隙間女

 おしぼりを投げつけられたので、そのまま顔を拭いてみた。気持ちいい。


「つーかよ、輝。今の話でちょっと文句言いたいところがあるんだが」

「平然とおしぼりで顔を拭くな、反省しろ」

「怪異を連れ歩くなとか言ってたけどな」

「無視すんな」

「そこの彼女も怪異じゃねえのか」


 まだ話を逸らそうとしてた輝に、話題を突きつけた。途端に輝が口を閉じる。


「さっきの話だと二条城から俺たちのことを見張ってたんだろ? そいつが俺たちの前に一瞬出てきては消える、って事を何度かやってたのは覚えてるぞ。

 それにさっきの戦いで思いっきり瞬間移動してたよな? これでただの人間だなんて言わせねえぞ。どこの怪異だ?」


 俺が怪異を連れているのに文句を言うのに、自分は怪異と付き合ってるのは納得がいかない。単に突っかかってるだけなら弟でも怒るぞ。

 しばらく黙りこくった後、輝はボソッと呟いた。


「怪異じゃねえ。怪異憑きだ」

「怪異憑き?」


 雁金が問いかける。


「怪異とは何が違うんでしょう?」

「怪異っていうのは怪談や都市伝説、噂話を核にして生まれたモノだ。それはわかってるか?」


 雁金が頷き、輝が説明を続ける。


「で、怪異憑きっていうのは話そのものを核にするんじゃなくて、怪異を纏っちまった人間だ。怪談みたいな人間、って言ったほうがいいか?」


 雁金は眉根を寄せる。ちょっとわかってないらしい。輝はそれを察して、具体例を持ち出してきた。


「あー、例えば『口裂け女』の話は知ってるか?」

「知ってます。マスクをした女性に『私、きれい?』と質問されて、答えるとマスクを外して裂けた口を見せつける、っていう都市伝説ですよね?」

「そうだ。その話が流行って、怪異になるくらいイメージが共有されると、そういう見た目と性質の怪異が生まれるんだ。

 だけどもし現実に、『口が裂けててマスクをしていて、通行人にきれいかどうか確認して気に食わなければ斬りつけるヤバい女』が存在してた場合、どうなると思う?」

「それが、怪異憑きになる、ってことですか?」

「そうだ。本来怪異を形作る力が、全部その人間に流れ込む。そうすると怪異憑きは人間なのに怪異同然の動きができるんだ。口裂け女の怪異憑きだったら、オリンピック選手並みに足が速くなるし、どこからともなく刃物を取り出せるようになるし、あとベッコウ飴が好物になる」

「それは怪異と何が違うんですか……?」

「一番の違いは、縁が無くても遭遇できるってことだな」


 輝はメリーさんを見た。


「そこのメリーさんは、『メリーさん』の話を聞いて、縁が繋がった相手の前にしか出てこれないだろう?」

「そういやそうだっけ」

「昔はそうだった」


 なんか長い付き合いだから意識してなかったけど、そもそもそういう怪異だった。『オオオカタダタカ』の事件で普通に現世に居着くようになったんだっけか。


「でも怪異憑きの場合は縁がなくても普通に行動できる。

 さっきの『口裂け女』で例えるなら、怪異の『口裂け女』はその話を知ってる人間の前にしか姿を現せない。

 だけど『口裂け女』の怪異憑きなら、極端な話、日本語が通じないアマゾンの奥地に行って『口裂け女』をやることもできるって訳だ」


 行動の自由があるのか。


「他にもいろいろあるんだけど……大事なのは楓は怪異憑きで、れっきとした人間だって事だ。怪異じゃないぞ。そこんとこはわかってくれ。わかれ」

「殺すと法律に引っかかるんだな、わかった」

「せめて人権があると言えよ」

「んじゃ人権があるってことで。それで、そこのそいつは何の怪異憑きなんだ?」

「『隙間女』だよ」


 答えたのは輝じゃない。楓だった。話題の張本人が告白した形だ。


「『隙間女』?」


 雁金の方を見ると、知らないんですか、って顔で俺を見つめ返してきた。知らないんだよ。


「有名な都市伝説ですね。自分しかいないはずの部屋で視線を感じる。部屋中探してみるけど、もちろん自分以外誰もいない。諦めた所で、ふと部屋の壁とタンスの間を見ると、その僅か数ミリの隙間の中に女が立っていた、っていうお話です」

「数ミリの隙間の中……?」


 そこに立つってどうなるんだ。ビジュアルが全然思い浮かばない。


「具体的にやると、こうなるねえ」


 足元から声。見ると、畳と畳の間の僅かな隙間から、楓が顔を覗かせていた。


「うわっ!?」


 ビックリして思わず、虫を叩き潰すみたいに平手を振り下ろしてしまう。幸い、向こうが素早く反応して顔を引っ込めてくれた。畳を叩いて派手な音が響く。


「ノータイムで暴力とは。御義兄様は乱暴な方とみえる」


 いつの間にか土下座の姿勢になっていた楓が、顔を上げてこっちを見てきた。体勢的に、向こうの畳の隙間に顔を突っ込んでいたんだろうか。


「なんだ、隙間と隙間を……ワープできるのか?」

「ワープというか、繋げるというか、操る程度というか。まあそんなところだ。これをちょっと応用して、御義兄様たちを監視させてもらっていたのさ」

「そういうことだったのか」


 確かに怪しい人間を見張るにはうってつけの能力だ。便利だなあ、怪異憑きって。


「ぬー」


 妙な唸り声がした。見ると、メリーさんが難しい顔をして楓を睨みつけていた。


「どうした?」

「キャラ被り」

「あー」


 ワープとワープで被ってる。メリーさんが危機感を持つのも当然かも知れない。

 メリーさんは箸を置いて立ち上がる。


「私、メリーさん。今あなたの後ろにいるの」


 メリーさんがいきなり姿を消した。そして、楓の後ろにワープして現れる。


「おお。ほんとに後ろにメリーさんが出てきた」


 楓は少し驚いたけど、それだけだ。その余裕が気に食わないのか、メリーさんはますます難しい顔をする。


「私が一番なんだからね」

「んー? ああ、そうだな。キミの方が上だ、上。私は隙間を繋ぐことしかできないけど、キミならどこでも自由にワープできるだろうしねえ」

「な、何よ。自分の方が下でいいの?」

「いいも悪いも無いさ。キミが上なのはただの事実だ。それとも、張り合って欲しかったのかい?」

「そういう訳じゃないけど……」

「メリーだけに八雲が気になるということかい。フフッ」

「ぐぬぬ……!」


 メリーさんがいいように煙に巻かれている。あるいは楓が話を聞いていないだけかもしれない。訳わかんないこと言ってるし。

 でもメリーさんが爆発するとアレだなあ。何か気を反らせるものはないかと考えていると、お店の人が次の料理を運んできた。白身魚を薄く黄色いもので巻いた揚げ物料理だ。


「ハモの湯葉巻き揚げでございます」


 ハモ。聞いたことのない魚の名前だ。ただ、美味いことはわかる。さっきから出てくる料理が全部美味いからな。というわけで、早速一口。

 予想通りだ。ふわっふわの白身魚の食感と、梅のソースのしょっぱさが合わさって凄い美味しい。そして巻いてある湯葉からかすかに卵の風味がして、それがまたいいアクセントになってる。飲み込むのがもったいない。味わって食べないと。

 よく噛んで、ゆっくり飲み込むと、楓の後ろにいたメリーさんが俺をじっと見ているのに気付いた。


「どうした?」

「それ何?」

「ハモ」

「はも……?」

「料理来てるから、冷めないうちに食べろよ」

「うん!」


 メリーさんは小走りで自分の席に戻って、ハモの湯葉巻きを一口。途端に表情がとろけた。はもはもと口を動かす。美味いよなあ。雁金とアケミも感極まって何も言えなくなっている。


「フフッ、ずいぶん気に入ってもらえたようだ」

「ここのハモは絶品やからね」


 楓と瑠那もハモに舌鼓を打っている。


「どういう流れ……?」


 輝だけは箸も持たずに首を傾げていた。ハモ、食べないなら俺にくれよ。

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