赤ずきん

 オオカミ。テレビでしか見たことはないけど、知っている。イヌを大きく、力強く、狡猾にした生き物だ。世界中にいて、数え切れないほどの家畜と人間を殺してきたらしい。

 そいつに人間の知恵と体格を組み合わせたもの、それが『人狼』、『ヴェアヴォルフ』だ。トゥルーデが言っていたけど、第二次世界大戦の末期に数多くの兵士と民間人を殺したらしい。

 強いんだろう。実際強い。不意打ちとはいえ、『赤ずきん』を始めとした『グリム兄弟団ギルド』の怪異憑きを何人も殺している。ハッタリじゃあない。

 だからといって勝てないなんて泣き言はこぼせない。プロだからな。


「カッコ悪い所は見せられねえな……」


 雁金に見られたら、オオカミごときに何を手こずってるんですかって笑われるだろう。それはカッコ悪い。だから、とっとと終わらせる。


「しゃあっ!」


 チェーンソーを袈裟懸けに振り下ろす。人狼は横に飛んで刃を避けた。左から鉤爪が伸びる。チェーンソーから左手を放し、裏拳で人狼の腕を殴りつける。爪が当たらなきゃ触れるのは動物の毛皮だ。ちょっと衝撃で腕が痺れるけど、ケガするまでには至らない。

 止まった鉤爪の下を潜らせるように、右手でチェーンソーを横薙ぎに振るう。人狼は後ろに下がって切っ先を避けた後、俺の心臓めがけて爪を突き出してきた。チェーンソーを下から跳ね上げて、そいつを弾き返す。人狼の腕が高々と上がる。チャンスだ。


 しかし、人狼は体を回転させて足を突き出してきた。鉤爪付きの後ろ回し蹴り!

 とっさに後ろに下がるが、爪の切っ先が胸に当たった。服の生地が斬り裂かれる。マジかよ。チェーンソーの刃を止める防刃作業服が斬られた。マトモに受けたら真っ二つじゃねえか。


 体勢を立て直した人狼は、軽いステップを踏みながら立て続けに爪を繰り出してくる。そいつをチェーンソーで小刻みに捌く。速いが単調、一呼吸の間が空いた所に合わせて、肩口へ突きを繰り出す。


「ぬうっ!?」


 人狼の左肩が浅く斬り裂かれた。思ったほど斬れてない。毛皮と筋肉が想像以上に硬かった。牽制にはなるけど、致命傷を食らわせるならかなり踏み込む必要があるか。


 再びチェーンソーを構えてにじり寄る。左手首、刃を返して右肘、更に突き出して喉。三連撃。人狼はどれも見て避ける。半端ない動体視力だ。大きい目は飾りじゃないか。

 突きを潜り抜けた人狼が、俺の足首を握り潰そうと手を伸ばす。逆に足を振り上げ、人狼の顔面に蹴りを放つ。だが、人狼は後ろに跳躍。蹴りを避ける。更に立て続けに床、壁、天井を飛び回る。速い!

 人狼が俺の頭上を飛び越す。同時に腕を伸ばして、顔を引き裂こうとする。のけぞって避けようとしたが、頬を浅く斬られた。生温かい血が顔を流れる。

 後ろに下がって蹴りを放つ。届く距離じゃないのはわかってる。狙いは足元にあったイヌモドキの死体。そいつを人狼の顔面へ向かって蹴り飛ばす。同時に、チェーンソーを大上段に振り上げて突っ込む。イヌモドキの死体を目隠しに、人狼ごとまとめて叩ッ斬る!


「おおおっ!」


 振り下ろす。同時に地面を蹴り、その力をチェーンソーへ伝える。チェーンソー発剄。イヌモドキの体を豆腐のように斬り裂き、それを叩き落とそうとしていた人狼の手まで、届いた!


「グオゥッ!?」


 悲鳴を上げた人狼が腕を引いた。手は半ばまで斬り裂いた。あれはもう動せないだろう。次は左手だ。


「シィッ!」


 その左手一本で、人狼は刺突を放ってくる。早いが、出どころが一本なら読みやすい。それは向こうだってわかってる。なら裏の手は、足!

 不意打ちの回し蹴りも、警戒してれば避けられる。足の爪が鼻先をかすめたのを見届け、一気に間合いを詰める。狙いは頭、一撃でカチ割る!


「ナメるなあっ!」


 人狼が斬られたはずの右手を突き出してきた。腹に衝撃。吹き飛ばされる。激痛。踏み止まる。焼かれたように熱い。腹に手をやる。出血。それにあぶらも。ワタは出てないが、脂汗が吹き出るほど痛い。

 それは向こうも同じだ。斬られた右手でむりやり殴ったから、グチャグチャになっている。あれじゃあもう二度と治らないだろう。


 お互い痛みで体を動かせない。そうなれば、飛び交うのは罵倒の応酬だ。先に口火を切ったのは人狼。


「我らが第三帝国、百年の悲願! いよいよ成就せんとする日が来ているのだ! アーリア人の復活! 千年王国の樹立! そのためなら右腕の一本、惜しくはないわ!」

「百年前とか千年前とか何言ってんだ! もう21世紀だぞ!? そんなの地獄でやってくれ!」

「地獄に堕ちるのは貴様ら下等民族だ! 正当なる支配者たちに、この大地を明け渡せい……!」


 人狼が爪を構えた。マズい。向こうはもうやる気だ。こっちはまだ痛みを堪えきれてない。

 周りに視線をやる。メリーさんとアネットはイヌモドキと地底人に手一杯。『大がらす』はフッケバインに掛かりきり。他に打開策はないか、視線をさまよわせる。

 右。廊下の壁。左。部屋のドア。前。人狼。

 ……参ったな。カッコ悪い事になりそうだ。


「……ひとつだけ聞いておきたい事がある」


 腹の傷に手をやりながら、俺は人狼に問いかける。


「命乞いは聞かんぞ」

「質問だよ。お前、何で一番最初に『赤ずきん』を狙った?」


 俺の質問に、人狼は口を僅かに開いて眉根を寄せた。


「……それがどうかしたか?」

「おかしいんだよ。『赤ずきん』がどれだけ強かったか知らないけど、先に殺しておくべき奴ら、クマのフンベルトとか、銃を持ってる『土饅頭の兵士』とか、フッケバインと戦える『大がらす』とか、そういうのがいただろ。

 何でそいつらを狙わなかった? 最初に赤ずきんを狙った理由があるんだろ?」


 人狼は少しの間考え込んで、それから、フン、と鼻を鳴らした。


「どうでもいいだろう。たまたま目についたから殺した、それだけのことよ。下等民族を殺す順番などに意味はない」


 なるほど。自分じゃ気付いてなかったか。


「だったら、お前の負けだ。『オオカミさん』」

「何を」


 人狼の反論は轟音に掻き消された。同時に、人狼の体が大きくのけぞる。2,3歩よろめいた人狼が、驚いた顔で振り返った。


「オオカミごときに何を手こずってるんですか、先輩」


 そこに立っていたのは、ショットガンを構えた雁金だった。背後から近付いた雁金が人狼の背中にショットガンを叩き込んだんだ。雁金は銃のポンプをガシャンと引き、銃口を人狼へと向ける。


「ぬうっ!」


 さすが獣人、速いしタフだ。背中に散弾を受けているのに、真横に飛んで銃弾を避けようとする。しかし、雁金は人狼の動きを読んで、立て続けに二連射。無数の散弾が毛皮に突き刺さり、人狼の顔が苦痛にゆがむ。

 それでも人狼は倒れない。チェーンソーにも耐える体だ。散弾じゃ力不足か。弾切れになった雁金に、人狼が爪を振り上げ襲いかかる。


「させるかっ!」


 雁金の前に飛び出し、爪をチェーンソーで受け止める。腹が痛むが構ってられるか。力任せに押し込み、バランスを崩した人狼にチェーンソーのエンジン部分を叩きつける。

 重い打撃に怯んだ人狼に次々と斬撃を放つ。一気に畳み掛けようとするが、人狼の動きはまだ衰えていない。斬撃と銃のダメージをものともせず、俺の攻撃を避け、あるいは防いでいる。

 袈裟懸けに振り下ろしたチェーンソーと、人狼の爪がぶつかりあった。鍔迫り合いだ。ここぞとばかりに足を踏み込む。衝撃を足から腿へ、腹へ伝えて……っ!?


「うぐっ!?」


 腹が灼けた。いや、錯覚だ。腹の傷に衝撃が伝わって、血が吹き出した。当然、腕にまでは伝わらない。発勁不発!


「グルル……!」


 俺の不調を察した人狼が爪を押し込んでくる。切っ先が鼻先にまで迫る。マズいか、と思ったその時、背中に柔らかい感触があった。

 後ろに立った雁金が、俺の脇の下から人狼へ向かってショットガンを突きつけていた。俺の影に隠れた雁金は、人狼から見えていなかった。


 轟音。ショットガンが鉛玉を吐き出す。


 それでも人狼は致命傷を負わないだろう。発射直後、大量の細かい弾に分かれる散弾は、1発あたりの貫通力が低い。人狼の毛皮と筋肉があれば、傷こそ追っても死ぬまではいかない。

 ただ、それは散弾の場合だ。


 人狼の体が吹き飛び、後ろの壁に叩きつけられた。その胴体には一粒弾が突き刺さっていた。


単発弾スラッグショット


 クマを撃つための大型弾。そいつを至近距離で叩き込まれた人狼は、ズルズルと床に崩れ落ちた。指一本動かない。

 すぐ後ろの雁金に声を掛ける。


「よくやった」

「お役に立てて何よりです」

「役立つどころが主役だよ。


 人狼の動きを見切り、俺との戦いに割って入り、最高のタイミングで最適な弾を叩き込む。普段の雁金じゃあ難しい神業をやってのけたのは、今の雁金が


「私が『猟師』なら、『赤ずきん』を食べた『オオカミ』に負けるはずがない……信じられませんでしたけど、実際やってみたら上手くいきましたね」


 非常階段の守りにつく直前にトゥルーデが頼み込んできたこと。それは、雁金をメリーさんとアネットの護衛につけるというものだった。

 初めて聞いた時は意味が分からなかった。確かに銃は強いけど、相手は正体不明の人狼だ。撃たれる前に不意を突かれたらどうしようもない。

 するとトゥルーデは、雁金が猟師なら『赤ずきん』の物語どおりに話が進む、と言ってきた。


 怪異は物語や都市伝説が人々に信じられる事で実体化した存在だ。そのせいで、物理法則は無視できても、自分の核になった物語は無視できない。

 つまり、『赤ずきん』を殺した『オオカミ』は、『猟師』に殺されるという運命オチを回避できない。そして雁金はアマチュアだけども立派な猟師だ。免許も持っている。だから雁金は人狼に絶対勝てる。

 そこで、メリーさんとアネットで人狼を釣り出すから、雁金に仕留めて欲しいというのが、トゥルーデの頼みだった。


 そんな話を聞いて、はいそうですかと信じられるわけがない。もっともらしい話だけど、それはトゥルーデの憶測に過ぎない。話のオチを覆すチェーンソーを持ち出す怪異なんて散々見てきた。

 散々揉めた後、まず俺が戦って、ダメそうなら雁金を追加するって話になった。それまでは屋上でフッケバインを相手にしてもらうつもりだった。

 これだけ大口を叩いて勝てなかったらカッコ悪いにも程があるんだけど、まあ、結局、うん……。


「トゥルーデさんの言った通りになりましたねえ?」

「やかましいわ」


 雁金が満面の笑みで煽ってくる。合わせる顔がない。


「ぐっ、うう……」


 そこに、うめき声が聞こえた。何かと思ってそっちを見ると、倒れていた人狼が起き上がろうとしていた。マジかよ。腹にバカでかい銃弾が突き刺さってるのに、どういう頑丈さだ。


「先輩」

「あー、待て待て」


 雁金がショットガンに弾を込めて前に出ようとするが、俺はそれを抑えた。


「多分、今撃つと逆に危ない」

「なぜです?」

「だってほら、赤ずきんでオオカミを殺した後ってアレだろ」


 俺でも知ってる話だ。何しろさっき聞いたばっかりだし。雁金も、俺の一言で気付いたらしい。


「まだだ……千年王国の樹立を見るまでは、まだ……!」


 人狼がうわ言を漏らしながら、こっちに向かって歩いてくる。爪も牙も健在。下手に暴れられたら困るところだが。


 突然、人狼の腹からチェーンソーの刃が飛び出した。


「……あ、ガァァァッ!?」


 回転刃に内側から斬り裂かれて、人狼が悲鳴を上げる。

 チェーンソーは容赦なく回転速度を上げ、人狼の腹を、毛皮をズタズタにする。千切られた肉片や内臓が、廊下のそこら中に飛び散る。

 腹から喉まで縦にバッサリ斬り裂かれた人狼は、仰向けに倒れてとうとう動かなくなった。そして中からチェーンソーが、いや、チェーンソーを持った人物が出てきた。


「どっこいしょお!」


 威勢の良い掛け声と共に出てきたのは、赤い目の外国人の少女だ。金髪なんだけど、オオカミの血をべっとりと被っているから、赤いフードを被っているようにも見えた。

 そいつは驚く俺たちを見ると、深々と頭を下げて、言った。


「『赤ずきん』ジークリンデ、おかげさまで地獄の底から這い上がってきたぜ! 狼をブッ殺してくれてありがとうよ!」


 一番最初に人狼に殺された『赤ずきん』が、、オオカミの腹をぶち破って帰ってきた。

 ……チェーンソーはどっから出てきたんだ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る