エクスカリバー

 ミドガルドシュランゲの中から現れた、おぞましき白い肉の竜。それは地響きのような咆哮を上げると、雁金たちに向かってきた。


「やばいこっち来た!」

「撃て、撃てぇ!」


 MI6の兵士たちが竜を撃つ。銃弾は肉を抉り取るが、竜の動きは微塵も鈍らない。

 大きすぎる。5階建てのビルを超える竜の体躯に、人間の指先程度の大きさの銃弾が突き刺さっても、蚊が刺した程度の傷にしかならない。

 竜は両腕を使って這い寄ってくる。足がない。腰から下は蛇のように細長い。背中の翼はぎこちなく羽ばたくだけで、竜の体を浮かせるほどの力はないらしい。


「……あれ?」


 竜の姿を見た雁金は、奇妙な既視感を覚えた。この世に2つとない造形の怪物だが、なぜか見覚えがある。それも、割と最近。このイギリスに来る前。確か、会社で取材用の資料を集めていた時に。


「ボサッとしてんな雁金ェ! 来るぞ!」

「っと! すいません!」


 赤ずきんに手を引かれて、雁金は慌てて下がる。白い竜はゆっくりと腕を振り上げ、地面に叩きつけた。砕けたアスファルトが飛び散り、不運な兵士に命中した。


「ぐあっ!」

「なんてパワーだ……」

「この野郎がっ!」


 赤ずきんがチェーンソーで腕に斬りかかる。銃撃よりは大きな傷を与えたが、それでも竜全体から見ればちっぽけな傷に過ぎない。

 再び竜が腕を振り上げた。赤ずきんは慌てて後ろに下がる。周りにいた兵士たちも、さっきより広めに距離を取る。


 だが、今度は彼らが被害を受けることはなかった。腕が振り下ろされた先には、イヌモドキとゾンボットの群れがあったからだ。

 腕に押し潰された怪物たちは、悲鳴を上げることもできずに潰れた肉塊と化した。


「えっ!?」


 思わぬ同士討ちに雁金は驚きの声を上げた。だが、驚くのはまだ早かった。

 腕の下からぐちゃぐちゃと気味の悪い音が響き始めた。それと共に肉の竜の全身が脈動する。肉が蠢き、赤ずきんに斬られた傷が塞がっていく。


「傷が治ってる……!?」

「まさか、あいつらを食べて……!」

《食べてるんじゃなくて、取り込んでるんですよねェ》


 スピーカーを通して歪んだ女の声が聞こえてきた。白い竜の首の辺りに、ミドガルドシュランゲのスピーカーの残骸が挟まっていた。


《いやはや、これは欠陥品でしてェ。お目見えする予定は無かったのですがァ……まあ、皆様の頑張りに免じて、特別公開というコトで?》


 肉の竜が腕を上げると、潰されていたはずの怪物たちは血の一滴も残さず消失していた。あの竜が取り込んだというのは嘘ではないらしい。


《ああ、もちろん、怪異やゾンボットだけでなく、通常の人間……すなわち皆様も分解再構成できますのでご安心を。材料が無くなる、ということはありませんよォ?》

「下がれっ!」


 ミシンのような銃撃音が響き渡った。七人の小人のひとり、ドクがマシンガンで肉の竜を狙っている。毎分1200発のスピードで吐き出される大口径弾が、容赦なく竜の首を抉る。白い竜は装甲がついた腕で、銃撃を防ごうとする。


「パーシー! スリッピー! 残りの機銃を用意! 3交代で撃ち続けてあいつを止める!

 本隊はその間に退避しろ!」

《待ちなさい! それは認められません! あなたたちを犠牲にすることになる!》

「言ってる場合か! 完全に想定外のバケモノだ、マトモに相手にしても無駄な犠牲が増えるだけだぞ!」


 スノーホワイトが制止するが、それでもドクたちは聞き入れない。肉の竜に銃撃を浴びせ続ける。


《自己犠牲とは感心、感心……などと言うとでもォ?》


 竜が首をもたげた。頭となったミドガルドシュランゲの先頭車両から火炎放射が放たれる。本当にドラゴンの吐息ブレスのようだ。


「うおおっ!?」

《簒奪者の教えを盲信するウジ虫ども! 不愉快だ! 消えろ、消えろ、消えろ!》


 肉の竜は四肢と尻尾を振り回して、めちゃくちゃに暴れ回る。周りにあったあらゆるものが吹き飛び、巻き添えを食った人々が倒れ伏す。


「こいつ何言ってんだ?」

「情緒不安定か!?」

「あんなバケモノになってたらなあ……!」


 言葉の意味はわからないが、暴力は本物だ。吹き飛ばされた瓦礫が近くのビルに当たり大穴を開けた。


「危ねえーっ!? クソッ、なんとかして止めろ!」

「やってんだよお前も手伝え!」


 グリムギルドもMI6も、持てる力の全てを使って竜に攻撃を加えている。

 しかし、ドラゴンは倒れない。ただでさえ巨大な相手が、周囲の怪異を取り込んで無限に再生し続ける。小さなコップで海の水を全て汲み出そうとしているようなものだ。


「このままじゃ……!」


 雁金もショットガンを放つが、肉の竜はまるで気にしていない。このままではどうしようもない。逃げるしかないのか。だがそうすればロンドン塔に突入している翡翠たちがどうなるかわからない。


 迷っていた雁金の背後に、鎌を持ったゾンボットが忍び寄っていた。


「ッ、雁金ェ!」


 赤ずきんの叫びで雁金は後ろの敵に気付いた。とっさにショットガンをかざすと、振り下ろされた鎌とぶつかって火花が散った。

 押し返そうとするがびくともしない。翡翠やアケミならともかく、肉体的にはただの人間である雁金では、強化改造されたゾンボットの腕力には叶わない。

 ゾンボットが腕に力を込める。押し返される。思わず雁金は目を瞑った。


 チェーンソーの音と共に、腕にかかっていた圧力が消えた。


 雁金が目を開けると、ゾンボットが頭から真っ二つになって倒れていた。


「無事か?」

「先輩!」


 視線を上げると、チェーンソーを持って馬にまたがった人影が見えた。


「あれ?」


 小さい。男性でもない。白人の金髪美少女だった。


「すみません、間違えました」

「いや、無事ならいい」


 数日前、ウエストミンスター寺院にいた時に、翡翠にいきなり殴りかかった少女だ。手にしたチェーンソーで雁金を助けてくれたらしい。

 金髪の少女は眼前で暴れる白い肉の竜を見上げ、嘆息した。


「竜と言うには不格好すぎる。前に見たものとは全然違うぞ」


 少女の言葉に雁金は眉をひそめた。前に見たことがある? 竜を?


「まあいい。不格好でも竜は竜。このブリテンを脅かす者には容赦せん」


 少女は馬上でチェーンソーを構えた。


「斬り捨ててくれよう」


 馬が駆け出す。


《何ですかァ!?》


 突進する少女騎士に気付いた白い竜は、機関車のように太い腕を振るう。瓦礫や車、そして巻き添えになった怪異を弾き飛ばしながら、腕が少女騎士へ迫る。

 それに対して少女騎士は、エンジンを全開にしたチェーンソーを振るった。斬撃は白い光を纏い、白い竜の腕を一撃で切り飛ばした。


《なっ!?》

「えっ!?」

「はああっ!?」


 竜も、雁金たちも、思わぬ結果に驚いて動きを止める。ただ少女騎士だけが猛然と馬を走らせる。斬られて宙を舞う腕の下を潜り、竜との間合いを更に詰める。


《くぅっ!》


 白い竜が纏う装甲が展開、中から機関銃が現れて、少女騎士に鉛玉の雨を浴びせる。しかし、馬が素早く旋回し銃撃から逃れる。

 その先にあるのは白い竜の下半身だ。少女騎士がチェーンソーを振るうと、再び閃光が放たれ、蛇のようにのたうち回る竜の体を切り裂いた。

 しかし、傷口からはすぐに新しい肉が生えてくる。それも、たった今切り飛ばした太い胴体とは違う。無数の細い手が触手のように伸びて、少女騎士を絡め取ろうとしてくる。


「む」


 少女騎士は僅かに眉根を寄せると、猛烈な勢いでチェーンソーを振り回し始めた。先程のような破壊力のある閃光は放たず、僅かに光るチェーンソーを目にも止まらぬ速さで振るう。

 数百あったはずの腕は残らず微塵切りにされた。少女騎士には指一本すら触れられない。

 そうして無数の腕を掻い潜った少女騎士は、白い竜の上半身めがけて突進する。


《ガアアッ!》


 振り返った白い竜は、頭の車両から炎を吐いた。


「ぬんっ!」


 白刃一閃。チェーンソーから放たれた光が、炎を真っ二つに断ち割った。

 しかし、その先で待ち構えていたのは機関銃の銃口。十字砲火で女騎士を蜂の巣にしようと、一斉掃射が放たれる。

 少女騎士の馬が大地を蹴った。銃撃を飛び越え、白い竜の頭上に躍り出る。


《飛んで火に入るゥ――》


 白い竜が背中の翼を羽ばたかせた。そこから数発の物体が上空に向けて発射される。ジョンソンを負傷させた跳躍爆弾だ。空中にいる少女騎士を囲む形で展開される。逃れようにも、空中にいるため動くことができない。


《夏の虫ィ!》


 爆弾が一斉に炸裂した。中から飛び出した無数の金属弾が、少女騎士とその周囲の空間を埋め尽くす。全て切り払うなどという芸当ができるはずもなく、少女の全身に穴が空いた。

 だが、そこで異変が起きた。穴だらけになった女騎士の体から、血が一滴も流れない。

 それどころか、穴がみるみるうちに小さくなり、遂には塞がってしまった。体だけではない。髪も、鎧も、馬も、まったく元通りに治ってしまった。


《なにぃっ!?》


 悲鳴を上げた白い竜の首を、少女騎士は落下の勢いをつけた斬撃で切り落とした。

 切断面からすぐさま新しい首が生えてくる。ただ、そこにはミドガルドシュランゲの先頭車両はついていない。鼻の無いのっぺりとした丸い頭だった。黒く小さい穴がいくつか空いているが、目とも口とも言い難い場所に空いていた。

 顔を少女騎士に向けた白い竜は、震える声で聞いた。


《おま、えは……お前は! その剣、その再生能力! まさか!》

「ようやく気付いたか。誰を相手にしているか」


 金髪の少女騎士は、チェーンソーを眼前に構えた。


「我が名はアーサー! アーサー・ペンドラゴン! 第一の騎士にして聖剣の担い手!

 ブリテンを脅かす悪竜を討ち果たすため、遥かなる時を超え、アヴァロンより舞い戻った!」


 アーサー・ペンドラゴン。配下の騎士たちと共に悪王ヴォーディーガンの討伐や聖杯探索、怪物退治などの冒険を繰り広げ、ブリテン島の統一を成し遂げた『アーサー王伝説』という物語の登場人物である。

 古代の出来事やイギリス各地に伝わる伝承を取り込んだ一大叙事詩は騎士道物語の代表作としてイギリス全土、いや、全世界で親しまれた。怪異として成立するには十分すぎるほどの知名度であった。

 

「邪竜よ、この聖剣エクスカリバーの錆となるがいい!」


 そして、彼が握る剣こそが『エクスカリバー』。岩に刺さった聖剣、あるいは湖の乙女より授けられた魔法の剣である。

 切れ味は言うに及ばず、その刃を納める鞘には癒やしの魔法が掛けられており、例え首を刎ね飛ばされても元通りに治ってしまう。


《いや……いやいやいや!? アーサー"王"! 男でしょう!? 何で女の子になってるんですかァ!?》


 酷く困惑した声がスピーカーから響く。それを聞いた少女は不満げに眉をひそめた。


「お前も女になっているだろうよ、『フランケンシュタイン博士』」

《私は怪異憑きだ! だけどお前は怪異! 元になった伝説で男とされている以上、性別の変わりようが無い!》

「やかましい……こっちにも事情というものがあるのだ!」

《それにその、チェーンソー! 何をどうしたらエクスカリバーがチェーンソーになるんですかァ!?》

「全部日本人が悪いッ!」

「私!?」


 突然責任を負わされて、雁金は悲鳴を上げた。周囲から訝しげな視線が飛んでくるが、必死に首を振って否定する。心当たりが無いどころか、何をどうしたらアーサー王伝説があんなことになるのかさっぱりわからない。


《……ひょっとしてモンティ・パイソンのせいで》

「うるせぇぇぇっ!」


 アーサーの怒りの声が白い竜の声を遮った。白く光るチェーンソーエクスカリバーを振り回して、白い竜に斬りかかる。一撃が放たれる度に、白い竜の体の一部が斬り飛ばされる。

 白い竜はすぐさま体を再生させるが、アーサーの斬撃の方が速い。斬られたそばから竜の体の一部が切り離される。

 いや、斬られたそばから、ではない。白い竜の再生スピードは徐々に遅くなり、再生し切る前に次の部位が斬られ始めた。


「あれ?」


 更に雁金は気付く。竜の体が少しずつ縮んでいる。さっきまでは5階建てのビルを超えるほどの大きさだったのに、今は3階建てのビルと同じくらいの大きさしかない。


 アーサーのチェーンソーが竜の翼を斬り裂いた。斬られた翼は地面に落ちて、急速に腐っていく。 


「まさか」


 雁金はようやく、アーサーが何を考えているか気付いた。

 白い竜はイヌモドキやゾンボットを取り込んで巨大化していた。つまり、肉体を作るには元手が必要ということだ。あまりにも大きすぎて実感が湧かないが、再生は無限ではなかった。

 つまり、再生するための元手を使い果たせば、竜は死ぬ。エクスカリバーを振り回すアーサーはそれを狙っているのではないか。


「い、猪武者……!」


 死ぬまで斬れば死ぬ。暴論である。とても世界的に有名なファンタジーの登場人物とは思えない。


 だが、かの大魔術師マーリンは、『赤い竜』と『白い竜』を掘り当てたヴォーティガーンにこう言っていた。


「赤い竜はブリテン人、白い竜はサクソン人を表しています。この2匹の竜の争いは、コーンウォールの猪が白い竜を倒すまで終わりません」


 そして『白い竜』であるサクソン人の軍勢は、コーンウォールの若き英雄アーサーに討たれた。

 つまり、誇張でも何でもなく、アーサーは猪武者だった。


「ぜぇあっ!」


 怒声と共にアーサーはチェーンソーを振るう。竜の左腕が吹き飛んだ。その前に斬られた右腕ともども、再生は始まらない。遂に元手が尽きた。


「よおし、トドメ……」


 駆け出そうとしたアーサーの足元が大きく揺れた。乗っていた瓦礫がめくれ上がり、そこから数体の大柄なゾンボットが姿を現した。


猪口才ちょこざいな!」


 チェーンソーを振るい、瓦礫ごとゾンボットを斬り捨てる。改めて白い竜に目を戻したアーサーは瞠目した。


《いやぁ、不死身とか相手にしてられませんよねぇ?》


 白い竜が空を飛んでいる。再生させた翼をはばたかせ、両腕を失い小さくなった体を持ち上げて浮上している。


「逃げる気か貴様ぁ! 卑怯者め、降りてこい!」

《頼まれて降りるほど愚かじゃありませんよ。それでは!》


 白い竜はアーサーに目もくれず上昇する。


「頼んでないんだよ」


 その体に、無数の有刺鉄線が絡みついた。


《ッ!?》

「降りろ、ッ!」


 有刺鉄線を操るのは、グリムギルトの怪異憑き『いばら姫』。鉄のトゲが白い肉に食い込んで放さない。有刺鉄線に引っ張られ、白い竜の飛翔が僅かに鈍る。


《たかが小娘一人……このまま吊り下げてあげますよォ!》


 白い竜は力強く羽ばたく。彼女の言う通り、いばら姫の体重が掛かった所で空を飛んで逃げるのに支障はないだろう。


「おいおい、目が見えてないのか?」


 だが、いばら姫は有刺鉄線を手にしていない。


「綱引きの相手は私じゃない」


 有刺鉄線を一手に引き受けるのは、黒いジャケットの男。グルード。


《しまっ……!》

「どっせぇぇぇい!」


 全てを解決する腕力が、白い竜を引っ張った。巨大な翼が生み出す浮力が負け、腕力と重力によって大地へと引きずり降ろされる。


「舞台演出、大儀である」


 その先に待ち構えているのは、白く輝くチェーンソーエクスカリバーを構えたアーサー。

 かつてなく強く放たれた聖剣の光は、アーサーを、白い竜を、更にはグルードといばら姫をも照らす。そして、極大なる光の剣として顕現する。


《がああああっ!?》

「神威解放ッ! エクスカリバァァァッ!」


 天をも貫く神聖光剣を、アーサーは横薙ぎに振るった。白い竜は必死に身を捩って逃れようとするが、鉄のいばらとグルードの怪力が許さない。

 そして、空間すら蒸発させる熱量が白い竜を飲み込んだ。竜は悲鳴も残さず消え去った。


 光が消え去った時、そこには王が立っていた。聖剣を携え、ブリテンを守るために眠りから目覚め、アヴァロンより駆けつけた騎士王。

 アーサー王伝説の再演が、そこにはあった。

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