かぐや姫

 二千人ものつわものが、案山子のように棒立ちになっていた。

 京の都を守る選りすぐりの二千であったはずだ。賊や謀反人、怪異を退けた歴戦の兵でもある。それが敵を前にして、弓も構えず、刀も抜かず、魂を抜かれたように呆然と立ち尽くしている。あまりの光景に、帝は声を出すこともできなかった。


 人々をそうさせたのは『美』だ。過ぎた『美』が毒となり、目から人々を冒したのだ。

 『美』とは、光り輝く月人たちである。彼らの肌は雪のように白く、髪は墨のように黒かった。体は長すぎず短すぎず、得も言われぬ香りを漂わせている。目鼻口に至っては、人の顔をここまで美しくできるのか、と誰もが感嘆する造りだ。一歩一歩歩く所作すら、礼法に通じた内裏の貴人たちが、穴蔵に住む獣に見えるほど洗練されている。


 ただ、その美しさが恐ろしい。


 何故だ、と帝は考える。そして答えに辿り着く。

 あの人々には表情がない。列の先頭を歩く下人から、車上の貴人まで、顔立ちは違うのに一様に同じ表情をしている。まるで死体だ。およそ、生き物が纏わせる雰囲気というものを感じない。彼らの身に備わった美しさが、却って内面の虚ろさを浮き彫りにさせていた。


 それに比べれば。

 帝は傍らの女性を見やる。この世の輝きすべてを集めて人の形に整えたかのような、絶世の美女である。その美しさは、こちらに向かって歩いてくる死体たちと同様のものだ。だか、彼女には表情がある。こころがある。それは完璧に整えられた美しさについた傷かもしれない。しかし帝には、その傷こそが愛おしかった。

 彼女の笑顔を見たかった。帝は嘆息した。初めて会った時は困り、怒っていた。今は泣いている。最初に無理に攫おうとしなければ、愛想笑いだけでも見せてくれただろうか。今となっては自分の浅はかさを悔いるばかりだ。


「姫よ」


 帝は呼びかける。


「かぐや姫よ」


 彼女は『かぐや姫』と呼ばれていた。


「まことにすまなかった。月の人を追い払うと勇ましいことを言っておきながらこの有様だ」


 かぐや姫は答えない。声を潜めて泣いている。


「裏に馬を用意している。逃げよ」

「逃げてどうしろと言うのですか」


 震える声で、かぐや姫が問い返す。


「見てください、あれを」


 弦が鳴る音が幾つも聞こえた。屋敷の周りを守る帝の親衛隊。彼らは月人の美を跳ね除け、攻撃を始めた。

 数本の矢が月人に刺さる。月人は歩みを止めない。刺さった矢はひとりでに抜け、傷はたちどころに治ってしまう。

 不老不死にして不滅。いかなる傷を負うこともなく、いかなる病にも犯されない。彼らを止めることなど誰にもできない。それが、月人だった。


「もしもここで私が逃げれば、皆様が罰せられてしまいます。

 それに月は常に空に、いえ、もっと高いところにあります。地を這って逃げたところで、私を必ず見つけるでしょう」

「それでもそなたは逃げねばならぬ」

「なぜ」

「夫がいるのだろう」


 帝の言葉にかぐや姫は目を丸くした。なぜ知っているのか、という表情だ。恐らく誰にも話したことはなかったのだろう。そもそも、竹から生まれてから今まで、男をほとんど寄せ付けていない。夫がいるなどありえぬことだ。

 しかし帝は気付いていた。三年も和歌を交わしたのだ。彼女の心の中の誰かを察することは、そう難しい話ではなかった。


「詳細を私は知らぬ。だが朕は、もう一度そなたは夫に会うべきだと思ったのだ。

 それ故に、行け、かぐや姫よ。月がそなたを見逃さぬとしても、月が伸ばす手を邪魔することくらいなら、私にもできよう」


 月人が屋敷の前に辿り着いた。誰も触れていないのに、屋敷の戸がひとりでに開いていく。月人が、かぐや姫の隠れている場所にまっすぐ向かってくる。竹取の翁が必死に立ち塞がるが、苦もなく脇に除けられた。


「行け。もう時間がない」

「行けませぬ」

「しかし」


 帝はかぐや姫に視線を戻す。

 彼女の表情は変わっていた。涙を流しているのは変わらない。しかし、その瞳に決意の光が宿っていた。


「皆様に、いえ、この地上にいる方々にご迷惑は掛けられませぬ」

「迷惑などとは思っておらぬ。かぐや姫よ、私はそなたのためなら」


 かぐや姫は手をかざし、帝の言葉を遮った。


「不躾ですが、かぐやより帝へ、お願いしたき儀がございまする」


 かぐや姫は帝へかざした手を捻り、上へ向けた。その手が輝き、光の玉を生み出す。やがて発光が終わると、そこには小さな壺が現れていた。


「これをお願いしたいのです」

「これは?」

「全ての月人が服する、『不老不死の薬』にございます」


 不老不死。その言葉の重みは生きとし生けるもの全てへ等しくかかる。帝とて定命の存在、例外はない。


「なぜ、これを」

「月の方々は、いえ、"奴ら"はこれを盗んだ私を追ってきたのです。ですから帝にはどうかこれを隠してほしいのです」


 月人はかぐや姫を迎えに来たのではなく、『不老不死の薬』を取り返そうとしていただけであった。思わぬ事実に帝はよろめき、しかし踏み止まった。


「待て。月の人はもともと不老不死ではないか。なぜこのような薬を求めているのだ」

「仲間を増やそうとしているのです」

「仲間?」

「ええ。奴らは『不老不死の薬』を地上の人々に飲ませて仲間を増やし、地上を侵略しようとしています。もしも奴らに薬が渡れば、この地は1年を待たずに征服されるでしょう」


 にわかには信じがたい話だったが、帝はかぐや姫を疑おうとは思えなかった。何しろ、すぐそこまで月人が迫っている。これがもっと大人数で行われれば、天下の人々に抗う術はないだろう。


「だが、ならばやはり、そなたが持って逃げた方が良いのではないか?」


 その問いに、かぐや姫は首を横に振る。


「私はこれより奴らに捕まります。そして、『不老不死の薬』の嘘の在り処を教えます」

「ならぬ」


 我が身を犠牲にして、『不老不死の薬』を隠そうというつもりである。許せるものではない。


「陛下、どうかお許しください」

「ならぬ。奴らはそなたの嘘を暴くためなら何でもするぞ。耐えられると思うか」

「忘れまする」

「何?」


 かぐや姫の手が壺を包み込む。すると、淡い光が壺に流れ込んだ。たったそれだけのことなのだが、それだけでただの壺が金剛石よりも硬く見えるようになった。


「何をしておる」

「私の記憶を以て、壺に封印を掛けました。『相応しき者』の手に渡るまで、この壺は開かず、壊れず、口を閉ざしたままとなります。そしてこの手を離せば、私は全てを忘れ、薬を月に薬を隠したという嘘を信じ続けるでしょう」

「それで済む訳がなかろう。奴らはお主が忘れているということも信じないぞ。どれほど惨たらしい真似をするか……」

「かまいませぬ。この身がどうなろうと」

「私は許さぬ。それに、そなたの夫はどう思う」


 ふと、かぐや姫の瞳が遠くを見た。ここではない、はるか昔の時に心を委ねていた。


「夫は私を憎んでおります」

「なんだと?」

「私が裏切ったのです。この『不老不死の薬』を共に飲めば、永遠に夫と添い遂げることができました。

 ですが、あの時の私は、天に還りたいという郷愁に身を焦がしておりました。そして、夫が恐ろしいという妄執に取り憑かれておりました。

 私は薬を独りで飲み、夫を置いて天に上がりました。夫は地に独り残され、月を見上げることしかできませんでした。

 その時に、私は消えぬ罪を背負ったのです」


 かぐや姫の口から語られたのは神話であった。そして懺悔でもあった。


「許されるものではありません。償う術もありません。

 だけど奴らがこの星を、あの人との思い出の地を侵そうと言うのであれば、私は身をなげうってでも守りたいのです」


 かぐや姫は床に手をつき、深々と頭を下げる。


「陛下。どうかお力をお貸しください。

 この身はもはや捨てています。ですが、この薬は捨てられない。預けられるのはあなたしかいないのです」


 帝の息が止まる。逡巡。ほんの一瞬の間に、果たしてどれだけの思いがよぎったか。止められるなら止めたい。しかし、彼女の想いの強さは、うたを通して思い知っていた。


「承知した。天地神明に誓って、余の心に賭けて、必ずやこの薬を不埒な者共から守り切ってみせよう」


 かぐや姫は顔を上げた。涙を流しながらも、晴れやかに笑っていた。


 厳重に閉ざされた屋敷の戸が、ひとりでに開いていく。その先には月人たちが待ち構えていた。屋敷を踏み荒らすことなど造作もないだろうに、わざわざ外で待っている。


「ε-8個体を確認」

「『演算子オペレーター』を回収します」


 二人の月人が前に出る。かぐや姫は立ち止まった。


「不老不死の薬は持っていません。月に隠しています」


 月人は動きを止め、かぐや姫を見つけた。


「固有波動確認できず」

「月全体のスキャン確度は99の5000乗。地上に隠蔽した可能性高」

「捜索を提言」

「月の、私にしか縁を繋げない異界に隠しました。あなたも怪異であればわかるでしょう。私でなければ見つからない場所です」


 月人たちは顔を見合わせる。


「偽証と判断」

「確証は持てず。『代数アルゼブラ』へ上奏」

「取引しましょう。あなたたちを薬の場所まで案内します。代わりに、この地の人々には手を出さないと約束しなさい」


 月人たちが不気味なまでに静まり返った。ひとりひとりを見れば考え込んでいるにすぎない。しかし数百人が同時に考え込んでいる光景には異様な迫力があった。


「提案を受理する。偽証の場合の再侵攻リスクは許容範囲内」


 かぐや姫の肩から力が抜けた。


「では、この身は好きになさい」


 すると、ひとりの月人が前に進み出た。その手には羽衣が握られていた。ただの羽衣ではない。常人には見えない、この世のものではない、あやかしの羽衣だ。


方程式イコーション展開。同化シーケンス開始」


 帝は垣間見た。かぐや姫に着せられた羽衣を通して、何かがかぐや姫の魂を塗り潰していったのを。

 その幻視はほんの一瞬で消え、後にはかぐや姫だったものが残された。表情の抜け落ちた顔を見て、帝は悟った。はかなくなってしまった、と。


 かぐや姫は帝たちを一瞥もせず、月人たちと共に天へと昇っていく。帝たちは何もできず見送ることしかできなかった。


「かぐや姫よ」


 だが、帝には託されたものがある。


「この『不老不死の薬』は、必ずや『相応しき者』に渡してみせよう」

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