こわがることを覚えるために旅にでかけた男
翡翠とフッケバインが戦端を開く一方で、カボチャの馬車は足を止めずに怪異の群れを強行突破し続けていた。
四頭立ての馬車の質量はおよそ1トン。馬車を牽く馬の体重も合わせれば小型トラックに匹敵する。轢かれたイヌモドキがきりもみ回転で吹っ飛んでいくほどだ。
更に御者台にはショットガンを持った雁金が待ち構えている。騎士が斬りかかろうとしても、近付く前に鉛玉の餌食になる。ちょっとした戦車であった。
そんな馬車に乗っているアケミは、ある疑問を抱いていた。
「ねえ、シンデレラさん」
「何です?」
キラキラのドレスを着たシンデレラが反応する。
「さっき、アネットさんから聞いたんだけど、グリム童話の『シンデレラ』にはカボチャの馬車は出てこないって言ってたよね? それなら、この馬車は用意できないんじゃないの?」
「あー、それはですね……」
非常に気まずそうな顔をしたシンデレラは、横目でトゥルーデを見た。トゥルーデは眉間にシワを寄せて語り出した。
「確かにグリム版『シンデレラ』にカボチャの馬車は出てきません。アケミさんの言う通りです」
「そうだよねー」
「ところで世界で一番有名な『シンデレラ』はどのバージョンだと思いますか?」
「グリム童話版じゃないの?」
「ディズニー映画」
納得するしかない答えに、アケミは天を仰いだ。よくよく見れば、シンデレラが着ているドレスも、カボチャの馬車のデザインも、昔見たことがある映画にそっくりだ。
怪異の性質は元となった話に影響される。それは怪異憑きでも同じことだ。『シンデレラ』という物語には、生みの親でも覆せない世界的な
アケミがそんな事を考えていると、突然、馬車が止まった。
「な、何ですかこれ!?」
「どうしたの!?」
前を見ると、敵の本拠地であろう建物がある。明治の雰囲気を漂わせたレトロでおしゃれな建物だ。
しかしその前には、無数の犬がいた。イヌモドキではない。だが、ただの犬でもない。影のように真っ黒で、口からはちろちろと赤い火を吐いている。
「怪異!?」
「『ブラックドッグ』……! 地獄の猟犬の怪異です!」
アケミの問いに、トゥルーデが答えた。
ブラックドッグ。あるいはヘルハウンドとも呼ばれる怪異である。その名の通り地獄に生息する黒い猟犬だ。それらが道を塞ぐように群れている。さすがのカボチャの馬車でもこれを強行突破することはできない。
「――ずいぶん、好き勝手やってくれたじゃない? お姉さんたち」
カツン、とアスファルトを叩く音が響く。
群れの奥に、ナチスの軍服を着た少年が立っていた。頭に乗せた帽子の縁からは艷やかな金髪が覗いている。右肩には鉤十字のマークが入った腕章。右足は木の義足となっており、歩く度にカツン、カツンと硬い音が響く。
「『腕章の少年』! 気をつけてください、『最後の大隊』の怪異です!」
「あれが、イヌモドキを操ってる怪異なんだね!」
「大ボス自らおいでなすったかァ!」
アケミと赤ずきんが馬車から降りて、ブラックドッグの群れに相対する。
「『腕章の少年』……聞いたことがあります。犬を連れたナチスの少年が、獲物を探して街を彷徨い歩いていると」
「あれぇー? お姉さん、あの話知ってるんだ?」
腕章の少年は耳が良いらしい。雁金の呟きをしっかりと捕らえている。
「ええ。あなたが連れてる犬は、他の動物を嫌う、と聞いていますが……」
「残念。それは
ブラックドッグたちは馬に向かって唸り声を上げている。腕章の少年の号令がかかれば、たちまち食らいつくだろう。馬もチェーンソーの猫が変化したものなので、好戦的にブラックドッグたちを睨みつけているが、多勢に無勢だ。
「まあ、お姉さんたちの喉は狙わないけどね。良い悲鳴を上げてくれそうだから」
腕章の少年が、左手のムチを振るう。アスファルトを叩く鋭い音を合図に、ブラックドッグたちが一斉にアケミたちへ飛びかかった。
すぐさま雁金が銃を撃つ。轟音と共に数匹のブラックドッグが吹き飛ぶが、後続がすぐさま前に出る。
トゥルーデがブラックドッグたちにガラス瓶を投げつけた。割れた瓶の中から有毒ガスが発生し、吸い込んだブラックドッグが泡を吹いて昏倒する。
それらを潜り抜けてきたブラックドッグは、アケミと赤ずきんがチェーンソーで応戦する。ブラックドッグたちが血煙を上げて切断されるが。
「多い……!」
「ギリギリだぞこいつは!」
ブラックドッグの群れは道を埋め尽くすほどの数だ。多勢に無勢である。
「どうするんですかこれ!?」
「どうした?」
雁金が叫ぶと、馬車の中からグルードが顔を出した。場違いに呑気な顔だった。
「もうすぐそこまで来てるんですよ!」
「何が?」
「敵ですよ、敵!」
グルードは迫るブラックドッグたちを見て、目を瞬かせた。
「えっ、あれ敵?」
「当たり前でしょ!?」
「なんだ。ちっともぞっとしないから、なんかその辺の野良犬かと思ってた」
「は?」
呑気な言葉に雁金が困惑していると、グルードが馬車を降りた。スタスタと歩いて、アケミと赤ずきんの横を通り過ぎて、ブラックドッグの群れの中に踏み込む。
獲物がノコノコやってきたのを見て、魔犬たちが嬉々としてグルードへ飛びかかる、が。
「そおいっ!」
グルードが両腕を無造作に振り回した。すると、周囲のブラックドッグたちが車に轢かれたかのようにまとめて吹き飛んだ。
「……え?」
「は?」
雁金たちはもちろん、腕章の少年も、ぽかんと口を開けた。
「もいっちょ、そおいっ!」
再びグルードが腕を振り回すと、ブラックドッグたちが同じように飛んでいく。しかし、グルードの腕はブラックドッグたちに触れていない。
雁金の顔を風が打った。思わず目を瞑ってしまうほどの強風だが、自然のものではない。風の源は、グルードの腕。純粋な腕力だけで、犬が吹き飛ぶほどの強風を巻き起こしている。
何度か腕を振り回したグルードは溜息をついた。
「全然減らねえ」
当然である。ブラックドッグたちは吹き飛ばされているだけだ。直接殴り飛ばされたブラックドッグは原型を留めない肉片になるが、風に飛ばされただけの犬はすぐに起き上がってくる。
ふと、グルードは側に生えている木に目を留めた。高さ5mほどの桃の木であった。
「赤ずきん!」
「は、はいっ!?」
突然呼ばれた赤ずきんは、思わず背筋を伸ばして返事をする。
「チェーンソー持ってるだろ。この木、切っておいてくれ」
「は、はい? なんで……」
「うおおおおっ!」
赤ずきんの返事を待たず、グルードは腕を振り回してブラックドッグの群れへ突入していく。赤ずきんは何がなんだかわからないが、頼まれてしまったのでとりあえずチェーンソーで桃の木を切り始める。
しかし赤ずきんは、今日初めてチェーンソーを持った素人である。翡翠のようなプロではなく、受け口を作って木が倒れる方向を制御するなど思いつかない。
その結果、適当に切られた桃の木がメキメキと音を立ててグルードの方へ倒れていく。
「あっ!? やべえ、社長危ねえっ!」
木は重い。切られたばかりの原木ならなおさらである。グルードに向かって倒れていく桃の木はおよそ5m。その重さは500kgに達する。生身の人間が受け止められる重さではない。
「よっと」
だがグルードは、桃の木を軽々と受け止めた。一抱えもある桃の丸太を、まるで枝でも運ぶかのように楽々と脇に抱える。
「よし。こりゃいい丸太だな。鉄骨代わりになりそうだ」
「社長まさか」
「よっしゃあああっ!」
赤ずきんが尋ねる前にグルードが咆哮し、桃の木を振り回した。並み居るブラックドッグたちが、丸太の一薙ぎによってたちまち薙ぎ倒される。
「もう一丁!」
グルードが一歩前へ踏み込み、桃の木を振り回す。それだけで10匹以上のブラックドッグが、散弾のように吹き飛ばされた。今までのように、剛腕が巻き起こした風に吹き飛ばされたのとは違う。軍馬の突撃に匹敵する質量が衝突しているのだ。いずれも致命傷である。
「
腕章の少年が号令をかけた。するとブラックドッグたちがグルードに対して横一列に並んだ。
「
続いて、ブラックドッグたちが口を開くと、そこから赤い炎が一斉に吐き出された。業火はアスファルトを舐め、グルードの足元に迫る。
普通の炎ではない。地獄の番犬が吐く魔法の炎だ。いかにグルードの力が強いといっても、自然現象に克つことは普通はできない。
「どっこいしょーい!」
グルードも普通ではなかった。少し気合を入れて桃の木を降ると、吐き出された業火はまとめて掻き消えてしまった。
「はぁ!?」
「もっぱつどっこいしょーい!」
驚く少年が再度命令する前に、グルードは桃の木を振り下ろす。真下のブラックドッグが潰れ、アスファルトが砕け、衝撃で周りのブラックドッグたちが吹き飛んだ。
グルードは止まらない。噛みつかれようと、火を吐かれようと、鞭で打たれようと、何事もなかったかのように大木を振り回し続ける。
さながら嵐だ。人の力では止めることも立ち向かうこともできず、家の中に閉じこもって過ぎ去るのを待つしかない、強力な嵐のようだった。
あんまりにあんまりな光景に雁金が呆然としていると、隣にトゥルーデが並んだ。
「大丈夫ですか、雁金さん」
「ええ、はい、おかげさまで……あの、あれ何なんです?」
失礼を承知でグルードを指差す雁金。なんかもう、礼儀とかそういう次元にいる存在ではなかった。
「『こわがることを覚えるために旅にでかけた男』です」
それはグルードに憑いた怪異の名前だ。グリム童話のひとつだという。だが。
「どんな童話になったら、あんなめちゃくちゃな事ができるんですか!? 魔法を弾き飛ばすなんて、人間業じゃないでしょう!?」
力持ちの昔話というのはたくさんある。しかし、魔法にまで対応するとなると、誰かの助けが必要になるのが昔話のお約束である。
例えば『白雪姫』。白雪姫は魔女の継母に何度も殺されかけるが、7人の小人や王子の助け、あるいは些細な偶然によって生き返る。
例えば『雪の女王』。いなくなったカイを探すゲルダは、太陽やバラの花、ハトなど超自然の存在たちから助けを得てカイを見つけ出す。
例えば『三枚のお札』。山姥に追いかけられる小僧が和尚から貰った不思議なお札の力で何とか逃げ切る。
だが、グルードにはその様子がない。怪異だろうが炎だろうが、すべて暴力で解決している。
「そういう童話なのです」
「はい?」
「『こわがることを覚えるために旅にでかけた男』というのは、すべて暴力で解決する童話なのです」
あらすじはこうである。
むかしむかしあるところに、気は優しくて力持ちだけど、とてつもなくバカな男がいた。バカすぎてまともに働けない男だが、何かひとつくらいは覚えたいという向上心は持っていた。
そこで男は、子供の頃からさっぱりわからない「ぞっとすること」を覚えようと決意した。このレベルのバカである。
男をぞっとさせるために、村の僧侶がお化けに変装して脅かしたが、不審者だと思った男に蹴り飛ばされて足の骨を折る重症を負った。男は村を追い出された。
次に男は絞首刑に掛けられた死体の側で、ぞっとせずに一晩過ごせるかという賭けに乗った。風に揺れる死体を見た男は、寒いだろうと思い、死体を降ろして焚き火にあたらせてやった。死体は荼毘に付された。
事態は更にエスカレートする。一度入ったら生きて出られない呪われた城があると聞いた男は、ぞっとすることを知るためにその城で三日三晩を過ごす事になる。グリム童話でたびたび出るパターン、三つの試練である。
他のグリム童話では、道中で助けた妖精の魔法や主人公の賢さ、あるいは心優しい王妃がこっそり差し入れた不死の薬で解決するのだが、男はそんなものをひとつも持ち合わせていないし、それらの童話よりも遥かにバカだった。
化け猫やブラックドッグの群れ、動くベッドにバラバラ死体、親戚の死体や魔神などが襲いかかるが、男はちっともぞっとせず、ほぼ全員持ち前の暴力で叩きのめした。
こうして城の呪いを解いた男は、多くの財宝と美しい姫を得て、一国の王となったのであった。
十分に発達した暴力は魔法と見分けがつかない。グルードに宿ったのは、そういう物語であった。
「……だったら、人狼とか気にしないで最初からグルードさんを突っ込ませればよかったのでは?」
「そうすると、人狼から会長を守れる人がいなくなるので……」
だから人狼探しに集中していたのか、と納得した雁金であった。
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