ひだる神

 相手の作戦、『Пробуждениеプロブズディーニェ』は、『目覚め』という意味らしい。

 だから何なんだよ。何語だよ。ここは日本だぞ。意味わからねえよ。


「一体どういう作戦なんだ?」

「東京の各所に爆弾を仕掛けて爆発させる。それによって東京は崩壊し、日本は大混乱に陥る。その隙に、大阪で反乱を起こして国を乗っ取る、という作戦だな」


 いかにも悪の組織がやりそうな計画だ。そして、爆弾を爆発させるという話で思い当たることがあった。


「その爆弾に使うために、あいつらはレッドマーキュリーを探してたのか?」


 河童が探してて、俺たちが見つけたばっかりにこんな騒動に巻き込まれる羽目になったそもそもの原因、レッドマーキュリー。あれは爆発させると原爆並みの威力がある、って聞いた。金が出てくる凄い箱としか思ってなかったけど、そういう見方をすると悪党が欲しくなるのもわかる。

 ところが九曜院はこう言った。


「そう考えていた。しかし、破壊力が足りないんだ」


 そんなバカな。だって、核爆弾だぞ?


「確かにレッドマーキュリーに内包されるエネルギーは核爆弾に匹敵する。だが、この計画書に書かれているような、一発で東京23区を破壊し、千葉や神奈川の一部にも被害を与え、関東の都市機能を完全停止させる、というのは無理だ。それこそレッドマーキュリーが100個は必要になる」

「核爆弾なのに?」

「核とはいえ物理だ。というか、完全に物理だ。魔法のようにどこまでも無限に爆発させる訳じゃない。アメリカもロシアも、核ミサイルを何百発も持っているだろう? 一発だけでは足りないからそうしているんだ」


 そう言われればその通りだ。一発で国を滅ぼせる爆弾なら、何百発も持つ必要はない。


「その上、この計画書では、レッドマーキュリーを地下深くで爆発させる事になっている。こんな事をすれば爆発の威力は半減、いや1/100にまで抑え込まれる。せいぜい、ちょっとした地震が起こるくらいだ。これだけではとても東京を壊滅させる事はできない」

「待った待った、それじゃあ何さ。こいつらは成功しない計画を大真面目に進めて、怪異まで持ち出してたってこと?」


 吉田の言う通りだ。仮に全部上手くいったとしても、小さな地震が起こるだけ。大げさな計画の割にしょぼすぎる。そんなのに振り回されてたのか俺らは。これだったら、俺がチェーンソーを持って国会議事堂に突っ込んだ方がまだ大騒ぎになるだろ。

 そしたら九曜院が言った。


「この計画書に書かれた要素だけでは失敗する。だが、アジトから持ち出した資料の中に、これがあった」


 プロジェクターに映し出されたのは絵だ。今までのかしこまった文書とは全然違う。江戸時代っぽい、筆で書かれたものだ。白い着物を着たしわしわの顔の老人が地面に這いつくばっている様子が描かれている。


「『ひだる神』だ」


 ひだる? 聞いたことのない不思議な響きに首を傾げていると、雁金が説明してくれた。


「古くから伝わる妖怪の一種です。行き倒れた旅人や山に捨てられた死体が変じた幽霊、あるいは山に巣食う神と考えられています。

 この神に取り憑かれると凄くお腹が減ったり、くたくたに疲れたり、手足が痺れて、その場から一歩も動けなくなり、最悪死んでしまうと言われているんです」

「あー、そういうの? それなら見たことあるぞ」

「本当ですか!?」

「うん。前に山仕事をしてたら、同業がいきなり座り込んじまってな。疲れて腹減って動けないってブツブツ言ってたんだよ。

 蹴っ飛ばしても動かないくらいだからヤバいって思って、飯食わせて、水を飲ませて休ませたらそのうち動けるようになった。

 熱中症とか働きすぎとかそういうのだと思ってたんだけど、なんだよ、あれ、怪異の仕業だったのか?」

「必ずしも怪異の仕業とは限らないな。大鋸君の言う通り、単なる過労の可能性もあるし、ガスを吸い込んだ可能性もある。とにかく動けなくなってそのまま倒れてしまうという現象が総じて『ひだる神』の仕業だと考えられていたんだ」


 疲れちゃって一歩も動けなくなるのが『ひだる神』のせいか。


「でもそれと爆弾がどう関係あるんだ?」

「東京の地下深くにもいるんだ、『ひだる神』が」


 直球で関係あるじゃん……。


「最初に『ひだる神』を見つけたのは徳川家康だ。江戸を建てるために工事をしていたら、地下で眠る『ひだる神』を見つけたらしい。

 家康が慌てて調べてみたところ、ある事実が判明した。『ひだる神』は非常に巨大で、その体は鎌倉から銚子まで横たわっていたんだ。要するに、南関東そのものが『ひだる神』の背中に乗っていることになる」


 デカすぎんだろ。神奈川県と東京都と千葉県を足したくらいの大きさか? それはもう、怪異って言うより怪獣じゃねえか。


「家康は部下の僧侶である南光坊天海に相談し、『ひだる神』を封印することにした。江戸城、そして江戸の街そのものに風水、呪術、法術的な加工を施し、都市そのものが巨大な封印装置として機能するようにしたんだ」

「引っ越しとか考えなかったのか?」

「豊臣秀吉の命令で、江戸を本拠地にしろと言われていたからな。そうするしかなかったのだろう。

 江戸幕府が倒れた後は、天皇と内閣が『ひだる神』を封じることになった。江戸を東京に造り変える際にも、天海の封印を残しつつ、さらなる神社の建立や術式の追加を行った。それは戦後を経て、現代でも密かに続いている。

 幸い、『ひだる神』は巨大すぎて上にいる人間のことなど気にもしなかった。たまに身じろぎをして地震や火事を引き起こすことはあったものの、目覚めることなく現代まで眠り続けている」


 まあ、そんなにデカいんじゃ人間なんてアリみたいなもんだからな。寝てるっていうのならそのまま寝ててほしい。


「ただ、この『ひだる神』、動きはしないが呼吸はしている。これが問題なんだ」

「何が? 翡翠みたいにいびきがうるさいの?」


 えっ。


「いや、いびきではなく呼吸、というか吐息がな……この息は酸素や二酸化炭素ではなく、メタンガスなんだ」

「メタンガス?」

「天然ガスと言えばわかるか? 火をつけると燃える、ああいうガスだ。

 『ひだる神』の伝承には、山の窪地に入った途端動けなくなるというものや、ひだる神が住む穴を覗き込むと必ず取り憑かれるものがある。これはガス溜まりに入ってしまったことによる酸欠と酷似した症状だ。関東地下の『ひだる神』はこの情報の影響を強く受けているのだろう」


 呼吸が天然ガスとか、ますます怪獣じみてきた。本当に怪異か? 超古代の怪獣の生き残りとかだったりしない?


「さて、このガス吐息だが、当然『ひだる神』が眠る地下に溜まっている。もちろん『ひだる神』の巨体に合わせて、東京、神奈川、千葉という広大な範囲にガスが広がっている。

 このガスに、爆発で火がついたらどうなると思う?」


 ……うわあ……。


「これが『全日本赤外套革命戦線』の真の狙いだ。関東の地下に眠る『ひだる神』の吐息。これをレッドマーキュリーで引火させることで、人類史上最悪のガス爆発を起こそうとしていたんだ」


 予想外だった。まさか核爆発が本命じゃなくて、ただの点火プラグだったなんて。


「でも、レッドマーキュリーは海外に持ってったし、オーバーヒートしてるから、もう安全……なんだよね?」


 アケミが恐る恐る聞くと、九曜院は俯いた。そんなに上手い話じゃないか。


「残念ながら、火をつけるだけならレッドマーキュリーでなくてもいい。同等の威力の爆薬を用意すればいいんだ」


 核爆弾の代わりになるヤバい爆薬なんてあるのかよ、と思ったら万次郎さんが話し始めた。


「ちょっと前にな、親父の頼みで海外から肥料を輸入したんや。硝酸アンモニウムっていうんやけどな。それがなあ……そこの大学のセンセが言うには、ごっつい爆薬の材料になるらしい」

「アンホ爆薬にプラスチック爆弾、マイノールなど様々な高性能爆薬に使えるぞ。まあ、核の代用品として使うなら、ヒドラジンと混合させてアストロライトにするだろうがな」


 席に座っていた教授の一人が呟いた。手元にバズーカ砲を置いている。いかにも爆発の研究者、って感じの人だった。


「妙に爆薬に詳しい怪異が相手方にいるかと思ったら、こんな事を考えていたとは。

 しかし、ヒドラジンはどこから手に入れたんだ? 硝酸アンモニウムと違って、簡単に手に入るような代物ではない。規制が厳しいからな」

「そら多分、自前で作っとるんやろうなあ。何しろ壬午苑の会社は化学薬品を作っとるとこや。作ろうと思えば作れるはず。

 ただ、センセがおっしゃる通り規制が厳しいから、これを作り始めたら警察にバレる。せやからレッドマーキュリーで早く、安全に、簡単に必要な爆薬を手に入れようとしたんやろ」


 そしたら逆に俺たちに邪魔されて、手に入れるのを失敗して、こうして計画をバラされてるって訳か。いい気味だ。


「ちょっといいか?」


 陶が手を上げた。


「今の話聞いてたら、ちょっと無茶だと思う所があったんだけどよ」

「どうぞ」

「その、東京が吹っ飛ぶようなガス爆発が起きたら、『ひだる神』が目を覚まさないか? そうなったら、テロどころじゃ無いと思うんだけどなァ」


 確かにそうだ。いくらバカでかい怪獣でも、耳元で爆発が起きたら目を覚ますはずだ。寝起きで機嫌が悪くて暴れ始めたら、東京どころか日本が滅ぶ。

 すると、九曜院は溜息をついて、こう答えた。


「そのための『三種の神器』だ」

「あー」


 デカくても怪異は怪異だ。例の廃神なら思い通りに操れる。むしろ起きるのも狙ってるかもしれない。だいぶヤバい感じがしてきたぞ。


「どうする? どうやって止めればいいんだ? その爆薬の工場を吹っ飛ばせばいいのか?」

「現在、王錫化学が所有する工場に立ち入り捜査を行っています。違法な爆薬が見つかればすぐに摘発できます」


 大麦が答えた。警察はもう動いているらしい。


「ですが我々が把握していない工場がある場合、あるいは爆薬が既に作られ持ち出されていた場合、これでは止められません。爆破作業を行う現場を抑えるほうが確実でしょう」

「現場はどこだ。わかるのか?」

「手がかりはある。過激派のアジトにあった、この資料だ」


 プロジェクターが切り替わる。古い紙束だ。表紙には『帝國陸軍帝都瓦斯試掘計画』って書かれていた。


「これによると、戦前、大日本帝国が『ひだる神』の吐息を燃料として使おうとしていたらしい。そこで東京の地下にいくつか井戸を掘って、試掘を行ったそうだ。

 数十本の試掘の結果、ガスを掘り出すには少なくとも50m以上は掘る必要があると判明した。つまり、50m以上の穴を掘ろうとしている工事現場に限定して調べれば、敵の本命を発見できる」

「そんなのたくさんあるんじゃないの? 地下鉄のトンネルだって地下じゃない」


 メリーさんの言う通りだ。東京の地下は穴だらけだ。地下鉄も地下道もたくさんある。そんなの一々調べてたら、時間がいくらあっても足りない。


「いや、そうでもないぞ。50m以上となれば大深度地下だ。大江戸線よりも深い。それだけ掘るとなると工事も大規模になるし、機材だって特殊なものが必要だ。特定するのはそう難しくない」


 第四学群の教授が答えた。大江戸線ってめちゃくちゃ深いと思ってたけど、あれでも50m行ってないのか。そうなると、案外特定するのは簡単かもしれない。

 周りを見ると、教授も、警察も、やる気に満ちた顔をしていた。今までは訳も分からずやられっぱなしだったけど、ここからは反撃だ。マジで覚悟しとけよあいつら……!

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