今日も世界は平和です。

来宮 奉

第1話 司祭の信仰①


 1人の男が起こした世界崩壊の危機。

 ”運命厄災”が終結してから2ヶ月。

 世界は平穏を取り戻し、厄災からの復興に王都は活気づいていた。


 世界を救った当事者であるユリアーナ騎士団も、今はすっかり平和を享受していて、国中を飛び回っていた頃の慌ただしさはない。


 今朝も騎士団監察官であるユキは、私室の机に向かい、来客用に少しだけ開けてある窓から流れ込んでくる朝の空気を感じながら、広げた騎士団日誌を前にしていた。


 ……書くことがない。


 女神ユリアの名前を冠したユリアーナ騎士団は、王国の、ひいては世界の脅威に立ち向かうために設立された騎士団である。


 世界中で発生していた魔力の枯渇現象は解決した。

 隣国、大天使シャミア帝国との戦争も終結し、その後に起こった世界崩壊の危機、”異界戦役”も無事に終結。

 そして2ヶ月前の”運命厄災”も解決。

 騎士団が抱えてきた諸問題も、多少のくすぶりはあるものの概ね解決した。


 ――つまり、ユリアーナ騎士団が今、取り組むべき仕事がない。


 小さいことならある。

 壊れた騎士団施設の再建に、3ヶ月後の王国祭の準備。

 しかしそれが騎士団の報告すべき仕事かと問われると疑問である。


 書くことはない。

 それでも何か書かなくてはいけないのが監察官の仕事である。


 ユキは頭をひねった末に、一文だけ書いて、後は夕方の自分に託すことにした。


 “今日も世界は平和です。”


 今日も世界は平和である。

 されど、その平和が誰の手によってもたらされたのかよく考えるべきである。


 なかなか際どい一文だ。

 こんな書き出しをして、結論を何処に帰着させるつもりなのか。

 今のユキにはさっぱり分からなかったが、きっと夕方のユキは分かるはずだ。

 そう信じて騎士団日誌をぱたんと閉じる。


 それと同時に、部屋の扉が勢いよく開かれた。


「おはよーございます、お師匠様!」


 元気よく声をかけたのは、ユキの弟子の1人、ストラだった。

 その背後からはもう1人の弟子、スミルもついてくる。


 ストラとスミル。

 彼女たちは双子で、背丈も顔もよく似ている。

 見分ける点としては、ポニーテールにしている元気なのがストラ。

 髪を後ろで2つ縛っている大人しいのがスミル。


「お師匠様、髪が跳ねてますよ」


 スミルがブラシを手にして、ユキの腰まである灰色の髪を整え始める。

 ユキが「必要ありません」と言っても彼女は手を止めなかったので、そのまま好きなようにさせておいた。


 ストラもスミルも今年で13歳。ユキの元で術士の修行を始めてからもう2年になる。

 2人は小柄だったが、ユキの身長は更に低い。

 

 ユキは今年で17になるはずだが、身体は小さく子供のようであった。

 真っ白な肌、灰色の髪をしていて、真っ黒な瞳はいつも感情薄くどんよりとしていた。

 そのじとっとした瞳をストラの方へと向けて、要件は? と短く問う。


「朝食の準備が出来たので呼びに来ました!

 今日はルッコさんに手伝って貰ったので2割増しで美味しいですよ!」


「それは楽しみです。

 ――ティアレーゼ様は?」


 ユキの問いかけに、ストラはスミルへと向けて首をかしげる。

 スミルはブラシを置いてから、首をかしげて返した。

 2人とも知らないのだから、ティアレーゼはまだ食堂に顔を出していないということだ。

 

「では自分が呼びに行きます。

 先に行っていてください」


 2人の返事をきくと、ユキは自室を後にして、騎士団の礼拝堂へと足を向けた。


    ◇    ◇    ◇

 

 ティアレーゼ・B・イルディリムの名を知らぬ者は、最早王国には1人も居ないだろう。

 異界戦役、運命厄災という世界的危機を解決した、ユリアーナ騎士団の団長。

 そして唯一の、女神教会より正式に認められた現存する天使でもある。


 人間では達成不可能な条件を成し遂げた者が天使と称される。

 ティアレーゼは、討伐不可能とされたドラゴンを完全消滅させ、滅竜天使の称号を授けられていた。

 天使の誕生によって結成されたのがユリアーナ騎士団で、前述の通りこの騎士団は、2度も世界崩壊の危機を防ぐ大活躍を果たしている。


 しかしそんなティアレーゼ本人を、実際に見た人間は少ない。


 ティアレーゼは、騎士団施設に併設された小さな礼拝堂で、女神像に向かって膝をつき、祈りを捧げていた。


 ティアレーゼは少女と呼ぶべき外見をしていた。

 今年で16になるが実際の見た目はそれよりもずっと幼く、美人と言うよりは愛くるしい様相だ。

 銀色の美しい髪を肩まで伸ばし、小さな身体はユリアーナ騎士団の黒を基調とした制服に包まれている。

 首に下げられたネックレスでは、術者の証である法石が水色に輝いていた。


 ユキは礼拝堂の扉を後ろ手にそっと閉めると、ゆっくりとティアレーゼの背後に向かった。


 祈りを終えて顔を上げるティアレーゼ。

 彼女の大きな鳶色の瞳がぱっちりと開くと、ユキは声をかけた。


「おはようございます、ティアレーゼ様。

 今朝もこちらにおられましたか」


 無感情な抑揚のないユキの声を聞いて、ティアレーゼは振り返った。


「はい、お祈りは大切ですから――」


 振り向いたティアレーゼの、大きな鳶色の瞳が驚愕で見開かれた。

 彼女はユキの足下を見て、素っ頓狂な声を上げる。


「な、な、なにをしていますか!?

 ダメです! とんでもなくバツです!!

 女神様の顔を踏んでいますよ!?」


 ティアレーゼの指摘を受けて、ユキは自身の足下を確かめた。

 床に描かれた、女神ユリアを模した絵を確かにユキはその両足でしっかりと踏みつけていた。

 されど悪びれる様子は一切ない。


「通り道にこんなものを描くからいけないのです」


「それは一理あります。子供が踏んでしまうことも確かにあります。

 でも! でもですよ! 先生は女神教会の司祭様ですよ!」


「そんなことより朝食の準備が出来ました。

 食堂へ赴きましょう」


「そんなこと!? そんなことでしょうか……?」


 疑問に思うティアレーゼを余所に、ユキは伝えるべきことを伝えたと冷淡な態度を崩さず、ご丁寧にその場で180度回って女神ユリアの顔をしっかり踏みにじると、礼拝堂から出て行ってしまった。


 その背中を呆然と見送るティアレーゼ。

 ユリアーナ騎士団の監察官でもあり、女神教会の司祭でもあるユキが、一体どうしてしまったのだろうか?

 彼女の信仰は一体何処へ行ってしまったのか?


 ティアレーゼは頭を悩ませながらも、空腹にはあらがえず、立ち上がって食堂へ向かった。

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