第3話 司祭の信仰③

 待合室で待つこと半刻ほど。

 女神教会本山よりやって来た司教は、ティアレーゼを前にすると深々と頭を下げた。


 女神教会にとって司教は最上位の役職と言って良い。

 女神ユリアの伝説に基づき、女神教会の意志決定機関は1人の大司教と11人の司教から構成されている。

 

 この日リムニ王国の教会を訪れた司教は、かなりの高齢で髪は真っ白に染まっていた。

 彼は皺だらけの顔に笑顔を作ってティアレーゼへと感謝を述べる。


「この度の天使様のご活躍は拝聴しております。

 我々も、空が黒く割れた時はこの世の終わりかとも思いました。

 しかし祈りは届くものです。

 女神様の遣わした天使様によって、厄災は終結いたしました」


「いえ、私はずれてしまった運命を元に戻したに過ぎません。

 ほとんどの功績は、ユリアーナ騎士団の団員達によるものです」


「天使様は謙虚であらせられる。

 女神様は世界をより良くするために天使様を地上に遣わしました。

 これから先もティアレーゼ様にはどうか女神様の意志をくんで、そのお力を発揮して頂きたい」


 お願いしているようだが、実際は命令に近い。

 教会の意向に背くような力の使い方をするなと。教会のために力を使えと、この司教はティアレーゼに対して言いつけている。


 ティアレーゼは悩んだような表情を浮かべて控えめに頷く。


「はい。そう出来れば良いと考えています」


 ティアレーゼの力について、司教といえどその全てを把握しているわけではない。

 彼からすれば、ドラゴンを倒し、割れた空を元通りにする、程度の認識だろう。


 実際はティアレーゼの力はほぼ無限の可能性を秘めている。

 だからこそ、その力の使い方については本人も頭を悩ませていた。

 軽々しく扱える力ではない。

 決して、家庭教師が女神様の顔を踏もうとした、程度のことで使って良い力ではないのだ。


「ユリアーナ騎士団と、運命厄災の子細についての報告とのことですが、どのように話を進めるべきでしょうか?」


 ティアレーゼの暗い表情を読み取って、ユキが話題を切り替えた。

 司教は長い話になるからと、談話室への移動を提案した。

 3人と教区長は談話室に移動すると、司教の質問に答える形でユキが報告をしていく。


 天使であるティアレーゼが同席していると言うこともあり、司教と教区長も緊張した様子であった。

 運命厄災について一通りの報告を終えると、司教がユキへと尋ねる。


「このような厄災が再発する可能性は?」


「可能性はありますが、非常に低いものと予想されます」


 ユキの言葉を受けて、司教は質問を重ねる。


「再発した場合、次も解決出来ますかな?」


 司教の視線はティアレーゼに向いていた。

 ティアレーゼはしっかりと頷いて、司教の目を真っ直ぐに見据えて返す。


「はい。必ず。

 私と、ユリアーナ騎士団が解決します」


 天使にそこまで言い切られたとあって、司教は納得した様子であった。


「頼りにしております。

 ――もう良い時刻です。

 天使様、昼食はいかがですかな?」


 問いかけはユキではなくティアレーゼへと向いていた。

 彼女は確認するようにちらとユキの方を見てから、頷く。


「はい。

 ご厚意に甘えさせて頂きます」


 ティアレーゼは笑顔で答えた。

 2人は食堂に案内されて、司教とその従者。教区長と、王都教会の関係者たちと共に円卓を囲む。


 一番奥。最上の席に座るのはティアレーゼ。

 その右隣に家庭教師のユキが座り、左隣には司教が座った。


 卓上には贅を尽くした料理が並べられる。

 ティアレーゼは教会の人はいつもこんなに良いものを食べているのかと衝撃を受けた。


 料理が出そろうと、食事前のお祈りのためティアレーゼは軽く目をつむる。

 教会関係者も皆、祈りのために目を閉じていた。


 だがそんな静まりかえった食堂に、食器の音が響いた。

 ティアレーゼが目を閉じたまま食堂を見渡すと、ユキが祈りそっちのけでスープに手をつけていた。


 末席に座る聖職者が咳払いをする。

 そして彼はユキのことなど無視して、食事を授けてくださった女神への感謝を述べる言葉を述べる。

 それを復唱するように一同は祈りの言葉を重ねた。


 祈りの言葉が幾重にも重なる中に混じって、数人の聖職者がユキに対する陰口を言う。

 それはティアレーゼの耳にはっきりと届いていた。


 ――だからあんな者を司祭にすべきではなかったのだ。

 ――教えも知らない恥知らずめ。

 ――女神様の教育係でなければ何の価値もない女だ。

 ――所詮は卑しい出身の者。教養の欠片もない。


 その言葉に、ティアレーゼは机の下で手を握りしめた。

 ここに居る聖職者たちが、ユキの何を知っているのかと。

 彼女ほど信仰に厚い人間が一体どれだけいるだろうか。


 されど言葉には出さない。

 祈りを終えて食事が開始されると、ティアレーゼはほとんど自分から話さず、話しかけられた言葉に相づちを打つばかりで、食事も味わう余裕はなかった。


 食事を終え、王都教会と本山の被害状況の報告を受けたティアレーゼは、ユキと2人、教会を後にした。


 丘を下る坂道を歩きながら、ティアレーゼはしばらく黙っていた。

 しかし教会から十分に離れると、不機嫌そうな態度でユキに問う。


「どうしてあのようなことをしたんですか。

 教会にお招き頂いた食事会でお祈りをしないだなんて」


 少なくとも女神教会の信徒であれば絶対にしないことだ。

 それも今日は、教区長どころか本山の司教まで同席していたのだ。

 騎士団の食堂で食事をするのとは訳が違う。


「聖職者の方々が先生の悪口を言っていましたよ」


「ええ。聞こえていました」


 返答にティアレーゼはむすっとして、ユキの顔を睨む。


「だったらどうして?

 先生は女神教会の司祭様なんですよ」


「はい。司祭だからですよ」


 返答に、ティアレーゼは戸惑った。

 どうして司祭であるユキが、教会のルールに背くような行動をとらないといけなかったのか。

 ティアレーゼにはさっぱり分からない。


 戸惑った様子の彼女を見て、ユキは諭すように語り始めた。


「自分は卑賤の身分出身です。

 それが何の因果かティアレーゼ様の家庭教師となり、ティアレーゼ様が天使になられたことで、司祭の地位まで与えられました。

 本来であれば考えられないことです」


 ティアレーゼも「それはそうかも知れないですけど……」と小さく頷く。

 ユキは続けた。


「自分が司祭の地位にあるのを快く思わない教会関係者は多いです。

 ですからこうして定期的に呼び出しては野心がないことを確かめようとしている。

 本日はティアレーゼ様が同席していたため言葉を選んでいたようですが、いつもは酷いものです」


「そんなことって……」


 ティアレーゼは悲しい顔を浮かべるがユキは先を話した。


「ですから、自分には教養が無く、これ以上女神の側に近寄るつもりはない。

 教会内での更なる地位などふさわしくないと、示さなければいけません」


 そのためにわざと教養のないふりをしていたのかと、ユキの行動の真意が分かるとティアレーゼは目を潤ませた。


「そんなのって無いです。

 先生は物知りです。あの食堂に、先生より知識のある人なんて居なかったはずです。

 本山の司教様や教区長様よりも、先生はずっと女神様のことをご存じです。

 それがどうして――

 先生は悔しくないんですか?」


 今にも泣き出しそうなティアレーゼの問いかけに、ユキは首をかしげる。

 そしていつもの無感情な表情のまま答えた。


「はい。構いません。

 自分は教会での役職を欲しいと思ったことはありませんから」


 そう言い切るユキ。

 ティアレーゼは何か言おうとしたのだが、ユキが先に口を開く。


「自分はティアレーゼ様の家庭教師になることが出来ました。

 それが自分にとって最大の栄誉です。

 これ以上、一体何を望むものが有りましょうか」


 ユキの言葉にティアレーゼははっとした。

 それから控えめな笑みを作ってユキへと向ける。


「そう言って頂けると嬉しいです。

 私、きっと良い貴族。良い団長。良い天使になります。

 先生が先生で良かったって、証明して見せます」


 ユキは小さく頷いた。

 その表情はいつも通りの無感情に見えて、ほんの少しだけ頬が緩んでいた。


「ええ。

 ティアレーゼ様が立派になってくだされば、自分も嬉しいです」


「はい。

 これからもよろしくお願いしますね。先生」


「こちらこそ」


 ティアレーゼが差し出した手をユキはしっかりと握る。

 上機嫌なティアレーゼといつも通りの無表情に戻ったユキは、ユリアーナ騎士団の詰め所へと戻った。


    ◇    ◇    ◇


 騎士団施設再建工事の音が聞こえてくる中、ユリアーナ騎士団の礼拝堂で、ティアレーゼは祈りを捧げていた。

 日は傾き、沈みそうになった太陽の最後の光が、教会の窓から差して室内をオレンジ色に染める。


 そんな礼拝堂の扉が開かれる。

 ティアレーゼが祈りを続けていると、来訪者はコツコツと足音を響かせて礼拝堂の半ばまでやって来た。


「ティアレーゼ様、こちらにおられましたか」


 ユキがティアレーゼの背中へと声を投げた。

 もう夕食の準備が出来そうだとスミルから報告があったため呼びに来たのだ。

 ティアレーゼは祈りの言葉を小さく口にすると、返事をして振り返った。


「はい。お祈りは大切ですから――」


 振り返ったティアレーゼは目を疑った。

 ユキが、礼拝堂の床に描かれた女神ユリアの顔を踏んでいる。

 ちょっと踏んじゃった感じではない。

 それはもうしっかりと、両足で間違いなく踏みつけている。


「な、ななななんてことを!?

 恐ろしくバツです!!

 ――ちょっと待ってください先生!

 先生が教会関係者に信仰が薄いと印象づける必要があるのは理解できましたよ!

 でもそれだったら騎士団の礼拝堂で女神様の顔を踏みつける必要はなくないですか!?!?

 何で踏むんですか!?!?!?」


 慌てふためくティアレーゼに反して、ユキはいつも通りの無感情な表情を浮かべたまま、素っ気なく答えた。


「はい。

 こいつ嫌いなので」


 ティアレーゼは思い出した。

 この家庭教師は表情だけ見れば無感情そうなのだが、その内面には強く熱い感情を持っている。

 一体何が彼女を女神嫌いにしてしまったのかは分からない。

 でもこの話題については深く触れない方が良いだろうと、ティアレーゼはひとまずユキの好きなようにさせておくことにした。


 

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