第2話 司祭の信仰②
朝食の時間、ティアレーゼはユキについて考え込んでいた。
女神教会の影響力は随分と小さくなってはいるが、未だにこのリムニ王国では、有力貴族の子供には教会出身の家庭教師をつけることが半ば義務づけられている。
王国騎士団にも必ず教会の監察官をつけるという規則が制定されている。
そのような決まりによって、王国3大貴族の1つ、イルディリム家の後継者であるティアレーゼの家庭教師になったのがユキだ。
そのまま彼女は、ユリアーナ騎士団の監察官にも就任した。
ティアレーゼにとってユキは信頼のおける家庭教師であり、学問はもちろん、女神教の信仰の大部分も彼女から授けられた。
そんな彼女が、女神様の顔を踏みつけて平然としているのだからどうにも納得いかない。
ティアレーゼは食事中のユキの顔をちらと見てみるのだが、相変わらず彼女は感情を表に出さない。
一体何を考えているのか、ティアレーゼには分かるはずもなかった。
「どうかされましたか?」
視線を感じたのか、ユキがティアレーゼに問いかける。
ティアレーゼは慌てて平静を取り繕って食事へと意識を向ける。
「いえ何もないですよ」
言葉を受けてユキは首をかしげながらも食事を再開する。
ほっと一息つきながらも、ティアレーゼは食事中ずっとユキのことを考えていた。
◇ ◇ ◇
食事を終えると、ストラが食堂に集まった団員の元へお茶を配り始める。
あるものは食堂に残り、あるものはお茶を持って自室へと帰る。
残ってお茶をすすっていたユキの元へ、スミルが荷物を抱えてやって来た。
「お師匠様にお手紙です。これと、これですね」
「ありがとうございます」
ユキは2通の手紙を受け取る。
1つは簡素な封筒。もう1通は豪奢な飾り立てのされた封筒で、差出人の権力を示すように仰々しい封蝋が施されていた。
ユキは簡素な方から封を切って中身を検める。
中にはよく見知った字で短く要件だけ記されていた。
「ハルグラッド様が昨日領地を発って、こちらへ向かったそうです」
「では今日には到着されますね?」
スミルの問いに、ユキは若干考えてから返す。
「寄り道をするでしょうから、到着には3,4日かかるでしょう」
「なるほど。
お部屋の準備はもうしばらく後でも問題ないですね」
問いかけにユキは頷いて、もう1つの手紙を確かめる。
封蝋は女神をかたどった物。つまり差出人は女神教会だ。
中身を改めるとユキは手紙を封筒に戻しながら告げる。
「本日は教会に出向きます。
ストラ、スミル。訓練はいつも通りに」
「えー、ついていきますよ! お師匠様!」
ストラは連れて行って欲しいとアピールするのだが、ユキは相変わらずの無感情な冷めた目でそれを見て返す。
「教区長からのつまらない呼び出しです。
1人で行きますので、2人は残ってください」
行きたいとごねていたストラも、残るように命令されると師匠の指示に従った。
2人の返事を受けて、ユキは封筒を手にして立ち上がる。
そのユキにティアレーゼが声を投げた。
「あの先生?
私も教会に着いていって良いですか?
運命厄災での教会の被害が気になって」
適当な理由をつけたが、ティアレーゼが本当に気になっているのはユキだ。
彼女が教会に出向いて、もし女神様の顔を踏みつけるようなことがあれば大問題である。
彼女が暴挙に出ないよう、しっかりと見張る必要があった。
「はい。ティアレーゼ様がおっしゃるのであれば」
「ありがとうございます!
直ぐ出発しますか?」
「準備でき次第発つ予定です」
「では私も出かける準備してきますね!
正門前で待ち合わせましょう」
ティアレーゼはユキと約束を交わし、自室に戻ると出かける準備を整えた。
制服の乱れを直し、外出用の靴を引っ張り出す。
そして肩からブックカバーを掛けて、小さな古い日記帳を納めた。
「よし!
私がしっかり先生を見張らないと!」
頬を叩いて決意を固めたティアレーゼは、騎士団施設の正面玄関へと向かった。
◇ ◇ ◇
騎士団施設の受付係へと外出する旨を伝えて、ユキとティアレーゼは教会へ向かう。
リムニ王国王都は、湖に面した城塞都市で、教会は都市が見渡せる小さな丘の上にある。
王都は運命厄災による傷跡がまだ残っていたが、人々は建物の再建に精を出し、3ヶ月後に王国祭を控えているのもあって活気があった。
特に市場はもうお祭りが始まったのではないかと疑うくらい飾り付けられていて、朝の時間帯と言うこともあって人通りも多かった。
そして街の人々は、黒を基調としたユリアーナ騎士団の制服を見ると、笑顔と共に声をかけた。
「あんた達のおかげで命拾いしたよ!
ティアレーゼ様に感謝を伝えてくれ!」
「ユリアーナ騎士団万歳!
ティアレーゼ様にもいつか市に顔を出して貰えると嬉しいよ!」
「厄災でティアレーゼ様がお怪我をなされたとききましたがご無事でしょうか?
ご自愛くださいとティアレーゼ様にお伝えくださいまし」
市を通り過ぎ、教会へ続く上り坂を歩きながら、ティアレーゼはユキに問いかける。
「私って、そんなに団長に見えないですかね?」
ユキは首をかしげる。
「自分はそのように思いません。
今のユリアーナ騎士団の団長は、紛れもなくティアレーゼ様です」
「先生はそう言いますけど……」
街の人はそうは思っていないのだ。
確かにティアレーゼは子供のような外見で、大人しそうな見た目だし、性格も穏やかで威厳のあるタイプではない。
最近では身長もストラとスミルに抜かれる始末で、本人もそれに関しては気にしていた。
「身長、伸ばしたら威厳出ますかね?」
「関係ないと思われますが、伸ばしたいのであれば止めはしません」
そう言われてしまうと実行しづらい。
ティアレーゼは自分の身長については、成るようにするしかないと諦めた。
◇ ◇ ◇
教会に辿り着いた2人。
正門を通り、教会の大きな扉を抜けると、豪奢な服装をした恰幅の良い人物が出迎えに立っていた。
ユキは彼へと視線を向けると一礼する。
「教区長様。召喚を受けて参上いたしました」
教区長は立派な口ひげを指先でいじりながらユキを一瞥すると、その同行者へと視線を向ける。
ティアレーゼが初対面の相手になんと挨拶してよいものかと戸惑っていると、ユキが助け船を出した。
「こちら、ユリアーナ騎士団団長。ティアレーゼ様です。
運命厄災での教会被害確認のため、本日同行されました」
「はい。ティアレーゼ・イルディリムです」
ティアレーゼの名前を聞くと教区長は目の色を変えて、途端にこれまでの尊大な態度を改め、両手を揉んで媚びへつらうように挨拶した。
「これは天使様。
以前とおかわりのない若々しいお姿ですな。
わざわざこのような場所までご足労頂き感謝いたします。
教会の視察でしたらどうぞご自由にお回りください。
必要でしたら案内をおつけしましょうか?」
「いえいえ。お構いなく。
それよりも厄災の拡散を防ぎきれず申し訳ありません。
被害を受けた方々のために祈らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです天使様」
ティアレーゼが短く礼を述べると、今度はユキが呼び出した要件は何かと教区長に問う。
「本山より司教様が訪ねてくる予定です。
ユリアーナ騎士団と、運命厄災の経緯について説明を求められるでしょう」
「かしこまりました。
司教様の到着はいつ頃でしょうか?」
「既に王都には入っているとのこと。
そう先のことではないでしょう」
「ではそれまで教会内で待たせて頂きます」
ユキの言葉に教区長もそうするようにと同意した。
ユキとティアレーゼは教区長に別れを告げて、教会内部を進んでいく。
「先生。
私は教区長様に会ったことありますか?」
「はい。
ティアレーゼ様が天使の認定を受ける際に、同席したのが先ほどの王都教区長様です」
「あー、なるほど」
覚えておこうと、ティアレーゼは教区長の恰幅の良い体躯と、豪奢な服装、立派に蓄えられたヒゲを頭の中にすり込んだ。
結構インパクトのある見た目をしていたので、もう忘れることはないだろう。
「礼拝堂はここを真っ直ぐ進んだ先です。
では自分は待合室で――」
「え!?
教会に来たのに礼拝堂に寄らないおつもりですか!?」
ティアレーゼがびっくりしたのと対照的に、ユキは落ち着き払った様子で無感情に頷く。
「必要ありますか?」
「大いにマルです!
あの、先生は女神教会の司祭様ですよね?」
確認するようなティアレーゼの言葉に対して、ユキは少し考えた様子を見せた。
「はい。そのようです」
「そのようですって、どうしてそんな他人事なんですか!
とにかく礼拝堂には行きましょう! 団長命令ですからね!」
「ティアレーゼ様のご命令とあれば」
ユキは小さく頷いて見せると、礼拝堂へ向かうティアレーゼの後に続いた。
◇ ◇ ◇
王都の教会とあって、礼拝堂の造りは立派で、細かい部分の装飾にまでこだわった、随分と豪奢な装いをしていた。
参列者向けの椅子の手すりにすら、金細工が施されている。
聖職者の礼拝時間は終わっていて、されど一般の礼拝時間がまだ始まっていない時間帯とあって、礼拝堂内の人は少なかった。
下働きの少年と、礼拝堂の管理を任されているらしい若い聖職者だけが、掃除にあたっていた。
ティアレーゼは聖職者へ向かってお祈りさせて欲しいと頼む。
掃除中の彼は当初むっとした表情を見せたが、ティアレーゼの制服を見ると態度を一変させて快く頷いた。
「ではお祈りを。――先生も来るんですよ」
入り口で待っているつもりだったユキは、ティアレーゼの言葉を受けて短く頷き、礼拝堂の奥へ進む。
その間にティアレーゼは女神像の前に跪き一礼し、ユキが来てから共に祈ろうと振り返る。
ちょうどその瞬間、入り口から真っ直ぐティアレーゼの元へと歩いてきたユキは、聖職者の見つめる先で、床面に描かれていた女神ユリアの顔をその足で踏みつけに――
「ダメええええええ!!」
一瞬の出来事だった。
ティアレーゼの首元で法石が小さく瞬く。
その瞬間には、目撃者である若い聖職者は意識を失い医務室のベッドに横たわり、ユキは窓際に立ち尽くし、ティアレーゼはベッド脇の椅子に座ってうなだれていた。
ティアレーゼの能力によって3人が医務室へ転移させられたのだ。
「私は、私はなんてことに天使の力を使って……」
僅かに遅れて状況を理解したユキがティアレーゼに向けて首をかしげる。
「何故能力を使ったのですか?」
「えええ……。何故って」
ティアレーゼは渋い表情のままユキを隣に座らせると、子供をしつけるように1から説明を始めた。
「良いですか先生。
ここは教会で、先生は女神教会の司祭です。
司祭ともあろう人が、教会の礼拝堂で女神様の顔を踏みつけたとなっては大問題になりますよ」
「そうでしょうか?」
ユキはティアレーゼの言葉が必ずしも正しいとは認めない。
「そうですよ。
先生、自分が一体何をしようとしたのか理解されていますか?」
問いかけに、ユキはしっかりと頷く。
「はい。理解しています。
自分は理解した上で行動しています」
「本当に理解されてます?」
確認するように問うティアレーゼ。
やはりユキはしっかりと頷いて返した。
「分かりました。
先生がそうおっしゃるなら信じます」
意識を取り戻した若い聖職者が、目を開けて上体を起こす。
そんな彼へと、ティアレーゼは優しく声をかけた。
「働き過ぎはよくありません。
しっかり休憩をとらないとバツですからね」
まだ状況が把握出来ていない聖職者は曖昧な返事をしたが、それだけ確認するとティアレーゼとユキは医務室を後にして、待合室へと向かった。
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