ユキは無言のまま頷く。
2人は市街地に入ると、街の入り口近くにある市場へと足を向けた。
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