ハウニブ
魔法は科学ではない。だけど魔法は学問だ。
『魔女』トゥルーデは、魔法をそう捉えていた。
魔力を操り、草木を煎じ、悪魔と交信する。それらは勘や才能といったあやふやなものではなく、ハッキリとした法則の下に置かれていて、正しい知識を用いれば望む結果を導き出せる。ただ、魔力というものが常に変化し続ける性質を持つため、法則を導き出しにくいだけだ。
古の魔女たちは己が積み重ねた知識と経験を交換し、魔法を研鑽していった。サバトは学会としての側面も持ち合わせていたのではないかと、トゥルーデは考えている。
「いや、魔力を部分的にしか感知できない人間が、魔法を完璧に操れるわけないでしょう。それは悪魔の領分よ」
ところがこの意見を認めない人物、いや、悪魔がいた。育ての親のノーラだ。悪魔としては『バフォメット』という。
トゥルーデを新しい魔女として育てているノーラは、とにかく過去の魔女と同じ知識、同じ魔法を覚えさせようとした。ざっと100年前の知識だ。古いにも程がある。本職の魔女ではない『大がらす』オルトリンデにさえ時代遅れと言われるような古典魔法ばかりを学ばされた。
当然、トゥルーデは反発した。もっと新しい理論を学びたいし、現代に生き残った他国の魔女とも交流してみたい。しかしノーラは、とにかく伝統的な魔女になれ、なって悪魔を崇拝しろと言って聞かない。
そこでトゥルーデはノーラに見つからないようにこっそりと現代魔術を学ぶようになった。特にグルードの秘書になってからは研究が捗っている。グルードには古典魔術と現代魔術の区別どころか、ハードカバーの文芸書と魔術書の区別もつかないからだ。
それでも不安になることは幾度となくあった。本当に現代魔術は古典魔術に勝るのか。独学で学んでいる現代魔術は正しい理論なのか。学んだところで使い道はあるのか。魔法そのものが時代遅れなのではないか?
悩み続けていた昨日までのトゥルーデに向かって、今日のトゥルーデは悲壮な思いを込めて叫んだ。
「現代どころか未来まで魔法は現役だーッ!」
箒に跨って空を飛ぶトゥルーデを追いかけるのは、ナチスドイツのUFO『ハウニブ』。不気味な駆動音を立てながら空中を滑るように飛行し、トゥルーデを撃ち落とそうと多数の12.7mm機関砲を乱射している。
もちろん、マトモな航空力学で飛んでいるわけではない。ハウニブを飛ばすのは魔法、そして怪異の力だ。ナチスが秘密裏に開発したUFOという都市伝説が、あの空飛ぶ円盤に力を与えているのだ。魔法と科学が融合した結果、未来の宇宙の乗り物が完成した。
傍から聞けば笑い話だろう。しかし、飛行機並みの速度で飛び、弾丸を撒き散らすUFOに追いかけられているトゥルーデからしてみたら、たまったものではなかった。
ハウニブがトゥルーデの箒の後ろについた。銃弾が耳をかすめる音を聞きながら、トゥルーデは箒を操作。大きく弧を描いてハウニブを振り切ろうとする。
だが、ハウニブからの銃撃は横に回り込んでも止まらない。正面だけでなく、横にも機関砲がついているからだ。
そもそもハウニブは円盤型。上下左右に形の区別はない。それぞれの方向に機関砲を1門ずつ、更に円盤下部にも4門の機関砲を据え付けている。上部にも機関砲が1門あり、どの方向にも隙がない。
だから、横に回り込もうが後ろにつこうが、ハウニブの動きは変わらない。
一方トゥルーデは伝統的な魔女のように、箒に跨って飛んでいる。横を見るには首を動かさないといけないし、後ろを向くのはもっと大変だ。
それに機関砲なんて上等な武器もない。使えるのは魔法だけだが、箒にまたがりながらの超高速戦闘では、魔法陣は描けないし詠唱する余裕もない。圧倒的不利だ。
ハウニヴからの火線がトゥルーデをかすめた。スーツの袖が破れ、白い肌から血が吹き出す。かすっただけでこれだ。直撃すれば木っ端微塵だろう。振り切らないと。
次の銃弾が当たる前にトゥルーデは急降下。自由落下の勢いを味方にして、ハウニヴを振り切ろうとする。ハウニヴも続いて急降下、1人と1機は雷のように眼下の戦艦を目指す。
「ふんっ……ぬううっ!」
甲板に激突する寸前、トゥルーデは箒の機首を上げた。なおもトゥルーデを甲板に叩きつけようとする慣性に歯を食いしばって抗う。落下から飛行へとベクトルが変化し、トゥルーデの箒は甲板と水平に飛行し始めた。
後を追うハウニヴも落下を止め、上昇しようとする。だが、慣性は重い物にはより強烈な牙を剥く。落下の勢いを殺しきれなかったハウニヴの胴体が、甲板にこすれて火花を散らした。
だが、それだけだ。ハウニブはすぐに浮遊してトゥルーデを追う。
「鳩は姿を変え、
その先で、トゥルーデは魔法を唱えて待ち構えていた。
「洪水を越えた翼は、地の果てまで汝を追う矢とならん!」
トゥルーデの眼前から魔法の矢が放たれた。加速し始めていたハウニヴは避けることができず、真正面から矢を受けた。
そして、魔法の矢は呆気なく砕け散った。マウスと同じ技術で作られた魔法と複合金属の多重装甲は、魔法陣も儀式も介さない古典魔術程はものともしなかった。
「ダメかっ!」
トゥルーデは踵を返し、箒を駆って逃げる。甲板で戦っていた翡翠とヴリルの間を抜け、シャルンホルストの主砲や艦橋を盾にして、少しでもハウニブの攻撃の手を緩めようとする。
古典魔術の力では、なりふり構わぬ『最後の大隊』には敵わない。科学を頭、魔法を胴、怪異を尾とした醜い技術のキメラだが、その分パワーは圧倒的だ。
打開策、いや、助けてくれる人。誰かいないか、何か無いか。
翡翠はヴリルとの一騎討ちに夢中。メリーさんはどこかに消えた。シャルンホルストは艦橋の根本で倒れたまま。海やアヴァロンに目を向けても、助けになりそうなものはない。
そしてノーラは、育ての親は、トゥルーデを見ようともしていなかった。倒れた特注ゾンボットの顔を覗き込んでいた。
頭がカッと熱くなるのを、トゥルーデは感じた。
「ふざけんじゃないわよ……!」
仮にも娘が必死になっているのに。普段はあれだけ大切にしていると言っておいて、土壇場になったら助けに来ないのか。そっちの言いつけ通りに、我慢して古典魔法だけを使っているのに、見向きもしないのか。褒めないのか。
箒を握る手から、ミシミシと音がする。この箒はノーラの手作りで、一人前の魔女、千年の歴史を持つ魔女の末裔として認められた証として貰ったものだ。
期待されていると思った。目をかけられていると思った。そうでないのなら。
「だったら……私の好きなようにやらせてもらう!」
トゥルーデは箒の柄から手を放した。跨っていた足を上げ、手放した柄を踏みつける。つまり、箒でサーフィンをする形となる。立ち乗りだ。
魔女の証明書とも呼べる箒を踏みつけにする行為。ノーラなら、いや、大抵の魔女が見たら顔をしかめるだろう。それにバランスが取れなければ落ちる。危険だ。
だが、利点もある。重心操作が楽になり、跨っている時よりも小回りが効く。そして、両腕がフリーになる。
手の自由を得たトゥルーデが取り出したのは、1枚の紙だ。人間界では使われない文字がびっしりと書かれている。トゥルーデは腕から流れる血をすくい取ると、紙の端になすりつけた。
「古の契約に基づき、今一度申し上げる。
蒼白の公爵、傾ぐ乙女の足下におわす、終わりを司る者よ。
その大いなる権能を以て、
呪文を唱えたトゥルーデの周りに、歪んだ光の膜が現れた。途端に、空を飛ぶトゥルーデを襲っていた風圧や慣性がぴたりと止む。
追いついたハウニブがトゥルーデを銃撃するが、光の膜に逸らされてトゥルーデを傷つけることができない。
高速移動を得意とする悪魔の力を借りた結界だ。地獄の炎をものともしないその悪魔の力は、多少の銃撃では突破できない。
ノーラが見ていたら腹を立てていただろう。悪魔の力を借りながら別の悪魔の手を借りるなど、古典的な魔女からしたら危険だし、タブーだ。
結界を張ったトゥルーデは箒を踏み込み急速反転、猛スピードで甲板スレスレまで降下する。ちら、と振り返りハウニブとの距離を確かめたトゥルーデは、小さな声で呪文を呟きながら、スーツの右ポケットに手を入れる。取り出したのは琥珀色の液体が入った小瓶だ。
それだけではなく、左ポケットからビニールのパッケージ、内ポケットからネズミの頭蓋骨、袖口から馬のたてがみ、ズボンのポケットからは鳥の骨など、魔法の儀式のための道具を次々と取り出す。
両手いっぱいの道具を手にしたトゥルーデは、無造作に箒から飛び降りた。悪魔の結界が甲板に着地した彼女を守る。箒はそのまま直進し、ハウニブも急ブレーキをかけられずトゥルーデの頭上を通り過ぎていった。
立ち上がったトゥルーデは、すぐそばで倒れていたシャルンホルストに駆け寄った。ビニールのパッケージを破り、中の粉を振りかけ、ネズミの頭蓋骨を腹の上に乗せ、馬のたてがみを足の指に巻き付け、鳥の骨を握らせる。最後に小瓶の封を開け、中の塗料を顔の鏡にかけた。
魔女の儀式だ。しかし、手順は大幅に簡略化されている。悪魔を讃える歌も無ければ、神を呪う言葉もない。ただ魔法に必要な道具を並べただけだ。所要時間はわずか10秒、風情も何もあったものではない。
その間にハウニブがブレーキと方向転換を終えて戻ってきた。トゥルーデを撃ち抜こうと機銃の照準を合わせる。
銃弾が放たれる前にトゥルーデは走り出した。眼前の手すりを飛び越え、ためらいなく海へと身を投げ出す。そこへ滑り込んできたのは、ついさっき手放した箒だ。掟破りの遠隔操縦、この展開を見越した上での誘導だった。
箒の上に着地したトゥルーデをハウニブが追う。双方、波しぶきがかかるほどの低空を高速で飛行して、戦艦から離れていく。
トゥルーデは時折振り返りながら呪文を呟き続けている。ハウニブに対して攻撃はしない。したところで意味がない。今の彼女の知識の中に、超高速で動き回るハウニブに命中させられて、なおかつハウニヴの装甲を貫ける魔法はない。
一方のハウニブは、機関砲が結界に弾かれると見るや、新たな武器を取り出した。円盤下部の中央ハッチから姿を現したのは、多数の穴が空いた箱であった。
トゥルーデが訝しむ間もなく、箱が火を吹いた。白煙を上げて飛び出したのは、人間の腕ほどの長さがあるロケット弾である。それも1本や2本ではない。24本ものロケット弾が、トゥルーデを囲むように放たれた。
「んなあっ!?」
トゥルーデは悲鳴を上げて急降下。そのすぐ真上でロケット弾が一斉に爆発を起こした。結界をも揺るがす爆風がトゥルーデに襲いかかる。重装甲の戦車や爆撃機をも破壊する爆発だ。直撃していれば、いかに悪魔の結界といえどもひとたまりもなかっただろう。
何とかバランスを立て直したトゥルーデは方向転換、戦艦に向かって飛ぶ。後を追うハウニブは、空のロケットランチャーをハッチに格納し、次の弾を装填し始めた。効果アリと見て、ロケット弾での攻撃を続けるつもりだろう。
火力、防御、速度。あらゆる点でハウニブはトゥルーデを上回る。ただ、ハウニブには思考が無かった。乗組員のゾンボットはヴリルの命令通りにハウニブを動かすことに特化していて、細かい作戦を立てる能力を持ち合わせていない。ただ命令通りにトゥルーデを始末しようと、後を追いかけて攻撃しているだけだった。
つまりハウニブは、トゥルーデがわざわざ戦艦から一度離れ、そして今戦艦へと戻っているという不自然な動きを訝しむことができなかった。
「鏡に囚われし魂よ。主を忘れた迷い子よ」
『ゲシュタルト崩壊』というものがある。同じ文字や絵を見続けていると次第にその全体像が認識できなくなるという知覚現象だ。
それと同じ名前を持つ怪異がある。こちらはナチスが行った実験で、鏡に写った自分自身に話しかけ続けると精神が変調をきたし、最後には自我崩壊に陥ってしまうという都市伝説だ。最後の大隊はその怪異を利用して、強力な洗脳魔法を開発した。
強力ではあるが万能ではない。魔法である以上、綻びはある。よく取り繕っていたが、それは人間の魔術師の視点。悪魔の視座を持ち合わせたトゥルーデならば見つけることができた。
「ゲシュタルトは再建された。我が声に耳を傾けよ。
そうして綻びが見つかれば、そこを起点として術式に手を加えられる。いわば魔法のハッキングだ。
一人前の魔女ならば、相手の術を利用するなどせず、より強力で効果的な術をぶつけて圧倒しろ。バフォメットはそう言うが、トゥルーデはそう思わない。相手の技を逆手に取って足元を掬う方が、頭が良いし気持ちいい。
「シャルンホルストよ、我が敵を撃ち落とせ!」
洋上に浮かぶ戦艦、その中で最も大きな砲塔が動いた。28.3cm三連装砲。かつての戦争でイギリス海軍相手に猛威を奮い、合計10万トンの船舶と空母を沈めた死神の鎌。
それは直進してくるトゥルーデへピタリと狙いを定めると、轟音と共に砲弾を放った。その衝撃は、甲板に立っていた巨大なニンゲンが倒れるほどだ。
そして砲弾が放たれた瞬間、トゥルーデは足元の箒を蹴って飛んだ。箒は左へ、トゥルーデは右へ、それぞれ投げ出される。その間を砲弾が通り抜ける。そして、砲弾が向かった先には、ハウニブ。
正面から砲弾を受けたハウニブは瞬時に粉砕、空中で火の球と化した。一瞬遅れて、搭載していた機関砲やロケット砲に引火して、無秩序な花火が打ち上がった。
箒の上に降り立ったトゥルーデは、散々苦しめられたハウニヴが墜落する様子を見上げながら、満足げに息を吐き出した。
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